【ビジ哲】ニーチェ編 #12 「本当の自分」なんて、あるのだろうか — 仮面の下の探求
── 仮面を剥いだ先に、何があると思っているのだろう。
■ 「素の自分を出せていない」という悩み
あるメンバーが、面談でこんなことを言った。
「会社では、ずっと『しっかり者』を演じている気がします。家に帰ると、素の自分に戻れてほっとするんですけど……そもそも、どっちが本当の自分なのか、最近わからなくなってきて」
職場用の自分。 家庭用の自分。 友人といるときの自分。
どれも仮面のように感じられて、その下に「本当の自分」がいるはずだと信じている。 でも、仮面を全部剥いだ先に、本当に何かが残るのだろうか。
■ 対話:恵美と玲子

👩🎓 恵美「私も、職場にいるときの自分と、プライベートの自分が全然違う気がして。どっちかが偽物なんじゃないかって、たまに不安になります」
👩🏫 玲子「その感覚、実はニーチェが真正面から問い直した問いなの」
👩🎓 恵美「本当の自分、みたいな話ですか」
👩🏫 玲子「そう。ニーチェ的に言うと、そもそも『行為の裏に、それをしている本体がある』という考え方自体が、思い込みかもしれない、ということ。稲妻が光ることと、光る主体としての『稲妻』を分けて考えるのは、言葉の癖にすぎない、と彼は言ったの。行為そのものがすべてで、その裏に隠れた『本当の自分』を探しても、見つからないかもしれない」
👩🎓 恵美「え……じゃあ、職場の自分も、家の自分も、両方とも本物ってことですか」
👩🏫 玲子「ニーチェ的に見ると、そう考えることもできる。仮面の下に本体があるんじゃなくて、状況ごとに現れる姿、それぞれが自分そのものだという考え方。もう一人、似たような問いを別の角度から考えた人がいるわ。荘子」
👩🎓 恵美「荘子……名前だけ聞いたことあります」
👩🏫 玲子「古代中国の思想家。荘子には有名な話があってね。ある日、蝶になった夢を見た。夢の中では、自分が荘子だということを忘れて、蝶として飛び回っていた。目が覚めて、はたと考えた。自分は蝶になった夢を見ている荘子なのか、それとも今、荘子になった夢を見ている蝶なのか、と」
👩🎓 恵美「どっちが本物か、わからなくなるってことですね」
👩🏫 玲子「荘子的に言うと、そこに明確な境界線を引くこと自体が、そもそも難しいという話。職場の自分と家の自分、どちらが本物かを決めようとすること自体が、もしかしたら不要な問いなのかもしれないわね」
■ ニーチェ——行為の裏に「本体」はない
ニーチェは『道徳の系譜』の中で、私たちが日常的に信じている「行為者」と「行為」の分け方に疑問を投げかけた。
「怒りっぽい人」がいて、その人が「怒る」のではなく、怒るという行為の積み重ねを、私たちが後から「怒りっぽい人」という主体として名づけているだけかもしれない。
同じように、「本当の自分」という固定された本体がまずあって、そこから職場用・家庭用の自分が仮面として派生している、という考え方自体が、言葉の作った幻想である可能性がある。
だとすれば、どの仮面が本物かを探すこと自体が、間違った問いの立て方になる。 むしろ、それぞれの場面で現れている姿、その一つひとつが、その都度の「自分」だと言えるのかもしれない。
■ 荘子——胡蝶の夢が問うもの

荘子の「胡蝶の夢」は、単なる幻想的な逸話ではなく、自己や現実の境界線がどれほど曖昧かを突きつける寓話だ。
蝶になった夢を見ている自分と、荘子になった夢を見ている蝶。 どちらが本物かを決めることは、実はそれほど重要ではないのかもしれない。
荘子が示唆したのは、「これが本物の自分だ」という一点にこだわることよりも、状況に応じて自在に形を変えられること自体が、むしろ自然なあり方だという視点だ。
固定された「本当の自分」を追い求めるあまり苦しむよりも、それぞれの場面での自分を、その都度受け止めていく方が、よほど楽に生きられることもある。
■ コンサルの現場で見てきたこと

「素の自分を出せていない」と悩む人に、私がよく伝えるのは、職場での振る舞いが「偽物」だとは限らない、ということだ。
職場でのふるまいは、その場に適応するために作り上げた仮面かもしれないが、それもまた、その人が持っている力の一つの表れだ。
「本当の自分」という一つの正解を探し続けると、どの場面にいても「これは本物の自分じゃない」という違和感がつきまとうことになる。
大切なのは、どの自分が本物かを決めることではなく、それぞれの場面での自分を、自分自身が納得して選び取れているかどうかだ。
■ マネージャーへの3つの問い
① メンバーが「職場用の自分」を演じることに疲れているとしたら、それは仮面そのものの問題か、それとも仮面を強制されている環境の問題か。
② あなたは部下に対して、「本当のあなたを見せて」と、暗に一つの正解を求めていないか。
③ あなた自身、場面ごとに変わる自分を、どれも自分のものとして引き受けられているか。
■ まとめ
ニーチェは、「行為の裏に本体がある」という考え方自体が、言葉が作った思い込みかもしれないと指摘した
職場用・家庭用の自分のどちらが本物かを探すことは、間違った問いの立て方である可能性がある
荘子の「胡蝶の夢」は、自己や現実の境界線の曖昧さを示す寓話
固定された「本当の自分」にこだわるより、場面に応じた自分をその都度引き受ける方が楽に生きられることもある
大切なのは「本物」を決めることではなく、どの自分にも自分自身が納得できているかどうか
■ 次回予告
👩🎓 恵美「本当の自分を探さなきゃ、って思ってたのが、逆に苦しかったのかもしれません。ちょっと、肩の力が抜けた気がします」
👩🏫 玲子「いい変化ね。次は、その自分をどう周りに伝えていくか、という話に進みましょうか」
次回は ニーチェ編 #13「言葉にできない想いは、伝わらないのか——語りえぬものについて」。
フェーズ3「変容」続編。言葉にしきれない想いと、どう向き合うかを考えます。
■ ビジ哲からのお断り
「強くなる」「自分の価値観で動く」——このシリーズで使うそんな言葉は、個人の努力だけで実現できるものではない場合があります。構造そのものが個人の意志を阻む環境は、実際に存在します。 上司が空気を支配している。声を上げれば潰される。構造そのものが、個人の意志を阻んでいる——そういう環境は、実際に存在します。「畜群から抜け出せ」と言うことが、そういった構造の問題を個人に押しつけることになってはいけない、と思っています。
ビジ哲は哲学研究ではなく、哲学をレンズとしてビジネスの現実を考えるコンテンツです。構造を変えることは個人だけではできないこともある。 哲学の概念に触れることで、自分の仕事や組織を「少し違う角度から見る」きっかけになれば——それがビジ哲の目的です。
なお、本シリーズに登場する哲学者は、原典の学術的な引用や本人の見解の再現ではなく、彼らの思想の核心を借りて描いた翻案上の人物です。作中で語られる言葉は、思想の応用ではなく、思想をヒントにした物語的解釈だとご理解ください。
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