烙印 第15話 「ルイ」
「エイジ!しっかりしろ!おい!」
エイジは酷く酔いが回っている。
こんな状態で電車に乗せたらまずい。
ルイは深刻な状況に陥ったエイジの悪酔いに
顔色を変えていた。頬を軽くはたいてみる。
「うう…うっ。うっ!」
その時エイジは激しくえづき、
少量ではあったものの
胃袋の中身を吐き出した。
「ま、マジかよ。おい、しっかりしろ!
くそ、多目的トイレで着替えさせるか?
ダメだ、人が上がってきた!」
衆目監視の中で、そんな場所で、
男が二人、いたとしたら。
どんな誤解を受ける。
ダメだ。
何もかもを泥に突き落とすことは、出来ない。
やってはならない。
今すぐに、こいつを助けなければ。
だがそれは、ここでは出来ない。
…会場を出るしかない。
ルイはエイジの荷物を背負い、エイジを支えながら、
スタンド席を後にした。
力の入らない、意識の混濁状態にある
エイジの体は細いにも関わらず、酷く重く、
また、要らないグッズも満載の
エイジの荷物もあるせいで、負担が増してゆく。
腕が抜けそうに重い。
切れかけた息を飲み込み、奥歯をかみしめる。
全力で、エイジを支えながら歩く。
ゆっくりと。もつれたエイジの足取りを
気遣い、転ばせることのないように。
途中で座り込むエイジの背中をさする。
置いて帰る選択肢は俺には無い。
弱っているこいつを見ていると、
過去の俺の姿が蘇り、古傷が疼く。
昔の俺もこいつの過去と同様、
誰にも心を救われず、絶望の中、
泣いていた。
あの日々の記憶が今も消えない。
そんな傷だらけの子供のままで、
今日の日までどうにもならねえ
無様な鎧を着込んで生きてきた
無力なこいつを
放って置けるわけがなかった。
「立てるか。…つかまれ。」
よろよろと立ち上がるエイジを再び支える。
そして歩いては、立ち止まり、
座り込むエイジのそばで、
俺は行き過ぎる帰途につく客から、
こいつを護り続けた。
ついに、大トリの演奏が終わる。
怒濤のような人波がやってくる気配に、
ルイは立ち止まる。
ダメだ。人波にぶつかりでもしたら、
エイジは転ぶ。
道の端にエイジを誘導して、
ルイは、行き過ぎる人の波を
かわしながら、ゆっくりと。ゆっくりと。
重荷を背負いながら、歩く。
誰も二人を気にも留めない。
どんなに今夜が最高だったのかを、
語り合いながら、目を輝かせながら
行き過ぎるだけだった。
人々は、駅前から会場に続く、
あの大通りへと、ぞろぞろ歩きながら
吸い込まれてゆく。
人々の群れをかわしきったころには、
もう、ルイとエイジは、真っ暗な
路上に二人きりだった。
そして駅へ続く長い一本道の入り口に
さしかかったルイは、疲労を覚えたが、
自分はまだしもと、エイジに声をかける。
片手に持つ、スマホの灯りで照らすと、
エイジの顔色が悪い。息も浅い。
そして、エイジの体が駅まで到底持たないと
判断したルイは、スマホのタクシーアプリで、
タクシーを呼び寄せた。
そして、二人はタクシーに転げ込む。
「おい、しっかりしろ。」
そう呼びかけながら、ホテル予約サイトで
浦和美園駅周辺のビジネスホテルを検索する。
このGW,しかもイベントのさなかだ。
見つからなくて当然かもしれない。
くそ、もし見つからなかったらどうする?
