【連載】C-POPの歴史 第30回 '10年代の香港-1 分断の香港
中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年を時代別に紹介する当連載。
前回までは、中国本土の2010年代(2010年〜2019年)のポップスを3回に分けて紹介しました。
第30回、31回と2回分で、香港の2010年代のポップスを紹介します。香港2010年代音楽シーンをひとことで表すなら、「分断」です。分断の要因となったのは2014年の雨傘革命、2019年の民主化デモで、2010年代の香港のアーティストはこの運動に賛同するのか、あるいはどう距離を取るのか、という難しい舵取りを迫られました。
これを書いている今は2026年。民主化デモも傷跡はありますが過去のものとなって、何かを振り返って検証するにはいいタイミングだと思われます。今回は、音楽と、アーティストの民主運動への立ち位置も合わせて紹介します。
錯綜するアーティストの本音と建前
香港で10年代に起こった2回の民主化デモについて、知らないという方はこちら。
2014年 雨傘革命(Wikipedia)
2019年〜 民主化デモ(Wikipedia)
ロイターが2019年に行った世論調査では、59%がデモ運動が要求している条件を支持、反対が20%、中間・無回答が21%という数字でした。さらに、回答者の3分の1以上が一度はデモに参加したと報じられています(出展:ロイター)。
あまり大規模なデモが起こる機会のない日本ではイメージしづらいかもしれませんが、香港市民の多数派は2019年、デモ運動を支持してました。さらに、日本の1億2000万人の人口に当てはめると、国民の4000万人(3分の1)以上がデモに参加したような状況です。改めてすごいですね。
一方で、歌手やアーティストの立場を想像してほしいのですが、抗議運動を支持すると、香港政府の反感を買うだけでなく、中国国内で活動ができなくなってしまう可能性があります。香港市民は750万人程度、対して中国本土には14億人います。中国政府の逆鱗に触れブラックリストに載ったりでもすれば、圧倒的に大きな14億人のオーディエンスを失う可能性があるのです。
ブラックリストの存在は公に明かされることはありませんが、たとえば2016年のレコードチャイナの報道では、55組の芸能人が中国本土での活動を封殺されていると噂されています。
という状況で、民主化デモに賛成も反対もファンを減らす状況だと思いますので、単純な経済的メリットを考えると「この件については沈黙する」というのが最適解になると思います。事実、メジャーなアーティストの多くは政治的発言を避けました。ただそれでもなお、憂慮すべき事態はやってきます。例えば政府主催のセレモニーに歌手としてブッキングされた場合、参加するのか否か。なんせ市民の半数以上が民主化支持という状況ですから、アーティストのさまざまな行動が批判の対象になってしまいます。
今回の記事においては2010年代の香港音楽シーンを音楽性ではなく、民主化デモにどう反応したのか、という基準で二つにわけてみることにしまして、この回はデモに直接的な反応をしなかったアーティストを集めています。
とにかく、香港の10年代は、アーティストにとってとてもやりづらい時期であったことは頭の片隅に入れてください。
グローバル化した香港アーティスト
そんな状況にもめげず、大きな舞台で活躍するアーティストは多数いました。代表的なアーティストはやはりG.E.M.でしょう。
光年之外/G.E.M.(鄧紫棋)(2016年)
第16回では、不況に陥った香港00年代のアーティストの代表的な成功例として、2009年にデビューしたG.E.M.を取り上げました。彼女が成功した理由は広東語を使わず中国語(マンダリン、以下単に中国語と表現します)を駆使し、グローバルな評価を得たことにあります。
彼女はその後も中国語での歌唱を前提とし、より広く、より多くのファンを獲得していきます。こちらはアメリカ映画「パッセンジャーズ」の中国地域公開版のための主題曲。SF映画の主題歌らしくとても壮大なストーリーや、死を予感するなかでの真実の愛のようなものを歌っていて、たくさんの楽曲を歌ってきたG.E.M.のなかでも人気のある楽曲。映画のシーンも一部使ったMVも最高です。
