なろう作家”名もなき多肉”と大物YouTuber"Syamu game"の共通点
始めに
名もなき多肉とは2016年に◆銀色のスナイパー◆ 〜『異世界』+『天才狙撃手』+『カンストステータス』〜 で第4回ネット小説大賞を受賞したなろう作家です。いわゆる書籍化作家でデビューしたはいいもののあっけなく打ち切られてその後は続刊は無く、再起をかけた新作は2桁のブックマーク数で鳴かず飛ばず、デビュー前にしていた仕事も作家として食っていけると迂闊にも辞めてしまい、困窮して貯金を食いつぶす毎日という悲惨な現状と作家になるに至った半生を赤裸々にしたためた”第4回ネット小説大賞を受賞した、ある書籍化作家のエッセイ”を2019年に公開してなろう界隈で大きな注目を集めました。
エッセイの人気に自信をつけてなろうで新作をたて続けに発表してランキングに乗った作品に力を入れるという新作ガチャを行い一時は日刊ランキングの上位に乗りかけたことはあったものの結局チャンスを掴めず2021年に活動停止。2022年には別名義で場末の掲示板で活動しているのを発見されデビュー作の銀色のスナイパー(以下銀スナ)を墓標がわりとして残してエッセイごとすべての作品を削除してしまいました。
銀スナ以外の作品の削除の経緯からエッセイの内容はある程度”盛っている”ことは明らかですが、名もなき多肉という作家が銀色のスナイパーという作品でデビューして打ち切られたこと、再起をかけて新作ガチャを繰り返すも結果が振るわず筆を折ったということは本当です。当記事では名もなき多肉のエッセイの内容は基本的に事実として扱っています。
一方、Syamu gameは2014年にオフ会0人で例のアレ界隈で注目を集め、一躍ネットミーム化して有名になったyoutuberです。当初は知る人ぞ知る存在でしたが2016年から2018年のMADブームが巻き起こり”ちょっとアレだけどどこか憎めないネットの面白おじさん”というキャラが定着しました。
2019年に復活して旧twitter28万やyoutubeの登録者は26万と文字通りの大物youtuberに相応しい数字を得たはいいもの様々なトラブルの末に引退、2022年に迷惑系youtuberへずまりゅうの支援の元復活したはいいものの有志による名作MADを全否定して切り抜きの禁止など強硬な姿勢で旧来のファンの失望を招いた結果、2期とは比べ物にならないくらい数字が落ち、一か月余りで再び引退して、数か月で再び復活して現在も細々と活動中です。
youtuberとなろう作家、ジャンルを違えどネットで脚光を浴びて、ある程度の注目度を得ながらもチャンスをモノにできないという点は両者とも同じです。大谷翔平など成功した人間の場合、本人の資質による点が多くあまり再現性がないので参考になりえませんが、失敗している人間には多くの共通点があります。これはクリエイター界隈に限らず夢を追うものすべてが反面教師にするべきことなので、二人の共通点を一つづつ挙げていきましょう。
悪い意味で金に執着しない
名もなき多肉(以下多肉先生)はエッセイでバズったこともあり、noteなどでエッセイを有料で販売したりエッセイをまとめたものをAmazon kindleなどで販売することをたびたびファンから提案されていました。2ちゃんねるで単独スレが立つなど一定のヲチ勢がいたのでエッセイをマネタイズするように動けば月数万円は稼げて生活費の足しにできました。
しかし、多肉先生はあくまで作家としてヒットして承認欲求を満たすことを優先してなろうで新作ガチャを続けて疲弊していきました。小説家という肩書で自分をバカにしてきた人間を見返して、ファンからちやほやされることが目的で自分の作品を金に換えるという視点が致命的に欠如していました。
Syamu game(以下syamuさん)は2期から比べ物にならないぐらい数字が落ちた現在でもyoutubeで継続的に動画投稿を続ければ月数万円は稼げるくらいの再生数は維持しています。しかし、syamuさんの場合はアンチを見返してガチ恋助詞のハーレムを作ることが目的なので動画配信はあくまでお小遣い稼ぎ程度で配信で生活していくという発想が皆無です。
