【ビジ哲】再生編 #7 データと肌感覚、どちらを信じるべきか — ヒュームとデカルト、確実性を求めた二人の果て
「結局、どちらを信じればいいんですか」
再生案件の最終盤、意思決定者からよくこう聞かれます。データはこう言っている。しかし現場の感覚はこう言っている。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているはずだ——そういう前提で聞かれることが多いのですが、私はいつも、少し困った顔をしてしまいます。
なぜなら、この問いの立て方そのものに、見落としがあるからです。
第7回は、ここまで6回にわたって見てきたデカルトとヒュームを並べて立たせ、「データと肌感覚、どちらを信じるべきか」という問いに、正面から向き合います。答えは、おそらく想像と違うところに着地します。
期限は、あと3週間

ファンドから、田中製作所の経営陣に通達が届いた。次回の取締役会までに、再建計画の最終方針を確定させること。期限は3週間後。それを過ぎれば、より踏み込んだ介入——経営陣の刷新も視野に入る、という内容だった。
沖田は三島と野村、両方を会議室に集めた。
👩💼 沖田「率直に聞きます。三島さんの分析では、撤退と外注化を軸にした計画で2年黒字化。野村部長の方針では、研磨の技術を核にした新規受注開拓で立て直す。どちらが正しいんでしょうか」
🧑💼 三島「私のシナリオには根拠があります。過去10年のデータを基にした試算です」
🧑🏭 野村「その試算の前提だった東和さんは、もう競争入札だ。データが外れることは、この半年で証明済みだろう」
🧑💼 三島「……それは認めます。しかし野村部長の新規受注開拓にしても、確度の高い見込みは、まだ一件も取れていません」
🧑🏭 野村「取れていないが、可能性はある。津田の案だって、まだ潰れたわけじゃない」
沖田は、二人の顔を交互に見た。
👩💼 沖田「つまり——三島さんの計画にも、野村部長の計画にも、『これなら絶対に大丈夫』という保証は、どちらにもない、ということですね」
会議室に沈黙が落ちた。誰も、それを否定しなかった。
👩💼 沖田「私はずっと、どちらが正しいかを決めなければいけないと思っていました。でも、違うのかもしれません。どちらも、確実ではない。だとしたら私たちが本当に決めるべきことは、別にあるんじゃないでしょうか」
デカルトが求めた確実性——そして、その狭さ
第1回・第2回で見た通り、デカルトは疑いうるものをすべて疑い、それでも疑えない一点——「我思う、ゆえに我あり」から出発して、確実な知識の体系を築こうとしました。三島の「数字と論理があれば答えは出る」は、この系譜にあります。
しかし、ここで立ち止まって考える必要があります。デカルトが手に入れた確実性は、実はとても狭いものでした。「私は考えている、だから私は存在する」——これは疑いようがありません。しかし「東和自動車は今後も発注してくれるだろう」「この施策で2年後に黒字化するだろう」といった未来予測は、デカルト的な意味での確実性を、原理的に持てません。それは論理的必然ではなく、経験からの推測だからです。
三島の分析が「数字と論理があれば答えは出る」と語るとき、実はその「答え」は、デカルトが本来求めていたような論理的な確実性ではなく、確からしさの高い推測にすぎません。これは分析が悪いのではなく、未来予測という営みそのものが、最初から確実性の対象外にあるということです。
ヒュームが暴いた、もう一つの不確実性
第3回で見た通り、ヒュームは「これまでそうだった」から「これからもそうだ」への飛躍に、論理的な保証はないことを示しました。私たちがそれでも予測を信じられるのは、論理ではなく習慣のおかげだ、と。
ここで重要なのは、ヒュームの懐疑が向かう先は、野村の「経験」だけではないということです。前回、前々回と見てきた通り、三島の「データ」もまた、過去の観察から未来を推測する帰納法である以上、まったく同じ不確実性を抱えています。ヒュームは経験論者でありながら、経験に基づく知識そのものの限界を、誰よりも徹底して暴いた哲学者でした。ヒュームの懐疑を突き詰めると、データも直感も、どちらも「確からしい推測」の域を出ないという、身も蓋もない結論にたどり着きます。
つまり、デカルトの道を進んでも、ヒュームの道を進んでも、行き着く先は同じです。未来について、絶対の確実性を与えてくれる情報源は、どこにも存在しない。
「どちらを信じるべきか」は、問いの立て方が間違っている

ここまで来ると、沖田の会議室での気づきが、哲学的にも正しかったことがわかります。「データか、肌感覚か」という問いは、「どちらかには確実性がある」という前提に立っています。しかしデカルトとヒューム、二人の巨人がそれぞれ別の方角から証明したのは、その前提自体が成り立たないということでした。
では、確実性がないなら、何を頼りに決めればいいのでしょうか。