2014年1月、彼女は中国本土市場への本格的な参入をし、湖南テレビの「我是歌手」というオーディション番組に出演しあっという間に人気を獲得しました。大舞台で着実に人気を獲得する彼女は、中国本土に進出した香港アーティストの象徴のような存在となり、その影響力から民主化デモ側からたびたび攻撃されてしまったアーティストでもあります。2013年の雑誌インタビューにて「行政長官(香港のトップ)に挨拶したい」という発言がクローズアップされ、これが政府寄りだと受け取られました。彼女は発言に深い意味はないということを釈明し、「香港が普通選挙を実現し、真に民主的な場所になるのを祈ってる」と表明しました。これは、中国本土で活発な活動をする彼女にとって、とても踏み込んだ発言だったと思います。しかし彼女の声明も虚しく、反対運動側からは政府寄り、中国寄りだとレッテルを貼られてしまいました。
G.E.M.が「Get Everybody Moving」の略であることからして、彼女が国籍や居住地に関係なく、「みんなで楽しもう!」という明確な意思を持っていたことは明白です。彼女は誰のことも(例えば行政長官でさえも)見放したくなかったのでしょう。彼女はもっともっと大きな世界を夢見ていました。それの何がいけないんでしょうか。
G.E.M.は2010年代、素晴らしい楽曲をたくさんリリースし、レッテル貼りにもめげず絶大な人気を誇り、みんなを沸かせました。
樂園/陳奕迅(Eason Chan) X 黃韻玲 (Kay Huang・台湾)(2011年)
陳奕迅(Eason Chan /イーソン・チャン)は1996年にデビューしたベテランですが、2010年代には人気実力ともに香港のトップアーティストに上り詰めた印象です。
彼は広東語と中国語と交互にアルバムを発表していて、この曲は台湾の女性シンガーソングライター、黃韻玲(Kay Huang/当連載第7回参考)とコラボして中国語でダンサブルな楽曲を披露しています。
イーソン・チャンもまた、民主化デモ側から批判されてしまったアーティストの1人です。彼への批判はもっと理不尽なもので、沈黙を貫いたことで批判の対象になってしまいました。彼は徹底して政治的な発言を避けました。彼は影響力のある立場なのに何も発言しない=体制へ配慮していると捉えられてしまいます。
でも、政治的な発言を避けるってどちらかと言えば日本のメジャーアーティストの基本姿勢に近くないですか? 沈黙することすら批判されてしまう。香港で芸能活動を行うことの難しさを体感します。
彼はそんな批判をもろともせず、2026年においても香港のトップアーティストであり続けています。
新時代の予感
さて、最初に書いてしまうと、2010年代の香港のC-POPは、それまでの時代と比べると少し勢いが落ちてきました。それこそ、エンタメより政治の季節だったのかもしれません。世界でも類を見ないエンタメ好き、歌謡好き、映画好きの香港民も、この時期ばかりはポップスを楽しむ余裕がなかったのでしょうか。少し未来のことを書いてしまうと、2020年代は私の印象では再び香港ポップスシーンが息を吹き返す時期なのですが、復活のイメージは、洋楽っぽさ、K-POPっぽさと定義づけることができます。
そんな来るべき復活の時代の予兆なようなアーティストがTyson Yoshiのデビューでしょう。
B.A.E/Tyson Yoshi(2018年)
どうでしょうかこのオシャレ感。香港の新世代アーティストの堂々の登場って感じですね。
Tyson Yoshiはそもそもこの頃はデビューして間もない歌手であり、政治的な発言を求められる機会もなく、順調にいい曲を作ってキャリアを伸ばしている途上でした。民主化デモについて無風だったアーティストの1人です。
民主化デモの標的になったアーティストたち
民主化デモからの標的になったアーティストの代表例をいくつか挙げます。譚詠麟(アラン・タム)、陳小春(ジョーダン・チャン)は、中国本土の政治イベントにも参加し、親中・体制寄りと思われていました。しかし、ベテラン歌手の彼らの支持層は政府支持者も多い老年層なので、ファンの離脱ということは少なかったように思います。
それで言えば、楊千嬅(ミリアム・ヨン)は、最も民主化デモが激しかった2019年に中国本土の国慶節のイベントに出演したことが批判を受けるも、「私は中国人である」と発言し、民主化サイドから反感を買ってしまいました。その後、民主化デモの参加中に死亡した若者を追悼するインスタグラムの投稿をするも、のちに削除。そして、投稿についてはアカウントが乗っ取られたと主張し、「私は愛国者である」と発言。さらに、マカオの中国返還セレモニーに参加した際に習近平と握手する姿がクローズアップされます。彼女の一連の行動・言動が批判の対象となり、ネット調査による嫌いな歌手ランキングで1位となってしまいました。彼女が主に批判の対象となったのは、体制寄りだということもあるかもしれませんが、一度は民主化デモの犠牲者に追悼してみたり、愛国者だと言ったり、煮え切らない態度ゆえかもしれません。でもどうでしょう? 悩み、揺れ動くのが人間だったりしませんか? そんなに嫌わないであげてよ!
