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「母親の母親」を降りて見えた景色。お年玉と、私が「私」を信じる力。

「お年玉はこっちで用意するからね。」

冬の静けさと灯りになりたいになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
窮屈さを感じたら、より自由を感じる方へそっと転がって

予想外の所から球が飛んできた。

お金の心配をされることはありますか?

こんなに高い買い物をして大丈夫?
将来への備えは?
無駄遣いをして…。

私は昨年の夏に看護師の職を離れてから定職に就いていません。
コーチとして生きると決めたからです。

無謀なことと思われているのかな?と思います。
そもそも、コーチとして生きるを決めて離職した訳ではなく、転職ミスマッチでした。
人生、転がっているなぁと思います。

先手を打つように母親からお年玉はこっちで用意するからと申し出られた。
自分で出すとかたくなになって怒りを覚えることはなく、そっと愛として受けとることにした。
私は「私」を信じていて、お金という面でも自分を養うことが出来るを私が知っていればそれでいい。
母親の母親を降りられていて、境界線を引けている。


お年玉

「お年玉はこっちで用意するから。」

と言われたら、以前の私なら、かなり機嫌を損ねていたと思う。
そんなのは拒否で、いやお金は貯金があるから自分で用意するからって怒り狂うレベルだったと思う。

だけど、そんな気持ちは起きなくて、困ったなあ…と思った。

最近もお金の心配をされたばかりだけど、その時は、私は信頼されていないのか?と少し思った。

家族の中ではしっかり者キャラをやってきていたから。

けど、今はそういう気持ちすら湧いてこなかった。

予想外の所から球が飛んできていて、これは愛だと受けとるのか、説明して断るのか、どうしたらいいのかな?

と思った。

感情的にはあまり揺れていなくて、ある種の諦観でこの事実を眺めていた。

愛と理解でつながる

以前にも書いたけれど、この2つはセットがベスト。

だから、両方でつながれたら幸せだけど、つながれないなら、片方だけでつながればいい。

どちらかだけでも大丈夫。

私は、母親とは「理解」でつながるのは難しいと思っていて、理解されたいともあまり思っていない。

そういう季節に私はいる。

だから、愛でつながれたらそれでいいと思っている。

私が「私」を信じる力

私は私のことを分かっていて、信頼していることがまず分かった。

この言葉、私が「私」を信じる力は2025年の私の下半期のテーマです。

上半期の私が下半期の私に贈った言葉であり、コーチングスクールの授業という旅を閉じる時に、確かに宣言して聴いてもらった言葉。

本当に尊い時間だった。

私にとって言葉は友人であり、支えであり、世界と私をつないでくれるもの。
力を与えてくれるもので、時には引っ張ってもらっていた。

今は、心地よいと感じるやさしい言葉に私は囲まれて生きている。

私は私の貯金がいくらあるか分かっていて、お年玉を出せない程かつかつの生活をしている訳ではない。

そして、健やかな心と体があって、看護師という資格もある。

だから、仮にお金がなくなる日が来るならその前には、未来の私がちゃんとコーチとして以外の手段(コーチとしてやっていきたいよ!)でもお金を稼ぐを出来ることを分かっている。

私は私を養うこと、そこに責任を持っている。

お金(貯金)は、今の私のひとつのリソースである。
そう捉えている。

人に迷惑をできるだけかけないで生きる、と近い。

けれど、離職してから今まで私は親にお金のことで困っていると話したことはないし、これからもお金のことで頼るつもりはない。

とても健やかだ。

私は私の足で、その点ではちゃんと立てることを知っている。
知っていて、出来ると信じられている。

母親の母親を降りられている

そんなことをしていたんだ、は凪いでる海のような人に教えてもらうまで分からなかった。

だって、子どもが大人になって自立してきたら、親の世話を焼くことってあるでしょう?