クリエイターを志す上で承認欲求は避けては通れないものです。しかし、専業で食っていこうとしたら、自分のコンテンツをどうマネタイズしていくかのセンスはある意味、作品のクオリティ以上に重要な事です。
youtubeのキャッチコピーの一つに”好きなことで、生きていく”というものがありますが、好きな事だけやっては生きていけないのもまた真理です。何を仕事にするのは自由ですが、その道でやっていこうと思ったらしっかりと食べていく道筋を考えましょう。
数字に対する嗅覚が無い
鉄は熱いうちに打てとはよく言いますが、第一期でシバター氏とコラボした際に再生数を稼げるコラボ動画よりも撮影した順番を優先してupしたことをアスペ特有のこだわりとシバター氏に唾棄され、センスの無さを批判されていました。この例に限らず再生数やバズることよりも自分のこだわりや米ルールを優先して旬を逃す点が多々見受けられ、リスナーから歯がゆい思いをされています。
多肉先生も新作ガチャのうちの一つがランキングに入ったことがあるので、ここで一点張りをして投稿を続ければPV数が伸びてワンチャン書籍化の可能性もありましたが、自分の本当に書きたい作品である”ずっと、鴨川のほとりで”というなろうでは到底数字が取れないであろう純文学作品に浮気してランキングが急落して期を逃してしまいました。
二人ともポテンシャルはあるのに他者からは理解しがたい自分の”こだわり”を優先してチャンスをものにできません。プロとしてやっていくには数字を稼ぐのが第一で、自分の好きなことは数字という結果を出した後です。この優先順位を間違えるとあっという間に落ちぶれてしまいます。
自分のファンと作品のファンを勘違い
syamuさんはフリーゲーム”のび太とバイオハザード(通称のびハザ)の実況プレイが好調だったことに味を占めて顔出しでの活動を始めます。これはsyamuさんがのびハザ実況の人気=自分という配信者の人気と勘違いしたことによるものです。さらに自分が人気者という自惚れから自分は女性リスナーにモテると錯覚して、オフパコを妄想した末に後のオフ会0人事件へと繋がります。
多肉先生もエッセイが注目され始めた際は作品よりも”名もなき多肉”という作家が注目されていました。エッセイは2020年中頃までは月2回ほどで定期的に投稿されていることもあって読者が順調に増えており、この状況から自分の作品も受けると踏んで新作ガチャを続けましたが”勇者パーティを追放されたので最強スキル「確率操作」でざまぁします 〜1億回コインを投げて1億回表をだす冒険者はひっそりと生きたいのに周りが放っておかない〜”(通称:確率操作)などの一部の作品を除いて書籍化ラインには到底届かないレベルの凡作を連発することになりました。
プロとしてやっていく上で自分(作者)についているファンか作品についているファンかの見極めは重要です。syamuさんの場合は最初はのびハザ実況でファンがつき、その後オフ0でバズってsyamuさん本人にファンがつきました。多肉先生の場合も最初は銀色のスナイパーにファンがついた結果プロデビュー、後にエッセイで多肉先生と言う作家にファンがつくなど、この傾向は一定ではないのでベテランの作家もしばしば読みを誤ります。作家と作品につくファンによって求めるモノも変わってくるので、ファンが離れないようにこのことは常に頭に入れておきましょう。
一度の成功体験に脳を焼かれる
多肉先生が作家業を志したきっかけは中学生時代に恩師の木島先生に自分の書いた小説を褒められたことです。おそらく学習障害から真面目に授業を受けていたにも関わらず成績不振で憧れていた知的職業に就くことは不可能と諦めかけていた中、作家としてデビューして周囲から先生と称賛されることは多肉先生の人生の目標となりました。結果、小説一本に人生を賭けてプロデビューに至るわけですが結果は御存知の通りです。
syamuさんものびハザで10万という再生数でyoutube一本でやっていけると思い込んで就労という道を放棄してしまい。いい年した今でも親の脛を齧り引きこもっています。二人とも今までの人生で一切の成功体験を積んでこなかったので少し結果が出た、人に褒められたという事実が脳に刷り込まれて小説家で成功する、youtubeで食っていくという道筋以外の選択肢が目に入らなくなってしまいました。