広東Hip Hop 世代交代 Dough Boy登場
さて、音楽の話に戻して、ここからは2010年代のヒップホップを見ていきましょう。第17回ではLMF、陳冠希(エディソン・チャン)、農夫(FAMA)などの登場を紹介しながら、広東ヒップホップの黄金期を紹介しました。
この時代は、世代交代が進んだ印象で、新しい世代代表格がDough Boyだと思います。
狂舞吧/Dough-Boy (feat. 黃宇希Shimica Wong)(2013年)
この曲は映画、「狂無派」(曲名と映画タイトルは1文字違い、意味としてはどちらも『ダンシングワイルド』みたいな意味だと思います)。これは香港の青春ダンス映画で、日本での公開タイトルは「The Way We Dance -狂舞派-」。
曲ではDough Boyが、スペイン生まれの香港ヴォーカリスト、黃宇希(シミカ)をフィーチャー。彼女の歌声は香港に脈々と引き継がれる美しい女性ヴォーカルの系譜に連なると思います。Dough Boyは作詞とラップを担当。この曲は香港電影金像奨(香港のアカデミー賞に相当)で、最優秀オリジナル映画歌曲賞をゲットし、業界にその名を轟かせました。
Ally/Dough-Boy feat. 衛詩(Jill Vidal)(2015年)
続く2015年の曲がこちら。実力は申し分ないけど、薬物トラブルなどの影響で十分に能力を発揮しきれてなかったR&B歌手、衛詩(Jill Vidal/ジル・ヴィダル)とコラボした楽曲。
R&B女性歌手+男性ラッパーという組み合わせは、ヒップホップの太古の歴史から行われてきた黄金の組み合わせだと思いますが、この曲の美しさはどうでしょう。広東ヒップホップの歴史に刻まれる一曲だと思います。
Dough Boyが先人のラッパーたちとちょっと違ったのは、作詞、作曲、編曲などすべてを1人でこなすプレーヤーだったということです。過去のアーティストで言えば、エディソン・チャンはほぼ外注、MC Jinは作詞(ラップ)のみ担当、農夫は自分たちで作詞と作曲を行いましたが編曲は外部に依頼していました。LMFはすべて内製していましたが、ラッパーが作詞を、DJをがトラックを担当するという棲み分けです。一方、Dough Boyはすべての作業を1人でこなし、どちらかと言えば最初はプレーヤーより、プロデューサー、トラック職人という存在のようでもありました(自身のヒットよりも受賞が先だったことも関係しているかも)。この一気通貫の制作体制が、ラップのかっこよさと曲全体のバランス感をうまく調整して、全体的に一つの美しい作品に仕上がっているように聴こえる要因かもしれません。
大師父/Dough-Boy (feat. Heyo)(2015年)
同じ2015年、今度は注目の若手ラッパーHeyoをフィーチャーしました。さて私は、2010年代の広東ヒップホップシーンの注目株はDough Boyであるとして大々的に紹介してはいますが、残念ながらこの時期は広東ヒップホップ自体がパワーダウンした時期で、実力や受賞と裏腹にセールスは思うように伸びませんでした。この曲ではHeyoと2人で、俺たちのラップがtightすぎる(イケすぎてる)から世の中にハマらないと高らかに宣言してます。
歌詞でセルフボースト(自慢)する彼らも愛らしいですが、当時の香港の街を練り歩きながらラップするMVにも注目です。私は、音楽シーンを通じて、香港、中国本土、台湾をこの連載を通じて眺めてきましたが、香港という特殊な都市だけが持っている魅力のようなものがどうやらあるようです。その魅力をどう言語化するかいつも考えてきましたが、この曲を見て思うのは、香港は時代によって街の雰囲気や空気が大きく移り変わる都市で、今しかない刹那の瞬間に輝きを見出しているのかもしれません。これは2019年の民主化デモ以前の、まだ香港人が地域の未来を信じていた時代の映像です。
盛夏的舞/Heyo Feat. 衛詩(Jill Vidal)(2016年)
