透明な私を卒業する。手のひらにのせられた選択肢をどうするかは私が選んでいい
人との境界線について、共感する、溶けるあいまいさについてふれてきた。
今回は、私の主導権は私が握るの切り口から。
冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。
誰かから提案された時、あなたはどうする?
すぐにやるかやらないか返事する。
とりあえず持ち帰る。
良さそうなら、のってみる。
私は、提案は受けても・断ってもいいものと頭では分かっても断れないことが多かった。
自分の意思とは無関係に従うことが普通だと学んだ私は、提案されると、そこで自分の意思で断るという選択肢自体を持ち合わせていなかった。
しかし、一貫して安心な場で尊重してもらい、自由に選んでいいんだと関わってもらうことで、「自分で選ぶ」が生まれた。
反射で提案を受け入れるから、感情が違和感を訴えるようになり、受ける、受けないの2択ではなく保留という選択も出来るようになった。
透明な私(親子関係から)
何でも親子関係に原因を求めるのは良くないなーという気持ちはある。
だけど、子供の頃の学習が大人になった私に影響していると感じることもまた事実。
過保護に育てられていた私は、拒否権がありませんでした。
たくさんの教育を与えてもらっていて、それは愛情だったと思います。
けれど、子どもの私にも意思はあった訳で。
だけど、それは聞かれもしない。
そうなると意思はあるのに、ないものと同じ扱いに変わる。
じゃあ、手放さそうになる。
意思は持つだけムダなものになる。
イヤなものもあったけど、イヤだと言えないし全部受けとるが当たり前だった。
くもんの宿題も、夏休みに短期講習でスイミングスクールに通ったことも、ピアノの練習も、好きではないどころか嫌いだったり、恐いという体験だったりする。
反対に楽しかったり、役に立っていることもある。
口を塞がれていたみたいな感覚で、私は透明だったのかなー、という言葉になる。
自分で決めて、受けとるかどうかを選ぶことはなくて、与えてもらったものは黙って全部受けとるが私の普通になった。
いらないものでも受けとる。
提案=従うもの
決して強く言われたのではなかった。
信頼している人からの提案というバイアスはあったけど、良さそうな提案だと思った。
私の中では、提案はあくまで提案で私が選んでいいということが分かっていなかったのだと思う。
提案=従うものという変換だった。
断ったら嫌われるのではないか、相手の期待にこたえなければ、無言の圧を感じる、そういったものだった。
関係を壊さないために、やるという選択をとる。
私は断ることが苦手という自覚はあって、やってみることにした。
結局、出来ないになったので、やってはいない。
だけど、どうして出来ない?
を私は私に問うていて、自分を責めるような思考回路を通った。
一貫して押しつけない、尊重される体験
今までも尊重してもらう、互いにそうできる体験はあった。
特にコーチングを通して出会った仲間との関係、学びの場は心理的安全性がとても高く、押しつけられたことはない。
そんな世界にふれる時間が長くなってきていた時に、一貫して押しつけない、尊重されるという関わりを何度もしてもらった。
一度たりとも私は押しつけられたことがない。
手のひらにのせるだけ。握りこませない。
そっとちゃんと受けとれるように反対の手で私の手をとって、のせてくれるイメージ。
受けとりたければ、受けとれるような形にしてのせてくれる。
調整してもらっている。
それをポケットにしまうのか、捨てるのか、握りしめるのか、食べちゃうのか、それは自由にしていいよ、という関わり方です。
態度として一貫しているのはもちろん、言葉でもちゃんと伝えてもらっていた。
なぜそうするのか、何を大事にしているからなのか。
ヒトは自由にしたいのが本来の姿だよね。
だから、押しつけないよ。
いろんな考え方があるのは分かっているよ。
これは、あくまで自分の今の考えだよ。
自由に選んでいいよ。
いつも私に選択権を持たせてもらっていた。
「そうします」って言わなくても関係は壊れない安心があって、そもそもどうするか自体の答えすら求められていなかったと思う。
提案ではなく、選択肢の提示でそっと置かれていた。
全部受けとるしか設定がなかった
「選ぶ」という選択肢が最初から私にはなかった。
全量モードしか搭載されていなかった。
ということに気づいた。
今すぐ、全部を受けとる。
だから、全部を受けとれないが起きた時、私は途方に暮れた。
こんなに大きなものは受け取れなくて、返せない。泣きたい気持ちになった。
事実、私のキャパを越えてしまっていたので離れた。
それは、中身がはじめて出会いましたねというもの(正しくは認識出来てなかっただけで、はじめましてではなかった)で恐いと思ったものだったことも大きい。
