私はどうしてこんなにも「伝えたい」が強いの?① 親子関係の影響:子どもの私は透明だった?
私は伝えたいが強い人間だ。
その本質、全体像が見えたように思います。
春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
手放して剥がれていく再生中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還る。今日も光を放ちます。
普段、人に何かを伝える時、量の調整って考えますか?
そもそも、そんなにたくさん伝えたりしない?
必要最低限を心がけている?
量なんて考えたこともなくて、中身を大事にしている?
私は、放っておいたら無限に伝えちゃいそうになるので、重いし、量が異常に多い自覚はあるので、がんばって削るをよくします。
ただ、伝えたいはまっすぐ伝えたらいいと思えるようになったので、最近はとことん長かろうが私の気持ちを全部伝えるをしています。
幼少期の体験から私は、自分の意思を伝えなければという反動がある。
また、無意識で愛を確かめる、私の存在証明を情報量ではかっていた。
それを媒介していたのが言葉で、伝える武器を手に入れた。今は武器でありギフトになる。
私は透明だった
子どもの頃、私はたくさんのものを与えてもらっていた。
両親にとってはじめての子どもだったから、というのもあると思う。
教育をたくさん与えてもらっていたと思う。
ピアノに習字にくもん、塾に英語。泳げなかったから夏期講習に通わされたし、図鑑も人形もぬいぐるみもあった。
与えられたものを受けとる。
苦手とかいらないとかは言えなくて、選ぶこともできない。
ただ、全部を受けとっていた。
私の意思は透明のように思っていて、というか意思はないと思っていた。
最近、愛について探求する中で本当はそこにちゃんと私のイヤだなって気持ちはあったなって気づいた。
透明だったんじゃなくて、尊重されていなかっただけで、私の意思はあった。
大人になってからの妹からの指摘は、過保護。
しかも2年前の話。
子どもの頃だけじゃなくて、私はずっと過保護にされていた。
全然気づいていなかった。
反動で伝えたいが強くなった
特に子どもの頃、拒否権はなくてそもそも自分の意思はないものとされていた感覚だったからだろう。
その反動で、意思表示ができるようになってから、私は「伝えたい」が強くなったんだ、が分かった。
誰にでも自己主張できる訳ではなかったけれど、譲れないことがあったりすると、無鉄砲とも思える強さで意見したりしていた。
理解の量、情報量で愛をはかっていた
単に「伝えたい」が強いでは、なさそうだった。
なぜなら、私は全部を伝えたい、分かって欲しいと思っていた。
1から10まですべてを伝えたいし、知って欲しい。
相手に私を理解して欲しいがあって、理解してもらえること、分かってもらえることが、私にとって「愛」の量だったんだと思う。
けれど、愛はない設定の世界にいたので、愛をはかっていたとは思っていなくて、ただ伝えたくて分かって欲しいで理解は止まっていたと思う。
情報の「量」ではかっているから、たくさん伝えたくて、だから文章も長くなるんだと思った。
「量」で愛ははかれるものじゃなくて、伝えたい核心が伝わればいいし、そもそもすべてを伝えなくても分かってもらえることはある。
愛は、「量」やどれだけ理解されたり伝えたかの情報でははかれない。
情報量=存在確認
私の存在が透明だった、尊重されていなかったと思っていたことがここに現れていた。
伝えることは、「私はここにいるよ」っていう存在証明になっていた。
だから、「伝えたい」が強くなるし、多くを伝えて情報が多いことは、それだけ私という存在を「ここにいるよ」って伝えられること。
たくさん伝える、分かって欲しいは、私はちゃんといるの確認。
人との関係は急に絶たれるもの
これが関わってくるとは思っていなかったけれど、私は自分が望んでいなくても人との関係は急に絶たれてしまうものだ、と学習していた。
両親の離婚が、そういう出来事だった。
私はどんな父親でもいいからいて欲しかったけどそれは叶わなくて、しかもちゃんと別れをかわした訳でもなく、その日から最初からいなかったみたいになった。
