ピアノの発表会は「命綱の無いバンジージャンプ」か?--- その④「私が体験したピアノ発表会における本物の '緊張'」
👆noteで使用可能な画像を使わせていただきました。ありがとうございます。
前回までの記事[その①②③]👇
の続きです。
記事①に書いたように、
そもそも、
「ピアノの発表会=緊張MAXイベント」
という図式を意図的に仕組むこと自体が、
「ピアノの発表会= 'マッチポンプ'」になってしまっていると思います。
一体全体どうして、ピアノ教師は、
ピアノ発表会の選曲を「無茶ぶり」して、
発表会までの練習にハッパをかけ、
その過程で「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「緊張」「ドキドキ」「ドキドキ」「ドキドキ」「ドキドキ」「震える指先」「緊張」「緊張」「緊張」と、これでもか!と「緊張」を煽りまくって、
ピアノ発表会の当日を「命綱無しのバンジージャンプ!」になるまで煽るのか?
その過程で、当のピアノ教師のメンタルが完全にイッちゃってるように、醒めた傍観者には見えてならないのであります。
実は、こういう「緊張あおりマッチポンプ」ピアノ教師は、ぶっちゃけ売るもんがほとんど無いから、緊張を無駄に無用に煽りまくっておいて、発表会の当日に聖母マリアのように「救いの手」を差し伸べることで、自分の存在価値を自作自演するんですよ。完全なマッチポンプです。
他にちゃんと売るもんがあるピアノ教師は、ピアノの発表会に向けて「緊張」と連呼する必要が無いのですよ。
私がピアノを再開した直後に一瞬だけ習った著名ピアニスト(=先生)の発表会は、「緊張」ワードなんて皆無でしたね。
それは、先生の存在自体が、高価値の売りもんだったからです。
「緊張煽り⇨有難みの押し売り」な「マッチポンプ商法」なんてする必要が無いほど、著名なピアニストだからです。
そのピアニストさん本人の価値が高いから!
だから、知ってます?
そういう著名ピアニストさん主催のピアノ発表会の「写真撮影」って、
「ピアニストさんとのツーショット!」なの!
集合写真なんてガキっぽいんじゃないんだよー!
だってさ、
発表会に参加した生徒さんたち(市井のピアノ教師を含む)の、後々の行動が、如実に想像できるじゃないですか~。
「私ね、あの有名なピアニスト〇〇さんにピアノを習っていて(自慢)、このあいだ発表会に参加したんだけど、そのときの写真がこれなのよ~!」
って言いながら、ピアニストさんとのツーショットの写真を表示したスマホを、ランチ友だちに見せびらかすでしょーが!
これですよ!
これが本物のピアニスト=本物の芸能人の存在感なんですよー!
ツーショットに価値が有るのが、本物の芸事の師匠。つまり芸能人です。
芸能人だからこそ、肖像に価値が有るのですよ。
ところが、何事も、コインの両面ですから、
このような著名なピアニスト(=本物の芸能人)にピアノを習うという、
本物の大人ピアノ趣味においては、
本物の「緊張」体験が有ったのですよ。
それは、
「発表会への参加費用が一体いくらなのかわからない状況で、発表会の参加の有無を聞かれる」
という「緊張」です!
それに比べたら、
発表会のステージ上での自分の「本番(←なんか卑猥な感じがするなぁ)」の出来に対する「緊張」なんて、屁みたいなもんですよ。
「発表会への参加費用が一体いくらなのかわからない状況で、発表会の参加の有無を聞かれる」←これこそ、正真正銘の緊張ですよ!
だって、自分が稼いだお金に関わることですから!
「本番ショー」で自分が間違ったからって、経済的な損失額はゼロ円でしょ? もう支払っちゃってるんだから。 そして、あなたが「本番」でどう転んだって、追加ペナルティ料を徴収されることなんて無いでしょ? だいいち、あなたのミスタッチなんて誰も気にしちゃぁいませんから! あなたと同じで、みんな自分のことだけしか考えてないから!
かたや、参加料が未知数の発表会に飛び込むかどうか!?って
まさに、「命綱の無い、経済的なバンジージャンプ」じゃないですかーっ!
2万円で済むかもしれないし、10万円いやそれ以上かかるかもしれない…。
これって極度の緊張MAXじゃないですかー!!
