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【ビジ哲】再生編 #3 「昔はうまくいっていた」はなぜ通じないのか — ヒュームが暴いた経験の罠

再生案件の現場に入ると、必ず聞く言葉があります。

「リーマンショックのときも、こうやって乗り切ったんです」

過去の危機を突破した成功体験。それはその会社の誇りであり、語り継がれる武勇伝であり——そして多くの場合、再生を阻む最大の壁でもあります。

誤解しないでいただきたいのですが、私は経験を軽んじているのではありません。前々回・前回と見てきた通り、現場の経験知には机上の分析が及ばない力があります。しかし経験には、経験にしか仕掛けられない罠がある。第3回は、現場側の武器である「経験」そのものに光を当てます。レンズとなる哲学者は、イギリス経験論の完成者にして、経験論を内側から解体してしまった男——デイヴィッド・ヒュームです。

「東和さんは大丈夫だ。30年の付き合いだ」

第2回会議の重い沈黙から数日後。野村は反撃に出た。三島の撤退案に対する、現場側の対案である。

🧑‍🏭 野村「撤退なんかしなくても、この会社は立て直せる。2009年の危機のときは、全社で東和自動車さんに食らいついて、納期対応と品質で信頼を勝ち取った。それで持ち直した実績がある。今回も同じだ。主力顧客との関係を深掘りして、受注を取り戻す。それがうちのやり方だ」

現場リーダーたちが、初めて顔を上げた。頷く者もいる。それは彼らが実際に体験し、乗り越えてきた物語だった。

🧑‍💼 三島「確認させてください。その戦略の前提は『東和自動車が今後もこれまで通り発注してくれる』ということですね。その根拠は何ですか」

🧑‍🏭 野村「30年の付き合いだ。危機のときに助けた恩義もある。東和さんは、うちを切ったりしない」

🧑‍💼 三島「過去10年の受注データを見ると、東和向けの受注は毎年少しずつ減っています。5年前と比べて2割減。理由をご存知ですか」

🧑‍🏭 野村「……多少の波はいつでもある。長い付き合いというのは、そういうものだ」

数日後、沖田のもとに一本の連絡が入った。東和自動車の調達部門からだった。次期モデルの部品調達について、従来の随意発注をやめ、海外メーカーを含む競争入札に切り替える——。

その通達文を、沖田は野村に見せた。野村は長いあいだ、黙ってその紙を見つめていた。

🧑‍🏭 野村「……30年、一度もなかったことだ」

👩‍💼 沖田「部長。30年なかったことは、これからも起きない——私たちはずっと、そう考えてきたのかもしれません」

ヒュームの問い —「昨日までそうだった」は「明日もそうだ」を保証しない

野村の確信を支えていたのは、「30年続いてきたことは、これからも続く」という推論です。過去の経験の積み重ねから、未来を予測する。これを帰納法と呼びます。

18世紀スコットランドの哲学者ヒュームは、この帰納法に、哲学史上もっとも有名な疑問を突きつけました。

太陽は今日まで毎朝、昇り続けてきた。では「明日も太陽が昇る」ことを、私たちは証明できるだろうか。——ヒュームの答えは「できない」です。どれだけ過去の観察を積み上げても、「これまでそうだった」から「これからもそうだ」への飛躍を、論理は保証してくれない。過去と未来をつなぐ橋は、論理の世界のどこにも存在しないのです。

では、なぜ私たちは「明日も太陽が昇る」と信じて疑わないのか。ヒュームの診断は明快でした。それは論理ではなく、習慣だからです。同じことが繰り返されるのを何度も経験すると、心は自動的に「次もそうなる」と期待するようになる。ヒュームは「習慣は人間生活の偉大な案内人である」と書きました。私たちが「因果関係」と呼んでいるものの正体は、繰り返しの経験が心に刻んだ期待にすぎない、と。

野村の「東和さんは大丈夫だ」は、まさにこの構造です。30年間、発注は続いてきた。その繰り返しが「これからも続く」という揺るがぬ期待を心に刻んだ。しかしそれは論理的な保証ではなく、習慣が生んだ確信でした。そして習慣の厄介なところは、世界の側が変わっても、心に刻まれた期待は自動では更新されないことです。EV化で部品構成が変わり、調達のルールが変わり、30年の「恒常」を支えていた土台が静かに崩れていても、習慣は昨日と同じ明日を予測し続けます。

「昔はうまくいっていた」が通じないのは、聞き手が冷たいからではありません。その言葉が保証しているのは過去だけで、未来については実は何も語っていないからです。

ただし、ヒュームの刃は三島にも向かう

ここで話を終えると、「やはり現場の経験は当てにならない、データが正しい」という結論に見えるかもしれません。しかし、そうはならないのがヒュームの恐ろしいところです。

