【山歩エッセイ】壮士ひとたび去って、復た還らず――冬の対馬・神崎灯台と歴史遺構を巡る旅【下対馬】
2026/08/20追記の前書き
豆酘崎
対馬市厳原町豆酘(つつ)にある「豆酘崎灯台」からは、微かに丸い水平線を一望できます。
次の写真は2004/9/12に撮影したものです。



神崎灯台……今回の目的地

今回は地元の方の案内で、左手前のこちら側(西側)をスタートし、くびれの手前のところで裏に回り、向こう側(東側)を歩いて目的地を目指します。
2005.1.15(土)神崎
晴れ。北西風が吹く。そうまで寒くない。職場の同僚Kさん他2人(この2人はKさんの個人的知人であり、私の知人ではない)と同行。
4人のパーティを構成。
08:50 浅藻 0歩
いきなり入口からして判然としない。Kさんが黄色のビニールテープを巻いている。その案内によって進む。
キクラゲが生えているところを初めて見た。

09:25 浅藻25番地(小休止) 1,753歩
竜良山の原生林を行く様な感じだ。西側斜面上を進むため、この時間帯は明るさが足りない。

途上、イノシシや鹿のフンがやたらとある様子だ。崖の上から神山・豆酘崎を見る。
樹間から神山を見ながら、神崎のある半島のくびれに向けて、急な下りを行く。そして、また上る。
10:18 要塞地帯標柱(くびれ)
白い沈丁花が咲いている。


神崎の半島に入ってからは東側斜面を進む。樹間から見える空と海が青く美しい。
対岸の松無浦の特攻基地跡を見る。4箇所あるらしい。
「史記」刺客列伝中の歌、「風蕭々として易水寒し。壮士ひとたび
去って、復た還らず」を想起する。
こちらの場合なら、どうだろうか?「壮士ひとたび去って、復た還らず」はいいとして、前段は……。「浦の潮碧く澄み、海峡波頭白し」だろうか。すっきりしない。うまく出来なかった。
10:30 「黄金の泉」通過

11:00 神崎灯台(~11:40) 6,082歩

Kさんが持ってきてくださった弁当を分けていただく。おいしかった。
空も海も明るく、鮮やかに青かった。
菜の花が咲いている。水仙とともに。
明治から昭和までの灯台守や軍関係の生活の跡を見る。石垣や階段が、建物が、樹々に覆われ、潮風に朽ちようとしている。灯台は、まだまだきれいだが。
階段を海へ降りる。途中の急なハシゴのところで引き返した。

風雨が浸食したのか、岩場が独特のオブジェを形成している。

空を見ると鷹が飛んでいるが、撮影できなかった。
11:55 「黄金の泉」水汲み
採水した。500mlペットボトル2本。澄んだ冷たい水だった。底に水棲生物がいたから、大丈夫な水だろう。
事後遡及の因縁話であろうが、ここで水を汲んだ人が出世したことに由来するらしい。
復路序盤、頭上にかぶさる木の堅くて太い枝に、頭をぶつけ痛かった。
12:25 特攻基地跡を望むポイント

どうしても、「史記」刺客列伝の「風蕭々として……」が頭から離れないので、イタいことを承知して、駄詩を書きとめた。
(一)
浦静かにして海峡波高し。
壮士ひとたび去って、復た還らず。
(二)
潮澄み渡る松無の浦、白き波頭の冬の海峡。
壮士発ちて顧みるなし。ひとたび去って復た還らず。
帰りもアップダウンを繰り返しながらぼちぼち進む。
Kさんの連れの2人は疲れている。ヒザがかなりつらいようだ。
午後になり、優しい冬の日差しが、樹々や葉々を美しく輝かせている。
13:50 浅藻 13,678歩
浅藻の潮はエメラルドグリーンだった。ノリの養殖をしていた。
Kさん達と別れる。
今日のコースはKさんが居なければ、迷わずに歩くことは不可能だった。
判りにくかった。
しかし、自然と史跡の中で遊ばせてもらい、本当によかった。
2005.1.29(土)撮影の写真
厳原町豆酘を再訪しました。
防波堤の先に歩いていったところ、海面のうねりと波の盛り上がりに空間感覚がおかしくなって、自分まで揺れてしまい酔った気分でした。
「転落したら、絶対に助からない」と確信するほどの凄まじさでした。



2005.1.30(日)撮影の写真
姫神山砲台跡


城山









阿連の洞門
対馬市厳原町の西岸にあります。


燃費まとめ
2005.1.15 547.7km/40L=13.692km/L
