【連載】C-POPの歴史 第31回 '10年代の香港-2 民主化デモとアーティスト
中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年を時代別に紹介する当連載。
前回は、香港の2010年代のアーティストのうち、2014年の雨傘革命、2019年の民主化デモのなかで、主に沈黙せざるを得なかったメジャーシーンのアーティストを紹介しました。
今回は、何らかのアクションを起こしたアーティストを取り上げようと思います。最初に書いておきますが、結構ドラマティックです。
2014年・雨傘革命と、2019年の民主化デモのおさらい
前回も書きましたが、改めて、2010年代における香港を揺るがした最も大きなイシューは、2014年に起こった「雨傘運動」と名付けられたデモと、2019年に起こった民主化デモです。400字ぐらいで、2回の運動の概要をまとめます。知ってるよという方は飛ばしてください。でも、歌だけは聴いてくださいね。
2014年の雨傘革命(398文字で)
香港が英国から中国に返還される際に、「一国二制度」という高度な自治と、普通選挙の実現を約束しました。返還から30年経った2017年の行政長官(香港の首長)選挙における普通選挙の実施が議論されていましたが、中国政府は選挙の立候補には、指名委員会という親中派組織の過半数の支持が必要と定めました。これに反発した学生団体や市民運動が平和的に抗議デモを開始。一方、警察はデモ隊を催涙ガスなどで鎮圧。この催涙ガスに対抗するため、参加者が手にしたのが「傘」だったのです。参加者が傘を手にデモを行う様子を報道したイギリスメディアはこれを雨傘革命と名付けました。10月10日には推定数万〜十数万人の香港市民がこのデモに参加しています。しかし残念ながらデモ参加者の意見は実らず、12月には7000人の警官を動員し事態を鎮圧。一方、多くの負傷者を出したものの、警官もデモ参加者も、直接的な死者は報告されませんでした。
撐起雨傘(2014年)
2014年には、香港のアーティスト、デニス・ホー(何韻詩)、アンソニー・ウォン(黃耀明/達明一派→第6回、第12回参考)、ダニー・イップ(葉德嫻→第6回参考)、カイ・ツェ(謝安琪)、エンディ・チョウ(周國賢)、エレン・ルー(盧凱彤)、シャーメイン・フォン(方皓玟)、RubberBandらの歌唱による雨傘革命を支持する曲「撐起雨傘」が作られました(太字アーティストについては今回記事中で活動を取り上げます)
2019年の民主化デモ(403文字で)
2019年2月に香港政府が「逃亡犯条例」改正案を提出したことを契機に、デモが再び始まりました。香港市民は司法の独立が損なわれ、中国本土への政治的引き渡しが可能になることを懸念しました。2019年の民主化デモは、規模として雨傘革命をはるかにしのぐものでした。6月9日には主催団体である民間人権陣線の発表で約100万人、6月16日には約200万人が参加したとされ、香港史上最大規模のデモとなりました。若者を中心に抗議は長期化し、7月以降は空港占拠などへ発展。「条例の完全撤回」など五大要求が掲げられ、政府トップの林鄭月娥は当初強硬姿勢を維持しましたが、9月4日に条例案の正式撤回を表明しました。しかし抗議は2020年初頭まで続き、警察との衝突も激化しました。最終的に2020年6月、中国政府が「香港国家安全維持法」を強制施行し、民主派への規制が強化され、運動は収束へ向かい、香港の政治環境は大きく変化しました。
撐/董事長樂團 The Chairman Band、何韻詩(Denise Ho)、他(2019年)
2019年には、台湾の董事長樂團(The Chairman Band)の呼びかけで再びメッセージソングが作成され、香港からデニス・ホー(何韻詩)、アンソニー・ウォン(黃耀明)、台湾からはラッパーの大支(第21回参考)、バンドの滅火器(Fire EX/第20回参考)、拍謝少年(Sorry Youth)ら豪華なメンバーが参加しました。
