20.世界が私にやさしくなった?
以前書いたこの↓記事の続きです。
意識して自分を大切にしてみるようになって感じたのは、
「なんだか世界が私にやさしくなった?」
ということでした。
背負っていた荷物が軽くなって、こころがゆるんでいくような感覚でした。
趣味に思い切り没頭する私を、誰も怒らないし責めない。不思議な感覚。息子まで、「お母さんも好きなことをやって」と、言ってくれた。それでいいんだと肯定してくれる人までいることに驚きました。
かつては、「私は好きなことをやってはいけない」という謎の考え方に支配されていた私です。
自分を大切にし始めたら、趣味に没頭する私を見た夫が、怒るどころか応援していくれていました。
それ以前の私の捉え方
私は多分、人は私を責めて傷つける存在だと思っていたんじゃないかと、考えています。
勿論そういう人ばかりではないと、頭で理解はしていましたし、仲のいい友人もいます。夫も優しい人だと思っています。
それでもなお、人は自分の価値観を私に押しつけるし私を傷つけるという考え方が、こころの奥の方にあったと思います。
犯人は私だ!
本当に私のことを責めて傷つけていたのは、実は私です。
「こうするべき」、「こうでなければならない」とか、「こうであってはならない」等々、無理難題を自分にふっかけて、私の価値観という鎖で縛りあげていたんですね。
痛いし苦しいし辛いし悲しい。やがて私はうつ病に。
うつ病を経験してもなお、自分の中に出来上がった考え方の癖は、発動してしまいます。
自分でそういう仕打ちをしていたので、人は誰でも私に対してそうすると、無意識のうちに考えていたのでしょうね。
だから、本当は優しさで声をかけてくれているのに、私を責めているように感じることもありました。
怒ってなどいないのに、目の前の人が私に対して腹を立てているように感じることもありました。
でも私を責める必要はない
犯人は私だとわかっても、そんな私を責める必要はまるでありません。だって、今よりはるかに未熟な幼い頃からの私が、当時の経験からつくりあげて強化していった考え方の癖が働いていただけですから。
そんな私に関わってくれて、私の価値観を作り上げる手伝いをした大人も子どもも、悪くないです。その人たちも親や学校や社会で教え込まれた価値観や考え方を発動したり、自身が持っている恐れや不安で行動したりしていただけです。
人に対しても自分に対しても不要な責めをしているうちは、多分何も前進しないのではないか?と、私は思っています。
この先は自分で選んで進んでいくのみ
そういうことだったかとわかったら、そしてこれからはどうしたいかが大事。
私は、これからも私を大切にしていきたいです。
だから、恐る恐るでもコケながらでも、続けていきます。
それが、今の私の選択。
人のことも大切に思えてきた
自分を大切にし始めると、こころが穏やかさを取り戻し始めました。
そして、自分を縛り付けていた見えないものの力がゆるんでいくのも感じました。
そうすると、こころの中にあたたかさが、戻ってきたようです。
こころが悲鳴をあげているうちは、自分の苦しさばかりに意識が向いていました。ですが、その苦しさが少なくなっていくと、本来あったあたたかな何かが動き始めたような感覚です。
多分以前よりは私も、人の辛さや大変さに目を向けられるようになっているのではないでしょうか。
周囲の人からどう見えているかはわかりません。ただ私のこころの中では、以前より人にやさしい眼差しをむけられている気がしています。
同時に実は、私が昔は言えなかった”No”を、人に言う機会も増えています。
つまり、自己犠牲や不要な我慢をしない選択もできるようになってきているということですね。
人との関りも、バランスをとれる方向に変化してきたのだと思っています。
自覚しておくこと
長年かけて無意識の領域に刷り込まれた価値観や考え方の癖は、知らず知らずのうちに、自分の言動や思考に影響を与えています。
ですから、うっかりすると自分にひどい仕打ちをしてきた癖が発動されるんです。それは、頭の片隅にいれておきたいことです。
大切なのは、それに気づくこと。そして、軌道修正することですね。
この繰り返しです。根気よく。
そうやって、刷り込まれたものを、自分を「大切にする」という新しい情報で少しずつ上書きしていきます。
私の場合、大きな疲労感や体調不良がトリガーとなって、自分へのパワハラ癖が発動され、見事なまでの自分責めを始めます。
ですから、疲れすぎないように休憩したり、体調を管理することは、私にとって、自分を大切にするために特に優先したいことなんです。
こんな当たり前のようなことができなくなるほどのことを、私が私自身に対してやってきたということなのです。
狭い視野にハマってしまうと、当たり前のようなことも見えず気付かず、どんどん苦しくなっていくばかり。自分を大切にすることからは遠ざかります。私が私を大切にするためには、そのハマった狭い視野から出ることが必要だったというわけです。
そこから出てみたら当然、見える世界も違っていたのでした。
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