喪失への不安は愛の影
光が強ければ、それと同じだけ濃い影がある。
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
私は愛だから、いつでも私に愛を注ぐよ。私は私の手をずっと離さない。
愛の影の部分は?
そう尋ねられたら、どう答えますか?
愛しているから憎しみに変わる。
嫉妬する気持ち。
愛ゆえに甘やかすこと。
私は、絶望が気になっていて、愛が見えるようになったからこそ、痛いも鮮明になってきていると思いました。
安心、大事な居場所と分かっているから、それを失うかもしれないことへの恐さがある。喪失への不安は愛があるからより痛く感じる。
区切りがつくことは、終わりではない。愛はあるし、かたちが変わるだけ。そして、恐いと思うのは自然なこと。
失う予感
「予期不安」という言葉で私は呼んでいた。
医療的な言葉なのか?は分からないのだけど、まだ起きてないことに対して不安に思うこと。
例えば、痛みを伴う処置がある時、その痛みを知ってしまうと、次からその処置を受ける予定があるだけで、憂うつな気分になったり、不安を感じたり。
痛み止めを使うけれど心理的な負荷は上がっていると思う。
起きてないのに、不安になる。
そんな感じで、予期不安が起きてるんだなー、と思っていた。
今参加しているコミュニティを卒業することを決めたり、
定期的にお話ししている人との未来の約束がなくなったりした。
私の安全基地を手放したり、なくなるかもしれないの不安。
喪失への不安
予期不安ではある。
だけど、もっと解像度を上げると、失うことが恐いと思っているんだ。
愛の影に”喪失”が含まれている、と思った。
安心も愛に含まれている。
自分で手放すと決めたものの、不安はあって、ただ他の安心も失うとは思っていなくて、余計に不安になったんだと思う。
プールに浮かばせてもらっていたのが、海に放り出される、みたいに感じていたから。
私は3つ大きな私にとっての安心を手放す、失うタイミングがなぜか重なっている状況だと捉えている。
手放したい訳じゃないのに、そんな空気を感じる。
コミュニティの卒業、本当に大事だと感じている人との未来の約束。
もうひとつは、考えるだけで思ったよりもきついな、の今ここ。
タイミング悪い
この状態は、意外と私をじわじわと蝕んでいて、完全に1人になる訳じゃないけど、失うことに焦点が当たっていた。
手放すことでスペースができて、新しい風も入ってくるよねー、と肯定的に捉えようともした。
だけど、未来の約束がないように感じたのは、本当に大事な人で時間だから、参っていた。
そんな時に、お父さんから手紙がきて、私が死んじゃうかもしれないと思ったり、書く私が、私の言葉が奪われると感じる出来事があった。
安心がぐらついている時に、私の存在の根っこが危険にさらされるようなことが起きていました。
喪失するが起きるのは、愛があると分かるから
私、これが自分に関係あるなんて思っていなかった。
愛があると分かる、愛されている人の論理だって思っていた。
愛を失うのが恐いは、愛がある世界から見た時『愛のかたまり』から考えたこと、というnoteを昨年の12月に書いている。
この時の私は、私は愛されていい、愛されているが分からなかったし、その許可がなかったから。
受けとっていいの?という愛の入口で私は恐いと感じるけれど、愛がある世界にもともと住んでいる人たちは、そこでは立ち止まらない、その愛を失うかもしれないことに恐さを覚えている、未来過ぎるって思った、と書いている。
予期不安、私の安全基地が次々となくなっていく。
そんな風な見方をしていて、安心を外に持つこと、内に育てていくこと。
どちらも大事だけど、外に意識的に持つをしている安心という愛を喪失するって感じていたんだ。
安心と思える場がなくなるんじゃない、多分。
愛もなくなるんじゃない。
だけど、私にとってそこでともに過ごす時間がとても大事で安心のプールだから、定期的に浸かっていたいたプールに行かなくなるのはやっぱり恐くて、愛自体もなくなるって一緒になっていた。
