保育園に預けるのは、かわいそうなのでしょうか???
こんにちは。
私は小児の理学療法士をしているアラサーです。
今回は保育園にちなんだ記事を書いてみようと思います。
保育園に預けるのは、かわいそうなのでしょうか。
私はこの言葉を、何回も心の中でつぶやきました。
誰かに面と向かって言ったわけではないです。
でも、朝の保育園の前で子どもを先生に渡したあと、車に戻ってひとりになった瞬間とか、仕事へ向かう道の途中とか、お迎えのあと寝顔を見ているときとか、そういうときにふっと出てきました。
保育園に預けるって、もっと事務的なことだと思っていました。
何時までに着いて、荷物を置いて、先生にお願いしますって言って、仕事に行く。
やることだけ書けば、それだけです。
でも実際は、そんなにきれいにいきませんでした。
朝、家を出る前から、なんとなく空気でわかる日があります。
今日は機嫌があまりよくないな、とか。
玄関で靴を履かせる時点で、もう抱っこが強いな、とか。
保育園の門が見えたあたりから、体がぴたっとこちらにくっついてきて、先生の顔を見た瞬間に「いや」が始まる日もあります。
あの、小さい手で服をぎゅっとつかまれる感じ。
私が離れようとすると、泣き声の温度がひとつ上がる感じ。
あれは、何回経験しても慣れるものではありませんでした。
先生に「大丈夫ですよ、少ししたら遊べますからね」と言ってもらって、頭では「そうなんだろうな」とわかっていても、気持ちは別でした。
預けたあと、すぐに切り替えて仕事モードになれる日ばかりではありません。
正直、車に乗ってもしばらく発進できない日がありました。
これでよかったのかな、と考えてしまって。
泣いているあの子を置いてきたみたいな気持ちになってしまって。
たぶん私は、保育園に預けることそのものより、
泣いている子どもを見て、それでも離れる自分
に耐えられなかったのだと思います。
ちゃんと育てたいだけなのに。
ちゃんと生活したいだけなのに。
仕事に行くことも、家計を回すことも、暮らしを守ることも、別に悪いことではないはずなのに。
それなのに、泣かれると一気に自信がなくなりました。
「こんなに小さいのに」
「本当はまだ一緒にいたほうがいいのかな」
「私が働きたいから預けているのかな」
そんなふうに、自分で自分を責める言葉がどんどん出てきます。
たぶん、同じように思ったことがある人は少なくないと思います。
保育園に預けることへの迷いって、制度の話でも、正論の話でもなくて、もっと胸の近くにある話です。
子どもを大事に思っているからこそ、簡単に割り切れないのだと思います。
でも、預ける日々を重ねる中で、私の中で少しずつ変わったこともありました。
朝はあんなに泣いていたのに、お迎えに行くと普通に遊んでいた日がありました。
先生に「今日はごはんよく食べましたよ」と言われる日がありました。
家ではあまりやらない遊びを、園では楽しんでいると聞く日もありました。
友だちの名前らしきものを口にしたり、歌を覚えて帰ってきたり、家では見せない顔が少しずつ増えていきました。
そのたびに、私は少し戸惑いました。
朝、あんなに泣いていたのに。
あの涙は何だったのだろうと思いました。
でも今は、あれは嘘だったのではなくて、
あのときは本当に寂しかったし、
そのあと園でちゃんと自分の時間を生きていた、
ただそれだけだったのだろうと思っています。
ここは、私の中でかなり大きかったです。
子どもが泣いた。
これは事実です。
でも、泣いたからずっとかわいそうだった、と決めつけるのは、少し違うのかもしれない。
そう思えるようになってから、気持ちが少しだけほどけました。
もちろん、だから「全然気にしなくていいです」とは思いません。
そんなふうにきれいには言えません。
朝泣かれるのは、やっぱりしんどいです。
罪悪感がゼロになるわけでもありません。
体調が悪い日、こちらに余裕がない日、仕事が立て込んでいる日なんかは、なおさら揺れます。
ただ、保育園に預けることがかわいそうかどうかは、
一緒にいる時間の長さだけでは決まらないのだろうな、とは思うようになりました。
大事なのは、預けているかどうかだけではなくて、
その子が園でどんなふうに過ごしているか。
安心できる大人がいるか。
帰ってきたあと、ほっとできる時間があるか。
甘え直せる相手がいるか。
親のほうも、毎日限界まで削れきらずに、また向き合える状態を保てているか。
そういうことのほうが、実は大きいのかもしれません。
私は、一緒にいる時間が長いことだけが愛情だとは、今は思っていません。
ずっとそばにいることができる家庭もあるし、それが合うこともあると思います。
でも、預けることで生活が回る家庭もあります。
親の気持ちや体力が少し保たれることで、家に帰ってからやさしくなれることもあります。
それもまた、子どもに返っていく大事なものだと思います。
だから、「保育園に預けるなんてかわいそう」と一言で言われると、私は少し苦しくなります。
その一言では、毎朝揺れながら預けている親の気持ちも、預けた先でちゃんと世界を広げている子どもの姿も、どちらもこぼれてしまうからです。
保育園に預けるのは、かわいそうなのでしょうか。
私は今、この問いに対して、きっぱり「違います」と言い切るというより、こう答えたいです。
そう思ってしまうほど苦しい朝はある。
でも、預けることそのものを、簡単に“かわいそう”とは決められない。
子どもは、親が見ていない時間にも育っています。
親もまた、子どもを大事に思いながら、生活を回すために必死で生きています。
その両方があるのだと思います。
もし今、保育園に預けるたびに胸が痛むなら、まずその気持ちを無理に打ち消さなくてもいいのだと思います。
「こんなふうに思う私はだめだ」と責めなくていいのだと思います。
迷うのは、愛情が薄いからではありません。
むしろ、大事だから迷うのです。
朝、泣かれてつらかった日。
仕事中も少し引きずってしまった日。
お迎えのあと、いつもより強く抱きしめた日。
そういう日の全部が、ちゃんと親であろうとしている証拠なのだと思います。
だから今日も、子どもを送り出した自分に、少しだけやさしくしてあげてほしいです。
預けながら揺れているその気持ちごと、親であることの一部なのだと思います。
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