【ReSTART】生駒谷の暮らしとポロの視点
こんにちは。アカウント名の変更をお知らせいたします。
荒野のポロローグ → 生駒谷のポロ
『生駒谷のポロ』では故郷である「生駒」という山域・流域にまつわる地誌や(現代)民俗、里山と都市化の狭間に視る環境や暮らしの変化、地域の環境活動としての自然観察や半自然フィールドの整備などについて話題にします。
このペンネームは幼少期に一緒に暮らしていた先輩(雑種犬)の名前に由来します。人間よりも犬くらいこの土地の地面に近い目線で、この地域での暮らしと流域の自然環境、そして忘れられかけている文化や人の繋がりについて綴ります。
クリエイターページのTOP画像には、生駒と言えばお馴染みの生駒山を。
夕闇に包まれながらも随分と明るくなってしまった生駒の夜景です。

山の中腹まで密やかな集落がある
市政ではなく、市井の視点で考える「生駒」
実はこのアカウントを閉鎖する方向へも幾度となく悩みました。
でも、元々はコロナ禍において自分のいる地域を濃厚に眺め、どうすればこの流域の環境を守れるか、自分が暮らす地域で生活と働きが完結するかについて、あらためて考えたいと思って立ち上げたアカウントです。
地域にあるものを継承し、土地ならではの暮らしを守ってゆく。
そのために必要なものは市井の視点と実働。
だからこそ「生駒市」という行政区分ではなく、「生駒」の山域や流域、土地本来の地理的・文化的視点を軸にした特化アカウントがあった方が良い。そう、思い至りました。
何度考えても、辿り着く場所は同じ。
これは市制が推奨するボランティア活動とは別の話です。
(そもそもボランティアって、促されてするものではないと思っています)
ここでは「生駒」の地誌と民俗に注目しながら、生駒の辺境で密やかに暮らす市井の視点で、この街の今と未来を考えたいと思います。
行政区分ではなく、「生駒」の山域や流域を軸に
古くから人々の間で繰り返されてきた風習や信仰、暮らし方。
そうした「民俗」は時代が変わり、世に新しいものが溢れると共に淘汰されてゆきます。
でも、それらは様々な試行錯誤の末に残り、体系化されてきた暮らしの知恵そのもの。そう易々と絶えず、細々とでも残り続けるのは、人の意識と心に響く道理がそこにあるからではないでしょうか。
だからこそ、その土地に根付く「民俗」には注目する価値があります。
そして民俗に地域性をもたらすのが、その土地の地理的条件です。
海には海の、山には山の暮らしがあり、日本は極めて国土の小さな国ながら、温帯を中心に亜熱帯〜亜寒帯と気候帯の幅も広い。
だからこそ所変われば、暮らしも文化も変わるのが道理。海外も面白いけれど、一つの国でこれほど地域性豊かな国は世界でも珍しいと思います。
そういった観点から、民俗だけでなく「地誌」にも注目しています。
地誌学(地域地理学, regional geography)
特定地域(国、地方、都市など)に注目し、自然環境(地理、地形、地質、水文、植生、気候など)と人文的要素(文化、歴史、経済、暮らしなど)の相互関係から地域全体を考察し、その地域の独自性を見出す地理学の一分野
人が普遍的に希求する「暮らしの本質とその環境」
『生駒谷のポロ』では何気ない日常の中で、「暮らし」において人が普遍的に希求するものについて考えます。
個人的に三食の中で「朝ごはん」を一番大事にしています。これは理屈抜きで、とにかくその時間が好きだから。そのため「朝ごはん」に関する話題はチラホラ登場します。
朝食に関しては作って食べて片付けるまでを二時間くらいかけ、その一連の作業の間に一日のチューニングをしたい性分なのです。
早起きしてこの時間を取ることができると、その日は仕事であろうと、執筆であろうと、めちゃくちゃ集中できるというもの。
これはいわゆる「ていねいな暮らし」というよりも、できるだけ時間をかけてかけて自分をほどいておく「ゆるゆるな暮らし」の始め方のお話です。
締めるためには最初に余白が必要、というわけ。
そして暮らしの環境を考える手がかりとして「万葉集」にも注目しています。生駒は奈良の片隅にある一地域。生駒山も歌に登場します。
古代人の暮らしや観察眼、心情が瑞々しく残る『万葉集』もまた、古代の地誌や民俗を調べる上で参考になりそうです。
・『万葉集』の歌に詠まれた「コト(歴史)」
・歌に登場する「モノ(道、地名、建築、山、生活用品、食べ物など)」
・当時の人の心情が吐露された「アヤ(文学表現)」
こうした歌に詠まれた事物や感情、今に残る考古学的資料としての遺跡や遺物、古文書(木簡)、そして今も昔も変わらず存在するもの、失われたもの、新たに登場したものを通して、現代と古代の暮らしを対比的に眺めてみる。