どんな作家やクリエイターでも才能が枯れることや加齢により時代についていけなくなったり、生活環境の変化で活動を断念しなければならない可能性は0ではありません。視野狭窄にならないようにクリエイティブな方面以外でも拠り所を作っておきましょう。
無趣味
多肉先生の唯一の趣味は読書です。かつての職場が大学の図書館だったこともあり本の虫冥利に尽きる環境でした。しかし、作家デビューとともに図書館の仕事を辞して大学の文芸サークルも後述の出来事で追放。さらに自分より格下と見下していた作家が順調に続刊を重ねていく現状に対する嫉妬から小説を読むこと自体ができなくなり、実質無趣味状態となりました。なろう作家にも関わらずオタク的素養が無く、後述のリレー小説のサイトでもアニメや漫画、ラノベの知識がないため話題に入って行けず、ゲームが趣味のなろう作家たちとも交流できずに孤立していました。
syamuさんも無為徒食の生活の暇つぶしの手段として映画にスマホゲー、漫画やラノベなど多様なジャンルに手を出していますが、趣味といえるほど打ち込んでいるものはありません。視聴した作品についても内容を掘り下げるということができずに浅いことしか喋れませんでした。配信者であれば趣味があれば雑談のネタになりますし、作家の場合は作品のアイデアに繋がります。実利以外にも活動の息抜きがあればそれだけで私生活を豊かにできます。
どんな生き方をしていても依存先を増やすことは良いことです。夢を追うにしても夢ばかりを見ずに趣味に目を向ける心のゆとりを持ちたいものです。
コミュニティクラッシャー
ピアプロの掲示板を筆頭にアーカイブこそ残っていませんがライトノベル作法研究所のリレー小説企画、最新の例ではアッシュテイル粘着疑惑、もっと遡れは製氷工場でのたらい回し等、syamuさんがありとあらゆるコミュニティで爪はじきにされてきたことは有名な話です。
多肉先生もリレー小説のサイトで高校を中退していて、小学生レベルの算数にも難儀する学力にも関わらず大学の数学講師という嘘八百な経歴をひけらかしながら些細な誤字や”てにはに”などの細かい言い回しを指摘してマウントを取ってコミュニティから煙たがられていたようです。リアルでも大学の文芸サークルでプロデビューして天狗になって横柄に振る舞ったが挙句、打ち切りをきっかけに侮られた末、サークルに出入りしていて後にプロ作家として成功する旧帝国大学の大学院生の通称旧帝に作品を酷評されサークルに居場所がなくなってしまいました。
社会不適合者が創作方面を志す理由の一つにコミュニケーションからの逃避があります。京アニ事件の青葉被告は人と関わらずに身を立てる手段としてラノベという道を選びましたが結果は悲惨なものでした。youtubeやなろう作家であっても人との関わりは避けられません。本気で成功したかったら他者とのコミュニケーションから逃げずに真剣に向き合うことが必要です。
肩書への執着
多肉先生は”作家”という肩書きへの執着が尋常ではないです。エッセイでは第4回ネット小説大賞受賞作家と長々と書いていて無意識のこだわりが透けて見えました。元々文章を書くのは好きだがお話を考えるのは苦手と言っていました。実際、多肉先生の文章は癖が無くて読みやすくエッセイではその手腕がいかんなく発揮されていました。
読者からゲームのライターなど高い文章力を活かせる仕事を勧められることもありました。腐っても商業で本を出した実績があるのでゲーム会社などにライターとして営業をかければ仕事にありつくことも不可能ではありません。しかし、多肉先生はあくまで作家という肩書にこだわり続けてスランプに陥り、ついには筆を折ってしまいました。
syamuさんもやる気を失ったにも関わらずyoutuberという肩書にこだわって低クオリティの動画をつまらないのがsyamuコンテンツと言い張って惰性で投稿を続け、それもままなら無くなればフォトグラファー、AI術師、バーイベンターなど薄っぺらい肩書で無職で何者でもない現状を誤魔化し続けています。