ヒントは、意外にもヒューム自身が残した、もう一つの有名な言葉にあります。「理性は情念の奴隷であり、そうあるべきだ」。これは一見過激な主張に見えますが、意味はこうです。理性(計算や論理)は、選択肢の間の確率や因果関係を教えてはくれる。しかし「どの結果を望むか」「何を大切にするか」を決めるのは、理性ではなく、私たちが何を大切に思うかという価値の側だ、と。
田中製作所の場合で言えば、三島のデータも野村の経験も、それぞれ「起こりうることの確からしさ」についての情報を与えてくれます。しかし「どちらの不確実性を引き受けるか」「70年の技術を守ることと、確実な黒字化を急ぐこと、どちらをより大切にするか」——この選択を最終的に決めるのは、データでも経験則でもなく、田中製作所が何を守り、何を目指す会社でありたいかという価値の問題です。
三島と野村が本当に対立していたのは、確実性の量ではありません。二人とも、確実性がないことは同じでした。対立していたのは、不確実な未来に対して、何を優先して賭けるかという価値観だったのです。
コンサルタントの現場観察
経営会議で「データと肌感覚、どちらが正しいか」という議論が膠着したとき、私はよく、質問の向きを変えることを提案します。
「どちらが正しいか」ではなく、「どちらの不確実性なら、この会社は引き受けられるか」。
データに基づく計画が外れたときのダメージと、経験に基づく計画が外れたときのダメージは、性質が違います。前者は数字として外れ、後者は組織の求心力として外れることが多い。どちらの外れ方なら、会社が持ちこたえられるか。これは分析の精度の問題ではなく、その会社の体力と価値観の問題です。だからこの問いに答えられるのは、外部のコンサルタントではなく、内部の経営者やリーダーしかいません。
田中製作所の場合、沖田が出した暫定的な答えは、全面撤退でも全面継続でもありませんでした。研磨技術を核にした新規受注開拓を主軸としながら、期限を区切った小規模なパイロットで検証し、同時に不採算ラインの一部は計画通り縮小する——両方の不確実性を、小さく分けて引き受けるという選択でした。どちらの陣営も100点は取れませんでしたが、どちらの陣営も、会社が潰れる賭けはしなくて済みました。
確実性を諦めることは、無責任になることではありません。むしろ、確実性という幻想にすがるのをやめたときに初めて、本当の意味でのリスク管理が始まるのだと思います。
マネジャーへの3つの問い
あなたが最近下した、あるいはこれから下す重要な決定は、「データか経験か、どちらが正しいか」という枠組みで考えていませんか。それとも「どちらの不確実性を引き受けるか」という枠組みで考えていますか。
その決定が外れたとき、あなたのチームや会社は、どちらの外れ方(数字の外れ、組織の外れ)ならより耐えられるでしょうか。
情報を集めきれない中で決断しなければならないとき、最終的にあなたが頼りにしているのは何ですか。それは自覚的に選んだ価値観でしょうか、それとも無自覚な習慣でしょうか。
今回のまとめ
デカルトが求めた確実性は本来とても狭いもので、未来予測はその対象外にある
ヒュームの懐疑は経験知だけでなく、データに基づく予測にも等しく突き刺さる——確実な情報源はどこにもない
「データか肌感覚か、どちらが正しいか」という問いは、どちらかに確実性があるという誤った前提に立っている
ヒューム曰く「理性は情念の奴隷」——何を優先して賭けるかを決めるのは、計算ではなく価値観である
対立の本質は確実性の量の差ではなく、不確実な未来に対して何を優先して賭けるかという価値観の差であることが多い
次回予告
第8回は「衝突の正体——なぜ話が噛み合わないのか」。バークリーの認識論をレンズに、第1部の総括として、三島と野村がすれ違い続けてきた本当の理由に迫ります。
シリーズの全体像は紹介記事をご覧ください。
■ 再生編についてのお断り
このシリーズでは、議論をわかりやすくするために、コンサルタントを「論理的・合理的」、既存社員を「感情的・経験的」という対比で描いています。
実際には、感情を大切にするコンサルタントもいれば、論理的思考に長けた現場のプロフェッショナルも数多くいます。また、コンサルタントも現場社員も、それぞれの立場で誠実に仕事に向き合っています。
この対比はあくまで「合理論と経験論」という哲学的概念をわかりやすく体験していただくための設定です。特定の職種や立場を批判する意図は一切ありません。
登場人物・企業はすべて架空のものです。
なお、ビジ哲は哲学研究ではなく、哲学をレンズとしてビジネスの現実を考えるコンテンツです。本シリーズに登場する哲学者の思想は、原典の再現ではなく、物語のための翻案的な解釈だとご理解ください。
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