音楽の世界はキラキラしていなくていい|なぜ芸術は難しいのか
26/3/23追記:さらに思ったこと↓
26/1/11追記:この記事の続きのようなもの↓
数学や物理学を「感覚でやろう!」とは全く思わないのに、なぜ音楽は感覚でできると思っていたのだろう? 実際は数学や物理と同じ性質なのに。
ということを最近思ったので、そんなようなことを書きます。
つまり僕には音楽の才能がない
ということなのだろうなぁと。
たびたび挙げていますが、僕の一番好きな音楽(あらゆるジャンルを含む)に「ロストマン」というものがあって。
これ、歌詞もメロディも構成も、すべてが究極の芸術であると常々感じます。初めてこの曲に出会った時の圧倒的な感動と鳥肌はいつも鮮明に覚えていますし、日々生きて歳を重ねる中で、いつだって新しい発見がある。
藤原基央さん(恐れ多いので"藤くん"とは僕は呼べない)はおそらく和声や対位法を本格的に学んだことはないはずです。
なのに、この神曲を生み出した。生み出してしまった。
当然だけど、僕なんかが絶対に敵わうわけないよなこれ、というのはやっぱりどう考えてもどう見てもそうだなぁそうなのだなぁと改めて痛感します。
……いや多少比べてたんかいっていうね。そうなんです。
なぜか僕は比べてしまっていた。まぁそういう性格というのは知ってるのでいいです。
で。
音楽の何が不思議、そして心底大嫌いで好きかって、何も学ばなくてもできる人はどこまでもできるし、できない人は学んだからといって神曲を書くことができるのかと言われればそうではないところです。
「理論を学んだら作曲家になれるわけじゃない。勉強すればできるなら誰もが作曲家になれている」というのは僕の先生がいつも言われていることだし、実際そうだと思う。
僕は何も学ばずに曲を書けるのか……一応形にはなります。情熱があれば、とりあえず勢いで完成させることはできます。
しかしそれはとても歪で、”美しい”ものではないかもしれない。とりあえず、クラシック音楽にはなりません。ロックやメタル、パンクという名前(で誤魔化すことができる)。ちなみに僕はロックンロールが音楽として一番好きですし、最も「美しい」と思っています。
そう、入試の時、とある先生が「音楽は理論!」と言われていたのを今ふと思い出しました。それに当時の僕は結構反発して、反論してた。「いや、情熱ですよね?」と。
で、いま思ったことがある。
情熱ってなんだろう
ここに書いた「情熱」というのは、なんであったって必要なものについて言っています。
音楽に限った話ではなく、すべてのもので各人が持つものなわけじゃないですか。いや、パッションを持つことを強制はしたくないけれど、あったほうが人生は楽しくなってくると思っているので、とりあえず情熱は必要であるとしておきます。
その上で、各人がその熱い思いを原動力にして、勉強や研究、創作や仕事をするという話。
つまり情熱とはあくまでも駆動に必要なエネルギー、ガソリン、電気、運動エネルギー位置エネルギー、なんでもいいけどそういうもなのであって、ただその燃料を持っているだけじゃどうもならん、という。
……いや、これめっちゃ当たり前のこと言ってるなぁと自分で思います。
しかしそれは今だからそう思うことができているのであって、これを書く前の僕は気がついていなかった。そうやって成長するのはとても大切なことだ!
で。
情熱さえあれば作曲はできる、音楽はできる、って僕は思っていたのですね。
どうしてだったっけ。多分きっと、「音楽は芸術。芸術は爆発だからできる!」みたいなことを考えていた、いや信念のように抱えていたのでしょう。
これは間違いだったとか、他の方法があったとかそういうことを言うのではありません。
むしろ間違いであり、他の方法があってほしかった。
どうも僕は、その情熱をうまく音に変換することができないっぽいことに気がついて。気がついてしまったとは言いたくない。
どんなことであっても、気づきは次なる自分へと確かに導いてくれるものだから。
そう、つまり音楽の才能というのは、その情熱を音へと生まれ変わらせる変換効率のことを指すのではないかなぁというわけです。
それが高ければ高いほどミュージシャンとして活躍することが容易になっていき、反対も然り。
僕は音楽の変換効率が悪いんだろうなぁと。そういうわけですね。
……とんでもなくめちゃくちゃに悔しいので他のことを書いておくと、言葉の変換効率は高そうだな、と自分で感じています。
何度も書き直しはもちろんするものの、考えていることがそのまま指先から文字となって画面に出てくる。音楽よりは明らかに適性あるだろこれ、というのを日々感じてます。
大丈夫かな自分の人生。
才能がないから、勉強をする
というわけで、作曲の才能がないっぽいので地道に理論で固めていくことにしました。
音楽では、感覚より勉強と理屈。それが自分には向いていて、そうして初めて自分がいきてくる。
ようやく気がついた。
ちょっと前までの僕は、音楽理論が心底嫌いでした。憎んで憎んで恨んでいた。
音楽はどこまでも自由だと思っていたから、自分の感情のままに踊って羽ばたいていいものだと思っていたから。外の世界は窮屈で息ができなかったから。
だからこそ、音楽という場に無限の開放を求めていた。
それなのに!! 連続五度とかの禁則、禁則、禁則。
