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名護屋城 陣屋編(日本100名城)

2026年2月、佐賀県唐津市の「名護屋城(なごやじょう)」に登城しました。名護屋城を思いっきり堪能した後は、無限に広がる陣屋軍団に挑みます。

名護屋城の陣屋(陣跡)は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際し、全国から集結した戦国大名たちが拠点として築いた仮設の建物城郭群です。

名護屋城を中心とした半径約3kmの範囲に、150〜160ヵ所もの陣屋が築かれました。多くの陣屋は、仮設建造物ではなく、石垣、堀、庭園、茶室などを備えた本格的な城郭構造でした。

現地に布陣した人数は、1万石辺り300~500名のノルマであったようですが、近場の九州大名や毛利一門が多くなっています。また、上杉・伊達のように遠方から参陣して、少人数で渡海した大名は怖かったでしょうね。

懐かしい信長の野望

各大名の動員した人数と石高についての推定値です。各年次により人数の変動があったと思われます。

石高(万石)動員数(人)役割・備考
1.徳川家康 240  15,000 宿老(名護屋滞在)
   ※30,000説あり
2.前田利家  44  8,000 宿老(名護屋滞在)
3.毛利輝元 112 30,000 渡海(主力)
   ※一族・家臣団を含む最大規模
4.宇喜多秀家  57 10,000 渡海(総大将)
  ※秀長さんが健在なら総大将でしたね!
5.上杉景勝   91   5,000(名護屋滞在/渡海)
6.伊達政宗   58   3,000(名護屋滞在/渡海)
7.小早川隆景  37 10,000 渡海(第六軍)
8.加藤清正   25 10,000 渡海(第二軍)
9.小西行長   20   7,000 渡海(第一軍)
10.島津義弘 57 10,000 渡海(第四軍)
11.黒田長政 12   5,000 渡海(第三軍)
12.長宗我部元親 22 3,000 渡海
13.福島正則 11   4,800 渡海(第五軍)
14.大谷吉継   5   1,200 船奉行 
15.石田三成 19   2,000 軍監(渡海)
16.浅野幸長 16   3,000 渡海
17.蜂須賀家政  17 7,200 渡海
18.細川忠興 11   3,500 渡海
19.鍋島直茂 35 12,000 渡海
20.立花宗茂 13   2,500 渡海

21.豊臣秀保  100    10,000(名護屋滞在)
  ※大和中納言・豊臣秀長公ご子息
22.古田織部   3 150~300(後備衆・茶道)
  ※千利休の高弟(利休七哲の筆頭)

名護屋城の近くに「前田利家(まえだとしいえ)」「木下延俊(きのしたのぶとし)」「古田織部(ふるたおりべ)」「堀秀治(ほりひではる)」「豊臣秀保(とよとみひでやす)」など譜代直臣大名や親族が並んでいます。

かたや、「伊達政宗」や「島津義弘」「毛利輝元」などの外様大名は、かなり遠くに配置されているようです。分かりやすいですよ、秀吉さん。

パンフレット

名護屋城博物館の隣に、「木下延俊(きのしたのぶとし)」の陣屋跡が復元されています。博物館から直接行けますので、展示を見た後に突撃します。

かなりの高低差があります

木下延俊は、秀吉さんの正室「高台院(北政所・ねね)」の兄である「木下家定(きのしたいえさだ)」の子で義理の甥にあたりました。親族の少なかった秀吉さんやねねさんに、弟の「小早川秀秋(こばやかわひであき)」と共にかわいがられたそうです。

しっかり整備されています

庭園と茶室を中心に建てられている陣屋です。石垣もあったようですが、他の陣屋と比べると「わびさび」特化型のようです。

見せるためのトイレ
精巧なジオラマ

話がそれますが、名護屋城を後にして最初の陣屋「徳川家康陣跡」に向かう途中(12:30)電話が鳴りました。胸騒ぎのなか安全な場所に車を停めて出ると、電話は社員旅行で別行動している番頭格の兄者からでした。

私:「お疲れ様です。中州の朝呑み盛り上がってますか~⁈」
兄者:「単刀直入に言います。羽田の雪の影響で私達(6名)が乗る予定のフライト(16:30)が欠航になりました。」
私:「・・・・・・・・・・・・な、なんと」
兄者:「今ばらばらですので博多駅に集合させています。空港へ移動して他のフライトに変更できるか交渉して、ダメなら博多駅から新幹線で戻ります。よろしいですか?」
私:「・・・・・はい。ありがとうございます。」
兄者:「礼はいりません。20:00のフライトは未定の状態です。ご武運を。」ガチャ
私:「(あいかわらず、仕事できる人だな~、酔ってるのにな~)」

旅行の目的地を福岡に決める際に、社長から当日中の帰京を厳命されていました。それに衆院選当日(期日前投票済)で、明日は超絶忙しくなるのが確定しています。
晴れ空のもと心に暗雲が広がって行きます~20:00のあたし

閑話休題(かんわきゅうだい)
「徳川家康陣跡」をダッシュで見学します。

案内板・信長の野望バージョン
「肥前名護屋城ー幻の巨大都市ー」特別企画展図録より引用

家康さんは、対岸の呼子地区「歳浦」に着陣しましたが、その後、名護屋城西側に陣を移し、呼子地区の陣は別陣としました。隣接する前田利家の家臣との間で水をめぐって争いが起き、伊達政宗の仲裁で家康さんの陣替えがなされたと考えられています。

石垣見るの忘れてました~

陣替えがなされた後も、主に本人と重臣たちは竹ノ丸の本陣に移動し、軍勢の多くが呼子地区の別陣に留まりました。名護屋浦を挟むように配置された本陣と別陣はまさに戦略上の要衝です。

目の前に名護屋城
「肥前名護屋城ー幻の巨大都市ー」特別企画展図録より引用

発掘調査の結果、要所を石垣で構築していることや、その外側に堀を巡らせているなど、堅固な構えをしていたことが明らかになりました。

「肥前名護屋城ー幻の巨大都市ー」特別企画展図録より引用
竹ノ丸陣跡の石碑

てことで、続きの陣屋巡りをあきらめて空港へ向かいます。

陣屋想定ルート:徳川(ここ)→前田(道の駅)→古織(ひょうげもの)→堀(遺構最高)→豊臣秀保(巨大・海岸線)あ~

古織さん、三連鏡石がステキ
大和中納言、ほぼお城ですね

名護屋城、本当に楽しかったです。陣屋に後ろ髪を引かれながら、再訪を心に誓って東へ向かいます。

長文お読みいただき、本当にありがとうございました。

おまけ
次回、番外編「明日はどっちだ⁈」に続きます!

20:00のフライト、18:30現在「未定」


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