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肩書きを脱いで「いのち」として出会うということ

肩書きのない、そのままの私としてふれる、ふれてもらう機会が増えたけど、その環境は多分特殊。

秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
窮屈さを感じたら、より自由を感じる方へそっと転がって

あなたにはどんな肩書きがありますか?
お仕事での、課長、チームリーダー。
家族の中での娘、母親、妻。
資格があれば、資格の肩書き。

私は、勤めるということはしていないけれど、30代女性で看護師をしていたよ、という肩書きやラベルを貼ることはできるし、今はライフコーチですとも言える。

私たちはひとりの人間で、その前にかけがえのないいのちの存在。
そう捉えて接するだけで楽に力を抜ける。


プロフィールに興味ない

この人は「人に興味がないのでは?」と感じている人がいました。
アドバイスをもらったりはしていた。

アドバイスをもらっていたのに、私に興味がないのでは?って感じていた。

この感覚ではさすがにやりづらくて、けれど善意で論理的に私に不足していることについて、知らないことについて教えてもらっていたから、特に伝えなかった。

この「プロフィールに興味ない」と、相手をどんな存在として関わるかには共通点がある。

この言葉の真意は、肩書きには興味ない。
「その人と話して楽しいかどうかがすべて」と教えてもらった。

その人にとっては、話している目の前にいるその人自身がすべてで、そこで生まれるもの、自分と合うかどうかが大事。

だから、どんな会社に勤めていて、趣味が何で、どこに住んでいてということは、その人の一部ではあるし、共通点を見出すひとつのツールではあるけど、重要ではない、と言い切っていた。

いのちある存在として接する

30代女性で看護師経験がある私。
そういう目で相手から接することをされる、そういう入力で言葉を投げかけられると、私もその出力をする。

不思議。

私は私なのに、相手がそのラベルを貼ってそうやって関わられると、そうなって、そういう出力をするよねって言われたら、確かにそうかもしれない、と思った。

空気を読むとは少しちがうのかもしれないけれど、私にもいろんな顔があるから、目の前の人がこういう存在だよねって思って話しかけてきたら、その顔になって話すことが起きるんだと思う。

良い、悪いの話ではなくて、そういうことがコミュニケーションにおいて起きる。

コーチングでは肩書きがない私からはじまる

コーチングという場においては、肩書きは関係ない。
そのままのあなた、どんなあなたで来てもいい。

厳密には、役割だったり置かれている状況がその人を形成しているので、まったく関係ない訳ではないけれど、重視しない。

一旦、わきに置いて関わるよという感じ。

そして、コーチングで出会った人たちとは、基本的に何の仕事をしているの?の自己紹介はせずに関係が始まっていくことを経験した。

スクールでの自己紹介では、この場に期待すること、どこからログインしているということは話したけれど、それ以外のことは話していないと思う。

年齢も結婚しているかも話さない。どこに住んでいる?くらいの自己紹介はしたけれど、授業が終わって会った時に初めて、いわゆる肩書きのようなものについて知ったりした。

ヒトとしてどんな存在として関わるか

個として尊重されるのはもちろんだけど、純粋な存在、人間としてよりももっと抽象度の高い、いのちある存在として接したらいいんだよ、を教えてもらった。

これ、「未来形の私」の話と通じる、って思っていて、関連させたいというか話したい笑

「未来形の私」というのは、コーチが私に接する時に、未来形の私として扱ってくれているんだろうなの魔法の話で、解き明かせたので、答え合わせをさせてほしいと思っていて、まだ話せていない。

いのちのある存在として接するのは難しい?

どうして難しいと思いますか?

私が難しいと思っているだけで、難しくないのかもしれない。

抽象度が上がるからです。

30代女性、看護師していた私という具体の方が、楽に関われるから。

抽象度が上がるほど、複雑になり難しさが上がっていく。

分かる気がしませんか?

みんな同じヒトという哺乳類で、愛される存在で、その前にかけがえのないいのちだよねって思って接するのと、香川に住んでいてライフコーチをしている私に向かって話しかけるのと、比べると分かりやすい。

普段、いかに肩書きや役割を通して人を見ているのかに気づかされたお話でした。

まとめ

コーチングの学びとして寄せて書くのか、コミュニケーションの学びとして書くのか、どちらにも振れそうな学びでした。

コミュニケーションの学びだと、人はいろんなメガネをかけて人を見ている。無意識にそうしているから、その思い込みがあると自覚した上で、できるだけその人のそのままを見つめる愛をもって関わることが大事。

コーチングの学びだと、まっさらにフラットな状態で、クライアントさんの生きてきた過程、歴史があるからそれを大事に尊重するけれど、それよりももっと前に、かけがえのないいのちある存在だよねっていう目で対話すること。

これらを学ばせてもらいました。

「ヒトって愛おしい」と思う。
と一緒に釣りをしているような感覚の魔法使いさんが話していて、やっぱりとんでもなく深い愛の人だな、ってにやにやしました。

すべてのいのちある存在を愛おしむ、そしてご縁があって出会えた人に対して愛で関われる世界が、とてもあたたかいものだと感じました。

魂のかたわれたちである、風と水の人と、凪いでる海のような人。
港から見える海ではなくて、もっと沖で見る広い海って感じの印象になった凪いでる海のような人と風と水の人に感謝です。

ありがとうございました。

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最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!

💓もっと知りたい方はこちらのnoteもどうぞ

▽そもそもそのままの私に愛される価値はあるの?の話

▽半年前のこの話と通じる!

▽すべての人は愛される存在


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