人とのつながりは断たれてしまう。それは突然で私が大事だと思っていても問答無用でなくなる。
そういう学習があるから、消えちゃうって感じていたんだ。
消えるじゃない。
形が変わる、糸の濃さや太さが変わるだけで、あるんだよ。
これを私は体では分かっていない。
頭では分かる段階にいる。
「失うはない」って伝えてもらってるを思い出した
自分で読み返してみて、気づきを得た感じだ。
書いているのは忘れちゃうからで、未来への私への手紙にもなる。
まさに、未来を、愛を失うのではないかと私は喪失の不安を感じている。
けど、失わないよって私は分かっていた、を思い出した。
「失うはない」って私は存在で伝えてもらってたじゃん。
振り子が振れてただけだよ。大丈夫。
なんだ、とっても恐かった。
それは過去の私の通ってきた道、傷の痛みが反応しているもあったんだと思った。
私がどれだけ願っても、私だけでは守れない。
未来の不安を1人で抱えること
未来の不安を自分1人で抱えようとしていて、それもどうなるか分からないのに想像して、きついなって思っていた。
人との関係は、相手がいる。
だから、私1人ではどうにもできないものだ。
そして特別だから、きつい。
もあった。
閉じることと終わることが同じように感じていて、安心がなくなるで、愛もなくなるになっていた。
終わるかもしれない未来も恐い。
続いてほしいと思う私を出すことも恐い。
相手がどう感じているのかを知ることも恐い。
大事な特別だと感じている人を失うのが恐い。
これ、普通に恐いって思っていいことだよね?
「恐い」が私の相棒で、あまりにも戦友だから、恐いと思うのは私がおかしいのかなって思っている部分があった。
恐いと思うのは自然なことだ
人に拒否される、はじかれる、はじかれたくない。
どこまで近づいていいの?こんなスピードで近づいたら来ないでって言われる?
私が離れたくないって思っていてもお父さんとの関係は急になかったみたいになった。
そういう感じで、私は人とのつながり、関わり方、距離をずっと慎重にはかってきた。
だから、関係性が変化する、特に一区切りつく、終わるみたいなことがとても恐いのだと思う。
けど、自分にとって大事だと感じる人との関係が変わるのは、みんな恐いよね?
じゃあ、恐いよね、そうだよねってうさぎちゃんを抱き上げてあげたらいいんだ。
抱き上げて恐いよねってちゃんと受けとめたら、どうしてほしい?どうしたい?って作戦を立てたらいいんだ。
まとめ
私は今愛されている。誰が何と言おうと、確かに愛されているが体で分かるになった今だからこそ、喪失の不安を痛みとしてより感じるようにもなったんだと思う。
また、全部をくっつけて同じに見ていたけど、それは分けたらいい。
一区切りとすることは、絶たれることではない。
ただ形が変わるだけで、安心も愛も失われたりしない。
また、人との関係は私だけで作っているのではなく相手と作っているもの。それが分かるが故に苦しさもあった。
終わることが恐い、大事な人との関係が変わるのが恐いは、自然なことだった。
「愛は失われたりしないよ」って、私は存在で伝えてもらっているを思い出したしね。
恐い、話せないのもイヤだ。
でも、私だけの意向で決められることではない。
今は、恐いよね~。って私が私の気持ちを受けとめるだけでいい。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
読んで心に何か残ったものがあったら、感想でも、今の気持ちでも、コメントにそっと置いてもらえたら嬉しいです。
スキやフォローは、余裕のあるときにどうぞ。
もし、この文章を読んで少し話してみたいな、と感じたらはじめての対話のご案内を、こちらにそっと置いています。
軽くおしゃべりするような時間で大丈夫です。
よかったらこちらのnoteもどうぞ
▽私があると思うこと、灯を灯し続ける限りあるんだ
▽好きって思ったら走って近づきたい私と距離感は一定ではないこと
いいなと思ったら応援しよう!
あなたと私の間に愛が循環していきますように。いただいたチップは、私が健やかに生きられるようにチョコ次郎を買うために使わせて頂きます。