さて、そのHeyoが、Dough Boyと同様、R&Bシンガー、ジル・ヴィダルとコラボ。ジルは先述の事情でメジャーシーンでの活動を制限されていましたが、一方でこの時期はマイナーシーンのラッパーと多数コラボし、復活への足掛かりとしました。
この曲も恋のすれ違いを歌った曲です。とても、とても美しい曲。そしてまた、恋よりも美しい、夜の香港の街をすれ違いながら歩く2人にも注目です。トラムがあって坂道や階段が多いことから、ロケ地は香港島の中環(セントラル)から上環のあたりの山手と思われます。
さて、ヒップホップアーティストと言えば、なんとなくの政治的な発言が多そうなイメージですが、彼らは案外、民主化デモと距離を置いていました。Dough BoyやHeyoは、世の中から意見を求められるほどのメジャーな存在ではなく、肯定も批判もなく、ただ自分たちの表現をしたように思います。薬物トラブルで活動制限を余儀なくされていたジルは、活動の続行を優先し、目立った発言をできるような状況ではなかったと言えるでしょう。
香港のヒップホップアーティストと民主化デモ
では、その他のヒップホップアーティストはどうだったか。第17回で紹介した農夫(FAMA)は、ユーモア路線の強い集団ですが、社会ネタは扱うけど民主化デモに真顔でコメントするようなことはしなかったようです。真顔だとユーモア感薄れちゃいますしね。一方で政府のイベントに出演したりといったこともなく、意地悪な言い方をすれば「いいポジションを取った」と言えると思います。
ヒップホップ界隈の中で最も民主化デモに寄り添ったのはLMFでしょう。彼らはストリート出身のギャングスタラップですから、もともと反権力というイメージが強く、当然ストリート(=大衆)文脈で言葉を紡ぎました。なかでもメンバーのMC仁は、権力へ忌憚ない発言を繰り返していました。しかし、メンバー間では一枚岩のスタンスを取ることもなく、結果的に反体制側の象徴のような見られ方もされなかったように思います。
香港人の心に寄り添った2組
さあ、今回の記事のラストブロックです。今回は民主化デモに沈黙したアーティストを紹介しましたが、当たり前ですけど、そう簡単にアーティストを二分できるわけではありません。沈黙にもグラデーションがありました。以下に取り上げる2人のアーティストは、基本的に民主化デモについて直接的な行動・言動は起こさなかった2人ですが、自分のやり方で時代を掬い取ろうとはしました。
Fly/岑寧兒(Yoyo Sham)(2019年)
2011年デビューの岑寧兒(Yoyo Sham/ヨヨ・シャム)は、リベラルな考えを持つ香港人シンガーソングライターで、一方で中国本土でも音楽活動をしています。この曲は、中国本土の映画「少年の君」のテーマソング。曲自体も切ないですが映画もとても切ない。
自己の表現と中国本土での活動。立場的に難しい舵取りが求められる状況ですが、彼女は大きな社会問題を、社会という大きな枠でとらえず、個人的な不安感や喪失感として表現したアーティストの1人です。この美しい曲は、次回紹介する、32歳でこの世を去った盧凱彤(エレン・ルー)が作った曲です。
彼女は2019年にSNSにて
「困難な時期です」
「心が痛みます」
「皆さんが無事であることを祈っています」
「優しさを失わないで」
と発言しています。彼女の立場は、民主化デモについては明言しないものの、暴力には明確に反対である、というスタンスだと思います。
ヨヨ・シャムは、現在も、香港、台湾、そして中国本土のどの地域でもライブ活動を行い、音楽家としてファンを広げています。彼女がすべての地域を敵に回さなかったのは、彼女の、真摯な発言にあるのかもしれません。そんな彼女は、誰よりもうまくこの難局を乗り越えて、人々の心に寄り添ったアーティストの1人です。
Don't Text Him/梁嘉茵(Serrini)(2017年)
