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私をもっと自由にさせてあげる

安定志向だと思っていて、そこに疑いはなかった。

秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
窮屈さを感じたら、より自由を感じる方へ踏み出して。

自由というか、こうと決めたらこうみたいな所はある?

自分で決めたいが強いから、意見は仰いでも最終自分で決める。
やりたいことをやったらいいし、誰にも迷惑かけてなかったら周りの反対が多少あってもやる。
周りからは呆れられているかも。

周りの意見をねじ伏せるみたいなことはしていないと思うけど、今の私はわりと自由にしていると思う。
ひとり暮らしをして家族の目がないのは、とても生きやすい。

冷静に見たら、わりと自由だ。だけど自覚はあまりなくて、コーチとして生きるにおいては鳥かご作ってた!
もっと自由にさせてあげる。窮屈さを感じたらそれが合図だ。


今でも自由にやっている

いつも少し引っ掛かっていたのが、「自由な人間だよね」というニュアンスの言葉でした。

確かに自由にしています。

だけど、「そこまで自由な人じゃないです。ちがいます。」って否定していた。

自由度で見たら、そこには重なりはないと思っていた。

確かに私は自由になりたいとは思っていて、自由にしている。

過去の私からすると、自由は解放に近くて願っていたことだった。

全然親の価値観から出られなくて、世間で良しとされる価値観に合わせる、期待にこたえることをしていた。

そこから比べたら、

看護師を離職して
コーチングスクールを受講して、
東京や横浜に遊びに行き、
髪をブリーチして(自由の色って呼んでいる!)、
生計を立てるという意味での労働らしい労働はせず、
一番住みたかった場所に住んじゃおう!で香川に引っ越している。

アルバイトでもしたら?
という親の助言は右から左に流している。

自由に見えるよね?

書いてみたら、自分で思っていたより自由にしていてちょっと面白い。

それでも私は「安定や安心が大事」で、そこまで自由な人じゃないです、と思っていた。

自由にしていることを認めている私もいながら、そこまで自由じゃないですから、と思っている私。

セルフイメージずれている。

自由ではない部分

日々の生活においてはわりと真面目にしていて、私という人間と自由が結びついていなかった。

「そこまで自由じゃないです。」
と思っていた。

真っ白な猫みたいな人だなーと感じている、私よりも自由に生きているなと思うあなたを通して、
「私は自由レベル普通です」みたいに思っていた。

遊んだり学んだりしているけれど、それは私が責任を持てる範囲でしているし、ちゃんとしています、的な感じだった。

安心、安定が大事だから
どうしたらコーチとしてやっていける?
って、私なりには考えて行動していたと思う。

そこは、全然自由じゃない。

正しそうに見える道に容易に傾く。

私には私の道がある。

これ、頭で分かっているだと思っていたけど、直感では?と伝えてもらって修正できた。

ありがとうございます!

だけど、自由に何でも選べることに戸惑っているが少し前は起きていて、今も歩きだしているのか?と考えたらよく分からない。

だから、自由な人だよね、同じ側の人間だよね、という言葉をもらう度に、
いやいや自由にしている所があるのは認めますが、そこまで自由な人間じゃないです。

「ちがいます」って思っていました!

他の部分では重なる所があるって思っていたけれど、自由に関してはちがうなって思っていた。

否定してたし、認めていなかった。

けれど、「もっと自由になって下さいね」ってにゃんこのような人に対しては思っていて、それがそのまま私に返ってきている。

めちゃくちゃ面白い!

照らし返された?相手の中に私を見ていた?
もともと自由に関しても響き合っていた?

私にある自由を映し出してもらった。

(自由は私にもうあると言葉にしてるの6月の話だった。その時点では私は価値観レベルで大事って認識している。価値観ピラミッドを満たせてるか、ここに立ち返るも意識してみたらいいかも)