ということで、ここからはこれら二つの運動に対して何かしらのアクションをとったアーティストを取り上げたいと思います。
社会的メッセージを出した広東ロックバンド
これまで当連載のなかで、香港はバンドシーンが他地域に比べて少ないことを紹介してきました。2010年代は台湾のインディーズバンドブームに合わせるように、バンドシーンに少し盛り上がりがあった印象です。
無盡/Supper Moment(2014年)
Supper Momentは香港出身の四人組バンド。売れ線の青春ポップパンクバンドといった趣で、香港の若者に大変人気がありました。彼らは2006年に結成されインディーズで活動、2010年にメジャーデビュー。そして2014年に発表されたこの曲は彼らの絶頂期の曲です。
彼らは時代に翻弄されたバンドの一つで、2012年、当時の香港政府の愛国教育(義務教育に加えられそうになった中国政府への忠誠心を養う授業)への抗議を兼ねた既存曲のアレンジ曲を披露し、YouTubeにもアップロードしましたが、のちにこの動画は削除されています。
2019年の民主化デモでは、メインボーカルのサニーがデモに参加したことをインスタグラムで表明。ラジオでも民主化を支持する発言を行いました。
一方で同年、香港MTR(地下鉄)が主催するチャリティイベントに参加します。香港MTRは株式の75%を政府が保有する、半官半民企業です。MTRは、デモ時に駅を閉鎖したり、監視カメラの情報の扱いなどをめぐって政府との関係が指摘され、民主化デモ側からは批判を受けていました。そんな場所で演奏したことで民主化側の批判を受けます。また、民主化側から批判されていたミリアム・ヨン(前回記事参考)とコラボしたことも火に油を注いでしまいました。また、この時期、それまで歌ってきた広東語ではなく、中国語で歌唱を始め、歌詞の内容もとてもマイルドになったことも批判の対象となります。
こうして、もともとは民主化寄りだったが「転向」したバンド、というレッテルを貼られ、かなり人気を失ってしまいます。
2022年には、中国本土のレコード会社と契約。続いて香港の中国返還25周年を祝うシングルをリリースするも、香港ネットユーザーからの誹謗中傷を受け、SNSのコメント欄を閉鎖。香港での活動に限界を感じたのか、本拠地を広東省の広州に移しました。
なんか、かわいそうだと感じるのは私だけでしょうか。。
未來見/RubberBand(2018年)
RubberBandも香港10年代を代表するバンドで、民主化デモに明確な声を上げたバンドの一つ。2019年の民主化デモの際は
「香港人同士で傷つけあうのはつらい」
「意見が違っても対話できるはず」
と、温厚な発言もしますが、一方で
「若い人たちの気持ちは理解できる」
「彼らにも理由がある」
とデモに対して一定の理解がある発言を残しています。2014年の雨傘革命を支持する曲「撐起雨傘」にもバンドとして唯一参加し、またライブ中は香港愛を語り、この街が大好きだと何度も語っています。
2022年、香港の公共放送「RTHK」で、放送してはならないアーティストのリストが存在するという話題が取り上げられ、RubberBandはそのリストの一覧に含まれていました。
メッセージを作品に落とし込んだアーティストたち
ここからは、さらに直接的に民主運動に賛同し、関連する曲を発表したアーティストたちを取り上げていきたいと思います。お気づきかもしれませんが、今回の記事は下に行けば行くほど、民主化によりコミットしたアーティストになっています。
雞蛋與羔羊/謝安琪(Kay Tse)(2014年)
謝安琪(Kay Tse)は2005年デビュー。キャリアの初期の頃は、香港社会の人々をテーマにした楽曲を多く残しています。2008年の「囍帖街」では、香港の通称ウェディング・ストリートと呼ばれる利東街の再開発に反対する立場の曲を発表しました。