そして、
本物の芸能人に限って、
こちらカタギの足元を抜け目なく見てくるんですよ!
芸能人とカタギの心理的なせめぎ合い。これこそ正真正銘の「緊張」!
そう、私が経験したのは、
「事前に発表会参加費用を知らされずに、発表会への参加の有無を問われる」という「緊張体験」だったのです。
「えー?そんなの、返す刀で「参加費を教えてくれませんか?」って言えばいいじゃないですかー?」
と思う向きもあるかもしれませんが、
私には事情があって、子ども時代のピアノの先生の口利きで、このピアニスト先生のレッスンを受けることになったので、
「お金のこと(参加費)を聞くことは下世話にならないかなぁ?口利き元に恥をかかせるのはなぁ」という気持ちもあり、
「いくら?」と聞くことがためらわれたのです。
また、
大の大人が芸能人に遊ばせてもらうのに「いくら?」と聞くのは野暮な感じもしたのです。 いつの時代も、「遊び」で「いくら?」と聞くのは野暮ですからね。
そこで私は、ピアノ発表会の参加費を聞く前に「参加します」と返事をしてしまいました! ピアノ発表会への緊張がMAXになった瞬間でした!
その時の私の心境は、
「ええい、もう破れかぶれだ!毒を食らわば皿までだ!」
でした。
ええ、「命綱の無いバンジージャーンプ!」の心持ちでした。
でも、そんな中、
私は「参加費は3万円程度だろう、いや、そうなってくれ!」と、祈るように想定したのでした。
ところが、実際は私が願った金額の倍の、6万円がかかったのでした…orz…。見事に地面に全身を叩きつけて即死だったね。
それでも、私が支払った金額は、その発表会の参加費用の最低ランクの金額だったのでした。
演奏する曲数によっては、10万円以上払った参加者もいたのでした。
ピアノ発表会への参加費は、参加者の演奏時間の長さと連動していたのです。
つまり、「上手い」「下手」ではなく、「ステージを占有する時間の長さ」に基づいて、発表会への参加料が設定されていたのです。「時間」という、主観の入る余地のない尺度で参加費用が決まる、とてもフェアなシステムだったのでした。
参加料金のシステムを知った時点で、私は「1曲だけ」演奏することに決めて、発表会の参加費を最低限にとどめたのですが、交通費や先生への花束代徴収を含めると6万円近くになりました(普段着で参加したので、衣装代はかかっていません)。
先生から「2曲弾いたら?」と言われましたが、もし2曲弾くと、それだけ演奏時間が長くなって参加費用が9万円ちかくになるので、私は「1曲しかひかない!」スタンスを絶対に崩しませんでした。
この金額には、発表会の前日に行われた会場での直前レッスンの代金も入っていました。
そして、
前日・当日の両日のピアノ調律代も入っていました。
もちろん、
都心のオシャレなピアノ発表会会場の2日分のレンタル料も入っています。
当然ですが、
当のピアニスト先生への儲けも(そこから、素人参加者の後に弾いたお弟子さんピアニストへの御駄賃も支払われたことでしょう)。
連日の調律によって、ピアニスト先生は、ここぞとばかり、なじみの調律師さんに仕事を作ってあげたのです。
これらを全部賄ったのが、
我々、大人の素人ピアノ参加者(「生徒」であるピアノ教師たちを含む)が発表会に参加するために払ったお金です。
つまり、
正真正銘のプロの音楽家が主催する素人生徒のピアノ発表会とは、
芸能人である彼らが最も稼げる、オイシイ商業イベントなのです。
そして、彼らは本物の芸能人だからこそ、
シロウト参加者に向けて「緊張」を連呼するなんてことは一切無いのです。
彼らの資金源(パトロン)である素人参加者を怖がらせて不快な思いをさせて、次回の発表会への参加を迷うようにさせてしまうような愚行は、一切しないのです。
高額な参加費を徴収するのだから、発表会の参加者にはめいっぱい楽しんでもらって「来年も発表会に参加したい(高額だけど)」と思ってもらうことが、彼らのサヴァイヴァルのための至上命題なのです。
素人ピアノ発表会の売上金は、彼らの重要な収入源だからです。
私が参加した発表会のトップライン売上高は、参加者の人数と、各々の演奏時間をベースに概算すると、おそらく65万円前後だったでしょう。
2日で売上65万円。1日あたりの売上が30万円。
そこから、調律料金(2回分)と、会場レンタル料(半日x2日)を差し引いた金額が、ピアニスト先生のネットの純利益になったはずです。