私は猫になりたいと思っていないし、猫だとも思っていなかったから。

動物のイメージでいくと、私はラッコになりたいんだよね笑
海にぷかぷか浮いてるラッコ。

自然体のイメージが海に浮かぶラッコ。

私はそんなに自由ではない。ちがう。
と何回も書いている。

それだけ「ちがう」って思ってきた、引っ掛かりを感じてきたのは、やっぱり私にはもっと自由になりたいがあったんだな、と書いていて思います。

自由にしている部分がありながら、反対に全然自由じゃないを自分にさせている部分があって、そこに窮屈さを覚えていたのだと分かりました。

不自由を選んでいる私

まわりに自由な人がいたら少しちがっていたのかもしれない。
環境大事。

私よりも自由に見える人がいない気がします(白いにゃんこと思っている人をのぞいて)。

自由というよりも、自分の翼で飛んでいる人はいるように思っていて、鳥だから自由ではあるけれど、私のような真面目さの空気も持ち合わせているなーと思う。

だから、やっぱり「こんなに自由でもいいんだよ」を体現していると感じる魔法使いだわと思うあなたと出会って、

「あなたも自由な人だよ、こっち側だよ」って繰り返し伝えてもらうことで、私の中にある自由さを求める声を受け容れられた感。

言葉を借りるなら、魂の声をちゃんと聞けたが起きたと思います。

私を思い出した。

自由さがない道=コーチの道

コーチとして生きるには?
そこには自由がなかった。

学ぶ、資格を取らなければ?クライアントさんを募らなければ?SNSをがんばらなければ?

のように、正しそうばかりをやろうとしてきた感がある。

資格については、コーチングテーマにした時に本当に狭い段ボールの箱に入っている私がいて、もっと自由にコーチングをしたいがすごく鮮明に残っている。

しかも、その壁は押したら動いて広くなったから、自由にコーチングをすることは出来る。

壁を押したらいい。

自由にするとは、学びを捨てるではなくそれは持ったまま私らしくやりたいをしたらいい。

真面目な私の名残

自由にしているけれど、「さあやってみて」と言われたら、今までの私が出てきていた。

古い型、「第2の私」と呼んでいる力のある私。
この私、だいぶ付き合うの難しかったんだよね~。
ちなみに、今は関係性を変更できた感があるから、私は成長している。

コーチとして生きたい。

なら、どうする?

となると、今までの私は真面目に努力する方法をとった。

やりたくない、やりたいではなくて、行動することや、みんなが歩いているように見える道に習ってやろうになった。

知ってる方法を参照する。

だから、がんばらなきゃだし、全力でやるだし、止まれないから強制的に止まるになったんだ。

もっと自由になりたい

「もっと自由にしていいの許可を出したら?」

確かに自由を私は掴みに行っていて、届かないものだったのが手にすることが出来ている。

だけど、自縄自縛している。
が分かった。

既視感がある

以前、私は「これからは好きなことをたくさんさせてあげてね」という言葉を贈ってもらったことがあります。

私から言葉が失われていくなら、最後までこの言葉を残してほしい、この言葉さえあれば他の言葉はいらない。

そう言い切る大事な言葉です。

だけど、そう声をかけてもらった時も、私は「もうやってるよ」って思いました。
その時もすでに仕事を離れていて、好きなことし放題で、楽しいことしかなかったから。

今回の自由に関しても、
「もっと自由にしていいの許可を出したら?」

に対して、
もう自由にしているよ。って思った。

既視感。

好きなことはもうやってる、
もう自由にしていると思う私。

「私が私に好きなことをたくさんさせてあげてね」

後から響き過ぎているから、大事な言葉になっている。ありがとうございます。

大事なことだった!って分かった瞬間がありました。その時は、泣いてたかもしれない。
何の感情か分からなくなっていた。

今、読みに行ってみたら(この時の心の動きも私はちゃんとnoteに残している、過去の私に感謝)、泣いてはないけど、泣きたいくらいのことで、ようやく腑に落ちたということを書いていた。

痛みにつながっていて、好きなことをさせてあげないをしていて、諦めていたと書いていた。

本当に大事なことだったんだという好きをさせてあげてなかったこと、今させてあげていること、それがつながって痛みにふれたから、絶対にこの言葉を離しちゃいけないに変わった。

私をもっと自由にさせてあげる

既視感あるなら、そこから学んじゃえ!になる。

だから、「もっと自由にしていいよ」
じゃなくて、「もっと自由にさせてあげる

特に、コーチとして生きるには?においては、もっと自由にさせてあげる!

段ボールの壁、いらない。

言葉は整ったから、行動レベルで考えると、
合図は窮屈さ、不自由さを感じた時。
と、教えてもらった。

そういう感覚を覚えたら、より自由を感じる方へ踏み出す、選ぶ。

難しく考えなくてよくて、自由にしなければじゃなくて、小さな選択の方向を変えてみる。

鳥かご3回目

自分で自分を縛りつけていた、自縄自縛していた、と書いた。

正しそうを選んで歩いてきていたから。

これも既視感なのよね~笑

ホメオスタシス?
私は看護の人間なので、ホメオスタシスがしっくりきちゃうから使うけど恒常性と言って、元に戻る力が働きます。

体温、ヒトは恒温動物だから一定に保つ力が働きます。高くなったら汗をかいて熱を逃がすし、低くなったら筋肉を震わせて(ガタガタ震えるよね?)熱を産生しようとする。

体ではなくて、思考にも同じようなことは起きていて、今までの考え方や行動様式を変えようとしても、元に戻る力が働く。

鳥かご、最初は親が作った鳥かごに私は入っていて、「扉は開いているけど、出ようとしないんです」、と2年前のコーチングスクールの授業中の練習で話した。
鳥かご1回目。

