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いのちにふれる、一線を越えてもなお尊重されるということ

私にとっての課題でもあるから、大事。
掴めた気がした。

春の日差しでありたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、ころん、と生きる。
私は愛だから、いつでも私に愛を注ぐよ。私は私の手をずっと離さない。

あなたは、これ以上は近づかないと決めている相手との線引きのような感覚はありますか?

後輩を指導する時、全部を教えてしまわないように気をつけている。
相手の不機嫌に影響を受けないように。
そもそも自分は自分だから、特にない。

境界線は動かせる。けれど、越えてはいけないと自制してきた感じが私は強いです。好きだと感じる人に私は近づきたいけど拒否されることを恐れていて、逆方向に引っぱり合うみたいな状態が長かった。

その人のいのちにふれる時に、越えざるを得ない一線がある。越えてもなお尊重すること、いのちを尊重してもらっているとは、なんと尊いことなんだ、と思った。そこには愛があって、感謝では足りない。


越えるが、とんでもなく大きな一歩だったかも

私は、自分が境界線を越えられることは、侵食と感じていた。
だから、私の思っている速度よりもとんでもなく早く近づいて来られると、恐いと感じる。

ただ、私は自分が近づく時はものすごいスピードで近づきたいと思っている…。

先日、threadsで話しかけられた時、お返事をした。
そこまでは良かったのだけど、インスタグラムをフォローされて、DMが来て、仲良くして下さい!と言われた。

そのスピード感についていけなくて、確かに共通点があったので相手の人は私に親しみを覚えて、フォローして、メッセージをくれたのだと分かる。

ただ、私は玄関で話していた感覚だったのに、リビングまで入ってきたみたいに感じていて、戸惑った。

ありがたいことなのかもしれないけれど、展開が早過ぎてついていけなかった。
言葉を交わすことまでは予想の範囲で、あたたかい心を寄せてもらったと認識していたけれど、
インスタですか?ってなっていて、その上メッセージまでもらっちゃって、ちょっと困った。