人それぞれ適正は異なりますが、なりたいものとなれるものは違います。行動の結果として肩書がついてくるのであって肩書で実績が身に着くことはありません。肩書にこだわるよりも行動で何かを得るように前向きに考えていきましょう。
童貞
多肉先生は四十代後半で童貞であることを公言していました。性欲は衰えていますが、同じ文芸サークルの女子大生の通称翡翠と良い仲になること妄想するなど過去に謳歌できなかった青春を取り戻すことを忘れてはいません。高校での凄惨ないじめ経験から自分を毛嫌いしてくるクラスの女子たちを小説内で凌辱して鬱憤を晴らしていたことからファンに官能小説家の道を勧められた際には経験がないので無理と断っていました。
作家にとって童貞は必ずしも不利ではなく妄想力を活かして尖がった作品を生みだす例をも珍しくありません。しかし、多肉先生の様に変に真面目でこだわりが強いと活動の幅を縮めることに繋がりかねません。
またsyamuさんも童貞を公言していますが、童貞をこじらせたが挙句、自分の童貞に10代アイドルの処女級の価値があると妄信してネカマの気を引くために童貞を餌にして精スプをしていました。中年になっても童貞を維持して認知が歪んだり活動の幅を狭めるくらいなら、プロのお姉さんの世話になった方がいいと思います。SEXを経験するかしないかは自由ですが、決断は早い方がいいです。
福祉の拒絶
エッセイで書かれた多肉氏の学校での様子や職場やサークルでの様子を見るに彼には発達障害の可能性が極めて高いと言わざるをえません。銀スナを打ち切られ、恩師の木島先生から紹介された大学の図書館の仕事を辞め、さらに文芸サークルからも追放されてからは、元々不仲の家族とは絶縁状態であることも相まって一切の社会的な繋がりが断たれてしまいました。
将来の不安を紛らわせるために持病のアトピーが悪化することも厭わずに安酒を浴びるように飲んで眠り、精神に失調をきたして賃貸にも関わらず部屋を滅茶苦茶にして何日も放置、さらに余り物騎士団という作品では読者に主人公が憎っくき旧帝に似ていると指摘されて、自作の登場人物を本気で憎んだが挙句、凄惨な処刑の末に打ち切りにするなど多肉先生の精神は誰が見ても異常な状態でした。
しかし、多肉先生は精神科の受診や発達障害の診断、障碍者雇用など福祉に繋がることをたびたび読者に勧められたにも関わらず自分で治療できていると福祉の助けを借りることを一切拒否していました。
3期でB型作業所に通所していたことが分かっているsyamuさんも同じような傾向があり、病弱アピールは頻繁にするものの知的障害の類は一切否定して認めようとしません。B型作業所の利用が認められた以上は何かしらの診断名があるはずですが、病名もうろ覚えで自分ごととは考えていません。
二人とも昭和の生まれで障害者に対する偏見が強い時代を生きたことを加味しても頑なです。障害を受容して福祉に繋がり自活した上で創作活動する道はいくらでもあります。発達障害があっても優れたクリエイターとして活躍する方はたくさんいるので、社会生活で行き詰まる前に福祉に繋がる選択肢は考えておきましょう。
年齢マウント
多肉先生は年齢に強いこだわりを持っています。リレー小説のサイトでもおそらく中高校生に人生の先輩面をして説教をしたり、糊口をしのぐための日雇いバイト先でも年下の人間から指図されることにプライドを傷つけられていました。小説以外でなにも積み重ねていないと自覚がありつつも年相応な人間として周囲から扱われたいと切に願っていました。
syamuさんも性欲の対象であるガチ恋助詞以外の年下の人間に対して事あるごとにマウントをとってきます。チャベリというチャットサイトで自分の歌声をJKに普通を評された時は見返してやるとムキになりました。Xでは野外でアカペラを披露する動画を高校生から”音割れおちょぼ口”と揶揄されて激怒して恫喝まがいのリプを送って鍵垢に追い込んだりと年下から舐められることに筆舌にしがたい屈辱を感じています。またsyamuさんが年下の年齢の人間とばかり構うのは年齢でマウントをとるためという説もたびたび唱えられています。