急に知らないものが現れた感覚。
私を守るための手段だった。
受けとれる分だけでいいんだ、選んでいいということが分かるまで、私は受けとると考えると恐かったから、ふれてみるから始めてみた。
そして、選ぶ、一部だけ受けとる、タイミングも選んでいい、いらないものは受けとらなくていいんだ、に気づいていった。
提案→頭の判断→感情がヤダ→撤回
提案を受けた時に、頭の判断でそうした方が良さそうだと思って、やってみることにした。
けれど、全部を受けとらなくていいの学びがあった私は、後からとてもイヤだと感じた。
やってみようとその瞬間は思っていたけど、それは頭の判断で感情の方がNOを突きつけてきた。
だから、やりたくないの声を無視せずに、やらないことにした。
「選んでいい」が頭の理解から、感情の方へ下りてきた出来事だったと思う。
自動反応で自分を介さずに提案を受け入れていた(=従う)のが、私を通すということは出来るようになっていた。
頭ではあるけど、「選ぶ」はしている。
私は透明ではなくなってきた。
感情がヤダって叫んだら、ちゃんと修正できた。
尊厳が踏みにじられていたの言語化
昨年末に、帰省で滞在する日数を延ばせないか?そうしてもらえたら助かるという打診をされた。
この出来事自体は、私にとってはこれまでもあったことだと思う。
家族が困っているから手伝うのは当然だよね?の感じ。
それを丁寧に見ると、私のプールに無断で踏み込まれていたことだと結論づけた。
私には感情もあるし、意思もあるし、私の人生もある。
けれど、そこは無視というか勝手に入ってこられて、時間あるよね?の感じで、そもそも手伝いたいか?という確認がなかったのは、尊厳を踏みにじられていると思った。
提案の回収☕
提案=従うものとして、やってみなければと思って、だけど出来ないと思ってやらなかったことを最近、出来るになってやってみることにした。
無理にそれでもあの時にやってみるという選択ももちろんあったのだろうけど、自然と出来るになる日が来た。
提案→保留を選べた
また新たに提案された機会があった。
受けとるかどうか選んでいい、全部かどうかも選んでいい、タイミングも選んでいい。それを練習中です。
だから、やってみますと提案を受け入れないが出来た。
それも、断るか受けるかの2択ではなくて、今は保留にします、が言えた。
私にとってはかなり成長している、と思った。
今までなら、断るの難しいと感じただろうし、正しそうに見える提案だったから。
けれど、今の私にとってその提案がどう映っているのか考えて、理由を述べて保留にすると伝えられた。
私が私の主導権をちゃんと握れた。
従うでもなく、ヤダって反発するでもなく、選ぶ人に近づけた1歩。
①何も感じない方がいいやって手放した(透明になる)
②違和感だけを感じるけど気づけない
③感情では後から違和感がわいてきた→修正
④違和感を言葉にできる、保留もできる
⑤はじめからその違和感をキャッチして扱えるになる(これから)
これからの課題
必要か、必要ではないか。その視点で判断することも大事。
だけど、それは頭の判断に近い。
感情がくもるなら、それは受けとるかどうかを慎重に選んだ方がいい。
境界線をちゃんと引いて、いつでも反射ではなく
私はやりたいのか?
タイミングは今?
やる、やらない以外の選択肢は?
保留にする?
ということを自分に返して練習する。
揺れるもので、1回 出来たからもう出来ますになることではないと思うから。
また、提案はやさしいようでいて、私のような人間にとってはちょっと強過ぎることがある。
押さない、要求しない、待つ。
相手を尊重して引っ張らない。
提案ではなく、相手は選べると信じて、選択肢の1つだよって私がしてもらったように、そっと置けるようになる。
置いた時に、私の期待を一緒に置かないように。自由であれるように。
尊重されるのは、対等でいることとも関係が深い。
健やかな安心と関係を育むことにもつながっていく。
私が本当に私を生きることにもひとつ近づけたことだと思います。
透明ゼリーのようなあなたに感謝です。
私という人間を信じ切って、自由をいつも手渡してくれていることに心から感謝しています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
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▽全量モードしかなかったに気づいた
▽侵入されたら、秒でスルーだ。尊厳は自分で守る
▽尊重するとは、互いにちがうを認め境界線を引くこと
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