そうすると、今も昔も変わらない、人が普遍的に希求する「暮らしの本質とその環境」が見えてくるのではないでしょうか。
流域の環境と暮らしの守り人として生きる
ほんの小さな土地でもいいから、その区画に対する責任を持つこと。
そしてこの地域の土に触れる機会を持つことについて。
私は農家ではないし、農業もしていません。
今年初めて家の庭の片隅にゴーヤを植えてみましたが、それとは別にあるきっかけから手入れをすることになった2つの土地があります。
かつて苗代だった下ノ畑。今は野っ原以上畑未満。もう一つは時々猪が土を掘り返しにくる山際の土地。いくつかの果樹が植っている住宅地の一角にある、畑よりは庭っぽい場所。
2つ合わせてそれなりの広さがあるし、それぞれの土地ならではの課題もある。けれど、その場所を栽培と採取ができ、地域の生態系を観察し、そのバランスを整えながら学べる生態園にしたいと思っています。
そこでの奮闘記と得られる季節の恵みについて。
古事記や日本書紀に倭建命が望郷の想いを込めて詠んだとされるの古代の歌が記されています。その一節にある「大和は国のまほろば」という言葉。
「まほろば」とは「住みやすい最高の理想郷」を意味する古語で、私が探究する暮らしとその環境の話も、いわば「今と未来のまほろば」についての思索に他なりません。
自然環境と人間社会、ひと繋がりの暮らしの構造
結局のところ、人が暮らす上で本当に希求しているのは、よそから物見雄山にやってきた観光客をもてなし、その土地を消費し汚してもらうことではないはずです。
私が「食べられる生態園」にしたいと思っているその二つの土地は、私が関わり始める前まで、はっきりいってゴミだらけでした。でも自分が暮らす地域の真ん中にそんな風にされる場所はあって欲しくなかった。
市はこの街を宅地開発することに飽きて、今度は観光地として開発しようとしている。観光業や宿場町の営みは外貨(ここではその地域の外から流入する金銭)の獲得には有益だけれど、その土地の純粋な暮らしとはまた別の次元の話でもあります。
だからビジネスの場と暮らしの場は、基本的には切り離して考える必要があるし、見物用の外向き用の空間(エリア)と、その土地の人が安心して過ごせる「暮らしのための空間(エリア)」は、明確に区分けされているのが理想です。
そうでなければ、その地域の治安維持が難しくなる。
その土地に居ないはずのものが「暮らしのための空間」を彷徨くことへの警戒心を忘れてはなりません。
だからこそ『生駒谷のポロ』はその環境から得られる恵みを享受することと、その地域を手入れすることは「ひと繋がりの暮らしの構造」であると考えます。
比較研究のための各地の見聞録
生駒に暮らし、土地の手入れをし、仕事(個人研究と執筆)の拠点としつつ、地誌・民俗の比較研究のために「よその土地」へも赴いて現状や課題、取り組みを見聞しています。
これまでこのアカウント内で織り混ざっていた各地の地誌・民俗研究と紀行文は、他地域へも視野を広げたアカウント『綺世界探訪|地誌と民俗を辿る』に集約し、『生駒谷のポロ』と連携する形で運用します。
『綺世界探訪』に設けた各地域ごとのご当地マガジンを上記のsite map記事で簡単に紹介しました。
ある里のFIELD NOTE|メンバーシップ
将来的には「生駒谷のポロ」での、「生駒」という流域の話題、環境活動の話題を中心としたメンバーシップを開設したいところですが、現時点では残念ながら私自身にそこまでのキャパシティがありません。
そのため苦肉の策として、noteの機能である共同運営マガジンを活用することで、「綺世界探訪」のメンバーシップ『ある里のFIELD NOTE』内に「生駒谷のポロ」の内容も盛り込みます。
スタンダードなプランでは汎用的な「暮らしの研究」や地域活動、エッセイ、他地域の地誌や民俗、赴いた際の紀行文などをメンバーシップ特典としています。
アッパープランでは、「生駒」という山域・流域についての個人研究、その地誌や民俗にまつわる話題、未来に向けた構想や実践、疑問に感じることや課題について綴ります。
「生駒谷のポロ」「綺世界探訪|地誌と民俗をめぐる」の2つのアカウントで共同運営するメンバーシップ『ある里のFIELD NOTE』についての詳細はこちらでご確認ください。
それでは、今後ともよろしくお願いします!
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いつもご覧くださりありがとうございます!
故郷の町・生駒の地誌・民俗を探究しつつ、半自然フィールド(食べられる生態園)を整備しています。
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