【短編】再出発 No.04
一つ前の話
智美の生い立ち
智美には家族がいない。赤ん坊の頃「智美」と書いたメモと共に病院の前に放置されていたそうだ。職員の目に留まり、かろうじてその幼い命が繋がり、施設で育てられていった。まっすぐで優しい性格で自分の両親はいないと分かった時でも、施設にいる智美よりも年下の子供たちのことを思って平気な振る舞いをしていたほどの優しい性格の持ち主だった。そんな智美が自分のお腹の子を犠牲にしてまで自分の命を繋ごうとは絶対に思わないだろうと裕一は確信していたのだった。それだけに、何もできない自分が悔しかった。
そして、一週間があっけなく過ぎた。数日前から智美は昏睡状態に陥り、お腹の赤ちゃんの心音も弱々しくなっていた。何より智美のお腹の中で正常に育つことがすでにできなくなっていたようだった。しばらくすると、まだ生まれていないこの小さな命は、お母さんを楽にしてあげたいと思ったのか、お腹の中の赤ちゃんの心臓は動くことを止め静かになっていった。そのことを智美は察するかのように口元が微笑んだように見え、一瞬だけ意識を取り戻した。そして最後の言葉を発した。
「あ、ありがとう。あなた、ごめんなさい、奇跡は起こせなかったみたい」
無常にも智美の脈を示しているディスプレィは波打つことを止め直線だけの表示になり、無機質な電子音を鳴らし続けた。裕一はただただ智美のそばに立ち尽くすことしかできなかった。
「午後三時五十五分、ご臨終です」抑揚のない医師の声が病室に虚しく響き渡った。医師たちは病室から出ていき、病室内には裕一と智美の二人だけになった。裕一はそっと智美を抱き起こしてしっかりと抱きしめた。智美の体はとても軽く、まだ暖かさを感じられた。裕一は目を覚ましてくれることを祈りながら抱きしめていた。時間だけが虚しくすぎていく。病院側も事務手続きがあるようだったが、しばらくはそっとしておいてあげようという配慮があったようだ。
だがそれも永遠に続くわけではない。実家の両親への報告や葬儀の手配、遺体の移動などの事務的な作業が津波のように押し寄せて来た。静かに智美との最後の時間を過ごすことさえままならないくらいだった。葬儀の手配やら連絡などの事務作業に追い立てられ、悲しみに浸る時間がほとんどない日々を裕一は過ごした。職場の同僚も駆けつけ手伝ってくれたが、辛そうな裕一の顔を見ると手伝いに来てくれたみんなは声をかけることもできず、静かに動き回るだけだった。そして、みんなが帰り一人になった時、裕一は津波のように襲いかかる寂しさと悲しみを感じ始めていた。目の前に横たわる智美の体には無情にもドライアイスが隠されている。全く動くことのない智美の顔を裕一はじっと見つめていた。気のせいか少し微笑んだようにも見えた。そして何とか通夜も終わり、葬儀まで終えることができ、遺骨の入った骨壷をアパートに持って帰って来た。裕一は疲れ果てて食事も満足に摂っていなかったが、空腹は感じていない。
「もう、智美はいないんだな。俺は一人になってしまったんだ。楽しかった北海道の生活ってなんだったんだろう。何だかどうでもよくなってしまったな。智美のそばに行きたいなぁ」
一人で缶ビールを開けそのまま一気に飲み干した。もともとそれほど強いわけではない。少しだけアルコールの力を借りたかった。智美の写真をじっと見つめながら、裕一は線香をあげ両手を合わせた。四十九日が過ぎるまでは北海道にいてあげないといけないなと内心思いながら。
つづく
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