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『耳をすませば』と僕の20年


「好きなひとが、できました。」

糸井重里氏が手掛けた『耳をすませば』の名キャッチコピー。


先日、金曜ロードショーで放送された『耳すま』。
劇場公開されたのは1995年。今から31年前のこと。

当時、僕は2歳だったので、初めて見たのは中学生になってから。
それ以降、何度も見ているが、それでも見てしまう。


書きたいことは色々とあるが、今回はひとまず『耳をすませば』と僕の思い出について、振り返っていこうと思う。


(”ひとまず”のつもりが4000字を超える長文になってしまいました。以下の目次から気になるところだけでも、よろしければ)




『カントリー・ロード』を知った小学生


僕が『耳をすませば』を知ったのは、21世紀になったばかりの小学校中学年の頃。

学校で幼馴染の女子が『カントリー・ロード』を歌っており、ジブリ作品『耳をすませば』内で使われていることを教えてくれた。

その話を母にしたところ、原曲は外国の女性歌手ということも分かった。

この時点で、僕にとっての『耳すま』は「『カントリー・ロード』を歌う映画」という認識でしかなかった。


存在を知って以降、金曜ロードショーでも何度か放送していたはずだが、小学生の僕はあまり興味を持てなかった。


当時の僕にとって、ジブリ作品といえば『トトロ』や『魔女の宅急便』といったファンタジー要素のある作品。

『耳すま』がどんな内容かも分からず、あえて見ようとは思わずにいた。

『耳すま』の翌週に放送されたのは『魔女の宅急便』



中学生、初めて『耳すま』を見る


時は流れ、2006年3月。
僕が中学一年生の時に金曜ロードショーで『耳すま』が放送された。

小学生の時から変わらず、『耳すま』に対する知識は全くなかったが、どうやら中学生の恋物語らしいという情報を入手。

『カントリー・ロード』と同世代の恋物語はどうつながるのだろうと気になり録画。


なんて純粋で瑞々しい話なんだ…と雫と聖司の関係に胸がときめいた。そして、杉村を励ましたくなった。

雫が自身のことを「優しくて素直だった子なのに」と落ち込むシーンを見て、「あんた、それ以上、純粋になってどうするのさ」と心の中でつっこんだのを覚えている。

野球部の杉村
”いいやつ”感に溢れている
杉村とは対照的で一見クールな天沢聖司
声優を務めたのは若き日の高橋一生


ほぼ唯一の事前情報だった『カントリー・ロード』は聖司たちの演奏で雫が歌い、非常に印象的なシーンであった。

図書館でサントラを借り、MDにダビング。
自宅のコンポやポータブルプレイヤーで『カントリー・ロード』を繰り返し聴いた。

『カントリー・ロード』をセッションする名シーン


余談だが、『耳すま』を見たことを部活の友人に伝えたところ、「あいつら”上げパン”じゃね?」と返答があった。たしかに。

今から20年前。
まだまだ「腰パン」が制服の着こなしだった頃。

そんな時代だからこそ、雫を取り巻く純粋なラブストーリーはより輝いて見えたのかもしれない。



恋愛に無縁すぎた中学生


雫と聖司の関係に憧れるものもあったが、それすら烏滸がましいほど、恋愛と無縁な学生生活を送っていた。


異性を意識し、付き合い始める中学時代。

モテない自分をよそに、僕の周りの人は男女問わず、しっかりと交際していた。
相関図を作ったならば、僕には矢印向くことも、出ることもない状態。


僕にとっては幼いころからの変わらぬ日常だが、その事実を”いじり”の名の下、指摘されるのが辛かった。特に女子から。

「この中で彼氏・彼女がいないのがお前だけ」というお晒し案件。
「かっこいい〇〇を見習え」「肌を綺麗にしろ」といった、ありがたい現場の声。


当時の僕には”いじり”として処理する器のでかさも、心の余裕もなかった。
傷つくだけ傷つき、リアルな意見を反映させずに生活を続けていた。


そんな状況だったので、好きな人と結ばれるなんて、夢のまた夢。


それでも、純粋に相手を想い、夢を追いかける物語は甚く響いた。

中学生の僕にとっての『耳をすませば』は、辛い現実とは違った、あこがれの夢物語であった。

屋上の雫と聖司
自分の学校は屋上は出入り禁止だったからこそ、あこがれる



高校生、辛い部活を支えてくれた


振り返ってみると、『耳すま』を一番見ていたのは高校生の時だったと思う。

当時の僕は部活に打ち込んでいたが、コンプラ度外視の先輩に悩まされていた。



生徒主体の運営への憧れもあり、高校入学後も中学生の時に始めた吹奏楽を続けていた。

「上手くなりたい、認めて欲しい」
「同級生にも演奏を聴きに来て欲しい」

先輩の”かわいがり”を受け流しながら、目標を諦めず、実現の方法を探していた。


「失ってしまった純粋な気持ちを取り戻したい」

冗談半分でそんなことを言いながら、近隣の図書館でDVDを借り、ノートPCで『耳すま』を見ていた。


画面の中の二人は純粋に思い合ってるのに、現実の僕は高校生になっても新たな試練が続く日々。

恋愛と縁がないのは相変わらずで、先輩から”かわいがられる”ほど自信は失せていった。

これが青春なのか…?