ラブホテル…馬鹿な。
男同士でそんなところ泊まれるか。
いや、断られるに決まっている。
では、自宅までか。だめだ。
金が足りないだろう。焦るルイが
かけた最後の連絡先、○○ビジネスホテル。
電話をかけていると、タクシーの運転手の目に、
ちらりと好奇の念が浮かんで見えた。
畜生、そんなんじゃねえのに…。
カッと恥辱の念が湧く。その時だ。
フロントのホテルマンが、
キャンセルが一件出ましたが、深夜割増で、
休日割り増しにもなっており、
喫煙可能の部屋しか開いていないと
ルイに告げたのだ。
「いかがいたしましょうか。」
ホテルマンの問いかけに、
「どこでもいい、一室頼む!」と、ルイが返す。
「承知いたしました。それでは
手続きに入らせていただきます、キャンセルは…」
「しない!とにかく、
連れが体調が悪いんだ、部屋の鍵を
用意しておいてくれ。」
こうして、○○ビジネスホテルの
ロビーのエレベーターで5階の
角部屋に二人は向かった。
そして、意識がもうろうとしてきた
エイジを連れて用意された一室へ行き、
エイジの吐しゃ物のついた服を手洗いして、
室内の乾燥機で乾かす。煙草の煙のにおいがする
薄暗い一室だが、ほどほどに小ぎれいには
してあった。
玄関わきのクローゼットの中に
ごわごわした手触りの
バスタオルとタオル、
紙のような平たいスリッパ、
浴衣と帯が
二人分置いてある。
エイジには、ホテルの浴衣を着せておいた。
ルイは思う。
あの時、意識のないエイジを着替えさせるとき、
華奢なエイジの体の上半身があらわになった。
細いが、筋肉質の、しなやかな体躯。
今迄は何とも思わなかった。
意識にさえ登らせた事もない。
だが、今は、目を奪われそうだった。
思わず俺は息をのんだ。
俺の赤黒く滴るようなザクロの実にも似た自傷とケロイドにまみれた、傷だらけの、しかし猛々しく鍛え抜いた頑強な肉体とは全く違う。
良く磨かれた象牙のような滑らかな肌。
月の光さえ透けて見えるかのような、その練り絹のような肌の白さ。
静脈の蒼さがうっすらと透けていた。
呼吸の度に薄いが、鍛えた胸板と腹筋の筋が見える腹が微かに揺れる。
生きているのかと思わずにいられなかった。
ひゅっと呼吸が、
一瞬止まる。
ミスった…と思う…。
見てはならなかった。俺は極力
目を背けた。だが、目に焼きついたその姿が、
あまりにも白い熱を帯び過ぎていた。
それが俺の脳を焼き切ろうとする。
胸の奥底から、何かが湧き上がりかけ、
喉の奥がひりついた。口が乾く。
俺はコップに注がれた水を飲み干し、
乱暴にグラスを置く。息が切れる。
「はあっ…はあっ…。」
そしてあの目を思い出す。
スタンド席で俺を見た、この男の眼差しを。
あの瞬間の、俺を見るエイジの潤んだ瞳。その眼差しが、あまりにも、
恐ろしい程に、美しいまでに、欲情をはらみ、狂っていた。
射貫かれたと思った。
だが、それが、何だ。
所詮、男だ。 ……下らねえ。
口にするまでもなかろう。
集中しろ、今、行うべきことに。
ルイは、水道の蛇口を閉め、洗い終わったエイジの服をきつく絞り、部屋に備え付けの乾燥機に放り込んだ。機械音が部屋にうなりを上げる。 ふと、酒の匂いがふわっと香ったような気がした。
「ルイ…。ごめん…。迷惑かけて…。」
気付くとエイジが背後に立っている。
白い浴衣の襟元が崩れているのが、鏡に映る。
「寝ていろ。酒が抜けるまで、
動くんじゃねえ。」
俺は鏡から、目を背ける。見たくねぇんだ。 あんな、傷のねえ、体は。
…綺麗だと思った、自分が許せねえ。
「ごめん…。みっともない真似…して…。
酒なんて、言い訳だ…。
俺は…。誰かに……、
解らせたかったのかもしれない…。
だけど、あんたは、そんな事まで。」
ゴミ箱には吐しゃ物をかき取ったティッシュが
無造作に放り込まれていた。すえた匂いがしている。
「俺…最低だ。」
「あんたにそんな真似させて…、ゲロの始末まで、させて、
あんたの手は、 演奏のためにあるんだ。
そんな事のために、使わせたらいけなかったのに!」
エイジは、子供のように泣きじゃくった。
俺は、弱さをまき散らすこいつが、直視できねえ。
だらしねえ。
俺だって、泣いたり笑ったり出来るような人生、歩んでねえ…。
甘ったれ。…クソが。
こいつの気持ちが、手に取る様にわかるだけに、痛む。
「宿代…、ああ、足りない。ごめん…。必ず、必ず払うよ!」
必死に財布を確認するエイジに、俺は苛立つ。
卑屈な野郎だ。
「いいから、寝てろ…。」 エイジの体がびくりと震える。
俺の苛立ちを読み取ったせいだろう。
奴が怯えている。
それだけで俺は苛立つんだ…。
勝手に、下手に出るんじゃねえ…。
俺をてめえの物差しで…測るんじゃねえ…。
嫌うかどうかは、俺が決める事だ。
お前じゃねえんだよ…。
「…ごめん。」
エイジの声に、俺はつい振り返った。
「…いつもそうやって、
人の顔色を窺っていて楽しいのか。」
エイジが、固まる。
「楽しくねえなら、…やめろ。
…見ていられねえ。」
エイジの手が震えている。
「ごめん…ごめんなさい…、俺…これしか。これしか出来ないんだ。
取引なんだ…。全てが…。
頼むよ!見抜かないでくれっ!
