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【連載】C-POPの歴史 第26回 マレーシアとシンガポールのC-POP・後編 (2010年以降)

中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。

前々回、前回と、国民の4分の1が中華系であるマレーシアと、4分の3が中華系であるシンガポールのC-POPを紹介しました。前編では1967年から2000年まで、中編は2000年代(2000〜2009年)のなかから、厳選した曲を紹介してますので、よければ音楽だけでも聴いてみてください。

で、ここから先は、いよいよ最新の音楽を含む、2010年代、20年代の音楽を紹介したいと思います。


2010年代、音楽配信の時代がやってくる

2000年代(2000〜2009年)は台湾ミュージックシーンの盛り上がりと共にシンガポール、マレーシアのアーティストが続々と台湾に進出しメジャーになる時代でした。この時代(00年代)は、インターネットという新しいメディアが登場しつつも、基本的にはオールドメディアの時代です。大手プロダクションが才能を見つけてスカウトし、音楽の入ったCDをパッケージにして発売。それをテレビなどのメディアを駆使して話題を作って売るというものが多かったように思います。歌はカラオケ映えするものが中心で、歌い上げるような音楽が中心でした。あなたの青春がいつかはわかりませんが、よほど若い人じゃない限りだいたいわかりますよね。わからなければお父さん、お母さんに聞いてください。

ですが、2010年代に入ると、この法則は崩れます。圧倒的なゲームチェンジャーはやはりSpotifyやApple Muscicなどの音楽配信プラットフォーム、そしてYouTubeなど動画共有サイトでしょう。まあ、これは世界中で起こったことなのでご存じですよね。

この世界的な時代の変化のなかで、マレーシアとシンガポールのアーティストが台湾や香港などC-POPの中心地で活躍する例は減ったように思います。これはなぜか考えてみたのですが、一つは(かつての)音楽業界のようにお金の余裕がなくなり、わざわざ海外まで出張して無名の歌手をデビューさせる力がなくなったことが挙げられます。台湾にも香港にも中国にもいいアーティストはたくさんいるのに、なぜ遠くまで出かけていって本国では無名のアーティストを売らなくてはならないのか。もう一つ、これは私的な見立てですが、今や「歌がうまい人」、「ダンスやステージ映えがよくてそれなりに能力の高い人」がたくさん溢れる時代に突入し、わざわざ遠くから調達しなくてもよくなったということが挙げられるのではないでしょうか。これはあくまで私の仮説です。

まあそんなこんなで、時代は一気にインターネット、SNS、YouTube時代に突入し、それぞれのフッド(地元)で活動するインディーズの音楽家が溢れる時代に突入します。こうなると、大きなムーブメントは作りづらい。特にマレーシアやシンガポールの中華系という小さな人口規模では、バズると言ってもたかがしれています。

時代に特化したアーティスト、Namewee登場

そんな時代に、圧倒的な個性を放つ、1人のアーティストが世に放たれました。私が思うに、C-POP全体における彼の存在は台湾、中国本土、香港を含めて、すべての地域のすべての時代のアーティストの中でもとびきり個性派だと思います。彼の名前はNamewee(黄明志/ネームウィー)。彼は英語、マレー語、日本語などさまざまな言語の楽曲を生み出していますが、中国語の楽曲が半数を超え、台湾にも拠点を持つれっきとしたC-POPアーティストの1人です。

不罵粗話 (No More Vulgar)/Namewee(黄明志)(2010年)

Nameweeの登場は、さまざまな意味でセンセーショナルだったと思います。まず一つに、彼はそれまでのインディーズ活動→メジャーデビューという旧来の形を踏まず、YouTubeに楽曲をアップすることで、歌手兼パフォーマーとして知名度を上げました。まあ、ユーチューバーってことでいいと思います。その後はYouTubeへの投稿で培った映像技術を使って、MV制作、インディーズムービーの制作など活動領域を広げていきます。YouTube世代の彼はセンセーショナルな表現を好み、世俗的とはいえイスラム教徒の多いマレーシア社会において活動の初期はかなりの軋轢を生んだようです。まあ、デビュー曲がOne Night Stand(2007年)で、恋愛よりも一夜限りの恋を楽しみましょうなんて歌ってしまっては、婚前交渉を禁じているムスリムは怒るでしょう。そういう軋轢の中で生まれたのがこの不罵粗話 (No More Vulgar)です。「悪態をつかない」と言いつつ、「子宮 陰莖 睪丸 陰囊」(見事に翻訳しなくても意味がわかる。。。)などと連呼するNamewee。

