30年前の体重を取り戻し、キープしているのに気づいた
先日、30年前の手紙を読み返す機会がありました。
中学生だった自分の、いまではすっかり忘れていた一面を思い出し、少し照れくさい気持ちになったのですが──それと同時に、もうひとつ、大きな気づきがありました。
もしかして私、「30年前の体重」に戻って、そのままキープしている……?
30年前といえば、消去法で入った軟式テニス部で、朝練・夕練に追われ、トラックを走り回っていた頃。人生でいちばん運動量が多かった時期です。
一方、いまの私はというと、特別な運動は一切していません。
筋トレもなし、ランニングもなし。ジムにも行っていないし、フィットボクシングもとっくにやめています。
やっていることといえば、ただ「歩く」ことだけ。
以前はフィットネスゲームなどを取り入れていた時期もありましたが、試行錯誤の末、ここ2年ほどは「歩く」ことだけに落ち着いています。
それでも、身長163cm・体重52〜53kg・BMI 20という数字を、4年間維持しています。筋肉量はさすがに中学生の頃には及びませんが、骨格筋率は28%以上と、年齢を考えると比較的高めです。
正直に言うと、もうすぐ50代で、運動に楽しさを見いだせずに生きてきた自分が、人生で最も運動していた時期と同じ体重に戻り、それを保てるようになるとは思ってもいませんでした。
このささやかな奇跡が、この先どこまで続くのかはわかりません。
それでも、「歩く」という素朴な運動を続ける中で、確かに見えてきたものがあり、ここに残しておきたいと思いました。
この記事は、過去の私のような、こんな方に向けて書いています。
・運動が大事なのはわかっているけれど、運動が続かなかった人
・体重を減らせたものの、リバウンドを繰り返してきた人
・一生続けられる運動に、まだ出会えていない人
「歩く」という、最もハードルの低い運動でも、十分に効果がある。
そんな実体験が、私のように運動が苦手な方の、小さな習慣づくりのヒントになればうれしいです。
長期で見ると、結局「歩く」しか残らなかった
自分のこれまでの運動遍歴を、あらためて棚卸ししてみました。
すると、ひとつはっきりとした事実に気づきます。

10代の部活動も、20〜30代のジム通いも、40代のフィットネスゲームも。どんな運動も、すべて「期間限定」でしか続いていなかったということです。
続かなかった理由は、だいたい同じだった
10代は、消去法で入った軟式テニス部で、朝練・夕練に追われる毎日。
人生でいちばん運動量が多かった時期でした。けれどそれは、「好きだから続いた」のではなく、「強制されていたから続いていた」運動でした。中三の夏の引退と同時に、その習慣はあっさり終わります。
その反動で、高校生以降は運動習慣ゼロ。
大学生、社会人と、太っては焦ってダイエットし、また戻る──気づけば10キロ前後の増減を、ずっと繰り返してきました。
20代後半、仕事を辞めて時間ができたことをきっかけに、初めてジム通いを始めました。体重も落ち、筋肉量も増え、「これは続くかも」と思いましたが、結果は1年ほどで終了。
ジム通いが1年以上続く人は4%程度だと言われていますが、私もその96%側でした。
その後も、公園を走ってみたり、会社の福利厚生で再びジムに入ったり、新しいスニーカーを買って気分を上げてみたり。でも、夏は暑く、冬は寒い。外に出る準備をする時点で、だんだん面倒になってしまうのです。
2020年には、新型コロナウイルスの世界的流行をきっかけに在宅勤務が始まり、その流れで「リングフィット アドベンチャー」にハマった時期もありました。
運動量だけは確かに増えましたが、2021年には体重も体脂肪率も上昇。ゲームは「全クリア」という明確な終わりを迎え、続ける理由を失いました。
こうして振り返ると、運動の種類は違っても、続かなかった理由は驚くほど似ています。
・続けるほど負担が増える「金銭的コスト」
・気持ちに左右される「心理的コスト」
・生活の変化で途切れる「環境依存」
部活には「卒業」という明確な期限があり、ジムには「費用」と「移動」という負担があり、フィットネスゲームには「クリア」や「飽き」という終わりがある。
どれも、その時点の自分には合っていた。けれど、「10年後の自分」まで連れていってくれる運動ではありませんでした。
唯一、続かない条件から外れていた運動
そんな中で、ひとつだけ、この条件から外れていたものがあります。
それが、「歩くこと」でした。
歩くのは無料です。
特別な道具も、着替えもいりません。
引っ越しても、転職しても、年を重ねても、生活から消えません。
そして何より、「終わり」がない。
同じ道を歩いていても、季節が変われば風景が変わる。
新しい建物ができ、店が生まれ、町の表情が少しずつ更新されていく。
歩かなければ気づかなかった小さな変化が、自然と積み重なっていきます。
今まで見たなかで一番やわらかいクリスマスツリー情報です🎄 pic.twitter.com/UaG5gibMMq
— 確率 (@oboyu) December 12, 2025
たべたら美味しそうなお花が売られていました pic.twitter.com/9TyBfLq85E
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構図が良すぎますが、こちらも実在する小道です pic.twitter.com/LtYztVxaLg
— 確率 (@oboyu) December 15, 2024
頑張らなくても、意識しなくても、生活の延長として続いていく。
そんな日々の中で、気づけばデータだけが静かに蓄積されていました。
そしてある日、何気なくログを見返していたとき、ひとつの傾向に気づいたのです。
よく歩いた翌日は、体脂肪率が下がっている!!!