理想と現実のギャップよ…
※交通ルールは守ろうね


当時は純粋な青春への憧れから、『耳すま』を見ている気でいた。

しかし、改めて振り返ると、自分が部活を続けるため。
そして、目標を見失わないために『耳すま」を見ていたことに気づかされる。

雫が小説を書き、聖司がバイオリン職人を目指す姿を見て、せめて自分も続ける選択をしたい。

先輩の存在に怯えながらも、食らいつこうとしてたあの頃。
心はとっくに折れていたが、現実逃避をしながら、毎日もがいていた。


高校生になり、劇中の二人の年齢を超えた当時の僕。
止まらず進み続ける時間の中で、自分に何をできるのか必死に探していた。


映画館で初めて『耳すま』を見る


今の職場に就職した10年ほど前。
一人暮らしの物件を探している時、線路をまたぐ小さな道路から、遠くに新宿の高層ビル群が見えた。


「『耳すま』みたいだ」

そう静かに思った僕は、この街で暮らすことを決めた。
今は引っ越してしまったが、20代の半分以上を過ごした思い出の街だ。

遠くに新宿のビル群とわずかにスカイツリーも見える
写真中央にある道から眺めた


更に時が流れた、数年前。
近隣の映画館で『耳すま』が再上映される機会に恵まれた。

まさか、映画館で上映される日が来るなんて…。
不安にも似た高揚感を抱えながら映画館へと向かった。

満員の劇場で「Take Me Home, Country Roads」が流れ、スクリーンには『耳をすませば』の文字が映し出される。

もう泣きそうだ。いや、泣いた。


この感動を見知らぬ大勢の方々と共有している。
その事実を静かに受け止めた。
生きていると何があるか分からない。


その2日後。興奮冷めやまぬ中、僕は再び映画館へと足をのばした。


15年越しの聖地巡礼へ――今、飛び込む勇気


初めて聖地巡礼に向かったのも、この頃。

高校生の時に「耳すまの舞台は『聖蹟桜ヶ丘』という場所らしい」と知った。

大人になってから、何度か行ったことはあったが、別件の用事があり、聖地巡礼には至らなかった。

正直なところ、実際に足を運ぶと、夢が醒めてしまうような気もしていた。

あのシーンのモデルになった(っぽい)神社
神社に青春のかほりがしてしまうのは、耳すまのせい?
「聖蹟桜ヶ丘」駅がモデル
まだ自動改札と有人改札が入り混じっていた時代



『聖蹟桜ヶ丘』の駅に降り立つと、『カントリー・ロード』の発車メロディが聞こえる。

映画に出てきた坂を上り、丘の上から街を見渡す。
自然と住宅地が同居する美しい街並み。

どこかに雫と聖司がいるような気がする。


やっと『耳すま』の聖地に来れた。
何だか、これまでの時間が報われたような気すらする。

大袈裟なようだが、生きていて良かった。

写真を沢山撮ったつもりだが、あまり残っていなかった


ただ、地球屋のモデルになった(らしい)喫茶店は10年以上前に閉店してしまったそうだ。時の流れは止められない。

街は変わり、形あるものもなくなってしまう。
それでも、映画を見て感じた、その時々の感情を大切にしていきたい。


ロータリーにある地球屋
地球屋があるロータリーのモデル(になったらしい)


テスト勉強そっちのけで小説を書き、成績を落とした雫を見て「それはまずいだろ」とかつての僕は思っていた。

それでも「いつか」と思っているうちに時は過ぎる。
聖地巡礼に至るまで、15年近い月日が流れ、僕も30才になってしまった。

体力も時間も無くなる中で、何を選択するか。
帰りの京王線に揺られながら、静かに考えていた。

ピンボケしているが、趣のあるホテル
調べたところ、今年に入りHPができていた



続く道、つながる世界


初めて『耳をすませば』を見てから20年。

年齢やタイミングによって、受け止め方が違っていたことに、改めて気づかされる。


ヒコさんのポストを引用するが、本当にOPが良い。
中高生の時には全く気づけずにいた。

高層ビルが立ち並ぶ都心、雫が暮らす郊外の聖蹟桜ヶ丘。
雫のまわりの小さな世界の先、まだ見知らぬ広い世界がつながっている。

地球屋から聖蹟桜ヶ丘を見る
当時はまだかなり畑が多い印象



耳すまを初めて見た中学生の頃。
僕にとっても小さな世界が全てだった。

一歩踏み出したっ先に、世界が広がっていることを分かっているつもりでも、小さな世界のに一喜一憂する毎日。

上手くいかないことがあれば、世界の終わりのような気がしていた。

多摩川に反射する朝陽
名シーン…好きだ!


聖蹟桜ヶ丘に足を運んだ日。
多摩丘陵から見た広がる街並みと、遠くへと続く京王線を見た。

かつてが僕は悩んでいた狭い教室も、この風景とつながっているのだろう。

かつての僕の外に世界は広がっていた。
あの時と地続きに、今の僕が存在している。


耳をすませば


耳をすませば、何が聞こえるか。

辛辣な意見に傷ついたり、部活を頑張っていた、かつての自分の声。今の自分は何をしたいか。

現在、過去、未来。
あのころの自分が今に繋がり、そして未来を作る。


きっと、これからも『耳すま』は僕を支えてくれる。
さらに年齢を重ねた時、どんな感想を抱くだろうか。

地球屋のご主人ほどの年齢になった時、できるだけ後悔せずに生きていければ。


実りある未来のため、これからも心の声に耳をすまして。


*本記事内で使用した場面写真はジブリ公式より「常識の範囲での使用」が許可されたものになります。




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