なろう小説もyoutuberも数字や人気がすべての世界でサラリーマンのような年功序列が通用しない世界で年が上だからなんだという話です。それ以前にいい年して年齢しか拠り所が無いことは大変みっともないことなので、クリエイティブな世界で生きる気があるなら年齢でマウントをとろうなどと考えず、実力をまず磨くことを心がけましょう。
かまってちゃん
多肉先生はエッセイで自分のことを頭が悪い、アトピーで肌が醜い、人間のクズとやたらと自分を卑下する表現が頻繁に登場します。多肉先生は体調不良で寝込んだ時もリアルで誰も体調を案じてくれないことを気に病んだり、日雇いバイトの際に機材を足に落として指の爪が割れるほどの怪我をしましたが周囲は機材の心配ばかりで怪我の心配を誰もしてくれないことに酷く落ち込んでいました。卑屈な発言が多いのも何とか誰かに構ってもらいたいという孤独な中年男の悲哀を感じます。
メンタルが脆く、批判に弱いにも関わらずアンチコメが来るのを承知の上でコメ欄を閉じないのは、自分をちやほやしてほしい、読者からの賞賛が少しでも欲しいという承認欲求に飢えた結果でした。
syamuさんは一昨年のXの旧垢や配信では自殺を仄めかす発言が目立ち、自分の父親である焼肉氏から怒られると衝動的に配信を始めて優しい言葉をかけてほしいと漏らしていました。二人ともネットを除けば世間話をする知人や悩み事を相談をする友人もまともな関係を維持している家族や親類もいない完全な孤立した荒廃した環境にいるので精神を病むのも無理からぬことです。しかし、女性配信者であればメンヘラ的な配信スタイルは一定の需要がありますが、過半数からは異様な目で見られることは覚悟しなければなりません。
あくまでクリエイターは創作物でファンの関心を買わなければならないので、ファンに慰めを求めるような真似は控えましょう。
異様なプライドの高さ
多肉先生はプライドの高さからデビューした後も同じなろう作家と頑なに自分から交流しようとはしませんでした。デビューしたての新人作家にも関わらず、大物気取りで向こうから話しかけてくるのを上から目線で待っていました。
本当は人と関わりたい友人が欲しいと思っていたのに孤高の作家と言う自己認識に逃げて、人との関りを避けて銀スナを打ち切られた後に他の作家と仲良くしておけばよかったと後悔していました。多肉先生はこの心理を嫉妬は苦しいが怒りは楽だと分析しています。友達でわいわいしている人間を妬むより、ちゃらちゃらしていて下らない連中だ、そんなものに自分は興味がないと思った方がまだマシで気持ちも誤魔化せるが、本質的な解決にはならないというのは真理をついています。
syamuさんも旧X垢では案件やコラボ狙いの企業や大手の配信者しかフォローせず、相手にされてないと分かるとあっさりフォローを切っています。支援者や交流のある配信者や純粋なファンは自分からは一切フォローしませんでした。今でもヒカキンやみけねこといった比べるのも失礼なほどの大物配信者とのコラボを望んでいますが自分からろくに動こうとはしません。
この受動的な姿勢は身の丈に合わない異常なプライドの高さからきていると思われます。自分から積極的に働きかけて拒絶されるよりもコラボや案件を投げてくれたら考えてやってもいいという上から目線なら相手にされなくても向こうの見る目が無いと自分のプライドを守ることが出来ます。
学校の友達作りなどもそうですが、自分から声をかけなければ友達の輪は広がっていきません。syamuさんも多肉先生も身の程知らずなプライドの高さから人間関係を広げることが出来ずに孤立しました。人間関係に限らず世の中は自分から動かなければ何も始まりません。ちっぽけなプライドに固着せず、積極的に行動して人と関わりましょう。
自分のウリを理解しない
syamuさんの最大の魅力は天然なところで、ファンが求めるのはそういったどこか抜けた天然な面白さを弄ることです。オフ0報告動画やオリジナルメニューの奇抜なセンス、動画の独特の編集技術(対馬編集)を転載先のニコニコ動画のコメントで弄った結果爆発的なブームを巻き起こしました。素材の多さからMAD文化も花開きネットミームとしては不動の地位を確立しました。3期復活の際にそういったsyamuコンテンツの強みを全て潰した結果当然の如くオワコン化しました。