梁嘉茵(Serrini/セリーニ)は2012年にデビューしたシンガーソングライターです。彼女はシンガーソングライターですから、自分の考えや都市生活者の苦悩を曲にして表現したりするタイプのアーティストで、自分なりの表現を目指す若いリスナーを中心に評価されていました。(ちなみに、今回の記事の冒頭のイメージ写真は、このジャケをイメージしたAI制作の画像です)
この曲はセリーニの代表曲で、「あなたが好きだけど、この愛が繊細なあなたを傷つけてしまわないか不安。その不安が、私をより臆病にしてしまう。そうやって思い悩む私に比べてあなたはなんて自由で素晴らしいの」などと歌っています。
うまく説明しきれてない気がするけど、胸がきゅーんとなる曲なんですよ。ぜひ聴いて聴いて。
彼女は2019年の民主化デモのときは、直接的な発言はなかったものの、インスタグラムで
「みんな無事でいてほしい」
「もう少し優しくして」
「世界が壊れている感じがする」
と言った主旨の発言をしています。彼女も立場が曖昧と言えば曖昧かもしれませんが、彼女の曲を聴いたあとにこの言葉を見て感じるのは、これがセリーニの心からの言葉だと思います。実際にデモを傍観している香港の人すべてが共感したことでしょう。彼女は常に社会や外部から抑圧される自己のようなものを曲として表現していて、その息苦しさに寄り添った歌を発表してきました。そんな彼女のパーソナリティから導かれた発言だと思うし、一方でどの立場の人も逆撫でしない言葉でもあると思います。またこの時期、民主化デモの集団は黒い衣装を着て抵抗中でしたが、セリーニもまた当時のジャケット撮影に黒い衣装を選んだりと、何らかの連携を表現しているようにも見えます(明言はしていない)。
私は遠くに住む未来から来た日本人として、当時の香港アーティストのマネージャーになったつもりで記していますが、彼女の対応は100点だったんじゃないかと思います。群衆を先導するでも逆撫でするでもなく、だけど1人ずつの心に訴えかけたアーティスト。それがセリーニだと思います。
まとめ
さて、2010年代香港音楽シーンの一面を紹介しましたが、ここで紹介したアーティストたちは共通して、民主化デモに沈黙したアーティストたちです。ただ、一口に沈黙と言っても、さまざまなグラデーションがあったことがわかります。
2010年代香港において、メジャーなアーティストは全員、沈黙したとしても社会のうねりと無関係ではいられない、緊張感があった時代だということはわかっていただけたと思います。沈黙すれば良かったのかと言えば、そうとも言い切れない。アーティストにとっては非常に難しい時期でした。
民主主義国家で生まれた私たちからすると、民主主義は素晴らしいものだし、それは血を流しても守るもののような気はします。そんな立場からすると、沈黙するアーティストは不甲斐ない、と思うかもしれません。でも、様々な事情、考えがあって、デモに乗れない人たちも多数いました。こうして、2010年代の香港は分断に包まれていました。
この分断は、2010年代の香港に限ったものではなく、世界中に巻き起こっていて、日本も例外ではありません。2026年現在、どうやら国民を二分する大きな法案が提案されようとしていて、両サイドから激しい言動が行われそうな予感がします。お前はどっちなんだと問われることも増えるかもしれません。ちょうどこの頃の香港人のように。先回りして書いておきますが、両陣営の彼らのロジックはこうです。黙ること、態度を保留することは逃げであると。目をつむると、Xで罵り合ってる未来の日本人の姿が浮かびます。
私はこう思います。悩み、戸惑い、決めかね、政治に沈黙する人は、本当にあなたの敵なんですか、と。あなたが敵だと思う存在を増やせば増やすほど、世界は窮屈になるかもしれません。行動するのは自由ですが、行動しない自由もまた、残されるべきだと思います。
次回予告
それでもなお、世界を窮屈にしても行動を起こしたアーティストたちもいます。いよいよ次回は、民主化デモに対して何らかのアクションを起こしたアーティストたちの2010年代に迫ります。彼ら、彼女らの政治の季節は始まったばかり。今回の記事は対になっていますので、こちらもぜひ読んでください。