この頃の彼はあえて汚い言葉、正直な欲望を連呼するネットのお騒がせ者というイメージでしょう。デビュー曲や初期の活動にすべてが表れると言いますが、彼が面白いのは、その後どんなに評価されて、どんなに大物になっても、最後まで「お騒がせ者」というレッテルだけは返上できません。それどころか、「お騒がせ度」は年を増すごとに増えていきます。が、この項目はNameweeの項目ではないので別の機会に書きましょう。

意外にも彼が初めて国外で評価されたのは映画監督としてで、「Nasi Lemak 2.0」という映画が2011年に大阪アジアン映画祭で最優秀新人監督賞を受賞しました。その主題歌が以下の曲。

咖哩咧 (Curry Neh)/Namewee(黄明志) feat. Karen Kong (龔柯允)(2013年)

MVのインディーズならではの低予算っぷりも気になりますが、このクオリティを作詞・作曲・歌唱・ラップ・MV監督・MV出演などすべてをこなす彼の才能は素直に評価されるべきでしょう。

Nameweeがこのように「なんでもできる人」になったのも、YouTube時代というのも関係していると思いますが、マレーシアの中国系という市場・人脈の狭さゆえ、なんでも1人でやる必要があったのかもしれません。つまり、彼のユニークさは、台北のような人材が豊富な都市なら生まれなかったのかなと思います。マレーシアの中華系という辺境の存在だからこそ生まれたと言えるかもしれません。

ところで、古来からシンガーソングライターは存在しましたが、MVが曲と同じぐらい重要になった現代、「シンガーソングライティングフィルムダイレクターアクターラッパー」なんていうジャンルが存在するようになれば、彼は間違いなくそういう新世代のマルチアーティストの第一世代です。そもそも古来からあるシンガーソングライターというジャンルは、作詞も作曲も自分でやることで、「自分の表現」をアーティストが守るため、より強い表現をするために生まれたものと言えると思います。フォークソングは1人で完結する歌であるから、思想の強い政治的なメッセージソングも歌うことができたわけですね。であれば、Nameweeは、さらにMVを制作し、その内容がSNSでシェア・拡散されやすい、話題にされやすいものを作れるという意味で、1人音楽・映像制作プロダクションと言え、そのマルチぶりによって、ありったけの自由な表現を可能にしたとも言えるかもしれません。

ちなみにこの曲でフィーチャリングしている女性歌手はカレン・コン(龔柯允)。インド系の女性に扮したり、太眉をつけてコントのようなキャラを演じたりしています。インスタの情報によると、彼女は現在香港で活動中のようです。どうです、このマレーシア華人の各地に飛び立つフットワークの軽さ。

Nameweeはその後2013年には有り余る才能を提げ台湾デビューを果たします。いくつかのアルバム(1年におよそ一枚。自作アーティストとしてはとんでもないペース)を発売の上、C-POP全域でヒットする曲を生み出します。

漂向北方 (Stranger In The North)/Namewee(黄明志) feat. 王力宏(Leehom Wang)(2016年)

これは彼が北京に行った時に、その北の大都会で翻弄される状況にインスパイアされた曲です。この曲の舞台は北京ですが、南国マレーシアから台湾・そして中華圏という広い世界に軸足を移したNameweeの心模様とも重なっていたはずです。いつも下ネタを言ったりふざけたり悪態をついたりしては顰蹙も買っている彼の置かれている孤独な状況を示しているのかもしれません。