4期ではたびたび炎上していますが純粋にバズったゲーミング埠頭などは弄られるのが嫌だったのかそれ以降は自分の姿を動画に映すことすらしなくなりました。企画そのものは二番煎じが多いsyamuさんにしては彼ならではの独自性が光っていたので本当にもったいないです。
多肉先生も読者が求めていたのはエッセイです。しばらくはエッセイに力を入れてサブコンテンツとして小説を書くという路線を継続するべきでした。エッセイに未掲載のネタとして女性遍歴の話やリレー小説サイトの顛末など
まだ引き出しはあったにも関わらず、作家業への早期の復帰に固執して新作ガチャに失敗して心が折れてメインコンテンツであるエッセイも削除してネットから消えてしまいました。
世の中、何がウケるかは分かりません。自分の望む方向で支持を得られれば言う事は無いですが、世の中そう都合よくいきません。クリエイター業である以上、数字を稼ぐ以外の選択肢はないのでたとえ不本意ではあっても自分のウリを正確に把握してアピールしていくことが成功への近道です。
労働への蔑視
多肉先生は銀スナが打ち切りになるまで誰でもできると思っている肉体労働や人にぺこぺこ頭を下げる接客業を賤業として徹底的に見下していました。高尚な作家を志す自分とは違う劣った人種と侮蔑してはばかりませんでした。
しかし、図書館の仕事を辞め、銀スナも打ち切られて困窮すると今まで見下していた肉体労働や接客業に応募してもろくな職歴がないことと年齢的な問題でどこからも相手にされず、やっとありついたライブ会場の設営バイトも仕事に全くついていけず、年下の上司からはどやされるなどして今まで下に見ていた仕事すらもまともにできない現実に絶望していました。
syamuさんもバー店員とは名乗らずバーイベンターと称したり、3期復活時のしーちゃんの暴露配信でも清掃業などを蔑視する発言をたびたびしていて、いわゆる3K職を見下していることが透けて見えます。アルバイトでもしなが
らyoutuberとして活動して食える様になったら専業にすればいいという真っ当なアドバイスが響かないのはsyamuさんのスペックだと肉体労働くらいしかないのを薄々分かっているからでしょう。
肉体労働も接客業も世の中に必要な仕事で何も恥じいる必要はありません。下らない偏見で何もできなくなっている人間こそが真に恥ずべき存在です。あのヒカキンも売れるまではスーパーで働いていたので作家業や配信業が軌道に乗るまでは兼業で生活の当てを確保することはリスクヘッジとして絶対にするべきです。
自己愛

多肉先生は恩師である木島先生の紹介で大学の図書館で非正規の職員の様な立場で長年働いていました。給料は決して高くはなく仕事の内容もノートパソコンの貸し出しや雑用が中心で多肉先生はこんな誰にでも出来る下らない
仕事はいずれ大作家になる自分にはふさわしくないと常々不満に思っていました。
しかし、高校中退でまともな資格もない多肉先生にとってはこれ以上ないほどに恵まれた環境で、仕事を辞めて困窮した後に死ぬほど後悔していました。SNSでも大学の文芸サークルでもプライドの高さから自分の素晴らしさに気づいて向こうから声を掛けるべきという一匹狼気取りな姿勢で浮いた立ち位置で孤立を深めていきました。
これらの思考は自分を根拠なく優秀で価値のある存在と思い込む自己愛性パーソナリティ障害で説明できます。こうした歪んだ自意識は多肉先生のエッセイに並ぶ傑作であるニクペディアには自分が重要で周囲から絶賛を集め集めるに値するという過剰な自意識が集約されています。
syamuさんも自分の横柄な振る舞いを自分は”特別な存在”と思い込んで正当化しています。周囲からの支援や善意を平然と踏みにじれるのも偉大なレジェンドyoutuberである自分には当然の待遇と認識しているからだと思われます。
実際一昨年のあたおかバーの時に自身の病名を自己愛性なんちゃらとカミングアウトしていて、syamuさんの認識があやふやではありますが可能性は極めて高いと思われます。実際に3期復活以前の2期で醜態を晒しつつもまだ間抜けだけどどこか憎めないネットの面白おじさんのイメージが残っていた頃でも彼を自己愛性パーソナリティ障害であると考察する人はいました。
