100名城RTA(019-020/100): 名護屋城・平戸城
この記事は「100名城RTA」シリーズの構成記事です。いきなりこちらの記事にたどり着かれた方は、Indexページも適宜ご参照ください。前回はこちら。
'25/2/19: 名護屋城(No. 87) - 019/100
列島縦断の旅も後半戦。旅程的なピークは昨日で越えて、今日以降は一日2城回ればいいので、ちょっとゆっくり目に朝食をいただいてスタート。

今日のゴールは長崎。佐賀県を経由することになり、佐賀で攻略すべき100名城は他に佐賀城、吉野ヶ里遺跡があって、ルート的にはこっちのほうが自然に回れる。とは言え、こんな形でこちらに来ることはそうそうなく、次回以降は(日帰りするなら)飛行機等による落下傘作戦になるはずで、そうすると、回りづらい所をこの機会に攻略しておくべきだろう、そういう観点で名護屋城、平戸城を巡ることにした。
平日の空いた道を好天の下軽く1.5時間走らせて到着。名護屋城。秀吉の大陸(半島)遠征の日本側最前線拠点。ただ、役目を終えたのち、丁寧に破却されているので残っているのは縄張りと石垣だけ。


ここ、住所的には唐津市で、焼き物の街ということで、案内板が磁器で出来ていた。同じく唐津市内の唐津神社には磁器の狛犬があったりと、地域の面白さを感じるね。





ストレートに本丸にはいかず、二の丸など外回りをしていく。

役目を終えて、さらに江戸期の統制で再利用できないように丁寧に破却された名護屋城。石垣も一定間隔で楔形に壊されて、崩落させられた様子が残っていて興味深い(いくらかは経時劣化も含んでるんだろうけど)。


崩された石垣群を見ながら、遊撃丸跡へ。


ぐるっと本丸の高台の下を一周して、いよいよ本丸へ。

北西の隅には天守台跡。

天守台からの眺め。空気が澄んで遠方までよく見える。写真中央、手前の3つの島の向こう側が壱岐。

少しズームして、壱岐の左側の小さな島影が対馬。ここがなんのための城だったのかがよくわかる景色だと思った。

天守含めてしっかり見て回ったので、スタンプの儀。すぐ横の歴史資料館でスタンプをいただく。一部展示物は撮影okだったので、在りし日の名護屋城の図を。


昼のお店が始まる11時前なので、これもごく近場の道の駅「桃山天下市」で昼ご飯。ちなみにすぐ近くに、前田利家本陣跡があるらしい。というか、城を囲むそこら中に配下の本陣跡が大集合していて、資料館の解説にあった「一時的に日本の首都だった」というのは割とその通り。これ要は、首相官邸と閣僚・政府与党最高幹部の宿舎が来てるってことだしね。

昼ご飯は呼子のイカをいただいた。活造りを出してくれるとのことだけど、見ていてあまり気分の良いものではないから、活けの形は飛ばして、いきなり残りの部位も調理して(ゲソ天)出してもらうようにお願いした。ちょっと笑われた。

時間的余裕があるので、すぐ近くの波戸岬へ寄ってみた。やはり岬はロマン。


ちなみの「日本」最北西端は対馬にある(来訪済み)

名で岬に多いのだ?


'25/2/19: 平戸城(No. 90) - 020/100
のどかな昼下がりをのんびりほぼ下道ドライブで平戸へ。後から地図を見て振り返って気づいたのだけど、平戸って「本土」の外なのね。期せずして、「マイカー陸路で本土の外に出る」を達成してしまった。

駐めた駐車場からは、裏口(北虎口)から入ることになる。



本丸・天守エリアはあとに回して、今は亀岡神社になっている二の丸へ。

折角だから、この城趾の表口に回る。


そしたらいよいよ本丸へ。





今日の城巡りはこれでokだけど、まだ余裕があるから松浦史料博物館へ。平戸藩主家である松浦氏の館なので風格がある…と同時に道が細くてちょっと怖かった。




宿とご飯、そして夜景
本日のお宿は長崎市街地、長崎駅裏手のここ。

この後があるので、食事はノンアルで軽めに。折角だから長崎名物の一つを。

長崎市街地に宿を取ったならすることは決まっている。稲佐山からの夜景!平日の夜にここに来られるように旅程を調整した甲斐があって、全く快適に撮影が出来た。快晴を引けたのも最高やで。





前来た時は少し霧雨気味だったところ、快晴を引いたうえで強くなったカメラで再撮影。満額回答だった。
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