2日で数十万の儲けが出るわけです。やめられないビジネスだと思いますよ。
だから、
素人相手の発表会イベントは、芸能人の年収において、無視できない重要性を持っているのです。
彼らには生活がかかっているのです。
自分の生活や、妻子や、年老いた親の生活が、かかっているのです。
だれかの扶養家族の身分で子育ての片手間にやっているような「自称プロ」の素人音楽家とは、何もかもが違うのです。
だから彼らはお金に非情なほどにシビアです。
そして彼らは、大人の素人の心理もよくわかっています。
さいしょに参加費用を開示したら、金額が金額なので、断られるかもしれない。
だから、参加費用を開示せずに、発表会への参加の有無を問うのです。
大人の素人が、下世話に「いくらですか?」と聞くことが趣味道楽にお金を浪費する大人として野暮に感じることも、彼らは承知の上なのです。
だから、
私が参加した、著名ピアニスト先生(芸能人)主催のピアノ発表会には、
本当の意味での緊張が有りました。芸能人相手の金銭支払いをめぐる心理的な駆け引きによる緊張です。
でも、本来なら、それも不要な緊張なのです!
参加費用が10万円でも20万円でも、そんなことを気にせずに芸能人にお金をポーン!と投げてあげられるのが、真の大人の趣味道楽です。
真の大人の習い事とは、芸能人に対するパトロン活動なのです。
私には、それができるような経済力が無かったので、
初回レッスン + 発表会参加費用(直前レッスン込み) + CD購入 + コンサートチケット代(1回分) = の総額10万円が吹き飛んだ時点で、スパッとやめました。
芸能人相手のお金に関する駆け引きをめぐる緊張にはコリゴリしました。
私が、大人の趣味道楽に興じるには100年(3世代)早い、庶民であることが、証明されたのでした。
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👇ここから先は、前回までの記事のコピペです👇
私が思っている、まさにそのことを書いている人の記事を以下に貼り付けます。
つまり、
ピアノ発表会の直前まで「緊張」「緊張」と連呼して、
生徒の心理を極限の緊張状態まで煽っておいて、
それを「寄り添う声掛け」で「救おう」とする、
記事①に書いた、
自作自演「マッチポンプ」ピアノ教師についてのことです。
参加者の緊張を無駄に煽っておきながら参加者に救いの手を差し伸べる、
自作自演「マッチポンプ」ピアノ教師は、
タチが悪い者は、半ば意図的に「緊張」「緊張」と連呼して
参加者の緊張を無駄に煽っておいて、
発表会当日に手足が震えるほど緊張する参加者の様子を「内心楽しむ」、
性悪教師ですが、
ピアノ教師本人が意識することなく、
参加者に向けて「緊張」を連呼している場合もあると思います。
そもそも、
「ピアノ発表会=緊張」という図式を固定観念化して
参加者の心理に刷り込むこと自体が、
「マッチポンプ」なのですが、
それすら意識することなく、
参加者に向かって「緊張」「緊張」と連呼して
心理的刷り込みをしていることに気がついていないピアノ教師もいるかと思います。
だいいち、
ピアノ発表会よりも遥かに緊張する人生の場面は沢山あります。
今後の自分の人生を左右する、
高校や大学の入学試験や、
就職試験の面接や、
仕事で契約をとれるかどうかの交渉や、
取引先に向けて自社製品/サービスを売り込むプレゼンなど、
成功or失敗が、自分の社会的な生死を分ける局面では、
人は誰でも緊張する。
理由は、
自分の人生にとってのステイク(stakeステーク)が半端なく高いからです。
そして、
大人は、いままでの人生で、
このような「のるかそるか」の、
人生の重大局面を生き抜いてきたはずです。
それにくらべたら、
大人のお遊びのピアノの発表会なんて屁みたいなもんです。
演奏で間違えたからといって、
演奏が止まってしまったからといって、
自分のサバイバルに、全く影響ありません。
だから、
あなたのピアノ教師が、
発表会に向けて「緊張」「緊張」と連呼する人の場合は、
ちょっとだけ冷静になって、
今までの人生で潜り抜けてきた修羅場の場面と、
来るべき「大人のお遊び」ピアノ発表会との
重大性を、醒めた頭で比較してみると、
バカバカしく思うかもしれません。
そして、
おそらくは、
生徒に向けて「緊張」「緊張」と連呼して平気で緊張を煽るピアノ教師は、
今まで、子ども教育の世界でしか生きてこなかった人ではないか?
