翻訳論からみる谷崎純一郎・三島由紀夫・中村真一郎の『文章読本』(2)
(↑のつづきです)
中村真一郎の『文章読本』のなかで、特に印象に残っている部分があります。
それは、若いときにある女性からラブレターをもらったが、そこには梅の花は咲いたが桜はまだ咲かないとか、そういったことしか書いていなかった、そのため、それがラブレターとは気がつかなかった、これは自分も悪いが、そういった表現しかしなかった女性のほうにも責任がある、
と書いてあるところです。
中村はこう書いています。
受け取った方の私は、多分、世界で最も合理性を尊ぶフランス文学を勉強している最中の学生だったので、「風景描写、即、恋」というような、論理的飛躍、つまり不合理は、理解できなかったのです。
(略)
これはこの恋文の筆者が、自分の主観のなかだけに閉じこもって、自分の思いに客観性を与えるのを怠ったのにも責任があるのです。

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おそらくは冗談半分なのでしょうが、それにしても、ラブレターにさえも「論理」と「客観性」を求める態度には、まったく恐れ入ります。
それほどまでにフランス文学の論理と客観性に心酔していたということかもしれません。
ただこのとき中村は、
その「論理」や「客観性」というものが、あくまで西欧の視点を基準としたものであって、日本には日本の「視点」と「論理」が別にある
とは考えなかったことでしょう。
そういえばフランス映画では、恋人同士が四六時中、自分がなぜ相手を好きなのかについて、延々と論じあっています。

梅が咲いた、桜が咲かない、などといった「非論理的な会話」は、フランスの恋人同士にとって、あまり意味がないのでしょうか(注)。
注:実際には、一概にそうでもないようです。
悪くいえば、中村はフランス文学の後光に目がくらんだのでしょう。
一部の田舎者にとって、東京は何もかもが素晴らしいと思えるようなものです。
(続きは↓)
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