そうやって、キャリアの初期から社会に対して敏感な姿勢をとってきたケイ・ツェですから、当然2014年に起きた雨傘運動には早くから関心を示し、「雞蛋與羔羊」という楽曲を作りました。「卵と子羊」という意味のこの曲では、『石壁にぶつけられる卵のように、悲劇的な結末を恐れず立ち向かうのか、それとも子羊のように頭を垂れて、牧草地に閉じ込められるべきか。決断のときは来ている』という意味のことを歌っています。曲の後半では、たくさんの卵が積み重なれば、石壁を越えるというような意味のことを歌っています。これは弱者と権力をテーマにした曲です。
彼女は雨傘革命と同じ2014年に、古巣のレコード会社の権利関係をめぐるトラブルで、所属レーベルをマネージャーが作った自主レーベルに移したタイミングでした。自主レーベルという制作環境も、彼女のこのストレートな物言いを後押ししたのでしょう。
彼女のこの曲は雨傘運動に対するアーティストからの楽曲を通じた回答と受け止められています。この曲が公開された翌日のデモでは、彼女の曲を聴きながらデモに参加する人々が多数いたと言われています。一方、彼女はあくまで作品を通して自身の主張をするスタンスで、直接的なスローガンをSNSに記さず匂わせるにとどめました。「なぜ彼ら、彼女らは行動を起こす必要があったのか。そこを考えてほしい」と訴えた彼女。彼女は一貫して「沈黙を強いられる社会への違和感」を訴え、声をあげることの重要性を掲げています。
2022年、やはり彼女もブラックリストに含まれているとして、ラジオでの放送を制限されていることが発覚しました。現在は大きな舞台や大きな放送局での仕事は明らかに減ったようですが、一方で今でも彼女は民主派の女神であり続けています。
分手總約在雨天/方皓玟(Charmaine Fong)(2015年)
方皓玟(シャーメイン・フォン)も、香港の民主化運動に賛同し、メッセージを曲に託したアーティストの1人です。
彼女は、1999年にオーディション番組で注目を集め2002年にシンガーソングライターとしてデビュー。2010年にはそれまでのメジャーレーベルから比較的自由度の高いレーベルに移籍。この頃から、それまでのポップシンガー寄りの立場から独自性を持ったアーティストに脱皮していきました。
一方、2015年には、今回紹介している純粋なラブソング「分手總約在雨天」を発表し、自身にとって最大のヒットとなりました。この曲でアワードを受賞した彼女は授賞式で号泣。「インディーズの活動は大変なこともあるけどこれからも努力を続けます」と訴えました。
そして2019年、民主化デモが盛り上がる時期に発表された楽曲がこちらです。
人話/方皓玟(Charmaine Fong)(2019年)
この曲は「人話」というタイトルで、自分の考えを自由に話しかける機会の重要性を問うた曲です。
この曲では、MVで、地下鉄駅で起きた香港政府と香港警察によるデモ隊への暴力事件を再現しています。
この曲では、英語詞で「tell me what 7 you say」と言うフレーズが何度か登場しますが、この「7」とは、広東語のスラングである「柒」(男性器を意味し、転じて、バカ・アホを意味します)だそうです。
いやー、過激ですね〜。他にもいくつかの罵り言葉を取り除いたクリーンなヴァージョンをラジオ局はオンエア。
彼女はSNS等で以下のような発言を残しています。
「人は自由に話す権利がある」
「言えなくなることが一番怖い」
つまり、明確な禁止事項があるわけではないのに、自主規制のような形で自由に発言できなくなる社会が怖いと彼女は喝破したわけです。
彼女もまたカイ・ツェーと同様、明確に政府からクレームを受けたり活動停止命令がくだったわけではありませんが、公共放送や大手メディアでの露出は明らかに減りました。うーむ。でも、今も音楽活動そのものは続けていますし、彼女もまた民主化デモの女神であります。
美麗新香港/My Little Airport(2014年)