そっとthreadsからインスタに飛べないように設定を変えました。

私にとって境界線を越えるのイメージがとんでもなく大きな一歩として認識されていたんだと思います。
そして、そんな感じの事が起きた。

越えたら最後、もうどんどん奥まで入って行くみたいな感じ。
自分が境界線を越えられることを、そんな風に感じていたからだと思う。

多分、境界線は寄せては返す波のように移ろうものだし、仮に越えるとしてもほんの少し越えるだけのことの方が多いのではないか。

いきなり土足で踏み込むみたいに思っていた。
私は越えるとは、とんでもなく大きな一歩と認識していたのだと思った。

そんなに恐い物でも、大きな一歩でもない。
ちょっとノックしてドアを開けてもらったら、玄関先に入れてもらうくらいのことが、境界線を越えるの最初に起きていること。

「クライアント」というのは関係の一部分

まず、ベースにあった学びがあるので、軽くふれると、私はクライアントというラベルを私に貼る時、基本的にはそこからはみ出ないことがいいことだと思ってきました。

だから、ずっと葛藤していて、どうふるまえばいいのか分からなかった。

もちろん人と人としてセッション(コーチと2人で対話すること)では話していて、聞かれていて、問われていて、受けとめてもらっていて、照らしてもらっている。

けれど、ずっと私は人として向き合ってもらっている感覚を感じていて、それは本当にそうでした。

だから、私は愛の扉が私にもある、ここにあるって気づかせてもらっていて、開けようと思えた。
信じてもらっているって存在すべてで伝えてもらっているって分かった。

けれど、本当はちょっと違っていた。
確かにクライアントとコーチという関係性は存在している。
けれど、それは一部分なんだよって教えてもらったことがありました。

人として向き合うも、クライアントとしての部分も両方あるんだ。

ヒトをどんな存在として関わるか

これもね、何度か教えてもらっていることなんだ!
楽しいね。

なほという名前のある私、生物学的なヒトとしての私、かけがえのないひとつのいのちとしての私、魂のような精神性の部分、など。

女性としてかもしれないし、ライフコーチかもしれないし、看護師してたよね、かもしれない。

どんな存在として見て、関わるのかによって接し方が変わる。

「人間に失礼はOKで、いのちを尊重してたらいい」

人間として関わる時に、マナーや礼儀だったり、その他社会的な関係性などいろんなものがくっついているから、失礼に当たるふるまいがあるかもしれない。

けれど、それは別に良くて、相手をひとつのいのちとして捉えた時に、そのいのちに対して尊重しているがあれば、人間として失礼があっても、いいんだよ、という話でした。

場面によるじゃんって突っ込めるかもだけど、そうだよなって思った。
その人の生を尊重できていたら、それさえ守れていたらいいんだ。

尊厳を守ることと近いのかもしれない。

越えてもなお尊重する

これだ!と思った。

私に起きていた、というか体験させてもらっていたことは、これだ。

一貫して、私は尊重されていた。
それがブレることはない。

いつでも自由にしていいよ、選んでいいよ、と接してもらっていた。

私にとって、「選んでいいよ」と言われることは、そもそも存在しない選択肢だったから、安心で、何もかもあるって言葉になっていた。

対等で尊重されていて、信頼されていて、安心で自由。
そんな場や人にふれたことがなかった、と思います。

一線を越えている。

それは、越えてはいけない所を越えたという意味ではありません。

その人の「いのち」にふれる時、越えざるを得ない一線があって、それを越えている、ということでした。

すごく大事なことだと思った。

「いのち」にふれる時に越えざるを得ない一線を越えてもなお、尊重されている

越えるというより「ふれる」

私の感覚だと、こっちが近いと思いました。

「越える」と「尊重する」が同時に存在できること

私が気づかない内に、静かに水に手を浸けていくみたいにしている、という感覚を覚えたことがあって、その時に起きていたことも、これだと思います。
凪いでる海のような人と対話している時に感じた感覚です。
時間がゆっくりになって、音が消えるの。

私のいのちにふれるために一線を越えていて、けれど私は分からない、気づかないくらいに静かなものだった。
ふれられているって分からない位に繊細で、けど確実に水の中には手は入ってきている。

水が私の心だとその時は思っていたけれど、いのちだ。


私にとっては、「越える」がものすごく大きな一歩みたいに受けとっていたから、感覚としては、「ふれる」が近いです。

ふれていて、何かは伝わっているけれど、尊重されている。

心のやわらかい所。
コーチングではそこにふれることがある。

と、私は思っているのだけど、それってきっと「いのち」に限りなく近い所だと思った。繊細で脆い部分、存在の核の部分。


水と風って感じるコーチ?と初めて話した時、ドーパミンが出ている、きらきらしちゃうって感じで、楽しい、もっとふれたいの直感が起きていて、体験したことのない楽しいが詰まっていた時間だった。

それも、きっといのちにふれるで、一線を越えてもなお尊重してもらっていたからだ。
探求が私の心臓なのだけど、そこにふれた時間だったから、と思います。

対称的だ。
やわらかくて脆い部分の「いのち」にふれるもあるし、エネルギー源はここっていう「いのち」もある。それぞれにふれた体験だ。

ふれられたことのない場所にふれられた、がおそらく起きていて、だから感動になる。

そこに人は感動する、みたいな言葉もあったと思います。

自分の体験と照らしたら、とても分かりやすくなった!!

言葉にしてみて

「越える」という言葉についていた呪い、私の感覚についても分かった時間でした。

近づいていいの?って距離を慎重にはかっていたのは、好きだと思ったらゼロ距離まで近づきたいと思っているから、と理解していた。
けれど、私にとって近づく、引いていた線を越えるとは、一歩じゃなくて一気に近づいちゃうという極端しかなかったせいもあるんだと分かりました。

また、自分が境界線を越えられたら最後、もうそれは侵食というレベルでどこまでも入って来られるっていう学習。

心の窓を開く幅は選んでいいを練習中。

境界線を越えてもなお尊重すること。
侵食だって思ってたらそれが両立するなんて、奇跡に近いことだ。

だけど、私はそうやって接してもらっている。
とてもありがたいことで尊いことだと思った。

私の「いのち」を尊重してもらっている。
私以上に私の事を大事に思ってもらっている。

かつて、これに気づいた時、これ全部愛からなんだって気づいた瞬間で、恐くなって閉じました。
どうしていいのか分からなくて、泣きたい位だったから。

私と出会ってもらったことに感謝だと思いました。

感謝という言葉では足りないけれど、感謝で、あたたかい愛を感じさせてもらっている。こんなに幸せなことってあるのかしら?に気づかせてもらった。

凪いでる海のような人、水と風のやわらかいあなたに、今日もありがとうの気持ちを贈ります。

とんでもなく私は幸せじゃないか!に気づきました。
大好きですって叫びたいです!!

きっかけをくれたスタイリッシュな彼にも感謝です。

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よかったらこちらのnoteもどうぞ

▽ベースにあると書いた学びです

▽一緒に遊んで、私のいのちにふれていた時間

▽「いのち」として出会いたいね


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