その事実に気づいたとき、以前読んだ、サイエンスライター鈴木祐さんの著書『最高の体調』に書かれていた内容を思い出しました。
人間の身体は、サバンナを歩き回っていた狩猟採集民の時代から、ほとんど変わっていない。現代人の不調の多くは、そうした身体のつくりと、現代の生活環境とのズレから生まれている──。
そう考えると、私に必要だったのは、筋トレやランニングのような派手な運動ではなく、本来の人間の身体のつくりに合った、「歩くこと」だったのかもしれません。
実際、在宅勤務で通勤がなくなった当時の私の平均歩数は、厚生労働省が奨励する8000歩を大きく下回る、3000歩未満でした。ところが、ウォーキングを習慣にしてからは、平均歩数が1万歩を超えるようになり、じわじわ増え続けていた体脂肪率も、ようやく落ち着いていきました。
どんな運動も続かなかった私が、「歩くこと」だけは続いている。
それは、意志が強くなったからでも、根性がついたからでもありません。
歩くという行為が、お金も、準備も、気合もいらない、ただ身体のつくりに合った動きだった──それだけのことだったのだと思います。
続く理由は、都度考えないことだった
「歩く」という運動が、なぜここまで無理なく続いているのか。
あらためて振り返ってみると、その理由は拍子抜けするほど単純でした。
ポイントは、頑張らない仕組みが、最初からできあがっていたこと。
意志や気合に頼るのではなく、生活の流れの中に、習慣として組み込めていたからです。
実は私は、体調管理のために、次のような習慣を続けています。
・起床後、体組成計に乗る
・食後、食事を記録する
・終業後、1時間ほど歩く
・入浴後、ストレッチをする
どれも特別なことではありませんが、続いている理由は共通しています。
それは、次の3点をあらかじめ決めていたからでした。
1. いつやるかを決める
2. 何をするかを決める
3. 達成感を得る
1. いつやるかを決める
歩くことに関して言えば、「仕事を終えたら歩く」と決めただけです。
さらに、「毎日歩く」とあらかじめ決めてしまいました。
「毎日」と聞くと大変そうに感じますが、実際にはその逆でした。
やるか、やらないかを毎日判断しなくて済む分、気持ちはずっと楽になります。頻度を上げることで、行動は自然と自動化されていきました。
2. 何をするかを決める
続けるうえで意識したのは、「同じ行動」を繰り返すことです。
やる内容が決まっていれば、迷う必要がなくなり、行動は自然と習慣になります。
最初は、同じコースを歩くのがおすすめです。
判断が一切いらない分、「今日はどうしよう」と考える必要がなくなり、歩き始めるまでの心理的なハードルがぐっと下がります。
また、私の場合は、ウェアは普段着のまま、一番歩きやすい靴で歩くというスタイルが合っていました。
わざわざ着替えたり、きちんとした格好を整えたりしない。
歩き方も含めて、いい意味で「雑」に続けられる状態をつくることが、結果的に習慣化につながったと感じています。
「毎日歩くこと」が固定化できたら、そこから少しずつ変化を加えると、歩く時間そのものが楽しくなってきます。最近は、近くのスーパーではなく、あえて遠くのスーパーまで歩いて食材を買うなど、「歩くこと」と「用事」を一緒に済ませる工夫も取り入れています。
3. 達成感を得る
一日一万歩以上歩くなど、あらかじめ決めた基準を満たしたときに達成感が得られるのはもちろんですが、私にとっては「行動の記録」そのものが、大きな励みになっていました。
アプリに反映された歩数を見て、数字が少しずつ積み上がっていくのを眺めるだけでも、「今日も歩いたな」という小さな達成感があります。


それに加えて、歩いている時間そのものから得られることも、想像以上に多いことに気づきました。
いつもと違う道を歩くことで新しいお店を見つけたり、見たことのない植物に出会ったり。その植物をAIで調べて名前を知るだけでも、ちょっとした発見があります。