考えてみてください。三島の分析は何でできているでしょうか。過去10年の受注データ、過去の原価、過去の稼働率——すべて過去の記録です。そこから将来の収益を予測し、「2年で黒字転換できる」と語る。これは何をしているのかといえば、過去の観察から未来を推論している。つまり、帰納法です。

ヒュームの疑問は、野村の30年にも、三島のデータ10年分にも、まったく同じように突き刺さります。「過去のデータがこうだった」ことは、「未来もこうなる」ことを論理的には保証しない。データ分析とは、いわば習慣を数字で精密にしたものであり、世界の構造が変わる局面では、ベテランの勘と同じように外れうるのです。実際、市場の断絶期に過去データの延長で立てた事業計画が崩れる例を、私は嫌というほど見てきました。

つまりこういうことです。三島と野村は「データか、経験か」で争ってきましたが、ヒュームのレンズで見れば、二人とも「過去」という同じ土俵の上に立っている。違うのは過去の参照のしかただけで、未来への飛躍に保証がない点では同罪なのです。

では、保証のない未来に向かって、組織はどう判断すればいいのか——この問いは、シリーズ後半でカントとともに正面から扱います。今回はまず、「経験もデータも、未来を保証しない」という地点に立つことが出発点です。

コンサルタントの現場観察

私は経営会議で過去の成功体験が語られたとき、頭の中で一つの質問を立てることにしています。

「その成功を支えていた条件のうち、今も残っているものはいくつあるか」

2009年に東和自動車への食らいつきが成功したのは、精神論の勝利ではありません。当時は国内調達が原則で、品質と納期が競争軸で、担当者同士の信頼が発注を左右した——そういう条件が揃っていたからです。成功体験を検証するとは、武勇伝を疑うことではなく、それを成立させていた条件を一つずつ数え、いま何が残っているかを確かめる作業です。条件が残っているなら、その経験は今も武器になります。条件が消えているなら、その経験は美しい思い出です。

もう一つ。この検証は、若手ではなくベテラン自身にやってもらうのが最も効きます。「あの成功の条件を一番よく知っているのは野村部長です。当時と今で、何が変わりましたか」と問われたベテランは、自分の経験を否定されたのではなく、自分の経験を頼りにされたと感じる。そして条件の変化を一番正確に語れるのも、実は本人なのです。前回書いた「懐疑は本人の手の中で始まるのを待つしかない」の、これが実践形です。

マネジャーへの3つの問い

  1. あなたの組織で繰り返し語られる成功体験を一つ挙げてください。その成功を支えていた条件のうち、現在も残っているものはいくつありますか。

  2. あなた自身が「これまでずっとそうだったから」を根拠に続けている判断はないでしょうか。それは論理の裏付けですか、それとも習慣の期待ですか。

  3. 過去データにもとづく計画や予測を扱うとき、「この数字が前提にしている『変わらないもの』は何か」を言語化できていますか。

今回のまとめ

  • 「昔はうまくいっていた」が通じないのは、その言葉が保証しているのが過去だけで、未来については何も語っていないから

  • ヒュームによれば、「これまでそうだった→これからもそうだ」の飛躍に論理的保証はなく、その確信の正体は繰り返しが心に刻んだ「習慣」である

  • 習慣は世界が変わっても自動では更新されない——だから環境の断絶期に、経験豊富な組織ほど判断を誤る

  • ただしヒュームの刃はデータ分析にも向かう。過去データからの予測もまた帰納法であり、未来の保証にはならない

  • 成功体験は「疑う」のではなく「条件を数える」。それを成立させた条件がいくつ残っているかを、本人の手で検証してもらう

次回予告

第4回は「コスト削減案が『わかっていない』と言われる理由」。合理的なはずの施策がなぜ感情の壁に阻まれるのかを、スピノザの感情の哲学をレンズに考えます。

シリーズの全体像は紹介記事をご覧ください。


■ 再生編についてのお断り

このシリーズでは、議論をわかりやすくするために、コンサルタントを「論理的・合理的」、既存社員を「感情的・経験的」という対比で描いています。

実際には、感情を大切にするコンサルタントもいれば、論理的思考に長けた現場のプロフェッショナルも数多くいます。また、コンサルタントも現場社員も、それぞれの立場で誠実に仕事に向き合っています。

この対比はあくまで「合理論と経験論」という哲学的概念をわかりやすく体験していただくための設定です。特定の職種や立場を批判する意図は一切ありません。

登場人物・企業はすべて架空のものです。

なお、ビジ哲は哲学研究ではなく、哲学をレンズとしてビジネスの現実を考えるコンテンツです。本シリーズに登場する哲学者の思想は、原典の再現ではなく、物語のための翻案的な解釈だとご理解ください。

ビジ哲は哲学研究ではない——それでも哲学をビジネスに持ち込む理由

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