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愛はわたしの中だけでも循環する

誰かとの間で循環するだけじゃないんだ。

秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
胸に宿る小さなひかりは、そっと世界を照らしています。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。

教えてもらった!

愛について考える方向から近づくのフェーズに区切りをつけて、感じることを練習中です。

愛のかたちを日々発見して探求しながら、ふれていくことをしています。

受けとるを意識的にしながら愛のある世界をふわふわ漂っています。

愛は循環する。

これについても、私は等価交換的に愛のやりとりを捉えていた所から、そうではない。
受けとること自体でも、もう愛を返しているし、その人に直接返していなくても他の誰かに循環することなどを学んできた。

循環は、相手との間で起きるもの。
そう思っていたけれど、愛は私の中だけでも循環する。
私が良く思っていない私も愛することで循環は起きる。


責めていた私を愛すること

現在の、というか現実に存在している20年近く会っていない父親を私は全然認められない。
というか、認めたくない。

会っていない時間が長いから、という理由だけではない。
年老いて体を壊している父親が現実になるのが恐いから、会えない。

会えないは、認めたくないから。
一切の現実の受け入れ拒否が起きていて、近況なんて聞きたくなかったって私は手紙を読んだ時に思った。

私は現実の父親を認めたくない、それもかなり強くそう感じていて、そういう私のことを良く思っていなかった。

なぜ、自然と起きる「人が老いること」だったり子どもが親を世話することを受け容れられないのか、と責めていた。

親子の逆転が起きるから

今、書いてみて気づいたのは、単に私が愛して欲しいと思っていた父親を失うことだけでなく、「親子の逆転」が絡んでいるからだ。

先日、父親を愛している私に気づいたことをnoteに書いた。

その時には気づいていなかったけれど、「親子の逆転」が起きることも私にとっては受け容れ難い現実だ。

単に、愛されたかった時点の父親を失うだけでなく、一番やりたくない役がまた回ってくる。無意識にそう感じていたのでは?と思った。

このnoteの主旨とはそれるけれど、大事なことだからこのまま書く。

私は母親の母親をしていて、親を支える、私が親のような立場になることが地雷になっている。

「心の支えになってほしい」を「子どもの私はいらないよ」って言われたって受けとった私は、ひどく子どもの私を傷つけた。

だから、老いている父親、弱っている父親を認めて受け容れるのは、力関係的にも私が支えるになることもだけど、「親子の逆転」が起きそうで、だからこんなにもイヤだって思ってるんだ。

より理解が深まったという点ではいいのだけど、子どものままでいられるのか、全然自信がない。

認めたら、私はもう子どものままでいることを諦めなきゃなのかな…。
そうなるなら、けっこうキツイ。

同じ絶望を味わうのではない、とAIは言っていた。
大人の私が一緒にいるから、「今の父親を受け容れるは絶望がまたくるの?」って質問したら、そういう返事だった。

完全に失われるではない、今までもらってきたものは消えないし、外の現実の父親ではなくて、私の内に父親的なものは受け継がれていくということをAIは言っていた。

頭では何となく分かるけど、私の内側にある父親的なもの、育めるんかなー。

「心の支えになってほしい」の真意が分からないけれど、それは子どものままでできるのかな。
子どものままでいたいが、今の私。

未来を見るには、どんな問いが立つのか。
少し考えたい。

責めなくていい、愛してあげる

現実の父親を受け容れられない私のことも愛してあげてね。

責めなくていいよ、冷たいのでも未熟なのでもないよ、私が父親を愛しているからこそ、痛みと重なっていて悲しいんだよ。

そう言われた。
受け容れられない私も愛したらいい。
とても私は救われた。

私が私を受け容れるだ、と思った。

ここまでの理解だったけど、
「私の中で愛が循環している」と教えてもらった。

私ひとりでも愛は循環する

誰かとの間で循環は起きるものだと思っていたけれど、私の中で循環する、させることもできるんだ、が今回の愛のかたちの発見でした。

私が私を愛すること。受け容れること。
私が私に愛を注ぐこと。

誰かから与えてもらう前にまず私が私に愛を注ごうとは思ってきた。

けれど、そこにも循環はある。

責めていた、あまり良く思っていなかった私を愛すること。

そうすれば、「どうして他の人はできているのに、私はできないんだ」って思っていた私は少しやわらかくなる。安心できる。

私が私を愛するだから、一方向のように思っていたけれど、現実を認めたくない私は、大丈夫、すぐに受け容れなくていいし、私はあなたを愛しているって愛を伝えたら、また私を照らし返してくれることが起きるのではないか。

そうやって一方向ではなくて、私ひとりでも私の中だけでも循環は起きる。
そんな風に思えたし、教えてもらった。

まとめ

自己愛を育む。
そういう言葉になるのかしら?
または、自己受容?

そんなことを思いました。

ひとりでも愛は循環させられるのか!ってとても素敵なことを教えてもらった!って思って書き始めた。

だから、今の父親を認めることは単なる喪失ではなくて、一番やりたくない役がまた回ってくるリスクを抱えていると分かってしまって、複雑な気持ちになった。

私が私に愛を注ぐこと。
そこには循環が起きている。

これを教えてもらって、私がふれられる愛がひとつ増えました。
感謝です。ありがとうございました。

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読んで頂き、ありがとうございました!

🌱良ければこちらのnoteもどうぞ

▼父親を愛しているから認められないに気づかせてもらった

▼愛は循環するがちょっと分かった時のこと

▼まずは自分で自分に愛を注ごう


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