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古墳巡り|【大阪府堺市】世界遺産:百舌鳥古墳群 その⑤ 最終回:田出井山古墳(反正天皇陵)に行く

世界遺産:百舌鳥古墳群シリーズ5回目、最終回です。前回第4回には仁徳天皇稜古墳に行ってきました。

反正天皇陵古墳

一日、百舌鳥古墳群を移動し、堺市役所の展望ロビーで百舌鳥古墳群を一望して最後に向かったのがこの古墳です。

海沿いに造られた古墳

反正天皇陵古墳は田出井山古墳とも呼ばれていて、百舌鳥古墳群の北端に築造された前方後円墳です。当時この場所は大阪湾を臨む台地の端にあり、海岸線に沿って古墳がいくつも築造されています。この反正天皇陵古墳もその古墳の一つです。

全国Q地図より抜粋
画面中央より右上にある前方後円墳が反正天皇陵古墳
その下の大きな前方後円墳が仁徳天皇稜古墳です。
少し薄くて分かりづらいですが、古墳の左側に標高差があることがわかります。
そこが古代の海岸線です。現在の海岸線からはかなり遠いことがわかりますね

このように、百舌鳥古墳群の巨大古墳は海からよく見えるように築かれたことがわかります。

古墳のサイズと特徴

反正天皇陵古墳は三段築成の前方後円墳です。築造は仁徳天皇稜古墳と同時期、5世紀中頃とされています。

  • 墳丘長148メートル、

  • 前方部の幅が110メートル、高さが14.8メートル

  • 後円部の直径が76メートル、高さが14メートル

前方部の方が高い造りになっています。この時代になると前方部の方が高い作りになってきていることがわかります。

宮内庁からは反正天皇陵として治定されていますが、大仙古墳(仁徳天皇稜古墳)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵古墳)などと比べてサイズがかなり小さいことから疑問視する意見も多く、宮内庁も土師ニサンザイ古墳を反正天皇を陵墓参考地としています。

北側にある方違神社さんから後円部を撮影
前方部は拝所からであまり全貌がわかりませんし
周濠の側まで住宅が迫っているので写真がとれませんでした。

2つの陪塚

反正天皇陵古墳には陪塚と推定されている古墳が2つあります。

鈴山古墳

反正天皇陵古墳の東側にある方墳です。住宅地の真ん中にあり、規模も小さく剥げた盛り土みたいで、ちょっと寂しい感じの古墳でした。

  • 築造時期:5世紀中頃

  • 墳丘:一辺22メートル、高さ3メートル

フェンスで囲われていましたが、ちょっと寂しい感じです。

天王古墳

同じく、反正天皇陵古墳の東側にある方墳です。鈴山古墳もそうですが百舌鳥古墳群では方墳は珍しいそうです。こちらも住宅地の真ん中にあり、さらに規模も小さく剥げた盛り土みでしたね。

  • 築造時期:5世紀中頃

  • 墳丘:一辺11メートル、高さ2メートル

中途半端な工事現場みたいな感じですよね。。

ということで、シリーズ5回分、一日古墳を見て回ったのですが、かなり急ぎで回ったので堪能できていない部分もあったかな?と思いましたが、それなりに満足できた百舌鳥古墳群でした。

機会があったら、今度は十分に下調べや準備をして訪れたいですね。

訪問日:2025年9月21日
投稿日:2025年12月31日


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