これを私は中学生くらいからはしていたのかな、と思う。
早めに子どもの立場を自分から手放した感覚はある。

けれど、それは長女で家庭内の不和を感じていて、バランスをとりたかったのかもしれない。

両親は私が大学生の時に離婚しているのですが、高校生の時には破綻していたなと思っている。

そして、離婚の原因は父親の借金だと理解していて、だから母親はお金に対して失う、減るということに対する危機感が強いのかな?と想像する。

あくまで想像だけど。

私もお金は貯めておかなければならないという信念は強かった。
漠然ととにかく貯めなければと思っていたから。

大学生の時に私は入院したことがあるのですが、入院を伝えられたその外来受診の帰りに相談窓口に行き、入院費用を尋ねてお金について分かった状態で母親に伝えた。

母親の価値観から出られない。

たった1ヶ月2000円の料理教室を受講することですら、私は母親がいい顔をしなければ諦めていて、出来なかった。

母親にお金を出してもらうのではなく、私がお金を払うのにだ。

息苦しい感じを覚えていて、
「鳥かごの扉は開いているのに、出ようとしない私」にコーチングで気づいた。

私は物理的に母親と距離をとることで、母親の価値観から出ることにした。

ひとり暮らしをして、干渉される、自分にいろんなことを諦めさせるから距離をとった。

厳密には、互いに依存している側面はあったんだろうと思う。
そして、過保護に私は育てられていて、それに気づいていなかった。

結局、ひとり暮らしをしても自分で新しい鳥かごを作って入るということが起きました。

その後でした、私が「母親の母親をしていたんだね」って教えてもらったのは。

だから、意識的にそうしないことを選んできました。

ここ1年くらいの話です。
私が母親のケアをしなければいけないのでは?と揺れることを繰り返してきた。

母親の心配は、母親のもの。
この母親の心の天気は私が変えようとしなくていい。

もちろん、心配を解消してあげたいと思うならそれを選ぶことをしてもいい。それも愛だから。
私にはそうするのかしないのかの自由がある。

ちゃんと母親の心配とそれに対する私の応答は別のものである、と俯瞰の目を持って見られている、と思いました。

私のことも、母親のことも両方、とても冷静に眺められている。

だから、感情が「少し困ったことになったな」、という程度の振れ幅で済んでいる。

出来るだけ波風を立てないで、エネルギーを使わずに関わるにはどうしたらいいのか、と考えられた。

お年玉は用意してもらうことにした

「お年玉、準備できる?」

とはきかれていない。

選択肢は提示されていなくて、「こっちで用意するからね」という、親切ともやさしさともとれるけれど、決定事項として私に伝えられた。

母親なりの踏み込まない態度なのかもしれないけれど、これまでも貯金はいくらあるの?など、直接核心にふれるようなことは尋ねられていない。

アルバイトでもしたら?
コーチングでそこそこのお金はもらえるの?

という質問はくるけれど、はっきりさせるようなことはない。
だから、私もはっきりさせないという距離で答えてきた。

知るのが恐いのかもしれないし、知りたくないのかもしれない。
知らないでおくことで守られる心の平和もある。

だから、あえて「大丈夫、自分で用意するよ」と出来るけどそうしないことにした。

愛だと思うし、断るとそこでまたエネルギーを使うから。

どちらを選んでも、私は私のままでいられる。

私が私のことをちゃんと分かって信じることが出来ていればそれでいい。
私という輪郭をちゃんと分かっている。

何が変わったから受けとれたの?

自分で自分のことを分かっている、誰かに認めてもらわなくても、私さえ私のことを分かっていればいいと思えているのが大きい。
自己受容の文脈と自己信頼が育っているから。

そして、自立を1人で立つことだと捉えていないからだ。
自分できることは自分でしなければの思い込みが多分ない。
自立と孤立はちがう、自立とはたくさん支えてもらえる人がいること。

今までなら、自分で落とし玉を準備できるのに、寄りかかる、母親にお金を出してもらうなんて考えられなかったと思う。
私が母親をケアしなきゃ、しっかりしなきゃの感じ、母親の母親を降りられている。
また、家族の中でしっかり者の頼られる側という立場をゆっくり手放して自由になっている。

この状態を甘えていると捉えていなくて、そこに愛があると思えるようになった。

やっぱり愛があるにOS更新できたことで、世界を見る目が変わっている。

まとめ

予想外の所から飛んできた球ではあったけれど、いろんな学びがありました。

私は「私」を信じていて、自分の足で立てることを知っている。
母親の母親を降りることができている。

私はそんな心配をされるような人間じゃない、今までもちゃんと自分で責任を持ってやってきたのに、というような怒りも持たなくなっていた。

愛と理解、理解でつながることは難しいと感じるから愛でつながろうって思えている。
お金を受けとることで、愛を受けとれるなら、そうすることが選べる。

そして、それを選んでも私は私のままでいられる。

私と母親の境界線を引けているという話でもある。

とても健やかだと思った。

母親の愛が私にお金を渡すことなら、受けとればいい。

心配、母親自身の不安からそうしているのかもしれない。
けれど、それは想像。

だから、私にいいように、愛があるからだと世界を肯定的に受けとる

私は世界から愛されちゃっているから。

母親にとっては孫の写真(私の甥っ子たち)+コメント付きもたびたび送られてくるけれど、それについては、華麗にスタンプでスルーできている。
これも成長。

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▽働いたら?の提案をスルーした時の話

▽遠まわしにコーチングで生活できるの?を尋ねられた話

▽私が母親をなんとかしてあげないとなの?の揺らぎ


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