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中3の夢、高1で醒める。/宮崎市定先生を慕って―連作「科挙 中国の試験地獄」(1)

本作品はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

第一話 自己実現という洗脳

私が中学校三年生の頃、父親とこういう会話をした。
当時、父がこう言った。
「お前は本当に歴史物が好きだな。宮崎市定って凄い先生の出身大学、京都大学の文学部、目指してみるか?」
私は答えた。当時の私は非常に身の程知らずであった。
「え?三国志を研究して、生活できるの?行きたい!」
「お前は、粘り強く一つのことに取り組めるし、地味な作業も厭わない。むしろ楽しそうになる。きっと歴史学者に向いている。やってみるか?!」
「よっしゃ!」
 
私が高校に進学した後、一年生のとき、父親と次のような会話を交わした。
「父さん、歴史学者って、ご飯食べられないよ。食い扶持が大学に残るか、学校の先生くらいしかないよ」
父はまるで、(こいつ、気付いてしまったか。)という表情をした。そしてこう言った。
「……そうだな。ならどうする」
「自分でも正直、首をひねらざるを得ない選択だけど、父さんと同じ、食いっぱぐれのない法学部に進もうと思う。なんか妥協みたいで嫌だけどさ。家庭から独立できないのはダメでしょ、父さん」
「お前の選択でいけ。法学部に進んだ方が後悔しないだろう」
淡々とした日常会話のような、切ないやり取りだった。
 
その後、私は父の母校である大学に進学し、地元に戻って公務員になり、両親から独立した。
 
もし、私があくまで歴史学者への夢を追い続けたなら、果たしてどうなっただろうか。
少しの間、私の妄想にお付き合いいただきたい。
 
紀元六世紀終盤以降の中国には、世界史の教科書で「科挙」――「科目による選挙」という、国家官僚の登用試験があった。
詳細は、別の話で述べさせていただく。

ここでは、将来の栄光を確約するかのような、夢へのパスポートを得られるような、そういう道が国家によって用意されていた。……というに留めておく。
その科挙が現代日本に存在したならば、そして、科挙及第という夢に取憑かれたら、何が起こるだろうか――。
元祖・科挙(男性しか受験できない)を現代風にして空想してみよう。
 
――ある弁護士の家族の家。
夕食の席で小学校六年生の娘・晴空(せいら)が、両親に担任が熱く「自己実現」について語ったと告げた。そして、「科挙」を受けたいと言った。弁護士の父親はその志の高さを喜んだが、夫の法律事務所の事務員である母親と、高校二年生の兄と、中学校三年生の姉は懐疑的だった。
しかし、その場では言わなかった。
(ま、夢を見るのは結構だけど、プライドを打ち砕かれて、現実を思い知るでしょ……お父さんは晴空に甘すぎる)
(自己実現?……俺も言われたけど、誰も責任とらないスローガンじゃね?)
(あー、あの先生か。私も言われたよ。同級生は『アイツは頭がおかしい』と嗤ってた。まったく同感(笑))
 
晴空は高校を卒業すると、科挙に応じ記念すべき初受験をした。
もちろん不合格。
大学時代にも受験した。不合格。
学生時代を終わってからも受験を続けた。不合格が続く。
兄と姉はとっくに独立し、結婚して家庭を築いていた。子も産まれていた。
両親は五人の孫を得ることが出来た。
 
父親は晴空が科挙を受験する度に、そして合格発表があるたびに、同伴していたが、このところは同伴しなくなった。
晴空が三十歳を超えてからは、もはや放置の状態になった。
勉強しているのか否かの確認すらしなくなった。
母親は父親を急かしていた。
早く科挙を諦めさせろと。
嫁に出してしまうか、それとも就職させろと。
塾の先生でもいいじゃないか、塾をやらせろと。
それが無理ならアルバイトでもさせて、家賃を取り立てろと。

 
晴空は合格を諦めてはいなかった。
父の提案(実は母の提案)をすべて蹴った。
「科挙に合格する者は五十歳でも若い方」という諺があるからだ。
化粧っ気もなく、おしゃれもせず、髪は無造作に束ねただけで、肌もパサパサだったが、彼女は合格するまで諦めるつもりはなかった……。
というより、引くに引けなくなっていた。

父に基本書と最新判例集を買うお金を求めたとき、突然の処刑宣告があった。
 
父は、晴空が差し出した参考書のリストを見ようともしなかった。
「晴空、もういいんだ。お前には無理だった」
「お父さん、お願い。この『最新判例百選』の特装版と、基本書の改訂版がないと……!今度の論述、最新の解釈を入れておかないと足切りにされるの!」
私の差し出したメモを、父は視線すら通さずに、グシャグシャに丸めてゴミ箱に放り込んだ。

代わりに示されたのは、薄っぺらなカラーコピーのパンフレット。
「就労継続支援B型・ひだまり作業所」。
「……え? 作業所? 月数千円の工賃のために、私の貴重な勉強時間を捨てろって言うの?」
晴空が絶叫に近い声を上げたその時、背後で食器を洗っていた母が、氷のような音を立てて振り返った。
 
「お父さんは、まだ甘いのよ。私はそこすら生ぬるいと思ってる」
母の瞳には、娘を見る温もりなど一滴も残っていなかった。
「結果も出せない、自立もできない。結婚して孫も連れてこない。それはもう『夢追い人』じゃなくて、ただの『社会のゴミ』なの。本当はね、■■■■■■みたいな更生施設に叩き込んで、その腐った『自己実現』とやらを根性から叩き直してもらいたいと思ってたのよ」
 
母の言葉は、科挙の不合格通知よりも深く、晴空の胸を抉った。
「B型でさえ文句を言うなら、次はもうここにはいさせない。……そこか、野垂れ死にか、選びなさい」
 
晴空は絶叫して拒否した。
すると、父親は深く溜息をついて、何処かへ電話をかけた。
「……娘をよろしくお願いします」
父が電話を切ると、まるで待機していたかのようにインターホンが鳴り響いた。
 
入ってきたのは、首の太さが晴空の二倍はありそうな、紺色のジャージを着た大男二人だった。
胸元には『自立支援・青雲塾』という、眩しいほどに前向きで胡散臭い刺繍。
 
「あ、晴空さんですね。お父様からお話は伺っています。……ちょっと、お話しましょうか。ね?」
 
一人は爽やかすぎる営業スマイルを浮かべ、もう一人は感情の死んだ目で私の退路を塞ぐように玄関に立った。
スニーカーが玄関のタイルを鳴らす。
その「キュッ」という乾いた音は、晴空に逃げ場がないことを告げる死刑執行の音だった。
 
これで晴空の話は終わる。
 
付け加えることがある。
科挙は三年に一回の試験であるということ。
一年目は地元の市とか県の予備試験(大学入試みたいなもん)に明け暮れる。晴空はこれすら突破できなかった。
二年目は都道府県のレベルの本試験への準備と遠征。
三年目はついに国のトップを決める本試験!
つまり、「毎年何かの試験を受けているけれど、人生が決まる決定打は三年に一回しか来ない」ということ。
……とまあ、さらりと書いたが、詳しく見ていくと、これでも甘い表現だ。具体的な話に入ると、「え?イメージと違う」となると思う。
お楽しみはこれからだ。



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