2回目は、鳥かごを出たけれど自分で鳥かごを作って入っていた。
こうあらねばのようなものを作り出していた。

急に自由に空を羽ばたけと言われても分からなかったし不安だし、ホメオスタシス。

そして、最近までの私。鳥かご3回目だと思います笑
全力でとにかくやらなきゃみたいな私は、自分でこうあるべきを作っていて、鳥かごに入るというより閉じ込めていて、動けなくなっていた。

人間、面白いね。
同じこと、繰り返しちゃうんだね~。
鳥かごに入っていたら安心だもの。

今は、鳥かごを出たというか立ち止まっている感。
止まっているではあるけれど、私という人間は育まれていると思う。

コーチという存在が必要だと感じた。
元に戻る力に抗うのは本能だから難しい。
何かを変えたい時に、コーチがそばにいてくれるのは助けになる。

ビジョンを説明できるようにならなくちゃ

これは一例です。

私は、前回話した時にビジョンという言葉の概念を全然説明できない私に気づいていて、説明できるようにならなくちゃと思っていた。

○○しなきゃ。

実際は、途中にしたままにしていた。

そして、手放しても良かったんだけど、しなきゃでもあるけど、必要だと判断しているから、「正しさ」は手放して私の感覚、残っていることだけで書いた。

しなきゃレベル、鳥かごレベルだと、私はまず
①習ったことを復習してちゃんと言葉の意味をおさえる
②もう一度自分で考える
③書く
という段階を踏んだと思います。

しかし、分かると分からないを行ったり来たりしていて、まったく分からないではなかったから、正しさは手放した!

🪄🔮🪄

私はもっと自由にしていい。自由が本来の私。
これがなぜ見えたのか?

魔法使いだから、私の魂を見てもらいました笑

それは、自由の反対側にあることを私がたくさん話していたことにある、と教えてもらった。

「○○しなきゃ」という言葉。

こうしなきゃ、ああしなきゃを私はたくさん抱えていて、だけどその言葉の奥には、そうではない自由にしたいがあったんだ、と思います。

無自覚だけど、自由を抑え込むが起きていた。

自由にしちゃおう~が出来ている所もあるけれど、やったことない、安心したいがあると、古い型に振れやすくなるんだ。

まとめ

否定したくなったり、引っ掛かりを覚えること、そこに本当はどうしたい?だったり生きていくために身につけたものに覆われて呼吸が出来なくなっている私がいる。

私を思い出すヒントがそこにある。

言葉をみると、「○○しなきゃ」は、誰でも使ったり思ったりしている。

けれど、その奥に本当は願っていることがある。
私の場合は、もっと自由にしたい。

これ、他の人も共通なの?
はちょっと疑問だからメモ。
人はみんな自由でありたいように思うし、そう教えてもらったから。

安定は捨てちゃうの?手放すの?もちょっとよぎったからメモ。
そもそも、安心が欲しいから鳥かごな訳で…。

あ、何でも2択じゃないの学びがあるからバランスなのか?

まったくの自由がないではなく、まあまあ自由にやってる、どう考えても自由が私っぽい。

だけど、私自身は自由が私には大事そうだみたいなことは、人から伝えてもらって分かったことでもあったし、自由をどれだけやれているかには無自覚だった。

同時に、自由を許さないとしていた部分についても無自覚。

自由にすることと、協調性を失うことはちがう。
だから、窮屈だわと思ったら、私をもっと自由にさせてあげる。

魔法使いだったんですね!というのが楽しい言葉なので、そのまま書いちゃいます。

あり方、あたたかいまなざし、見える目、魔法をかけられる杖を持っている所が大好きです。
魔法にかかれたのは愛があって、大丈夫だよって何でも話していいし頼っていいよって存在全部で伝えてもらったからだと思います。

やっぱり私はこんなにも愛が深い人に出会ったことはありません。

ありがとうございます。感謝という言葉では足りないと思うけれど、感謝です。 

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あなたの自由を許していることもコメントで教えてもらえると、とても嬉しいです!

これからも私について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。

読んで頂き、ありがとうございました!

