子どもは可愛い。でも、ずっと一緒はしんどい
こんにちは。
小児領域で医療従事者をしています、ぴこぴこです。
本日は、私が育児で感じていたことを赤裸々に書いてみようと思います。
子どもは可愛いです。
でも、ずっと一緒はしんどいです。
この2つを同時に思う自分を、前は少し責めていました。
可愛いなら耐えられるはず、しんどいなら愛情が足りないみたいで、どちらに転んでも自分が悪い気がしてしまうからです。
でも私は、実際にこの2つを同時に感じる日があります。
子どもは大事です。ちゃんと可愛いです。笑う顔を見ると救われますし、寝顔を見ると「今日も生きていてくれてよかった」と思います。
それでも、朝から晩までずっと一緒だと、息が詰まるようにしんどくなる日があります。
これは、誰にでも当てはまる話として書きたいわけではありません。
あくまで、私の中で起きていたことの記録です。
ただ、似た空気を経験したことがある人は、たぶん少なくない気がしています。
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もちろん納得できない場合は、返金していただいても構いません。
私がしんどくなる日は、だいたい大きな事件がありません。
むしろ逆で、ひとつひとつは小さいことばかりです。
朝ごはんの準備をしていたら呼ばれる。
座ろうとしたら「見て」と言われる。
トイレに行こうとしたらついてくる。
ようやく一息つけるかと思ったら、今度は別の用事が始まる。
子どもは悪くありません。
ただそこにいて、私を信頼して、私を呼んでいるだけです。
でも、ずっと呼ばれ続けると、自分の中の何かが少しずつ削れていきます。
体力というより、余白みたいなものです。
私は前まで、このしんどさを自分の性格の問題だと思っていました。
余裕がない自分が悪い。
もっと穏やかな親なら、もっと上手に受け止められるはずだと。
でも、ある時から見え方が少し変わりました。
私を削っていたのは、「子どもと一緒にいること」そのものではなく、自分が中断され続けることだったのかもしれないと思ったのです。
考えかけたことが止まる。
やりかけたことが終わらない。
座る、食べる、休む、ぼんやりする。
そういう細かい回復のタイミングが、何度も何度も途中で切れます。
人は、強い負荷だけで疲れるわけではないのだと思います。
私はむしろ、切れ目のなさで疲れていました。
可愛いは、疲れを消しません。
愛情は、回復の代わりにはなりません。
ここを私は、長いこと混同していました。
子どもを可愛いと思っているのだから、しんどいなんて感じるはずがない。
そう思っていたのですが、実際は違いました。
可愛いとしんどいは、両立します。
むしろ本当に大事だからこそ、ずっと気を張ります。
危なくないか、眠くないか、お腹は空いていないか、今の機嫌はどうか。
表では何でもない顔をしていても、頭の中ではずっと小さな判断が続いています。
それが積もると、子どもが嫌なのではなく、ただ少し離れたくなる瞬間が来ます。
私はその感覚に、前はかなり罪悪感がありました。
でも今は、少しだけ違う見方をしています。
あれは冷たさではなく、たぶん回復不足でした。
愛情不足ではなく、燃料不足でした。
そう思えるようになってから、戦う相手が少し変わりました。
前は「こんなふうに思う自分」と戦っていました。
でも今は、「休めない状況」と戦ったほうがいいのかもしれないと思っています。
この違いは、私の中ではかなり大きかったです。
自分を責めると、余計に消耗します。
でも状況として見ると、手を打てることが出てきます。
少しだけ別室に行く。
全部に100点で返事をしようとしない。
昼すぎに限界が来やすいなら、その時間に難しいことを詰め込まない。
「私は今、性格が悪い」のではなく、「私は今、回復できていない」と言い換える。
派手な解決ではありません。
でも私には、こういう小さな言い換えのほうが効きました。
育児って、気持ちの問題として語られすぎている気がします。
優しさが足りないとか、覚悟が足りないとか、愛情が深ければ乗り切れるとか。
でも実際には、もっと生活に近いところで人は削られます。
寝不足。中断。触れられ続けること。終わりの見えなさ。
そういう、細々したことの積み重ねだと思います。
だからこそ私は、こう思っています。
子どもは可愛いです。
でも、ずっと一緒はしんどいです。
この2つを同時に持っていても、たぶん大丈夫です。
どちらかが嘘になるわけではありません。
しんどい日があるから、愛情が薄いわけではありません。
一人になりたい瞬間があるから、親失格なわけでもありません。
少なくとも私は、自分のその感覚を「なかったこと」にしないほうが、少し優しくなれました。
子どもに対しても、自分に対してもです。
もし今日、似た気持ちになっている人がいたら。
心の中で一度だけ、こう言ってみてもいいのかもしれません。
これは性格の問題じゃなく、燃料の問題かもしれない。
その一言だけで、責める相手が自分から状況に変わります。
私は、その変化に何度も助けられました。
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