夕方に歩いていると、思わず立ち止まってしまうほど、綺麗な夕焼けに出会える日もあります。
面白いのは、そういう空を見かけると、自分だけでなく、周りの人も同じように空に向かってスマホを構えていることです。
綺麗な夕焼けでしたね pic.twitter.com/jZnGmEBwv8
— おぼゆ (@oboyu) December 31, 2024
富士山が見えたり、紅葉や夕焼けが綺麗だったりすると、人々がスマホやカメラでその様子を撮ろうする風景が結構好きなんですよね
— おぼゆ (@oboyu) December 1, 2024
「やっぱり撮りたくなりますよね」と、言葉を交わさなくても同じ感情を共有している気がして、思わずニコニコしてしまいます。
季節の変化に気づいたり、歩いているうちに頭の中が整理されたり、「今日一日をちゃんと終えた」と感じられたり。そうした小さな実感の積み重ねが、「また明日も歩こう」と思える理由になっていました。
運動が苦手な人にとっての最適解は、「頑張らないこと」だった
運動が苦手な人にとっての「最適解」は、必ずしも、筋トレやランニングのような、きつくて派手な運動ではありません。そう気づくまでに、私はずいぶん時間がかかりました。
むしろその逆で、頑張らなくてもできてしまうこと。
特別に意識しなくても、すでに生活の中にある動き。そこにこそ、続く運動のヒントがありました。
正直に言うと、私は長い間、「歩くこと」を運動だと思っていませんでした。
運動といえば、汗をかいて、息が上がって、「やった感」があるもの。はあはあ言いながら頑張ってこそ意味がある──そんなイメージを、どこかで強く持っていたのだと思います。
だから、歩くだけでは足りない気がしていました。これで本当に効果があるのか。運動したことになるのか。大変な思いをせずにできてしまう動きに、物足りなさを感じていたのです。
けれど、実際に続いたのは、その「物足りない」と感じていたはずの、歩くことでした。
理由は、とても単純です。
歩くことは、頑張らなくてもできてしまう。
準備もいらず、気合も不要で、「運動しよう」と構えなくても、「仕事が終わったから歩く」。それだけで、身体はちゃんと動いてくれました。
筋トレやランニングは、始める前に覚悟が必要でした。時間を確保し、ウェアに着替え、「今日はやるぞ」と自分を奮い立たせる必要があった。
一方で、歩くことには、その助走がありません。
気づけば、もう始まっている。だからこそ、続いたのだと思います。
人間はもともと、歩く生きものです。
サバンナを歩き回っていた狩猟採集民の時代から、身体のつくりはほとんど変わっていません。そう考えると、「歩く」という行為は、身体を保つ前提として、もともと組み込まれている動きなのだと思えました。
もちろん、筋トレやジム通い、ランニングのような、強度の高い運動が合う人もいます。それを楽しめる人は、それでいい。心地よく続けられる運動は、人それぞれ違うのだと思います。
ただ、体重を戻し、キープできている今の私にとって、大きく寄与しているのは、特別な運動ではなく、「歩く」という習慣でした。
運動が続かなかったのは、意志が弱かったからでも、努力が足りなかったからでもない。ただ、自分には合わないことを、無理に「運動」として選び続けていただけ──今は、そう思っています。
歩く習慣なら、50代、60代になっても続けていけそうと感じられたことも、私にとっては大きな意味がありました。
実は、体重をキープできている理由は、運動だけではありません。
食事との向き合い方も、確実に影響しています。
そして何より、歩くことで変わったのは、身体だけではありませんでした。
その話は、また別の機会に。
この「歩く」という習慣が、自分をどこまで連れていってくれるのか。
私自身、楽しみにしています。
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