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抒情について

雑誌『繭』創刊号は「形式を志向する反抒情文芸誌」を掲げた。その後「反抒情」は「循環的な歴史の運動からの脱出」のため棄却され、結社「繭」は「抒情をも含めた、あらゆる自覚的な方法意識を包摂する「形式」を志向する」こととなった。

雑誌『繭』が「反抒情」を掲げていたのは、本誌主宰の坂野徹夫本人が「反抒情」だからである。あるいは坂野は、自身を「マリオ」と自称さえしているが、これも「反抒情」の言い換えである。マリオは喋らず、さらに非常にトンチキな見た目をしている。要はマリオはエモくなく、馬鹿馬鹿しい。そして言葉はエモい。

対する俺は非常にエモ人間である。米津玄師とか、神聖かまってちゃんとか、andymoriとか、tetoとかを聴いて育ってきた。地下室タイムズや三秋縋を読み、鬱病みたいな顔をして、サブカルみたいな女性からモテを獲得してきた。しかしご覧のとおり、俺は結社「繭」の執行部の一員としてデカデカと名前が載っている。これは大いなる転倒であるように見えて、歴史意識に基づいた戦略的な判断であった。すなわち、俺にとって「エモい」とは、テン年代的な、もっと言えば、批評やロキノン系、深夜アニメを中心に花開いたゼロ年代文化の延長線上にあるタームだった。時代は令和であり政治の季節である。政治の季節にセックスの話をしても滑稽である。ゼロ年代に産まれ、「エモさ」のなかで育ったエモ人間の俺は、であるからこそ時代の終わりを敏感に察知していた。これからの時代は坂野徹夫であろう。その確信が俺を繭での活動に駆り立てた。

しかし「抒情」はやはり強敵だった。青松輝が言ったとおりである。雑誌『繭』アカウントで、記事機能を使って販促宣伝をしていた頃、俺の短歌について適当こいた記事が短歌界隈で炎上してしまったことがある。そこで青松輝(雑誌『繭』創刊号にも寄稿いただいている歌人にしてYoutuber、『ベテランち』と言った方が分かりやすいかもしれない)が、俺の適当さを嗜めつつ炎上を鎮火する、といったことをしてくれたのだが、青松は俺への反駁のなかで、「あなたが思っているより「抒情」は手強い敵ですよ、というか。」と発言していた。

とうぜん俺はこれについて同意するものではないが、一定の説得力について認めざるを得ない。ある「抒情」というベタから抜け出す運動は、それが成功した瞬間に新たなる「抒情」の形式として確立し、循環的な歴史の運動のなかに取り込まれてしまう。これを危惧して我々はあえて「反抒情」を棄却することでよりパフォーマティブに反抒情を実践することを目指したのだが、青松の反駁は、この一連の動きについて示唆を提供し得るだろう。そう、言葉はエモいのだ

つまり抒情とはこれである。非常に恥ずかしい文章だが、青松もこれが恥ずかしい文章であることくらい百も承知だろう。それでも青松はこれを書く。方法意識としての抒情。それが「炎上」であったとしても、青松はみずからの文章を耳目に触れさせることに成功している。方法意識としての抒情を徹底した青松はいまや、若者の共感を集める新進気鋭の現代歌人にして有名Youtuberである。俺は短歌も嗜まず、雷獣の動画も一本も観たことがないため青松/ベテランちについて語れる知見をほとんど持たないが、彼が「テクスチャー(直訳すれば手触りや質感。手触りは身体的な単語に属し、要はエモい)」などと唱えているのもある種の抒情に対する方法意識の徹底の表れであると言えるかもしれない。そして、あまりにも徹底された方法としての抒情は逆説的に反抒情へと傾斜していく、とも言えるかもしれない。

また、単色アイコンの興隆についても思うところがある。2020年代における単色アイコンの一潮流は御目症を始原として、湿度、芝川愀、駒木螢などへ展開を見せた。彼らは確実に時代の一側面を掴んでいるといえよう。そして彼らは明らかに「抒情」的人間である。「抒情」の牙城は2020年代にあってもうず高く、強大な敵であると言わざるを得ない。

俺は(非常に不名誉なこととして)先にあげた御目症、湿度、芝川、駒木の全員と面識がある。御目症と芝川は直接会ったことがある。湿度は直接会ったことこそ無いものの、手紙のやり取りをしたことがある。駒木も、俺がスペースを開くとよく来てくれる。そんな彼らと多少なりとも交流のある俺から見て、彼らは非常に素直である。ここで言う「素直」とは、一切虚言を吐かないということではない(むしろこの手の『素直』さは、ある種の虚飾と表裏一体かもしれない)。しかし、それでも彼らは素直なのだ。自分のみっともなさや辛さを隠蔽しようとせず、開けっぴろげに表出する。ツイートからだけでも伝わるかもしれないが、これは実際に彼らと話すとさらに真を持って迫ってくる。以前湿度くんと喋っていて驚いたのは、彼が本気で湘南乃風を嫌っており、湘南乃風を聴いているような女の子とは付き合えない、と宣言していたことだった。驚いて、サブカル的な自嘲の入ったジョークではないかと問い質してみても、そんな素振りは一切見せなかった。つまり湿度くんは本当に「湘南乃風を聴いている女」を嫌っているし、「バイト先の趣味ひとつないおばさん」を嫌っているのだ。この異様な素直さに鍵があると思う。