第16回を読んだ方、My Little Airport(以下、MLA)はどうなったの? と思った方。するどい。彼らは2010年代も活動を続け、かわいい歌声に痛烈な歌詞という不思議な組み合わせでファンを獲得し続けました。
何と言っても、2000年代の頃からドナルド・ツァン(当時の行政長官)、死んでください。と歌った彼らですから、10年代の彼らが民主化デモに黙っているわけがありません。2014年の雨傘革命では、占拠エリアに行ってライブを行うなどの行動を起こしています。
とは言え、彼らの歌詞は皮肉に満ちていて、直接的な物言いは巧妙に避けられていました。たとえばこの曲、「美麗新香港」では、新しくなった美しい香港という曲ですが、一見ユートピアではあるけど、監視社会が一段とすすんだ香港を想起させ、生活のなかに政治が入り込んでいる状況を匂わせるという表現をしています。
今宵多珍重/My Little Airport(2019年)
2019年、香港で最大規模のデモが起き、香港警察の逮捕劇もすすむなか発表されたMLAの楽曲。
タイトルは中国の古い曲と同じですが(これ)、歌詞はずいぶんと違います。「今夜を大切にしよう」と歌い始めますが、下の句では「明日はそうじゃないかもしれない」「明日は違った表情かもしれない」と結んでいます。この、明日はどうなるかわからないという気分は、まさに当時の香港人が抱いていた不安だと思います。
デモ参加者からすると、もっと切実な歌詞に聴こえます。逮捕者が出るなか、仲間が逮捕される可能性、仲間が逮捕を恐れて海外に逃亡する可能性を想起させます。デモ現場でも実際に歌われていました。
ただ、MLAの中心人物である阿Pは、どんどん住民の不満がたまるなか、意外と冷静に行動していたとも思えます。メディアでの発言を拾います。
「この街は変わってしまった」
「以前と同じではいられない」
彼らは作品やライブの舞台上ではかなり過激に振る舞い、例えばあるライブでは、曲の終わりに乱れた調律でイギリス国歌を演奏し、そのことが論争になったりもしました。
一方でメディアやSNSの発言で群衆を煽るようなことはせず、運動と一体化はせず一線を引いて、あくまで「表現」にとどめたと考えています。それが私の理解です。
さらに直接的な行動を起こした3人のアーティスト
カイ・ツェ、シャーメイン・フォン、My Little Airportは表現こそ過激ですが、ともに運動に参加したり、直接的なスローガンをSNSに投稿するようなことはしませんでした。
一方、それぞれの事情でより民主化運動にコミットしたアーティストも登場しました。最も踏み込んだ3人のアーティストと、そこから浮かび上がる共通点も考えていただき、みなさんの意見を形成する一助になればと思います。
風雨同路/黃耀明(Anthony Wong)(1999年)
ロックデュオ、達明一派の中心人物だった黃耀明(Anthony Wong/アンソニー・ウォン)は、1980年代から業界で活躍する大スターですが、一方で現在は民主活動に連携するメンバーという印象が強く、2014年には雨傘運動を応援する「撐起雨傘」に参加するだけではなく、集会に出向き、ステージ上で曲を歌いスピーチをするなど、積極的な民主化運動への関与を行なっています。いわば、「表現」と「活動」の間を行き来するような存在と言えます。
今回取り上げた「風雨同路」は、もともとはポーラ・ツォイ(徐小鳳)による1978年の曲で、1999年ごろにアンソニー・ウォンがカバーしたものです。この曲は、「未来に希望を持とう」「ともに嵐を乗り越えよう」「困難や苦難を乗り越えよう」という歌詞が、雨傘運動の参加者を励ます曲としてアンソニーによって演奏され、以降は参加者のアンセムになりました。
アンソニーは、民主化運動に実際にコミットした3人のアーティストの中でも最もキャリアが長く、1984年にラジオDJとしてデビュー、1985年に達明一派としてレコードデビュー、ヒット曲を多数生み出します。90年代にはソロシンガーに転身し、エンタメ中心の香港音楽界では珍しく、実験性の高い音楽を発表してきました。