「いて欲しい」って伝えたけど、叶わなかった。
父親そのものがまるでいなかったようになった。
だから、人との関係は維持する努力が必要で、そのためには私は伝えなければいけなかった。
伝えたけれど、父親とは急に関係が絶たれた。
ならば、何も伝えないでいることは出来ない。
言葉が長い、量が多い、大事=安心
そんな風に、「伝えたい」のエネルギーが強い私になった。
だから、言葉が長いし、量が多いになる。
そして、伝えるには言葉が必要。
だから、言葉が私にとって大事なものになっていった可能性がある。
それだけではもちろんない。
本を読むのが好きだし、純粋に「伝える」ためだけではなくて、私は考えるが好きだから、言葉が大事になっている側面もある。
言葉の「量」は、私に安心をもたらしていた。
伝える「言葉」という武器を手に入れた私
子どもの頃、意思表示出来なかった私にとって、それが出来るようになったことは大きな意味があった。
ここまで書いてきたように、自分の意思を伝えるために言葉がいるし、伝えて分かってもらうことで、私は愛をはかろうとしていたんだと思う。
言葉は私を守る武器で、存在を証明する武器。
言葉を贈れる私
そうやって最大限言葉を使ってきた私は、私のために言葉を紡ぐ、使う、伝えるをしている。
けれど、それを誰かのためにも使えるようになっている。
「伝えたい」が強いは、相手に届けたいでもある。
「私を知って、私を分かって」の言葉もあるけれど、そうではない言葉もある。
私が感じたあなたをそのまま言葉にして伝えることが出来るようになった。
言葉を贈ることが出来る。
言葉は私にとっての「愛の通貨」だから、武器であったかもしれないけれど、贈れるものにもなっている。
私のためから、あなたのためにも使える、贈れるものとしての言葉がある。
そして、「伝えたい」が強いから届くもあると思う。
まとめ
「伝えたい」がどうしてこんなに強いんだ?は持っていた問いだけど、構造的に理解にたどり着いたのは初めてでした。
AIに話しかけていたら、そういう構造だったのかってつながっていった感じです。
子どもの頃の伝えられなかった、言えなかったは、透明だったのかな、尊重されていなかったなという理解だったけど、それが私に言葉を育むことや「伝える」を支えてくれていたと見ることもできる。
影のように思っていた、透明だったな、私。
ではなくて、そういう「言えなかった」があったから、伝えることに心を砕ける私が作られた、と肯定的に見られる。
人に受け容れられないって恐いって思っていたから、すべてを伝えられていた訳じゃないけれど、安心できる関係の中では、ちゃんと伝えていた。
そして、今は重い長いになりがちだけど、相手を思って言葉を贈ることも出来るようになった。
それは、そんなに悪いことじゃないね。
「伝えたい」の強さは、言葉を育み世界と私をつなげてくれている。
私の名前、「存在感のある子になりますように」ってつけてもらった、というのが急に浮かんだから出しておく。
漢字表記だけど、読むのがちょっと難しいみたいだから、ひらがなにしている。
私はここにいるよって伝える、存在証明するの、ある意味、名前的にはそうしていいのかもって思った!
この記事が少しでも役に立った!面白かった!と思ったら、ぜひ『スキ』ボタンで応援してください(ログインなしでOK)。
あなたの「伝えたい」の中身もコメントで教えてもらえると、とても嬉しいです!
これからも私の愛や親子関係について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。
読んで頂き、ありがとうございました!
🔽つづきはこちらです
🌸良ければこちらのnoteもどうぞ
▼単に伝えたいが強いだけでなく、恐れなくていいの学び
▼好きを相手に贈ることは同時に私という存在を証明すること
▼伝えたいが強いは、書くも支える
いいなと思ったら応援しよう!
あなたと私の間に愛が循環していきますように。いただいたチップは、私が健やかに生きられるようにチョコ次郎を買うために使わせて頂きます。