と想像されます。
何故なら、
大人の世界とは、
毎日が、小さな「生きるか死ぬか」を積み重ね続ける「仕事」の世界ですから、
緊張なんてフツーのことであって、
もはや緊張すら感じなくなる世界だからです。
言うなれば、大人の「仕事」の世界は、常に緊張の世界だから。
だから、真っ当な大人は、もはや緊張すらしなくなるのです。
人間だから緊張はしますよ。でも、
すぐにそれを感じないように自分の心理をマネジメントするのですよ。
いちいち緊張していたら死んじゃうから。
だから、もう感じなくなっている。
大人の世界とは「心理的不感症」の世界です。
じゃなきゃ発狂するから。
子どものままでいると、発狂するから。
人は、社会で他人さまに使われて働いてお金を頂けるようになって初めて!
大人になるんですよ。
「緊張」「緊張」と連呼して平気なピアノ教師さんたちは、
そのような「大人の世界」を知らないで今まで生きてきちゃったから、
大の大人に向かっても「緊張」「緊張」と平気で連呼できちゃうんじゃないでしょうかね?
以下の記事は、
「ピアノの発表会=緊張!」という呪いをかけられて
がんじがらめになってしまった人が読むと、
納得する点があると思います。
この人のことを私は知りませんでしたが、
以下の記事は、そのとおりだと思います👇
今回の記事は以上です👆
つづきは👇
以下は、前回の記事までの内容です👇
私が、
ちまたのピアノの発表会は「命綱の付いていないバンジージャンプ」みたいだ!
と感じるようになったキッカケは、
中高年になってピアノを再開した時に、
①ピアノ好きさん主催のピアノ会 と、
②ピアニスト(先生)主催のピアノ発表会
に参加した時に、
①・②ともに、トリを演奏したのがプロのピアニストで、
彼らが、あっけないほどの「前座ネタ」をサクっと弾いただけだったことに、ちょっと驚いてしまった!
という経験です。
①・②ともに、参加したピアノ好きの素人さんたちは、
「〇〇ソナタ第〇番!全楽章奏破!」とか、
いったいいつになったら演奏が終わるのか聴くほう(私)が途方に暮れた
「〇〇の〇歌!」とか、
大ネタを決死の形相で演奏するのですが、
ところが!ですよ、
トリに出てきた、唯一のプロ演奏家が弾いたのが、
①では、ラフマニノフの短い曲をあっ!という間に弾き終えた後はシューマンの『子供の情景』から数曲!
②では、ドビュッシーの2ページの曲を、あっ!という間に弾き終えた後は、「オリジナルの曲をお届けしま~す!」って、正直言ってどこにでも転がっているような音楽をサクっと弾いてオシマイ!
そして私は思ったね。
プロは違う!と。
プロ演奏家に限って、
ふつうは大ネタなんかやらないんだ!と。
私たちシロートはさ、
サントリーホールだのなんだので、スポットライトを浴びて演奏する、クラシックピアノ界のトップアイドルたちのイメージしか持っていないけど、
その他大勢のプロ演奏家は、
もっと子地味(こじみ)な曲を弾くことの方が多いんじゃないかと思ったのですよ。
②では、トリのピアニストさんの師匠である、発表会を主宰した著名なピアニストさんが、大トリで何曲か弾いてくれたんだけど、こちらも軽めの曲をサクっと流しただけだったの、さいしょは!
