生存戦略としての「愛の不在」が与えてくれていたもの
少し前に気づいたけれど、言葉にしていなかったから、書いておく。
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
私は愛だから、いつでも私に愛を注ぐよ。私は私の手をずっと離さない。
愛がないなあ、と感じる時はありますか?
相手に冷たくあしらわれた時。
親切だと思ってしたことが断られた時。
疲れていることをそのまま表現された時。
私は、あまり愛がないと感じることがありません。愛が見えるようになって、毎日気づくことを心がけているからだと思います。
今日めぐった愛は?気づいた愛は?贈ってもらった愛は?
そうやって見つける毎日です。
愛がない設定の世界に生きていたのは、ただ悲しい、かわいそうだね、という出来事ではない。
愛がない世界では、同時に存在しないものがあった。
孤独を感じることから私を守っていた。
愛がない設定で生きていた私
子どもの私の生存戦略と理解しています。
今なら両親が私に愛を注いでくれていたことが分かります。ただ、それは私のほしい愛のかたちではなかった。
だから、ボタンの掛け違いが起きていて、愛を感じることが薄かった。ずっとそうやって説明してきました。なかった訳ではない、あったけど薄いなって思っていた、と。
けれど、先月東京へお出かけした時に、それをやめようと思いました。
子どもの私にとって、感じられなかったものは、ないのと同じ。
両親からすると愛はあったし、それは本当だけど、子どもの私にとって見えにくい、感じにくかったのなら、愛はなかったんだ。
私から見えている世界には、愛がなかった。
愛がほしいです。
もし、そう伝えて両親から与えてもらえなかったら?
子どもにとって親が世界のすべてと言ってもいい。
与えてもらえなかったら、死んじゃうよ。
少し大きくなってからは、親の期待にこたえることで愛がもらえるって学習していて、優等生の私が誕生した。
だから、私の世界には愛がないことにした。
愛がない、関係なければなくても平気だし、ほしいと思わなくてすむから。
愛されないかもしれない不安を感じないために愛を私の世界から追い出した。それは、「愛」という言葉を私の辞書から自分で奪うことでもありました。
生きていくためにそうした。
確かに、その理解はおおよそ合っていると思う。
愛されないのは、それこそ身を切られるように辛いことだから。
愛がない世界が与えてくれるもの
愛がない世界、自分とは関係ないです。外の世界に存在するのは知ってますけど?という感じで過ごしていた。
それで特に困っていなかった。
概念としては理解していたし、1枚フィルターを隔てた外の世界の話だよね、としていた。
生きるためにそうした。
そこまでの理解だったのが、進んだ。
確かに、愛されないかもしれない、ほしい、という不安を抱えなくて済むようになった。それもそうだけど、もっと奥にあるもの。
愛がない世界なんて、かわいそう。
そんな単純な話ではなくて、愛がないことで私はもう1つ感じなくて済むものがあった。
孤独。
孤独を感じないようにするため
愛されたい、愛されなかったらどうしよう。
子どもの頃の私を思い出す時、ひとりぼっちだった。
寂しい、助けて欲しい、恐い。
そういう私しか思い出せなくて、楽しい思い出みたいなものもあるけれど、寂しいひとりぼっちの私が思い出された。
セラピーによってこの感情は完了させているのですが、これって「孤独」ということではないか。
「孤独と向き合う、付き合う、いつも孤独を感じていた。」
そう話す人たちとふれることで、愛がない設定の世界にしたのは、究極の所、私は孤独を感じないためにそうしたんだ、という理解にたどり着いた。
私は、孤独というものがあまり分かっていないと思う。
愛がない設定の世界には、愛がないだけでなく孤独もないことに出来るんだ。
孤独になるかも?