フィーチャリングアーティストは、いつも才能を見つけるのがうまいワン・リーホン。彼の紹介は主に第22回で行いましたが、MC JinにNameweeなど、台湾・中華圏以外の地域で活躍しているアーティストと積極的にコラボしていてしかもいい仕事を残しています。この曲によって、それまでこの曲の主人公のようなアウトサイダーだった彼は、C-POP全域を代表するスターの座を手に入れました。

10年代のマレーシア、シンガポール、その他のアーティスト

馬來西亞查某(Malaysia Chabor)/Joyce Chu(朱主愛、四葉草)(2015年)

Nameweeをのぞいた他の10年代から。Malaysia Chabor。 Chabor(查某)とはマレー語で「女の子」という意味ですが、私はマレーシアの女の子なのよ、と歌う爽やかな曲。歌っているのはJoyce Chu(ジョイス・チュー)。四葉草(四つ葉のクローバー)というかわいいニックネームもあります。曲のなかでなぜか彼女は韓国人に間違えられているようですが、この頃は東南アジアにもK-POPの暴風が吹き荒れ出した時代で、かわいい、美しい、整っている=韓国系ということなのでしょうか。キムチよりチェンドルやケロポックのほうが好きだと彼女。どちらもマレーシアの国民食です。チェンドルは米粉ゼリー、小豆、ココナッツミルクなどを使った色鮮やかなかき氷です。美味しいよ。

チェンドル(AIイラスト)

ところで、MVを見るとわかると思うのですが、この曲のプロデュース(作詞作曲)はやはりNamewee。10年代はほんと、Nameweeの時代だったんでしょうね。

ここまではマレーシアの話題ですが、ここからしばらく鳴りを潜めていたシンガポールからも新しい才能が登場するようになります。

爱超给电/向洋(Nathan Hartono)(2018年)

Nathan Hartono(向洋)は、1991年生まれのシンガポール人。早熟な彼は15歳(2006年)でデビューし、当初は英語でジャズソングをカバーするなどします。その後の彼のキャリアはシンガポールの多様性、国際性そのもので、2011年にはインドネシアでデビューします。その後キャリアを積んだあと、キャリアを小休止して音楽の最高学府、ボストンのバークリー音大に進学。このあたりで、歌手という自認からアーティストへと脱皮していったのでしょう。

2016年に中華圏を代表する中国本土の音楽リアリティショー、Sing! China(中国好声音)に出演。こうして中華圏でも知名度を上昇させます。そして2018年、それまで披露してこなかった中国語の楽曲を発表。

この曲は、このあと20年代に入ってシンガポールで勃興する中国語楽曲の先駆けとなったと思います。

ところで中国語の表記には簡体字(中国本土で使用)と繁体字(台湾、香港、マカオで使用)の2種類がありますが、マレーシアもシンガポールも、伝統的には繁体字が使われていたけど学校では簡体字を習うという状況で、どちらの字体も理解できる状況にあると思います。よって、どちらの字体を使用するかは、そのアーティストの立ち位置を表していると考えています。簡体字を使う彼は中国本土を主戦場としていると見ることができます。Nameweeやジョイス・チューは繁体字=台湾や香港主軸だったわけですね。

20年代、シンガポールにおける中国語の再評価

ここからは最新、20年代の状況をお伝えしましょう。この時代に入るとここまで少し静かだったシンガポールにおいて中国語の楽曲が再評価されるようになりました。きっかけはいくつかありますが、最も大きいのは先ほどのNathan Hartono(向洋)、そしてShiGGa Shay(西阁)らの活躍でしょう。

月光 (Moonlight) /Zadon(2020年)

2020年、月光(Moonlight)。ラップもいいですが、それより楽曲の美しさが気になりますよね。おぼえてますか? この曲のサンプリング元は前々回紹介したメイヴィス・ヒーの「城裡的月光」です。1995年の名曲が2020年、新たな命を吹き込まれて復活しました。美しい旋律とラップが綺麗に絡み合う曲。夜中にひっそり目を閉じて聴きたいですね。

シンガポールは圧倒的に英語優勢の社会ですので、あえて中国語を使うというのは、中国系であることの誇りを誇示する意味合いが強いと思います。古き名曲を借用して新曲を作っている状況が、シンガポールにおけるC-POPの復興を象徴しているのでとりあげました。

最新西部愛情/Ty., Nathan Hartono(向洋)(2021年)

再びNathan Hartono(向洋)。中国本土のラッパー、Ty.とのコラボ。うーん、ごきげんなナンバーですよね。夏と缶ビール、みたいな?