ところが、発表会の会場に「サクラ」として、「私が愛するピアニストさんに頼まれたから来たのよ!じゃなかったら、こんなシロートの発表会なんかに来るもんですか!」な、ピアニストさんの「追っかけマダム隊」が、客席から不満そうな顔をしたらしいんだよね、
そりゃそうだよね、誰が好き好んで、見ず知らずのシロートばかりが弾く発表会を、手弁当で観に行くかね? だから、本命のピアニストさんご本人が「お土産」をくれないと帰れないというか「あなたのファン(=パトロン)をやめるわよ!」にもなりかねない。
そんで急遽、そのピアニストさんが、自分のテッパンの大ネタを弾いてくれちゃって、参加した私ら生徒たちは生で聴けてラッキーだったね!「追っかけマダム隊」に感謝でした。
とはいってもね、
そのピアノ発表会に払った参加費を考えるとね、
そのくらいサービスしてくれてもいいんじゃない?
と私は思ったよ。
まあとにかくラッキーでした!
👆以上が、今回の記事の主旨です。
👇ここから先は、余談です。
私も、子どもの頃にピアノを習わせてもらっていたので、
ピアノの発表会に何度か出ました。
私が子ども時代に経験したピアノの発表会は、
①いきなり大ネタをやらされる!:
いつもはブルグミュラーとかバッハインベンションとか『子供の情景』とか、長くても2ページの曲なのに、いきなり6ページの曲をやらされる!
もちろん、昭和のピアノ教室だから、先生が指定した曲に「えー!そんな長くて、しかもつまらなそうな曲は、イヤです」なんて言えるはずがない! 今で言うところの「無茶ぶり」ですよ! しかも「ノー」と言えない!
②その「無茶ぶり」ネタを、発表会当日まで、延々と何か月も練習させられる!:
あのね、自分が好きな曲でもですね、3~4か月もそればっかし弾いてたら、飽きるよ!
しかも、先生指定の曲。家ではテレビばかり見て(テレビの音楽を聴いて)ばかりの、庶民の家の子どもの私なんかが聞いたこともない曲! 聞いても、好きでも何でもない曲!
③ その「無茶ぶり」ネタに当然のごとく苦戦⇨レッスンでダメ出しとハッパがけの嵐が数か月続く!
レッスンに行くのが苦痛以外なにものでもない。
だいたい、興味もヘッタクレもない曲の自宅練習に身が入るはずもなく、レッスンの前日には「サザエさん症候群」と同じ心理状態に。もうピアノなんて嫌いだー!!!
④ そして発表会の当日は、魔女に呪いをかけられ続けた結果、石人形のようになってステージに登壇!
だって4か月も呪われてたんだよ! 石にならないほうがおかしいだろーが!!!
そして、予想どおり、緊張しすぎて「後ろ向きの、守りの演奏」に徹したあげく、イケてない結果に。
うなだれてステージから降りた私を迎えてくれるのは、
先生の冷たーーーーーーーーーーーーーい上から視線。
まるで氷河期。
そして凍死。
でしたね。
今でも、思い出すだけでゲロ吐きそうになります。
私は完璧に、
「ピアノ教師」という名のプレデター(捕食者)の獲物でしたね。
しかも、
小学校の高学年になったら、
私より学年が1年下の「優等生」の子と、
発表会の演奏の順番を入れ替えられましたからね。
ほかの子たちは、年齢順に演奏するのに、
私と「優等生」さんの順番だけが逆!
発表会で、ほかの生徒さんや親御さんたちの前で、
晒し者でしたね。
たぶん、「あなたは下手だから、もうお教室を辞めていいのよ!」
という魔女の無言のメッセージだったのだろうと思います。
(魔女本人は、どこかの時点で私のほうが1学年下
だと思い込んじゃったみたいですね。彼女の願望だったんでしょう)
でもね、
子どもの頃に、あまり「優等生」で先生に持ち上げられると、寿命を縮めるかもしれませんからね。
その「優等生」さんは、今から20年ほど前に、亡くなられたそうです。
かたや「劣等生」だった私?死ぬ気配が全然ないんですけど。はっはっは!
はてなブログに書いたんですけど、
魔女は、発表会の演奏の順番を入れ替てしまった時に、
私と「優等生」さんのロウソクも入れ替えてしまったかもしれませんね。
落語の「死神」のように。
そして、短命に終わったのは「優等生」さんだった…。
以下は、前回の記事[その①]の文章です。
そのまま貼り付けておきます👇
=========================
ピアノの先生方、
「マッチポンプ」っていう言葉、知ってますか?
