【憧れるのは、色々な時間を行き来できる人】私はなぜ“時間”に惹かれるのか?
私は、時間というものに、昔から強く惹かれます
そして、過去・現在・未来…
憧れるのは
「色々な時間を行き来できる人」
それは、タイムマシンのような能力への羨望ではありません。
むしろ、「時間をどう使うか」ではなく、
時間とどう向き合っているかという姿勢。
私が、「アービトラージ思考」や「錬金術」、「複利」、「レバレッジ」に惹かれるのも、同じ感覚から来ている気がします。
それらに共通しているのは、
“今ここでは正しく評価されていないもの”に、別の時間軸を与える『視点』
すぐに結果が出ない選択。
周囲には理解されない行動。
報われるかどうか分からない努力。
それらを「無駄」と切り捨てるのではなく、
いつ、
どんな文脈で“価値”に変わるのかを俯瞰して考える。
「アービトラージ」とは、本来「差」を扱う思考です。(富裕層はその差を利用してビジネスをします)
場所の差、情報の差、認識の差。
そして何より、時間の差。
今はまだ評価されていないものが、未来では当たり前の価値になる。
そのズレに気づける人は、時間を一直線ではなく、立体として見ています。
「錬金術」もまた、金を生み出す魔法ではありません。
無価値に見えるものを、時間とプロセスを通して、まったく別の意味へと変換する思想。
それは、急がない人の哲学です。
「時間を行き来できる人」とは、過去に囚われる人でも、未来に逃げる人でもありません。過去を「後悔」ではなく資源として扱い、未来を「恐れ」ではなく仮説として眺め、そのうえで、
今に立つ人。
人生にレバレッジをかけるとは、「今の自分を酷使すること」ではなく、「未来の自分が楽になる構造をつくること」。(ひとことでまとめるなら。人生でレバレッジをかけられるのは、「時間が経つほど価値が増すもの」すべてに掛けれます。)
思考にレバレッジをかけるとは、「同じ時間・同じ経験でも、得られる洞察や成果を何倍にもする考え方の使い方」です。
力任せに考えるのではなく、“効く場所”にだけ思考を集中させることとも言えます。
一言で言うなら、思考にレバレッジをかけるとは、「人生を、力ではなく“角度”で動かすこと」。
(『巨人の肩に乗る』。私がユダヤの思考法にのせて教育するのもそう。)
子育てはその象徴だと感じます。
今日やったことが、明日すぐに成果になるわけではない。
むしろ、何年も経ってから、人格や判断力、胆力として現れる。
信じて待つ時間。
手を出さない勇気。
その沈黙の中にこそ、最も大きな“複利”が眠っています。
脳(RAS)にレバレッジをかけるとは、脳の仕組みを利用して、「意図を先に決め、世界の見え方そのものを変えること」
無意識のレバレッジとは、「意識では操作せず、設定だけして“勝手に成果が集まる状態”をつくること」(脳のオートパイロットを利用する)
AIやテクノロジー、SNSを使うこともレバレッジをかけるということです。
視座の複利。留学は、経験と視座の複利です。それは単なる「思い出作り」や「語学学習」ではなく、判断力のOSを書き換える投資」です。
全て私が息子に、“時間”を味方につけて教育していること。
好きなので…いくらでも出てきます。笑
人生は私達が思うよりずっと短いので、私は「何かにレバレッジをかけなければ、成功はできない」と思っています。
残酷ですが…。
「大きな社会的・経済的成功」という定義においては。
自分の肉体ひとつ、24時間という資源だけで戦うには、世界はあまりに広く、人生は短すぎます。
逆にいうと、成功できる人というのは“レバレッジを何重にもかけれる人。”
真の成功者とは、
外側の世界では強烈に「レバレッジ」をかけながら、内側の精神世界では静かに「今」を味わうことができる。
その「往復」ができる人ではないでしょうか。
私たちはつい、「早く」「分かりやすく」「確実に」を求めてしまいます。
けれど、本当に価値のあるものほど、“時間”を必要とします。
“意味”は、熟成されて初めて立ち上がる。
だから私は、時間を消費する生き方より、
時間を編集し、熟成させる生き方に惹かれるのだと思います。
過去と未来を自由に行き来しながら、“今”という一点に静かに立てる人
そんな人は、時間に振り回されるのではなく、時間と対話しながら生きているように思います。
私は今日も、流れる時間を前にして、
問い続けています。
「この出来事は、
この選択は、
いつ、どんな“価値”へと変わるのだろうか…。」
時間は、ただ流れるものではない。
向き合い方次第で、“人生を錬成する素材”になる…。
最近購入した、佐藤航陽さんの『プラネタリア』。その共同執筆者として名を連ねる、渡邉賢一さん。
巻末の著者プロフィールに記されている職業は、「ナラティビスト」。
では、この人は一体何者なのか…
ナラティビストとは、物語(ナラティブ)を“語る人”ではなく、物語によって世界の意味づけを設計する人だと思います。
事実やデータ、思想や未来像。
それらを単なる情報として並べるのではなく、人が「理解し、信じ、行動してしまう」構造に編み直す存在。
『プラネタリア』においても、佐藤航陽さんが描く未来のビジョンに、時間軸・感情・文脈という“重力”を与えているのが渡邉賢一さんなのではないでしょうか。
思想を思想のまま終わらせず、未来を予言で終わらせない。
読者一人ひとりの人生の物語へと接続する。
だから彼は、評論家でも編集者でもなく、ナラティビストと名乗るのだと思います。
物語が、世界を動かす時代。
その設計者が、ここにいる…。
そんな存在感を感じさせる肩書きです。
以前投稿した↓にも書いたように。
『Be the change that you wish to see in the world.』
あなたが見たい世界の変化に、あなた自身がなりなさい
マハトマ・ガンジー
ガンジーのこの言葉が大好きです。
私が息子の幼少期からずっと伝え続けている言葉でもあります。
この「ナラティビスト」は、おそらく昔は存在しなかった職業。
私は、まさしくこの職業が、このガンジーの言葉を象徴しているような気がするのです。
「必死」とは、必ず死ぬと書きます。
“いま”を必死で積み重ねた先には、
想像もしていない未来が待っている…
私は、この言葉を胸に。
今日も“いま”に静かに立ちたいと思ってます。
時間という荒れ狂う力に、大きく揺さぶられながら…。
憧れるのは、
『時間を行き来できる人』
そして…
『時間に選ばれる人』
いつか。
本物の錬金術師になれることを夢見て… 笑
いつも私と“共鳴”してくれてありがとう。
今日も、
あなたという物語の、ステキな1ページを🍀
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援📣お願いします。いただいたチップはよりたくさんの方に『気づき』をお届けできるように書籍代や活動費に当てさせて頂きます。子供達が生きる未来が少しでも『希望のある世界』になるように、微力ながら活動を継続していきたいと思います。