映画『廃用身』――ケアマネが見てきた現場から考えること
2026年5月15日から映画『廃用身』が公開される。
原作は医師でもある久坂部羊氏。
2003年に発表されたときにも話題になったのは、内容がショッキングであること、そして医師が書いていることで真実味があったことだ。
ストーリーの出だしはこうだ。
――高齢化社会において”ある画期的な治療”がひそかに広まっていた。コスパの良い介護を目指すその治療方法は、従来の常識を覆すものだった――
この内容は、当時、介護福祉士であった私にとっても、身近で驚愕的なものであった。
私はこれまで、ケアマネジャーや医療相談員として、多くの方の最期に関わってきた。その中で感じているのは、延命や最期の選択に、正解はないということだ。
この記事では、実際の現場経験からの視点を交えて書いてみたい。
長生きが、そのまま幸せとは限らない。
私は介護福祉士として、何年も、チューブにつながれ、まぶたしか動かせないような状態の高齢者のケアをしてきた。
ケアをするとき、反応は無くても普通に挨拶をしたり声をかける。それはその方が生きているからだ。
けれど、その方が何を感じているのかは、誰にもわからない。
ケアマネジャー・医療相談員として現場に立っても、ご家族へ淡々と事実を伝えるしかできない。
医療的な説明は医師が行うが、聞いたところで判断できる人は少ないだろう。
誰も、本人の気持ちを確認できないからだ。
仮に確認できたとしても、それが「死」への選択ならば、すんなり同意できるだろうか。
ターミナル期に関わる中で、医師が点滴を止めようと提案する場面にも、何度も立ち会ってきた。
肉体が点滴を受け入れなくなると、溺れるような苦しさがあるのだそうだ。
けれど、それに同意するご家族は多くない。
「点滴を止めたら、とどめを刺すみたいで…」
あるご家族が、そう言ったことがある。
点滴を止めたくないと思うのも愛情だと思う。
大事な人がこの世を去るのを受け入れるのは難しい。
同時に、「止める」という判断を、自分が背負うことへの怖さでもあるのだろう。
本人の意思を確認できないまま選択を迫られたご家族のことを、以前書いたことがある。
▶話し合えたはずの時間
現状、「延命」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、胃ろうや人工呼吸器だろうか。
けれど実際には、さまざまな医療行為が、少しずつ命を延ばしていく。
そしてそれらは、「延命をしている」という実感のないまま、続いていくことも多い。
私個人としては、長生きよりもQOLを大切にしたいと考えている。
実際に、自分の主治医にもそう伝え同意を得ている。
けれど、では「どこで治療をやめるのか」と問われると、私も主治医も答えることができない。
数年前に手術を受けたことがある。
予定では1時間ほどの内容だったが、麻酔から覚めると6時間かかったと言われた。
事前に医師とも「QOLを優先する」という認識は共有していた。
それでも、途中で手術をやめるという選択は現実には存在しない。
現代の医療システムは、一度起動すれば「死」という停止ボタンを押すことが極めて難しいのだ。
だからこそ、こうした話は個人や家族だけのものでもない。
本来なら、人はもっと静かに、枯れるように逝けるはずなのだ。
原作者によれば、何もせず「乾いて死ぬ」のが一番苦しくないのだという。
けれど今の制度は、その「自然な幕引き」を阻んでしまう。
この、誰の手にも負えなくなった「止まれない医療」の積み重ねが、結果として社会保障費を押し上げ、現場のスタッフを疲弊させているという側面も、無視はできないと思う。
個人の選択の自由が、実は社会構造や制度の枠組みによって制約されている。制度がある以上、「気持ち」だけでは決めきれないこともあるのだ。
原作者は「死がもっと身近であれば」と語っている。
かつては三世代で暮らし、家の中で最期を迎えることも珍しくなかった。その頃、死は、日常の延長にあったのだと思う。
それこそ「畳の上で死にたい」というシチュエーションが実際にあっただろう。
子どもたちは、そこから「死」を学んでいたはずだ。
けれど今、死は多くの場合、病院の中にある。
私たちは、「そのとき」になるまで、死を具体的なものとして捉える機会が少ない。
だからこそ、いざ向き合う場面で、戸惑うのかもしれない。
人間である以上、
老い、衰え、やがて死ぬ。
人生の中で、唯一決まっていることは「死」だ。
これは、避けることのできないことだ。
けれど、多くの人は、若さや生に執着する。
だからこそ迷う。
延命をするのか。
どこまで医療を受けるのか。
「そのとき」になって、初めて考えることになる。
「死ぬな」と言うこと、「死なないでほしい」という愛情が、その人を苦しめてしまうこともある。だからといって、「やめる」と決めることもまた、簡単ではない。
死そのものへの問いについては、以前こんな記事を書いた。
▶死んだらどうなるのだろう――高野山奥の院で学んだこと
インタビューで、原作者はこう語っている。
「死ぬ時に後悔したくない。
そのためには、いつ死が来てもいいように生きることが大事だと思う。
老人になればいろいろな能力を失い体も弱るけれど、知恵がついてくる。
ゆっくり力、のんびり力、諦め力、そして受け入れ力。
それをポジティブに受け入れてほしい」
原作者の言葉に、頷くしかない。
介護の現場で見てきた、長生きと死をめぐるリアルはこちら。
生と死について、他にもこんな記事を書いています。
「どう生きるか」を一緒に考えたい方はこちら。