2012年には、かねてから噂はたくさんあり、作品でも仄めかされていた自身の性的嗜好について、ゲイであることをカミングアウト。以降は2013年に性的マイノリティへの差別を禁じる条例が立法府で協議されなかったことを理由にLGBTQ権利団体「大愛同盟(BigLove Alliance)」を立ち上げます。
2014年の雨傘運動、2019年の民主化デモを経て運動家としての彼が前面に出るなか、2021年には、2018年の補欠選挙にて候補者の応援のために歌を歌ったことが選挙法違反と判断され逮捕され、罰金刑を受けました。曲を歌う行為は、娯楽を提供している=賄賂である、と司法は判断したようです。彼は裁判所の外で「問我」という曲を熱唱しました。「問我」には「正しいか間違っているかは関係ない。結果を心から受け入れる」「私はまだ自分が私だと言える」という歌詞があり、彼の思いが込められているようです。
現在、中国本土では、彼はコンサートの開催を禁じられている他、配信等で彼の楽曲を聴くことはできません。香港でも、これまでのような大きなステージでの活動は難しくなっています。
アンソニーの活動は、ちょっと言い方は変かもしれませんが、ミュージシャンとしての矜持を持ち続けた、「上品な反抗者」という印象です。彼は彼のやり方で香港の民主化デモにコミットした。その結果がたとえ望んだ結果と違っても、彼は彼であり続けています。
你根本不是我的誰/盧凱彤(Ellen Loo)(2011年)
盧凱彤(Ellen Loo/エレン・ルー)は、2002年に女性デュオ、at17のヴォーカルとしてデビューしました。2010年からはデュオを休止しソロ活動。2012年に発表された曲がこちらです。ちょっと悲壮感に満ちた愛の歌ですが、彼女の繊細さは言語なんか飛び越えて伝わってきます。この曲は、広東語ではなく中国語で歌われています。
彼女はソロ活動を始めたあたりから政治的な発言を行い、立法会選挙ではLGBTやセックスワーカー、そして女性の権利保護を訴える民主派議員、シド・ホーの支持を訴えます。具体的な政治家の名前をあげて支持を訴えるアーティストは、当時の香港では稀なことでした。さらに公の場でも、民主派の象徴である黄色いリボンをつけて登壇するなど、かなり政治的に踏み込んだ活動を行いました。
一方、歌手としての評価が高まる2013年、彼女は双極性障害を患っていることを公表し、活動を休止します。病気の間は気晴らしに絵を描き始め、個展も開くようになりました。2014年には雨傘運動に共鳴し、座り込みを続けるデモ隊の前でライブを行いました。
2016年、アルバム「你的完美有點難懂並不代表世界不能包容(あなたの完璧さは少し理解しにくいかもしれないが、だからといって世界がそれを受け入れられないわけではない)」を発表。この曲は彼女のリベラル思想が遺憾無く表現され、環境破壊、原子力発電、同性婚、若者の自殺など社会的なホットなトピックを多数取り扱います。
還不夠遠/盧凱彤(Ellen Loo)(2016年)
このアルバムは2017年、台湾の最も権威ある音楽賞、金曲獎の最優秀女性歌手賞にノミネート、編曲賞を受賞します。壇上に上がったエレンは同性愛者であることをカミングアウト。台湾の映画撮影監督、余靜萍(ユー・ジンピン)と、カナダで婚姻関係を結んだことを明かします。
しかし2018年8月5日、突如、彼女が自殺したというニュースが報道されます。前日まで何食わぬ顔でテレビに出演した彼女の突然の幕引きに、業界は騒然としました。死の直前、8月2日のFacebookの投稿には「とても大きなことをしようと思っています」と残されていました。
彼女の人生は、音楽活動に捧げられたと同時に、社会運動にも捧げられてきました。雨傘運動に共鳴し、同性愛者であることを公表し、精神疾患であることを公表し、選挙で応援する議員を明確に示した。彼女の運動は、彼女の死期を早めたのか、それとも死の衝動を抑える歯止めとなったのか。確かに彼女の発言と、それに対する世間の反応を受け止めるのは、繊細な彼女には辛かったと思います。一方で、自らを開示し、それに対し賛同者を得たときの喜びもあったでしょう。