もともとこの曲は、Ty.とAnsrJ、DJ Chronic(いずれも中国本土)のミュージシャンでできた曲(原曲)ですが、そこにゲストボーカルとしてNathan Hartonoが参加したという構図です。という意味で、どちらかと言えばMade in China Mainlandの曲ですが、彼のヴォーカルのうまさが際立つ曲とも言えます。彼のように新世代のシンガポールアーティストが、中国語をひっさげて中華圏で活躍する様子は、おそらくシンガポールの地元アーティストにも火をつけたことでしょう。

そんななか、シンガポールの現在のC-POPシーンの真打が登場します。

Rainy Days 下雨天/ShiGGa Shay(2024年)

ここで、シンガポールにおける中国語再評価の中心人物を紹介しましょう。彼の名前はShiGGa Shay(西阁)(Instagram)。中国語で「あなたは誰ですか?(是个谁?(「シーガーシェイ?」)」という意味をもじったステージネーム。彼は北京語、福建語、そしてシングリッシュ(シンガポール訛りの英語)を前面に打ち出し、2020年代、つまり当代に評価を得た人物です。2020年活動当初から中国語でラップを配信し、2023年には中国本土の人気音楽番組「The Rap of China」に招待されるなど国際的な活躍を見せる、いまシンガポールで最も注目されているラッパー(この記事の表紙画像はAI制作のShigga Shayでした)。

彼はラッパーとして不可欠である「存在感」を持った人物で、そんな彼が臆面もなくいまやシンガポールではマイノリティの言葉である中国語、そして英語圏から見たらやや恥ずかしい言葉と思われるシングリッシュを多用している様子は、シンガポール国民においては多少の衝撃があったと思います。マイノリティの恥ずかしさをかっこいい個性に変えた。日本でたとえるなら、標準語でも大阪弁でもない、岡山弁の漫才でいまや国民的テレビスターとなった漫才師、千鳥のようなものでしょう。

BO BEH ZAO 沒馬跑/ShiGGa Shay(西阁) & 瘦子 E. SO(2024年)

そんなShiGGa Shayが、台湾のベテランラッパー、瘦子 E. SO(頑童MJ116のメンバー。頑童MJ116は当連載では第21回で紹介)と組んでドロップしたシングルがBO BEH ZAO 沒馬跑。

曲中で何度も繰り返される「BO BEH ZAO 沒馬跑」はシンガポールの福建語をルーツに持つ言葉で、「俺たちがクール」「唯一無二」みたいな意味です。ちなみに、福建語は福建省で使用されている言葉で、もともとのルーツが一緒の台湾語とかなり似ています。

彼の曲のなかではとびきりポップで、途中何度も繰り返される「♪沒馬跑
ON MY GRIND」「♪沒要走 別跟我講道理」のフレーズが耳に焼きつきます。「沒馬跑」は直訳すると「走る馬がいない」という意味なんですが、なぜか「圧倒的に秀でている」みたいな意味でも使うようです。辞書に載るような言葉ではないですがシンガポールでは普通に流通していることから(同名のドラマも存在)、スラングの一種と言えるでしょう。誰かシンガポールのスラングに詳しい人がいたら教えてください。

PENG/ShiGGa Shay(2025年)

私がShiGGa Shayについて好きなのは、風貌からすごく粗野なイメージがあるのに、歌詞はかなり文学的、というか深読みできる内容になっているところ、そのギャップが、彼のミュージシャンとしての最大の魅力かもしれません。この曲も妙に耳に残る歌詞です。日本を軽く上回るアジアいちばんのお金持ちの国とされつつ、物価が高くて生活が大変な状況などを歌っています。