「文体」と「内容」というふたつの対立軸がある。大正の自然主義の初期においては文体と内容は不可分に結びついていたが、芥川龍之介の後期頃からふたつは分離していくようになる。昭和に入って、分離したふたつの前者は「新感覚派(=芥川賞)」へ、後者は「プロレタリア文学」へと流れ込んだ。すなわち政治の季節にあって文体と内容はそれぞれの方向で方法論的な先鋭化をしていったのである。対してこの構図それ自体に反駁したのが太宰治であった。太宰治は大正自然主義の愚直な後継者として「エモい」文学をやり続けて自殺未遂を繰り返し、しまいには「新感覚派」の牙城たる芥川賞から門前払いを食らった。しかし太宰は国民作家となった。川端でも、小林多喜二でもなく、太宰の『人間失格』こそが青年のバイブルとして定着したのだ。同じような構図が「繭」と芝川の間にある(というより坂野徹夫は芝川がのこのこと着いてきたZINEフェスの打ち上げにて同内容の講釈を垂れている)。雑誌『繭』は芝川を拒否した。というより正確には何度も寄稿を迫ってくるので、簿記三級合格(『形式』への意志)とその受験記で手を打とうとしたのだが前日に勉強を開始して当然のように落ちたらしく、載せることが叶わなかったのだ。そして芝川は『繭』に載れなかった恨み節をXに書き連ねるようになる。

我々はZINEフェスの打ち上げで、芝川に講釈を垂れ、『繭』に対抗したいならば歴史意識をもって雑誌をつくるのだとアドバイスした。そして、お前が抒情で雑誌を作ってくれたら非常に意義深いものになるだろう、それにあたって我々は支援はする、と約束した。芝川もやる気になっていた。しかしその後の顛末は見ての通りである。芝川は何か始めるまえから全てを投げ出して、街中で奇行を繰り返して警察の世話になり、気持ち悪いnoteを書き、気持ち悪いことを言い続けてフォロワーを伸ばしている。最近まで俺はそのことについて若干怒っていたのだが、違うのだ。芝川は正しいのだ。抒情とはパフォーマンスであり、歴史に、カタチに残らないからこそそれはエモいのだ。「反抒情」は形式、すなわち美本の完成を志向するが、「抒情」に形式は要らない。ただエモい顔をして嘆いていればいいのだ。それを芝川は感取したからこそ、雑誌の制作をやめたのだ、といまなら言える。そして、素直であればいいのだ。「エモい」が情動や感情に属するものであるならば、情動に対して素直であればあるほどエモいに決まっている。素直はエモい。そして、素直さを極めたような御目症さんや湿度くん、芝川が単色アイコンとしてアカウントを伸ばしているのは構造的に見れば当然のことなのだ。これで良かったのだ。

そして俺だって、抒情から逃れられていない。俺はさいきんnoteで短編を書いた。『春なんて来なければいい』、題名からして大森靖子の『呪いは水色』の引用だ。サブカル・セックス・鬱病みたいな、ありがちなエモい短編である。正直なことを言うと、いいね稼ぎのために反吐が出るような思いで書き上げたが、俺の思いとは裏腹に、湿度くんや芝川はそれがたいへんお気に召したようで、引用で賞賛をくれた。

我ながら、ほんとうにくだらない短編だ。ありがちな曲、ありがちなコンテンツ、ありがちなシーン、ありがちなくるしみのパッチワークで彩られたベタな小説。それでも認めざるを得ないこととして俺はそういうありがちなエモいコンテンツが大好きで、馬鹿にしながらも愛さざるを得ないから書いているということだ。俺はエモいやつが大好きで、実存的な要求として、反吐が出る思いをしながらそれでも書かざるを得なくて、抒情からは逃れられていないのだ。これを引き受けることではじめて真の反抒情が可能となるだろう。

ともあれ我々は『繭』創刊号によってひとつの輝ける到達点に到達した。反抒情を打ち出した『繭』創刊号は、発刊から2ヶ月あまりで既に初版部数の800部がほとんど捌けそうな段階に来ている。それでもこうした「抒情」が強敵であり続けるなかで金字塔を打ち立て続けるには、「反抒情」を強情に主張し続けるのではなく、「抒情」をも包摂した方法意識を探る必要がある。そのことによって我々の永続的な勝利が可能となるだろう。

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