全部を伝えなくていい 「受けとる量」と同じように「伝える量」も選んでいい② 自分を信じる
私のことを分かって欲しい。
分かってもらうためにはすべてを「説明」しなきゃ。
秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
胸に宿る小さなひかりは、そっと世界を照らしています。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
相手に何かを伝える時、伝えるさじ加減の調節はしていますか?
相手の理解力に応じて考えている。
コミュニケーションエラーが起きないように分かっていてもあえて伝える。
自分で考えて欲しいから全部は伝えない。
「伝えたい」の底には、透明だったと思っていた私がいて、伝えても人との関係は急に絶たれると思っていた私は、全部を伝えなきゃに拍車がかかった。
分かって欲しい、情報の「量」で愛をはかっていた。
さて、今日は受けとる量は選んでいいの学びとおそらく鏡の関係なんだろうなと思うのですが、「伝えたい私」をゆるめていい、について書きます。
自己開示するかしないかという2択ではない。自分への信頼が育っていれば、自分を開けることが自然体になる。
伝える=開く量は全部じゃなくて選んでいい。見せないのは、不誠実ではない。
開くの?明け渡すの?
何度かnoteに書いてはいますが、私は自己開示が苦手です。
それは、世界の見え方がそのままの私は拒否される、外の世界は恐い所で私を傷つけてくるの世界に住んでいた影響が大きいです。
だけど、「伝えたい」私もいて、バランスがとれていなかったと思います。
極端な選択肢になっていたなー、と思います。
恐いからあんまり見せない、または何でも見せられるになりたい。
そして、基本的には恐いから自己開示はできるだけしないで人と関わってきました。
職場の人に、趣味や休みの日に何してるの?って聞かれると、とても戸惑った。
見せたくない面は見せなくていいのに、見せる、明け渡さなきゃの感覚は、相手が開いてくれているがありました。
そうやって言葉でも態度でも伝えてもらっていた。
なら、「私も同じように開くことが誠実だ」、という価値観があります。
人と双方向の関係を築きたいし誠実にいたい。
相手が開いてくれている、私を信頼して見せてくれているのに、自分はそうしないのは、罪悪感があった。
けれど、嫌われるのでは?拒否されたくないって思っているからそう出来ない。
そんな葛藤がありました。
伝えない=不誠実ではない
伝えなきゃ、すべてを見せなきゃ、共有しなきゃが必ずしも健やかな関係を築くことではないんだな、という気づきがありました。
具体的には、母親に私の暮らしぶりをどのくらい伝えるか、です。
「お出かけする予定があるんだよね」、は私にとっては楽しく生きているよだけど、母親にはそうは取られていない感じがした。
ただ元気にしている、暮らしているが伝わることだけでいい。
そう思いました。
しっかり者の長女キャラをしていたから、教える、全部を伝えるは、私のクセ。
けど、常にその私でいなくていい。
私を守ること、全部を伝えないは、互いに健やかでいるための選択だ、と分かりました。
🦄私が私を分かっていればいい
「どうしてそんなに何でも見せられるの?」という疑問を持っていて、私には出来ない、と感じていました。
けれど、そこには自分を信じているがあるからだ、と分かりました。
自己信頼。
「かけら」のようなものには今までもふれて、考えてきている。
それがちゃんと分かるにカチッとはまった感じがしました。
見せたい(見せるのOK)・見せたくない(見せるのNG)の2つがある、線引き自体がそもそもなくて、どっちでも大丈夫だ、という自分への信頼。
「見たいよ」なら、どうぞだし、「見せたい」という意思があるなら見せる。
だけど、全部を見せなきゃという感覚はないんだ。
私は、何でも見ていいよは「差し出すことが出来る」という言葉で捉えていて、これも明け渡すと近い。
しかし、「何でも見せられるよ」、は差し出すじゃない。どっちでも自分への「大丈夫」が土台にある。
🌳「見せる必要がない」
これを私は大きな木のようなコーチに教えてもらって、「えーっ!!」と驚いたことがある。
みんな、自分を守るために見せない部分を選んでいると思っていたから。
そうじゃなくて必要ないから言わないだけ。
そして、たとえ恥ずかしいなって思う所を相手に伝えたとしても自分は脅かされないんだよって教えてもらった。
これ、その時は分かったような分からないような感じだったんだと思う。
この言葉の意味は、やっぱり「自分のことを信じている」が「自分は大丈夫」っていう感覚を支えているんだって今分かりました。
自分が自分を信じているから、脅かされたりしない。他者の反応によって左右されない。
これが揺らがない限り、大丈夫。
「見せる必要がない」、これは不誠実でも自分に正直ではないことでもなくて、相手を拒否しているでもない。
自分のことを信じているから、選べる表現で、言葉だったんだ!!