5月、私は孤独の影を見たのだと思う。
だから、感情的に振り子が大きく振れて、泣いたり、調子が悪いなって感じた。
コミュニティを卒業する、突然大好きな人との未来の約束がなくなる、契約が終了する。
別れととるのか、手離すなのか、自然の流れととるのか。
人と離れることが続く、一気に来た、と感じた。
それも心の安全基地と呼べるとても大事な人たちだ。
だから、私は孤独になる不安を感じたんだと思う。
まったくの1人になるは、多分起きない。
もともとひとり暮らしで移住してきて1年目、会社に勤めていないので、社会的な人とのつながりは希薄ではある。
看護師の仕事を離れた時もそれは感じていて、転職と同時に引っ越したから近くに友だちはいなくて、職場も離れて、まったく近所に知っている人もいなければ、すぐに会えるような人もいなかったから。
けれど、人間関係が希薄だなーとは思っていても、孤独だなーという言葉にはなっていなかった。
家族も友だちもいるし、高松で知り合った人もいるし、おさんぽであいさつを交わす人もいるし、コーチングを受けているし、クライアントさんもいる。
愛があるにOS更新できたのは私の人生最大の幸せ
愛がある世界が見えるようになった、ふれられるようになった。
私自身が、愛そのものだった。
これから先の人生を私は愛がある世界で生きていける。
これは、誰にも奪えないで、もう愛がない設定の世界には戻れない。
愛はないのかもしれない、見えにくくなる、そんな瞬間があっても、もう愛がない設定の世界に完全に戻ることは出来ないし、起こらないんだ。
これ以上の幸せが私の人生に起きるか、と言われたら、私は起きないんじゃないかって思っている。
(幸せの天井はないので、幸せだ!が更新されることはあるんだけどね)
生きてきて一番大きな変化で、幸せなことだと思っている。
孤独は愛の影
愛は大きく光の面と影の面があって両方が内包されていると思っている。
愛の影が知りたい。
そう言葉にした途端に、次々と愛の影に出会った、と私は思っていた。
一連の、人との別れ、関係性の変化を孤独の影と感じていたのもそのひとつ。
愛の光の面が、愛されていると感じられること。
それを「私とは関係ないですから」、と遠ざけてない設定の世界にしたことで、与えてもらっていたものは、孤独を感じないで済むということ。
孤独は愛の影。
愛がない世界では、孤独も存在しないことに出来ていた。
だから、愛がなかった、見えなかったことは、ただ「かわいそうだね」、みたいに残念なこと、という捉え方も私にはあったけれど、メリットと見てもいいようなものもあった。
子どもの私が、愛されたい、愛されなかったらどうしよう、って恐さや不安を手放せたことは本当に生存戦略だったけど、孤独を感じない、につながっていた。
孤独とは何か。
それが、私は愛がない設定の世界に長らく生きていたので、よく分かっていない。多分、孤独を感じるセンサーが鈍感になっていると思う。
鈍感なら、鈍感なままでいい、とも私は思っていなくて、愛の影と思える孤独もまた感じること、知りたいと思っている。
安全基地がどんどんなくなっていく、その不安もまた孤独になるかもしれないという所から生まれていると思う。
だから、それも受け容れて味わったらいいのかもしれない。
今は、その波は少し引いているけれど、これからも孤独だなって感じることはあると思う。
人は100%互いに分かり合えない。
けれど、理解したいと思うことには愛があるし、もっと愛したいから理解したいが私にはある。
孤独という影があるから、分かち合えていると感じる瞬間の光が光として存在できる。
まとめ
私を守る、生存戦略として愛がない設定の世界にした。
それは、愛されないかもしれない不安を葬り去るだけでなく、孤独を感じない、という世界も私に見せてくれていた。
愛と聞くと、あたたかい光の面を想像する。
けれど、影の部分があるから光がある。
愛の影の部分も同時に私は私の世界にない設定で生きていた。
愛が見えるようになったから、愛の影の部分も探求していきたい。
私の中にも愛の扉はここにあるよって見せてくれた、やさしい雨の似合うあなたと、私に愛で接してくれるすべての周りの人たち、世界に感謝です。
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▽愛を存在させないために「愛」という言葉を奪った
▽愛の光にふれたい、そうやって愛があるを見つめ続けてきた
▽喪失と呼んでいるけど、その先に孤独がある
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