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【成瀬 日本語・英語・翻訳講座】言語・認識編(17)「動的理解」

(↑のつづき)

言語の「動的理解」とは

私たちが言語を理解するとき、自分の脳内において次のような一連の作業をおこなっている。

  1. ひとつの「意味のかたまり」を読む。

  2. その意味をそれまでの流れのなかで把握する。

  3. そして次にやってくる「意味のかたまり」を予測する。

  4. そして次の「意味のかたまり」を待ち構える

その後は、次の2つのケースが想定される
A. 予想どおりに「意味のかたまり」がきた場合
 A-5.その意味をそれまでの流れのなかで把握する。
 A-6.そして次にやってくる「意味のかたまり」を予測する。
 A-7. そして次の「意味のかたまり」を待ち構える

(以下、繰り返し)

B. 予想どおりに「意味のかたまり」がこなかった場合
 B-5. 予想を修正したうえで、その意味をその意味をそれまでの流れの
    なかで把握する。
 A-6.そして次にやってくる「意味のかたまり」を予測する。
 A-7. そして次の「意味のかたまり」を待ち構える

(以下、繰り返し)

把握する「意味のかたまり」の数を、このようにしてどんどんと増やしていき、文/センテンスが終わるところで、いったん読みの作業を終える。

それから、次の文/センテンスへと向かい、同じことを繰り返す。

これが「動的理解」である。

☆☆☆

こうした言語作業の能力は、生まれたときから身についているものではない。

私たちが長い時間をかけて身につけていったものである。

例えば、いまこれを読んでいる皆さんのなかに小中学生は、おそらくいないはずだ。

なぜなら、この文章を読むにはかなり高度な脳内言語能力が必要だが、その能力は5年や10年では身につかないからだ。

私たちの「日本語力」は、このようにして日本語という言語の環境のなかにどっぷりと身を浸しながら、20年も30年もかけて習得していくものである。

長い時間をかけて身につけていったこの動的理解能力こそが本当の意味の「文法力」である。

☆☆☆

学者が言語を分類整理してまとめあげた文法は学問的な価値は大きくとも実践的な価値は大きくない。

それだけで、言葉が本当の意味で身につくことはない。

いくらか役には立つが、道具はしょせん道具にすぎない。

私たちの動的理解力すなわち言語力を育てるのは、豊かな言語体験そのものであり、それ以外にはない。

(つづきは↓)

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