俺の生き方はこれしか知らないんだ!怖いよ…!あんたの目が怖い!
何もかも、わかっているような、底のない穴みたいな、
その暗い目が、怖いんだ。頼む…俺を許してくれ。
こうすることしか、何もかもと、つながる方法がねえんだ!
…だって、だってお前ら、そうしないと、
きっと、俺を見捨てるんだろう!?もう…嫌なんだ。
一人に…なるのが…。」
震えている。俺の言葉を待っている。
ひりひりと、奴の耐えられなさが伝わる。
だが、言葉にはしねえ。
その手には乗らねえ。
…下らねえ茶番に付き合う気はねえ…。
俺は黙って煙草に火をつけた。
そして、悲しそうなあいつが
俺との沈黙に耐えられずに先に口を開く瞬間、
あいつの顔面に、煙を吹きかけた。
激しくせき込むエイジが見える。 この煙越しに。
「…黙れ。」
灰皿に押し付けた煙草がへし折れる。
涙目で、俺を見るこいつの目が、嫌に濡れていて、腹が立つ。
何に苛立っているのかなんて今更自分でもわからねえ。
いや、解りたくねえ。そんなもの…解ったから何だ。
上気した顔、潤んだ瞳。
奴の疼き…、奴の欲情…。
下らねえ………。
そう俺は自分に言い聞かせるように念じる。
こんなことは全て下らねえ、
取るにも足らねえことだ。
だから、うるせえ…。
黙ってろ…。
そんなもんに…応えられるか…。
「もう…行け。」俺は奴を突き放した。
その時、わずかに胸の奥が軋みを上げた。
わかっている。
俺は、お前の感情のゴミ捨て場じゃねえよ。エイジ。
お前と俺は、対等なんだ。
「これを着て走れ。今なら、終電、ギリで間に合う。」
俺は洗濯が終わらねえ奴の服の代わりに、
自分のバックパックから替えの黒い長そでをくれてやった。
四の五の言っていたが、結局服は乾かねえし、
俺のだぶついた服しか 着られるものはなかったので、
あいつはそれを着て駅まで走った。
奴が部屋を出る直前に、俺は言った。
「こんな状態で、泊めるわけに行かねえ。
お前は…今すぐにでもマサのところに行くんだ。」
「あいつは、お前の事、よく見てる。
…俺なんかじゃ、ねえよ。
そんな顔、見せていいのは。」
わかっている。俺なんかじゃ、ねえ。
だから、行かせた。
俺がこいつの側にいたところで、
何が出来るんだ。傷のなめあいなんかで
何が変わる。誰が救われる。
ダメになるだけだ。
恐らく、俺も、奴も。
そして、俺はこいつをこれ以上壊したくなかった。
奴が本当に思っているのは誰なのか、
言ったら余計壊れるから言葉にはしなかった。
あいつを本当に守れるのは、俺じゃねえ。
それがわかっているから行かせた。
それだけだ。
それだけの、事だったんだ。
奴のいない部屋に、
残り火のような熱を感じる。
俺は奴のいたベッドに腰を下ろす。
ぎしっと、ベッドが軋む。
手を触れると、冷房の強いこの部屋で
お前の寝ていた場所だけが
仄かに温かかった。
お前の寝ていない片側は
氷のように冷たい。
その温度差に
…心のどこかが裂けた。
気付くと、俺の手は汗ばみ、
微かに震えていた。
煙草に火をつける。
灰皿で潰す…。
「…何もかもが…下らねえ夜だぜ…。」
俺は一人呟き、サイドテーブルの明かりを消した。
一人には広すぎる部屋の夜に沈み、
俺は目を閉じた。
「…。」
…エイジ。
翌朝、使われないままのアメニティグッズを見る。
しわくちゃに置かれたままの、奴の浴衣を見る。
全てが、奴の不在を示していた。
小さいIH型のケトルで茶を沸かす。
時計の針は5時だった。
置き去りになった奴のデカいリュックを背負い、俺はフロントへと向かう。仕事に間に合わせなければならないからだ。ホテルを出て、浦和美園駅に歩き出すと、朝日が差し始めた。
その光はオレンジ色の温かみを帯びた色彩を帯びていたはずなのに、俺には何もかもが真冬のように凍り付いて見えた。
次回予告 エイジ、夜に彷徨う!
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●烙印の核心:第10話 https://note.com/prime_lemur1632/n/nb6db7055e9b6 ●ルイの起源:満点の呪い第2話
《満点の呪い》第2話 《瑠衣の家 —沈黙の炉—》Rui’s House — The Furnace of Silence |関口直子
この二本を押さえますとますます深くお楽しみいただけます。
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