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10.全部母親のせいにしたけれど、本当は私が自分の人生から逃げていた

前回の記事

の、続きです。

母の私に対する具体的な願いはこうでした。

  • 女性でも経済的に自立できる仕事に就いて、結婚後も仕事を続けなさい。

  • おかあさん好みの、明るく活発な女の子でいなさい。

  • 女の子なんだからいつもニコニコ感じよくして、誰からも好かれなさい。

  • 両親を早くに亡くしたおかあさんは寂しかったから、あんたはずっと近くで暮らしなさい。一緒に街を歩きたいから。

  • 自営業の旦那さんだと苦労するから、お勤め人と結婚しなさい。

など


母の言い分

おかあさんの言ったおとりにしていたら、あんたは幸せになれるんだから、言うとおりにしなさい。おかあさんは正しいから。
あんたのためなんだ!!!

母は、なかなか押しの強い人でした。
そこに、ある親戚も加わって、更にグイグイきました。私の将来の仕事については特に。

私の対応

嫌だけど逆らえない私は、ただただニコニコしながら聞いていたし、その場しのぎの返事をしてました。

将来について自分で考えることから逃げていました。反論せず、たたかわなかったのです。感情をぶつけるとさえしませんでした。

これは、私のことなかれ主義からきた行動です。
相手から怒りやイライラをぶつけられるのを常に恐れていたのでした。

私が抱えていた葛藤

母は、私のために言ってくれている。私の幸せを願ってくれている。
だから、逆らっちゃだめなのかな?
言うとおりにしなきゃダメなのかな?

期待に応えらえなきゃ私には存在価値がないのかな。
頑張らなきゃダメなんだよね。
我慢しなきゃダメなんだよね。

本当は、すごくすごく嫌なんだけど。
その仕事に就くことも、ずっとこうして言われ続けることも。

だけど、反論するだけのネタがない。自分で本当にやりたいこともよくわかってない。
もう、爆発しそうなくらいやなんだけど、私はどうしたらいいのかわからない。

いつも考えるのは、こういうことでした。

全部母親のせいにした

実は、結婚相手まで母の好みでグイグイと、話を持ってきました。

それはすっとぼけ続けました。
なぜか結婚だけは絶対に言いなりになってはダメだと、こころの奥でわかっていた私。周囲の人を驚かせながら、ある時、自分でみつけた相手とあっという間に結婚しました。

数年後、子どもも生まれました。
母の言いなりになって就いた仕事は続けていました。

ですが、とうとうある日電池が切れて仕事を長期間はなれることになりました。うつ病です。

療養中、いったいどうしてこんなことになってしまったのかと、ひとりの時間に泣きながら嘆いていた私です。

それまで、日々の忙しさで色々考える余裕もなく過ごしていました。自宅療養で時間ができた私の脳裏には、すっかり忘れていたような子どもの頃からの記憶が次々とよみがえってくるのでした。

ネガティブな状態になっているときに思い出す記憶ですから、私にとっては全てネガティブなもの。

私が出した一つの結論がコレ。
私がこんなに苦しい思いをしているのは、全部おかあさんのせいだ!!
というもの。

その後は、何かがトリガーになると、ズルズルと記憶が引っ張り出され、怒りがこみ上げたりつらくなったりということの連続でした。

通院は、約6年近くかかりました。

以前こんな記事を書いてあります↓

この記事のように
本当は、全て自分が選択してきた結果であって、母親のせいなどではないと理解するのは、うつ病と診断されてから10年くらい後のことでした。

母に対して私が願っていたことがようやくわかった

私は母親にどうしてほしかったのか、自分の気持ちを自覚できていませんでした。

それにようやく気付いたのは、まだ今から数年前のことです。
凄く時間がかかりましたね。だって、もう50代後半になっていましたから。

それは
私の気持ちを考えてほしかった。
ということなんです。
たったこれだけのことです。

それをハッキリ自覚できないほど私の脳内には
恐れから始まって様々な思考や感情が、ぎゅうぎゅうに押し込められていたのです。

思えば母からは仕事にしてもそれ以外のことにしても
「あんたはどうしたいの?」といったことを訊かれた記憶が殆どありません。
だから、いつも母の考えを押しつけられていると、思っていたのでした。

私はどうしたらよかったのか

私が置かれていたあの状況が耐えられなくて嫌だと思っているなら、母親に対してハッキリと意思表示すればよかったのです。

本当は、逆らってもよかったのです。結婚相手は自分でみつけたように。

感情を、思い切りぶつけてもよかったのです。
泣きわめいてもいいんです。

家を飛び出したってよかったのです。

親に心配をかけてもいいんです。

我慢は必要なかったのです。

見捨てられたっていいんです。

不安や恐れにコントロールされた人生より、よほどマシなはず。もっと別な可能性が目の前に広がっていたかもしれません。

結局
私は、自分を全く大切にしていなかった
ということですね。
なんでも我慢すればいいというものじゃありませんから。

どれほど嫌だと思っているのか、どれほどもうやめてほしいと思っているのか、ちゃんと伝えなきゃ相手にはわからない

昔いじめっ子に言われました。
文句言わないし嫌だとも言われないから、言っていいんだと思っていたんだ
と。
拒絶しないから私は、幼稚園の頃ひとりの男の子から1年間、言葉でいじめられていたのでした。


何も意思表示しないから、母には私の気持ちは伝わっていません。
私は、母に察しろ!と思っていたのかもしれませんね。

母が人の気持ちに疎い父に対してよく苛立っていたのですが、なんだか母と私は似たようなことを相手に期待していたんですね。
私の気持ちを察して!!!と、心の中で要求していたんですよ。


私が現在抱いているのは、後悔の気持ちとは違います。
別の選択肢の存在を、うつ病になってから気づいたのでした。
そして、私は自分を大切にしていなかったと、認めたのでした。
同時に、意思表示できなかった過去の私を責める必要はないということも、今は、腑に落ちています。


ふうとはこんな人↓

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