Pengは歌詞中でいくつかの意味を持ちます。「Teh o peng kopi peng」は、ミルクなしアイスティー、アイスコーヒーという意味で、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどで通じる言葉ですから、マレー語がルーツと言えるでしょう。だけど次では「She a Peng ting」と言っていて、これはイギリスのスラングで彼女は美しいって意味。何度も繰り返しPengとも言ってますが、Pengだけだと、「アイス」「冷たい」という意味。ひょっとして私たちはクールだってことを地元の言葉で言ってみたのかな。

そしてこの地元の中華料理屋(点心を出す食堂)を舞台としたMVもなかなかいいですね。どの国の国民でも、地元の料理屋というのは、特別な意味を持つものです。でもね、日本人にとっての和食屋・寿司屋よりも、アメリカ人にとってのダイナーよりも、中国人にとっての中華料理屋・点心食堂は、何か特別な意味を持ってる気がするんですよ。中国人の食を通じたアイデンティティは気になるテーマ。誰か「C-POPのMVに登場する中華料理屋と愛国意識」という論文を書いて私に送ってほしい。

ONLY WITH YOU/Haezee(黄瑋昕)(2025年)

さて、しばらくシンガポールの話題でしたが、ここで最新2025年のHaezee(黄瑋昕)によるマレーシア発の曲を紹介しましょう。シンガポールでの中国語の盛り上がりに呼応するように、マレーシアでも良質なC-POPソングが生まれました。

Haezeeは典型的な配信時代のミュージシャンで、シングル曲をSpotifyなどのプラットフォームで発表しています。インスタグラムの状況などを見ると台北でも積極的な活動を行っているようで、今後は中華圏全域でブレイクする可能性があるかもしれません(Instagram)。

まとめ

さて、普段は中国本土・台湾・香港の中国語の曲を紹介している当連載ですが、3回にわたって、中国系が多いシンガポールとマレーシアのアーティストを紹介しました。シンガポールとマレーシアは戦前までは同じくマラヤ連邦に所属していた同じ国であり、多少の共通項を持ちますがその後の状況は少し異なります。

まずポップソングが世界中で生産・流通されるようになった60年代あたりには、中華系の人口が多い(人口の4分の3)シンガポールが圧倒的にリードします。しかし、都市国家であるシンガポールは、国際都市の共通言語として英語を第一言語に選択したため、徐々に中国語はパワーを失います。前編で紹介したディック・リーは、そんな失われた中国語の象徴でもあります。ですが、ごく近年(2018年以降)は、中国語ソングの復興が垣間見えていて、その中心人物はNathan HartonoやShiGGa Shayでした。彼らはいわば、ミッシングリンクを繋いだ人。

一方のマレーシアでは、もともと中華系がマイノリティ(人口の4分の1)という状況下で、マレーシア政府は最大母数であるマレー語を公用語に定めました。ところがマレー語よりも世界的に話者が多い中国語話者は、簡単に自分たちの言語を手放しませんでした。ある意味でシンガポールより言語が保存される傾向にあるように見えます。一方で「マレーシアの中国語話者市場」は極端に狭いゆえ、古くは80年代のエリック・ムー、00年代のフィッシュ・リョンのようにすぐに台湾・中華圏進出を行う例が多かったように思います。当たり前に海外進出する感覚、越境する感覚の最たる例が、Nameweeの存在につながっていると思います。逆に考えると、Nameweeが新しかったのは、中国語で歌いつつマレーシアにも軸を置き続けたことで、海外進出か地元愛かの2択ではなく、越境しつつ地元も大事にするという第3の選択肢が出てきたように思います。

ということで、シンガポールとマレーシアで少し状況は異なりますが、これからもこの2国からC-POPの才能が登場するであろうことは共通していると思います。今後もC-POP研究者の私は、この2国の動向を逐一チェックし、書くことが貯まればレポートしたいと思います!

次回予告

さて次回以降はいよいよ、2010年代以降のC-POPを紹介したいと思います。まずは中国本土の2010年代を予定しています。ここまでどちらかと言えば台湾・香港と比べると目立つことが少なかった中国本土が、2010年代以降は一気に最大の人口・市場をバックボーンにメインストリームに駆け上がります。お楽しみに。


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