アンソニーの活動がよく考えられたものだとすれば、不器用なエレンは、極端に言えば自分をさらけ出して生きるしかなかったんだと思います。こうすればよかった、ああすればよかった、は、後からやってきた人間の横暴で、彼女は彼女として、常に彼女ができる範囲で最適な選択を選び、人生を生きたんだと思います。
2019年の、さらに大きな香港民主化デモを見ずにこの世を去った彼女。もし生きていたら、ひょっとしてデモに参加してイキイキしていたかもしれませんし、もっと精神を病んでいたかもしれないし、とびきりの名曲を作っていたかもしれません。でも、どんなエレンも香港市民に愛されていただろうし、死ぬよりは100倍ぐらい良かった気がします。
アンソニーが「上品な反抗者」なら、彼女はただただ「彼女であることをまっとうした」と私は考えています。
是有種人/何韻詩(Denise Ho)(2015年)
さあ、2010年代の香港、最後の1人は何韻詩(Denise Ho/デニス・ホー)です。そして彼女こそ、最も苛烈に民主化デモに関わったアーティストです。
1977年生まれのデニス・ホーは、11歳の時に両親とともにカナダにわたり、そして2001年、香港で歌手デビューを果たします。その後長い下積みを経て2007年ごろブレイク。彼女はこの頃からすでに、社会的に恵まれない人のためにチャリティを行ったり、社会問題をテーマにしたコンセプトアルバムなどを発表していました。
2012年、自身がレズビアンであることを公表。彼女は、自身がレズビアンであることを公表した最初期のアーティストだと言われています。2013年にはすでにゲイを公表していた達明一派のアンソニー・ウォン、議員のシド・ホーらとともに性的マイノリティの非営利団体を設立しました。
2014年は彼女にとって大きな転機の一年となりました。まず3月には、台湾の「ひまわり学生運動」(Wiki)に共鳴し、SNSで応援コメントを寄せます。10月にはWeibo(中国本土のSNS)のアカウントが停止されますが、「何年も使ってないから気にしてない」とコメントしています。その後、雨傘運動で自らデモ隊とともに座り込みを行いました。12月には警察の警告を無視し座り込みを続けたことで、逮捕され、12時間勾留されました。彼女は民主化デモ関連で、最初に逮捕されたポップスターとなってしまいました。
アンソニーとエレンが、「活動」に片足を踏み込みつつ、それでも軸足は「表現」にあったとすれば、デニスは、ついに川を横切って対岸へ、「表現」から「活動」に軸足を移した人だと言えます。(ちなみに、今回のnoteの見出し画像は、歌手であり運動家でもあるデニス・ホーをイメージしたAIによるイラストです)
さて、一連の騒動を受け、大手レコード会社は彼女との契約を終了。自身のレーベルに移籍して発表したのが冒頭の曲だったのです。この曲の中で彼女は自らの思想を高らかに示し、信念を持つ人、圧力に屈しない人を称えています。
2019年、香港の民主化デモの時期には、自らデモに参加するだけでなく、民主化デモに参加し負傷した人や逮捕された人に対し支援を行う「612 人道支援基金」の5人の理事の1人となり、負傷者への支援活動を行います。国連人権理事会などでもスピーチを行い、もはやアーティストというよりアクティビストと呼んだほうが正しいかもしれません。同時期には台北で行われたデモへの参加中にペンキをかけられるハプニングも発生。幸いにも彼女に怪我はありませんでした。
2020年、彼女の活動を追ったドキュメンタリーフィルムがアメリカ人監督によって撮影され、世界中で反響を集めました。
デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング(2020年)