二人とも元から自己愛的な人格を有していたところに時流に乗ってなろうデビュー、たまたま炎上してネットミームとしての知名度を得るなど、文不応そうな立場を得て脳が破壊されて完全に歯止めが利かなくなり、まともな社会生活が不可能になりました。
文学者の三島由紀夫も自己愛性パーソナリティ障害であったと言われますが、たとえ自己愛的で尊大な人格であっても、それに匹敵する才覚があれは社会的な成功を得られます。しかし、ほとんどの場合は歪んだ自己愛は自分の力量を過信して失敗を招くリスクとしかならないため可能であれば速やかに矯正しましょう。
ネタが寒い
多肉先生はよく小説の地の文で作者である自分が出しゃばってメタツッコミをすることを好み、ネット民の受けを狙ってsyamuネタや野獣先輩などの例のアレネタを仕込むなど作者だけが面白いと思っている寒いノリを連発していました。
syamuさんも上手いことを言おうとして滑り、それをネタに昇華できずに場を白けさせることが度々あります。旬の過ぎたネタをしつこく擦る等、世間知らずで幼稚ですが感性だけはしっかり”おやじ化”しています。
中年以降になると笑いのツボがズレていくことはままありますが、二人の共通点としてはネタの寒さを再三人から指摘されても一向に改善する気が全くない点です。
自分の面白いと思うことを突き詰めることは大切ですが、エンタメの世界では客観視することを心掛けなければ客を無視した独りよがりな方向に流れていきます。人からの真摯な指摘は謙虚に受け止めてセンスを磨いていきましょう。
ファンを蔑ろにする
syamuさんはガチ恋助詞のケツを追いかけることとアンチを潰すことだけに夢中でファンを邪険にすることは有名な話です。4期になって単独で活動するようになってからは特にその傾向が顕著で十万円近いスパチャを投げた零細youtuberグラハム中将に塩対応を徹底して愛想を尽かされ、学校でsyamu動画を見るほどの男子高校生ファンのsyamu純粋派(ゴトヒロ)がガチ恋助詞(ネカマ)を侍らせて悦に浸っているClsterに遊びに来たら秒でサーバーごと移動して排除するなど、どれだけ支援しても男というだけでsyamuさんは勝ちを見出しません。女性も例外ではなく少しでも批判したり面倒くさいことになれば容赦なくブロックします。
多肉先生も辛口な批判をしていた”へのへのもへ”というアンチ寄りな読者を自分の作品にへのーという悪役として出演させたり、編集や添削を買って出てくれた女性読者の”こまどり乳酸菌”を自分の承認欲求を満たす目的で作った自分wikpedia(通称ニクペディア)に勝手に自分の編集者のモデルとして記載したりと傍から見れば面白いですが、当のこまどり乳酸菌は困惑していて
その反応は微妙でなものでした。
syamuさんに比べれば自分のファンには寛容ですが読者との距離感がおかしい面も多々あり、自分の作品を好きでもないのに書いてると純粋なファンに対する配慮にも欠けていました。ランキングが評価ポイントについて気に病んでポイント乞食紛いのこともしていましたが、根っこには捨て鉢になって自分の作品に対して愛着が無く悪い意味でファンの存在を気にしていませんでした。
クリエイティブな仕事は作品のクオリティだけでなくクリエイター本人の好感度も極めて重要です。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということわざの通りクリエイターが嫌われれば作品も忌避されます。syamuさんは論外ですが多肉先生の姿勢も地味に反感を買うので、ファンへの対応は誠意をもって行いましょう。
虚言癖
多肉先生は匿名掲示板をはじめ、銀スナのあとがき、書籍化の際のインタビューで自分の経歴を盛るために嘘を繰り返していました。嘘とまではいかないものの大学の図書館で非正規で働いていることを大学で働いていると人に話して大学の正規の職員や何かの研究者であると誤解させて悦に浸るなど嘘に対する罪悪感が全くなく一時的にでもきらびやかな架空のスペックでちやほやされることに依存していました。