もともと、政治の国会答弁かなんかで使われるようになったようですが(私の記憶。くわしくはAIにでも聞いてみて!)、
ビジネスの世界でも、この言葉を使う年配の人がいますね。
「マッチポンプ」というのは、
「自作自演」のことですね。言うなれば、
「火の無い所に、マッチで火をつけて、その場を立ち去ってから、
火事になった時に、初めてその場に駆けつけた体(てい)で出て来て、
ポンプで水をかけて消しにかかって、人々に恩を売る」
という行為のことです。
あらかじめトラブルの種を蒔いておいて、
トラブルが顕在化したときに、解決に駆けつけて感謝されようとする。
そんな自作自演。
それが、「マッチポンプ」です。
私は、
世の中のピアノ発表会は「マッチポンプ」が巧妙に仕組まれたイベントなのではないか?
と、常日頃から、いぶかしく思っています。
つまり、
参加者を不安にさせるような
①無理な選曲
②「追い込み練習」の強要
③ピアノ教師によるハッパがけ
によって、
あらじめ、発表会の参加者の不安と恐怖を煽れるだけ煽っておいて、
彼らを、恐怖による極度の緊張状態に陥れておきながら、
発表会の当日になると、
ピアノ教師は、とつぜん聖母マリアみたいなものに変身したかのごとく、
参加者の緊張をほぐすような「優しい声掛け」をやたら強調して、
「私は、生徒の緊張をほぐすような、優しい声掛けをしている、
とても良いピアノ教師なのです!」
と、宣伝する。
そんな「’マッチポンプ’ ピアノ教師」が、けっこういませんかね?
けっこういるんじゃないですかね。
だから、私は、
ピアノの発表会に出たくないピアノ好きさんの気持ちがわかります。
私も、
ピアノを再開した当初に、
「人前で演奏しないピアノは意味が無いぞ!」なんていう、
誰が書いたかもわからない、いい加減な脅し文句に煽られたクチですから。
👆
でも、そんなこと、いったいぜんたい、誰が決めたんですか?
誰も決めてないでしょ?
家で絵を描いて、とくに発表しないで、部屋に飾っておくのとおなじでしょ?
自分がお金を払って行う楽しみなんだから、
人前で公表せずに、自分の心のままに楽しんで、幸せを感じることの、一体、何が悪いんですか!?
そんな内閣府令も、刑事罰も、無いはずだよ、日本国には!
にもかかわらず、
世の中のピアノ文化は、
「ピアノの発表会」というメカニズムによって、
参加者に無理を強要し、特訓(しごき)で叱咤しハッパをかけて、
参加者を理不尽な恐怖に陥れ、脳内をパニックさせて、
参加者の自由な思考回路を遮断し、
発表会当日に、恐怖による極度の緊張状態におちいった参加者に、
ピアノ教師は、
突然「聖母マリア」のような慈愛の仮面を被って、優しい言葉をかけるのだが、
実はその内心は、
極度の緊張状態で「まな板」の上にのぼった参加者が、
当人にはもともと無理なレベルの曲芸を、
賭けなくてもいい生死を、なぜか賭けているかのように決死の覚悟で行うのを、
慈愛に満ちた「聖母の仮面」の裏で、舌なめずりして味わい尽くしている、
人喰い魔女の姿なのではないか?
と、ゾッと悪寒が走ることがあります。
「恐怖によるマインドコントロール」という、
悪徳宗教の洗脳手法を思わせるからです。
そして、
本来は楽しいはずの「趣味道楽」なのに、
どうして、
恐怖に飲み込まれながら、破れかぶれの捨て身で飛び込む、
「命綱の無いバンジージャンプ」のようなことになってしまうのか?
👆
人前で演奏する人が、それを眺める残虐な誰かの生贄(いけにえ)になるのは、日本に限ったことではありません。
アメリカでも、「他人の演奏ミスをエンジョイする」という、
胸クソ悪くなるような心理が、ピアノ教育の世界に存在することを、
私は或る米国人の音大教授の動画を視て知っています。
グレン・グールドがピアノリサイタル活動を辞めた理由も、同じだと記憶しています。
だから、
家で一人でピアノを楽しむ行為が、
その人にとって最も純粋で、清らかな、
本当の神聖な行いだと、
私は思います。
ピアノ方丈記
