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宇佐神宮の比売大神とは ついでに出雲神話の舞台裏


前回記事で垂仁東征について書いたが、その中で 「“ 垂仁天皇 ”と“ 宇佐神宮 ” は必ず何かしら関係があるはず」という類いのことを書いた。

ところが! である。
考えるまでもなかった。

◾️宇佐神宮の御祭神

 ・八幡大神(応神天皇)
 ・比売大神
 ・神功皇后

この中で中央に位置する「比売大神」について、一般的には宗像三女神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)と言われているようだが確証は何も無いようで、比売大神が誰なのかについては謎とされている。
中央に祭られていると言う事は、普通に考えれば応神天皇、およびその母である神功皇后よりも世代は上だろう。卑弥呼ではないかという説もあるが違う。

◾️倭姫命(倭比売命)

垂仁天皇の皇女。
景行天皇の姉弟。
神功皇后の大伯母。

景行天皇と母親は同じで日葉酢媛命とされる。また倭姫命の方が景行天皇より年上で姉とみられている。

私の説では、前回記事で景行天皇は日田で産まれたとした。母親が同じであれば姉の倭姫命も日田で産まれたと考えるのが自然である。景行天皇とは当然何歳か離れており、垂仁天皇が日田の地を離れる時は景行天皇はまだ日葉酢媛命のお腹の中か、若しくは幼少期だったと推測。
一方、倭姫命は小さい頃からシャーマンとしての素質を見出され、垂仁天皇は倭姫命を連れて一緒に東征した(景行天皇と日葉酢媛命は日田に残る)。そして最初の移動先である “宇佐” で早速その才能を発揮したのだろう。それが何だったのか、推測でしかないが “祈祷” により鶴見岳や由布岳、九重連山の火山活動を鎮静させた可能性が高い。卑弥呼が八方ヶ岳(高天原)山頂からの祈祷により阿蘇山、雲仙、九重連山を鎮静させていたのと似ている。
当時は阿蘇山よりこちらの火山活動が活発で、風向きを考えれば宇佐は火山灰の影響を大きく受けていたであろう。

【参考】 [報告] 『記紀』から推測した弥生期の由布および九重火山の活動(桜井貴子)https://www.histeq.jp/kaishi_23/23_172.pdf


倭姫命はその後、垂仁天皇に連れられ一緒に東征し、伊勢神宮の創建など歴史に残る大きな活躍をみせる。

ということで、「比売大神」は素直に「倭比売命(倭姫命)」でいいと思う。
因みに「倭」の文字が使われる人物は、基本的には九州王朝と関係がある人物だと推測。

八方ヶ岳(高天原)と火山群の位置関係
垂仁天皇の東征

さて、「宇佐神宮」「伊勢神宮」と書いたからには、「出雲大社」について触れないわけにはいかない。


🔶出雲神話の本当の舞台


またいつものように話が大きく飛ぶが、これまでも別記事で何度か書いてきたとおり、私は出雲神話の本当の舞台は熊本県山鹿市と考えている。現在の出雲大社の地との関係について、いつか深堀りしたい。

大宮神社と出雲大社を結ぶライン


山鹿市の「大宮神社」と「出雲大社」を結ぶライン上に「八女津媛神社」と「久津姫神社」がある。いずれも景行天皇との縁が深い。

■八女津媛
『日本書紀』によると、景行天皇が熊襲征伐の帰りにあの山に神が有らせられるか尋ねたところ、水沼の県主である猿大海が、「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と答えたとあり、これが八女の名の起こりだとされる。福岡県八女市には八女津媛神を祭神とする八女津媛神社がある。
また吉野ケ里遺跡の女王であった説や邪馬台国の卑弥呼に比定する説も存在する。

■久津姫神社(比佐津媛)
景行天皇が熊襲征伐の帰りに豊国日田郡に立ち寄った際に「ヒサツヒメ」と名乗る神が人に姿を変えて出迎え、郡内の様子を話したと『豊後国風土記』にある。日田の地名の由来となったとある。
一説には、邪馬台国の卑弥呼である、または、ほぼ同時期に同じような立場にあった女性が死後に神として祀られたものである、などといわれている。

Wikipedia

山鹿市の大宮神社は主祭神を景行天皇としているが、この流れで考えると卑弥呼も御祭神でありながら隠されてしまったのでは無いかと推測する。本命であるが故に、完璧に隠されたのだろう。このあたりの話を考えると実際には景行天皇と卑弥呼の年の差はどれくらいだったのか、益々謎めいてくる。

山鹿市菊鹿町にある 卑弥呼墓
円墳を造るため周りの土が削られている
卑弥呼墓



さて、話を戻すと出雲神話の本当の舞台である山鹿市と現在の出雲市は何らかの関係があるはずである。山鹿での国譲り後に現地に島流しにあったのかもしれない。誰が?

出雲市近辺の国土地理院地図
(濃い青色は海抜5m未満)

なんとも、「日本列島から船出する “ ノアの方舟  ”  」を連想させる絵である。

出雲大社周辺


山鹿市の志々岐神社について書かれた尊敬する宮原さんのブログをご紹介。


志々岐神社の奥宮にある扁額


というところで、話が支離滅裂になってきたので今回はこの辺りで締めさせて頂く。



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