🪼良ければこちらのnoteもどうぞ

▼私に好きなことをたくさんさせてあげてねが腑に落ちた時のこと

▼2回目の鳥かごを作っていた時のこと

▼体感として残っていることだけでビジョンという言葉を語る

魔法の秘密を考えてみる

さて、ここまでを考えることが大事よね。
学びの時間。コーチの私が持ち帰ることがでかるものは何?
循環していく。
魔法の杖をちょっと解き明かす~✨

相手にすでにあるものを見せてくれる鏡

鏡のような存在。
最近はあまり使っていなかったけれど、やっぱりコーチが鏡となって映し出すはある、って思った。

すべてに当てはまるかは不確かだけど私と重なりがある相手だったら、私が鏡になることはできるのでは?と思う。

重なりがなくても鏡にはなれるのか?
あなたがいて、私がいる。
そこにちがいがあって交わることで見えるあなたというのもいる。

けれど、今回はあなたの中に私を見るが起きていて、それは鏡だと思う。
私の中にある自由を映し出して見せてもらった。

「教える」と言うと言い過ぎ感があって、自由な人だと思うよってやさしく繰り返し伝えてもらっていた。

「与える」とか「教える」ではなく、思い出させてくれた。
ちがうって否定していた私も私で、そこには自由にしたい私がいた。

「正しさ」ではなく「感覚」、直感でいい

常識、社会規範、教育、親の教え、いろんな言葉になるけれど、私の場合は「正しさ」を握りしめていて、そちらに寄る、そういう道を歩くを選ぶということが起きていた。

人によってちがうのかもしれないけれど、頭の方、思考ではなく「感覚」で選んでいいを改めて教えてもらった。

「窮屈」って感じたら、そうじゃない方を選ぶ。
これも感覚。
「ポジティブなエネルギーの方を選んでね」、と伝えてもらっていて、私の言葉だと「きらきらしちゃう」を選んだらいいだけ。

感覚の方は、私はきらきらしちゃうと言語化しているようにどんな感覚を選んだらいいかはもう分かっている。

思考じゃなくて、感覚を大事にしよう、感情を見てみようは、今の私がコーチとしてしていることにもすでにある。

だから、もっと頭を手放せるようにしたらいいんだと思った。

感覚を掴むこと、その感覚を信じること。

愛のあるまなざし

愛、受けとる・感じるを練習中だから急に不安になる。

けれど、愛が溶けているプールで浮かんでいる、遊んでもらっているんだったって思い出したから、私は魔法にかかれた。

安心で愛がある場、それを作り出しているのはあり方で、今回は見通す目があるを教えてもらっていて、見えたことを伝えてもらっていた。

だから、目に注目しちゃうけど、愛のあるまなざしがあったから。

私は自由にできたと言うと少しちがうか。

自由にさせてもらっているというのは今までもあったけれど、今回は、自由というより私を解放したとか、開いたが近い。

そうできたのは、愛のあるまなざしがあったから!
プラス、存在全部で大丈夫を伝えてもらった。

安心があったから。
だから、私も安心、受容だけではなく愛のあるまなざしでそこに存在できるように。

そうすることで、相手は自由にできる、開いていける。

繰り返し伝えること

単に何度も伝えたらいいではないと思う。直感だけど。

自由さを私の中に見る、見つける目があることが大前提になる(魂の声を聞いてる人だから)けれど、そうやって見えたことを、まっすぐに伝える。

行動を指してそう伝えるというよりも、私が否定している部分に光をあてるような言葉だった。
自由さに私は無自覚だったし、むしろ否定している感じだったから。

安心している、信頼している人から受けとる言葉、しかも繰り返し。
ここは純粋に反復の効果があるのだと思う。

誰が言うかの方が言葉は大事で、言葉に100のエネルギーがあるなら100そのままがのっている人が伝える言葉は、まっすぐに届く。

しかも自由を体現している人。
自由な人だなと思っている人が、「あなたも自由な人だよ」って語りかける。
そこにはやはり伝わる力が宿る。

自由なの?ちがうよって思っているから、1回教えてもらうだけではそれはゆるまない。

安心の中で何度も受けとるからこそ、新しい(=思い出した)セルフイメージを受け容れていった。

信頼を伝える

私は信じてもらっている。

ということをこれまでにも書いてきたけれど、ここにもそれは生きている。

「自由だよね」は、決めつけではなくて、私の中にある自由を感じて、その自由さがあることを信じてもらっていた。

相手から受けとる信頼によって、私も私の中にある自由を信じるようになった。

自己信頼は私が育むでもあるし、周りから信頼してもらうことで育める。

クライアントさんを信じる。

何を信じるかはその時々で変わるのかもしれないけれど、可能性も未来も、できるということも、信じて伝える。

私の感じることを信じ伝える。

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