自由に音を繋げたら、はいダメー、ダメー、ダメー。
……
…………
は?????? もういいわ
って、なってました。
そうやって自由が奪われたことに加えて、「音楽を感覚でやれる! 俺はできる!」って信じて、思い込んでいたからこそ和声とか音楽理論に反発したかったのだと思うし、めちゃくちゃ抵抗感があったのでしょう。
それに、「音楽は感覚でいけるから勉強する必要なくて楽だな」と、そんなようなことをどこかで期待していたのもまた事実です。
これはまぁ、ひどい。
勉強をすることからただ逃げていただけ。
「良い音楽を作りたい」という最も大切であるべき気持ちはどこにもなくて、”感覚”という全くつかみどころのない漠然としたものに謎の根拠を感じ、縋っていた。
いや、感覚を否定したくはありませんし、否定するつもりでこれを書いているのではないです。各人それぞれの持つ感性があるからこそどこまでも独自性豊かな作品が生まれてくるわけで、そこを無くしたら芸術は芸術と言えなくなる気がしています。
がしかし、やっぱりどうしても勉強は要るのです。ガチろうとしたら、音楽はかなり手強い学問であり高度に知性を要求される。
自然現象を感覚で理解しようとはせずに物理学の知識を用いるのに、なぜ音楽は理論を用いず感覚で理解しようとしていたのだろうか? 便利なツールがあるのに。
そして最後に、大好きなロックは、今いる天才を超えるものが僕にはないからどうにもならない。
これに、三年弱(昔ピアノだけやってた頃も含めたら9年)かけてようやく気がついたんですよ。
……遅すぎてもうなんも言えない。
まぁ、十歩進んで九歩下がる的な生き方をいつもしているので、これもそうであったといえば自分らしくていいねっ! とは思えるので、そういうことにしておきます。
一応、こういう生き方にはメリットもあるのですよ(若干苦し紛れ)。
最速最短で全ての物事をこなしたいという気持ちはものすごくわかる、というのは僕がそういう性格だからというわけなのですけど、しかしあらゆることに猪突猛進で壁にぶつかりまくりながら隅々まで見ることで、自分だけの感覚で理解することができるようになる圧倒的な強さも捨てることはできません。
なぜ芸術は難しいのか?
「芸術は難しいからだ」で終わらせる人が多いからそう感じるのかもしれませんが、最近思ったのは、まさにここまで書いてきたように「掴みどころがよく分からないが故に謎の独自感で解釈してしまいがちだから」ということです。
僕の場合では、作曲は難関な学問であり自然科学とほぼ同じことを全く理解していなかったことにまずは起因します。
それに、芸術をライフワークとして取り組んでいる人口はきっと少ないはずであり、そういうデータベースの少なさも難しさに本質でない拍車をかけてしまっているように思える。
芸術、と言ってもここまでは音楽(作曲)について書いてきましたが、例えば他の分野では、絵は、どうなのでしょう。
全く分からないので余計なことは言わないようにしたいですが、きっと、何かしらの理論や方法論はあると思います。人物を描く時にはここをこうする、みたいな。
やばい、何も言えてない。
……
とりあえず! 今はこうして、作曲は学問でありそれにあった対策をしようと思うことができているのでオッケーとします。
才能という、ばかデカい(サンクコスト)バイアス
僕には一応、絶対音感があります。そしてこれまで、それがめちゃくちゃすごいことだと思っていました。
なので今は思っていないということです。
ほんとに。まじで、なんも大したことがない。
音大に来たらただの標準装備でしかなかったことがよくわかります。
「音が分かるからなんなのか」としか思わなくなった。
僕の作曲への圧倒的な誤解は、「俺は音がわかるからいける」という壮大かつよくわからん勘違いから全てが始まったんじゃないだろうか、と。
仮にそれが才能なのだとして、そこに固執する。役に立ちそうだと縋り付く。
果たしてそのことに一体どれだけの意味があるのだろうか?
ないだろう。
……ってことです。
そうだ、「これまで『ピアノが特技で趣味』って言ってきたけど、音大に来たら当然すぎて個性を失った」と言っている人がいて、なるほどなぁと深く頷きました。
最後に
もっと早く、勉強の面白さに気がつけていればな、と思います。
しかし今こうして気がついたのだから、これからやればいいだけ。
今年は、感覚で音楽をやることの限界をハッキリと認識した年だったと言えるのかもしれません。
ちょびちょびかいつまんで学んだ気になって俺すげぇ! と作曲することの愚かさを、一年弱かけてようやく気がつくことができた。
もがいてもがいてもがいたから、わかったのです。
だから改めて、感覚だけで最高の音楽をつくれる人というのは本当に真の天才なのだと。まじで。それ以外の言葉で説明することが僕にはできません。
今回、というかここまでの道のりを経て、僕は音楽の天才ではなかったんだなぁといういや初めからそりゃそうでしょってなってはいたけれどしかしずっと目を背けてきたことをようやく正面から受け止めたよ、ということでした。
音楽のおかげでようやく気がつけた。

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(´・ω・)つ旦