最初の「余白のひととき」で受け取った宝物
耳澄ませ 自分の声に 出会うとき
最初の「余白のひととき」を終えた翌日。
和子さんから、一通のご感想と記事が届きました。
その中には、私にとって大切な宝物が詰まっていました。
以前、傾聴チャレンジをなさっている田中和子さんにお話を聴いていただいたご縁から、先日、今度は「余白のひととき」でご一緒させていただきました。
希望と不安を抱えながら迎えた当日。
私は遠足前の子どものように、どこか落ち着かない気持ちでその時間を
待っていました。
緊張すると頭が真っ白になってしまうことがあるからです。
和子さんの優しく穏やかな雰囲気に支えられながら、「余白のひととき」はどうにか始まりました。
和子さんは記事の中で「話すことは、少し苦手だな」とおっしゃっていますが、そのようなことを感じさせない落ち着いた雰囲気がありました。
今回、お話を伺った直後の私の感想は
「楽しかった」ということでした。
すっかり舞い上がってしまい、和子さんのことを置いてけぼりにしていなかっただろうかと不安になったのですが、
和子さんから「ああ、楽しかった!」「自分自身に再会できたような、そんな気持ち」とのご感想をいただけて、本当にほっとしました。
聴話とは、「対話を通して心の調和を取り戻していく」という意味を込めています。
それは、外側の喧騒から離れ、静かに自分自身の声に耳を澄ませていく時間でもあります。
私の願いと共鳴するような宝物を、和子さんは置いてくださいました。
和子さんから、直接受け取ったご感想を読みながら、目頭が熱くなりました。
印象に残った箇所を記事より引用させていただきます。
安心して話せること。
最後まで聴いてもらえること。
それだけで、人は自分の中にある答えへ辿り着くことができる。
私は今回、和子さんのお話にふれる機会をいただけたことで、和子さんが以前、「人の人生に触れ、その方だけの物語を聴かせていただけることは、本当にかけがえのない喜び」 とおっしゃっていたことを思い出しました。
和子さんのお話を聴かせていただきながら、その言葉の意味を少し実感できたような気がしています。
また、和子さんの言葉の中で、こちらも心に刺さりました。
人はアドバイスを求めているのではない。
安心して還っていける場所を求めていることがある、ということだった。
私はその言葉を読みながら、
「還る場所」とは、自分自身の原点や光なのかもしれないと思いました。
対話を通して、自分の声に耳を傾ける。
その先で、その人が本来持っている想いや願いに出会う。
「余白のひととき」は、そんな時間でありたいと思います。
メッセージでいただいた言葉の中には次の言葉がありました。
話して気づいたのですが、話している間意識が自分に向いているので、傾聴してくださる方が笑顔で聞いてくださるだけで十分満たされるのだと改めて体感できたことが嬉しかったです。
私は「福」を、幸せな気持ちになって笑顔になることだと考えています。
そして、自分の笑顔が誰かの笑顔につながっていくことを大切にしています。
まさに、笑顔が福おくりとして現実化して、とてもうれしくなりました。
私自身、「余白のひととき」を始めても、どなたにもお声がけいただけないまま終わってしまうのではないかという不安がありました。
そんな中、和子さんは私の記念すべき第一歩を踏み出すきっかけをくださり、私が頭の中で思い描いたものを、実際に目の前に宝物として置いてくださいました。
今回の宝物は、「自分自身の声に出会うことができた」という体験を分かち合えたことでした。
これこそが、私が「聴話」という言葉に託した願いそのものでした。
私が「くるみ」という名前に込めた願い。
それは「Quest the luminousness(光を求めて)」という想いです。
対話を通じて、ご自身がまだ気づいていない想いや願いに出会い、自らの光を見つけていく。
木の実のくるみの殻が中身をそっと守るように、揺れる心を包み、砂漠のオアシスで息をつくような「心の余白」を取り戻す時間でありたい。
そんな私の願いが、現実の出来事として目の前に現れた時間でもありました。
今回の経験で得た宝物を一言でまとめると、
聴く人と 話す人との 福めぐる
和子さんとの時間は、私にとっても新たな一歩の始まりとなりました。
和子さん、温かな言葉あふれるご感想をありがとうございました。
もしよろしければ、あなたのお話も聴かせていただけませんか。
忙しい毎日の中では気づきにくい、ご自身の声や光に出会う時間をご一緒できたらうれしく思います。
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