相手に全部を伝えなくてもいい
自分が自分を分かっている、信じている。
これがあれば、相手に全部を伝えなくてもいいになる。
私さえ、私のことをちゃんと分かっていたらいい。
ここにたどり着いたことが、私にとっては大きな気づきでした。
「全部を伝えなきゃ」と思っていた私は、自分の中で留めておく、私が私のことを分かっていれば、それだけで大丈夫なんだよっていう感覚がなかった。
私じゃなくて、相手に分かってもらうことで存在証明の感覚を得ていて、分かっていなかったけど愛をはかっていた。
外に求めるではなく、私に矢印が戻る
他の学びとつながるやつでした。
相手に何かを求める、満たしてもらうではなく、まず私が私を満たす。
他者受容の前に自己受容。
私が私を受け容れるのが大事。
他者承認の前に自己承認。
周りから信頼される、評価されるも大事。
だけどそれに頼りすぎる、委ねるのは危ないよ。
ちゃんと自分で自分を評価できる、認められるのが健やかだよ。
自分で自分に水やりしよう。
外に安全基地も大事だけど自分の中に安全基地を持っておく。
安全基地は、複数あるのが安心につながるよ。
親のように他者じゃなくて私の中にもあるんだよ。
人からの愛を受けとるの前に、私が私にまず愛を注ぐ。
自分に注げないのに、周りから先に与えてもらうの?
全部を伝えなくても、私がちゃんと私を分かっているなら大丈夫。
だから、伝えるのは全部を伝えなくてもいいんだよ。
これ、全部自分の体験を通して学んできたのだけど、共通している。
このままを歩いてきたけど、自分で自分を支える、立てるようになるには、自家発電するのが、基本なの?
直感的に大事なことだと思うけど、自己完結できる、自分で自分を育める力が大事なのかなー。
この感覚に名前がほしい。
この仕組み?原理?を知っている人がいれば、教えて下さい。
外に与えて欲しいって求めていたのが、最終私に戻ってくる。そういうプロセスを踏んできている。
全体性を回復し続けてきた、とも言えそうだけど…。
成人発達理論でいくと、他者依存段階から自己主導段階への移行を通っていると言える。
調べると、
外に求めて、内に戻るのプロセスを通るのが自然らしい。
そして、「内で育む」と「外から受けとる」はやはり相互に作用している。
だから、はじめから自己完結できることを目指すではない、と分かった。
けれど、「外から受けとる」は補助的位置づけで、自分で自分に水やりできる状態がベスト。
自然体は自分を信じること
全部を見せられるじゃなくて、見せてもいい。
隠す理由がなくて、それが自然体。
どちらの選択肢も持てるのが健やか。
見せるも見せないも選べる。
その間に線引きはなくて、だから「何でも聞いていいよ」になる。
そして、「必要ないから見せてないだけ」は、そこに自分を守るや、相手を拒否するというような他意は含んでいない。
伝える量は選んでいい
この言葉を、自己開示と読み替えると、
安心できる分だけ自分を開いたらいいんだよ。
と、私はやさしく教えてもらった。
全部を見せなきゃ、と思っていたから。
私のペースでいいんだよ、と。
ここに省略されていたのは、
自分を信じる、大丈夫と言える土台が育ってきたら、自然と見せるの恐いはなくなるよ、ということだったんだと思います。
無理にそうしなくていいし、タイミングを待てばいい。
母親との間では、全部を伝えられる状態だけど、あえて見せないを選んだらいい。
そうすることがお互いにとって健やかにいられること、と気づいた。
見せられない、恐いにばかりに光が当たっていたのに、あえて見せないを選択したらいい。
これを体験したことが、大きかった。
見せないは、隠すでも誠実でないことでもない。やさしい選択。
全部を伝える、見せられるが正義みたいにすり替わっていた!
さらに、受けとるかどうか、受けとる量は選んでいいの学びが私にはあった。
これがつながって、全部を伝えたいはゆるめたらいい。
伝える量も選んでいいになった。
まとめ
全部を見せなきゃ、伝えなきゃは手放していい。
「伝えたい」が強い私について、どんなことが起きて、そういう私になったのかを理解した。
その上で、私さえちゃんと私を分かっていたらいい。自分への信頼、私は大丈夫って自分で言ってあげられさえしたら、外に存在証明は求めなくていい。
自己開示という視点からも、見せられるかどうか、という問いそのものがなくなる。
自分を信じているから、ただ状況や相手に合わせて開くだけ。
とてもシンプルだった。
いろんなことが統合されていったな、と思います。
下半期のテーマ、私が「私」を信じる力、これに近づくを痛切に感じている。
透明感がトーンアップしてそこに光が加わったようなあなたと、大きな木のようなコーチに感謝です。
ありがとうございました!
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🌟以下のnoteのつづきでした 伝えたい私はとうして作られたのか
▼コーチとしてにつなぐnoteはこちら
🌸良ければこちらのnoteもどうぞ
▼心を開くのが恐い時にどうするか
▼大きな木のようなコーチと明け渡すなの?恐いんだよを見に行った時のnote
▼自己信頼についての学びです
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