アトピー
多肉先生が高校時代に凄惨ないじめにあったのはアトピーで荒れた肌をベトナムの難民とからかわれたことがきっかけです。いじめのストレスから肌をかきむしり、はがれた皮膚を口に詰め込むなどの体験は生々しく胸が詰まります。syamuさんもアトピーに悩んでいて自身が作曲したさよならアトピーの歌詞を見ても自分の肌に対して強いコンプレックスを抱いています。
二十代の頃働いてきた製氷工場では寒暖差が激しいからかアトピーが悪化して職を辞しています。物事を成功させる上で知力や才能も大事ですが体力や健康も極めて重要です。特に皮膚の場合は見た目に影響するのでいじめ
や容貌に対するコンプレックスを生みやすく健全な自尊心を育むことを阻む場合も多いです。
多肉先生やsyamuさんのアトピーは生まれつきのもので本人の責任ではないのでそれ自体は批判の対象ではありませんが、二人ともアトピーを悪化される様な不摂生を繰り返しています。特にsyamuさんは第一期でアトピーに免疫をつけるためと加工食品を食べることを正当化していたので、もし何かしら疾患がる場合は正しい知識を身に着けて症状の改善に努めましょう。
多肉先生は嘘八百の膨大な設定をテキストにまとめて矛盾が生じないようにしたり、嘘の中に事実を一部混ぜるなど工夫を凝らしていましたがsyamuさんの場合はその場しのぎの嘘が大半で自分を盛るということはあまりしません。被害妄想の激しさから自分の都合のいいように事実を歪めたり、そもそも認知機能が低いので意識して嘘をついている訳ではないが事実ではないという事態がたびたび発生します。
何であれ嘘は一つつけば整合性を維持するために次々と嘘をついて雪だるま式に膨らんでいって収集がつかなくなります。特にネットの場合はログが残るので過去に遡れば矛盾をつくのは容易で虚言壁との相性は最悪です。
過去の栄光に縋る
多肉先生は小説であればジャンル問わず様々な公募に100回以上投稿したはいいものの一次選考すら通らず二十数年もの間底辺ワナビに甘んじてきました。しかし、なろうに投稿を始め流行の異世界転生物の銀スナを投稿した結果、時流に乗って5000以上のブックマーク数を稼ぎ第4回ネット小説大賞を受賞してプロデビューして続編や次回作を出すことなく打ち切られてしまいました。
その後は当時流行していたざまぁ系の作品で起死回生を狙いますが鳴かず飛ばずでなろうから足を洗ってしまいました。かつてはジャンル問わず公募とみれば投稿するフットワークがあったにも関わらずなろうでプロデビューした栄光が忘れられず熾烈なランキング競争が繰り広げられるなろうに執着して疲弊した挙句、心が折れてしまいました。
syamuさんもyoutube以前にもラノベに作曲、ニコニコでゲーム実況ととクオリティはともかく様々なジャンルに挑戦していましたが、オフ0事件以降は大物youtuberとして皮肉で持ち上げられたことが忘れられず、オワコン化したあとも自らをレジェンドと称して動画投稿をサボって殿様気分で横柄に振るまった結果、ファンが離反してアンチが激増する事態を招きました。
過去の栄光というのは自信に繋がりますが、それは”過去の自分”だからこそ掴めた側面は無視できません。過去の栄光を再現しようとしても同じような成果は得られず、現在の自分の可能性を狭めることに繋がりかねません。過去の栄光はあくまで過去のものと割り切って誇りにしつつ、現在の栄光を追求できるかどうかが成功の鍵となります。
まとめ
ここまで二人の共通点を追ってきましたが、クリエイティブな仕事は社会不適合者の逃避先では無いということが結論です。破天荒な人気配信者などがよく自らを称して社不と自嘲していますが、彼ら彼女らもファンを大事にして仲間との関係も良好だからこそある程度の狼藉が許容されているのです。
なろう作家にしろ動画配信者でも夢を実現させたいなら最低限の常識やコミュニケーション能力を身に着けてからでも遅くはありません。私はジャンルに関わらず努力して夢を追う人を心から尊敬します。夢破れた二人の中年男の姿から明日は我が身と気を引き締めて自分の目標に向かって突き進んでいただければ幸いです。