しかし、2021年8月、政治の季節がコロナによってクールダウンし、民主運動もすっかり下火になったころ、「612 人道支援基金」が団体として登録されておらず、外国勢力と結託しているという理由で国営メディアから批判を受けるようになります。さらに2021年12月には彼女が2015年あたりから出版してきた一連の出版物について、「扇動的な出版物を出版した」として民主派のメディア「スタンドニュース」の編集長らとともに逮捕、さらに2022年には外国勢力との共謀を理由に「612 人道支援基金」の他の4人の理事とともに再び逮捕されました。
彼女は幼少期にカナダで暮らしたぐらいですから、外国に移住することは容易いですが、逮捕後も香港に留まり、活動規模を縮小しながら活動しているそうです。
最後に、彼女が2015年に香港の民主派メディア、蘋果日報(Apple Daily)にコラムを書いた際に、プロフィール欄に彼女が示した言葉で締めましょう。
野生菇一粒,活在娛樂圈邊境的自由人。從音樂起步,卻意外地透過創作與生活,看到生命的可能性。『希望』與『公義』就是自己的信仰。
翻訳:
エンターテインメント業界の片隅で生きる自由奔放な女性、ワイルド・マッシュルーム(※注:彼女のニックネーム)。
音楽活動からスタートし、創作活動や日常生活を通して、思いがけず人生の可能性に目覚めた。「希望」と「正義」が私の信念。
◇
デニス、今の香港に「希望」と「正義」はまだあるかな? ぜひ聞かせてください。あなたがそこまでしてとどまる香港は、きっといい街なんでしょうね。
まとめ
さて、2010年代の香港のポップスより、2014年と2019年に起こった大きな民主化デモに共鳴し表現を行なったアーティストを紹介しました。民主化から「転向」したバンドから、表現を飛び越えて自ら運動に飛び込んだアーティストまで、こちらも活動の範囲は人それぞれですが、それぞれにそれぞれの意見があり、それぞれなりの表現があると感じます。
特記したいことして、「運動」にコミットした、アンソニー、エレン、デニスは3名とも性的マイノリティという共通点がありました。もちろん、社会運動に参加するにはそれぞれの事情があると思いますが、この共通点は見過ごせないと思います。中国本土では、同性愛そのものは非犯罪化されましたが、同性愛を仄めかすような表現は禁じられています。近年でも、中国本土内のLGBTQ団体のSNSが閉鎖されるなどの処分を受けています。3人のアーティストは、中国化する香港において、自由な表現を守るために抗議する必要を他の人よりも強く感じていたことでしょう。
私は、2023年に香港を訪れた際に、すでに香港にはデモの可能性が残されていないことを肌感覚で確認しました。つまり、これらはすべて、過去の出来事であり、もう戻ってくる季節ではないと思っています。また、何かのきっかけで、何かの季節がやってくる可能性はありますが、それはこの頃とはまったく違った景色になっているはずです。
結果だけ見ると、デモはすっかり鎮圧されたし、デモ隊が訴えた要求の大半は叶いませんでした。もしもこれが勝負だとすれば、民主化運動側の負けでしょう。だけど、こうも思います。もし誰もが声を上げなければ、論点としても認識されなかったかもしれないと。世界中の人々の記憶には、香港の雨傘革命、民主化デモは、まるでベルリンの壁の崩壊のように、歴史上の大事件として刻まれています。
今回の記事は前後編で、民主化デモに行動を起こしたアーティストを集めましたが、それぞれの理由で行動を起こさなかったアーティストも多数いました。今回の記事は対になっていますので、よければそちらのほうも読んでみてください。
今回の記事を書いていて、最後には焼け野原にいるような気分になってしまいましたが、復活の早い香港のこと。このあとやってくるアフターコロナの時代では、また野原に素敵な花が咲き出します。そのことは、2020年代の香港で紹介しましょう。乞うご期待。次回は、同時期の台湾はどうだったのか? 2010年代の台湾編を予定しています! 台湾はもう少しピースフルよ!
