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【連載③】マッキンゼー流のロジックで、離職率60%の絶望施設を再生させた話【第2章】80人を歩く

著:高坂涼介(社会福祉法人いちご会)
介護職員の働きやすい職場環境づくり内閣総理大臣表彰及び厚生労働大臣表彰 厚生労働大臣奨励賞受賞・介護労働安定センター理事長表彰 最優秀賞(日本一)受賞

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ただ、実際に歩き始めてみると、想像より難しかった。
声をかけにくい雰囲気があった。

廊下で目が合っても、職員はすぐ視線を外す。
僕が近づくと、急に手元の仕事に集中し始める。

「お疲れさまです」と声をかけても、「……お疲れさまです」と返すだけで、それ以上は続かない。

壁があった。

それは敵意ではなかった。ただ、信用がなかった。理事長の息子が来た。
介護も知らないのに。どうせすぐ辞めるんだろ。どうせ何も変わらないって。
そういう空気が、壁を作っていた。

「歩く」と書いたメモの意味が、ここで変わった。
歩けば話せると思っていた。
でも、歩くだけでは話せなかった。

歩き続けること、顔を見せ続けること、挨拶をし続けること』
その積み重ねが、壁を薄くしていくのだと気づくまでに、しばらくかかった。

出勤簿と、ハンコと、令和の話

翌日、施設長の犬塚に呼ばれた。
「これが出勤簿です。出勤の時と退勤の時に、ハンコをここに押してください」
2020年5月。令和2年の話だ。

タイムカードが存在しない会社があることに、まず驚いた。
ハンコを押す欄が印刷された紙の出勤簿を、全職員が毎日手書きで埋める。一人ひとりの出勤時刻と退勤時刻は、その紙の上にしか残らない。

嫌な予感がした。
その予感は、5月末の勤怠締め作業で、確信に変わった。

―――――――――――――――――――――

河村さんに「一緒に勤怠チェックをやる」と約束した以上、僕もやる。
一人ひとりの出勤簿を、予定のシフトと照らし合わせていく。
従業員は81人。
ひどかった。。。

予想を、はるかに超えていた。

月初に出勤簿が事務所に出てきていない。
現場のリーダーが回収してこない。
リーダーが回収してもノーチェックで出してくる。
ハンコを押していない日がある。
出勤日じゃない日にハンコが押してある。
勝手にシフトが変わっている。
遅刻しても早退してもハンコが押してあれば、紙の上では正常勤務に見える。
このチェックだけで、丸1日かかった。
(なんだ、この無駄な作業は、、、)

父に聞いてみた。
「開設以来ずっとこれだよ」と言われた。

そりゃ事務員も辞めるわな、と思った。

手書きの残業申請書と、36協定の闇

出勤簿のチェックが終われば、次は残業申請書だ。
A5用紙をさらに半分に切った、手書きの申請書。
(これ、誰が作ったんだ。えらいコンパクトだな)
最初に手に取ったとき、そう思った。
そして、なぜかちょっと笑ってしまった。

提出ボックスから申請書を回収し、一人ひとり集計していく。
上長の承認はいい加減だ。

ハンコを押しているリーダーに確認しても
「わからない」
「覚えていない」
「その日いなかったから知らない」
が続く。

本当に残業したのかどうか、誰も確認していない。

出したもん勝ちだ。

まじめに働いて残業を出さなかった職員が損をする。
頑張っている職員が損をする会社だった。

残業の集計だけで、また丸1日。
それでも集計を続けていたら、妙な数字に気づいた。
月の残業時間の合計が合わない。

おかしいと思って調べると、前月に残業した時間が翌月に「繰り越し」されて処理されていた。
犬塚に聞いた。
「知らない、わかんない」

(・・・)自分で調べるしかない。

調べてみると、原因がわかった。
三六協定だった。

月の残業を20時間で労基に届出していたが、当月に20時間を超えた分を、翌月の残業として処理していたのだ。
法的にはグレーゾーン、運用としては完全に誤りだった。
すぐに三六協定を30時間で届け直した。
地味な修正だが、これが労務改革の第一歩だった。
派手さはゼロだが、大事なことだった。

「郷に入っては郷に従え」なんてできない

河村さんに、率直に聞いた。
「こんな勤怠処理、楽しい?」

河村さんは、首を必要以上に横に振った。
聞けば、ずっと訴えてきたのだという。前任の事務員にも、犬塚にも。

返ってきたのはいつも同じ言葉だったという。
「前からこれでやっているから、このやり方でやればいい」

これはダメな組織でよく聞くフレーズだ。

惰性が伝統の顔をして座っている。
令和の時代に、紙の出勤簿とハンコで81人を管理している。クラウド勤怠システムが当たり前のこの時代に。

「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。
でも、ここでそれをやったら、僕も狂う。

思いついたら即行動が、僕の信条だ。
クラウド勤怠システムの会社と数社打ち合わせをした。見積もりを取り、1社に決めた。入社して二ヶ月後には、クラウド勤怠の導入が完了した。

だが、導入した翌日、現場を回った。
誰も喜んでいなかった。

介護の現場は、IT難民が多い。スマートフォンは持っているが、クラウドにログインしたことがない。
メールアドレスすら持っていない職員もいた。

「意味がわからない」
「なんで今まで通りじゃダメなの」
「めんどくさい」
反感は、相当だった。

予想はしていた。
変化には、必ず摩擦が起きる。
最初から「理解してもらおう」とは思わなかった。
「慣れてもらおう」と思っていた。
理解は、慣れた後についてくる。

マニュアルを1枚にまとめた。
写真付きで、手順を三ステップにした。
わからない人には、個別に何度でも教えた。
二ヶ月後、月末のチェック作業が半日で終わるようになった。
河村さんの業務量が、目に見えて減った。

本部を嫌っていた現場が、本部を通るようになった

クラウド勤怠システムを入れるとき、現場からこんな声が上がった。
「全部のユニットに1台ずつ端末を置いてくれ」
確かに、その方が現場には効率的だ。
打刻のためにわざわざ本部まで来なくていい。

ただ、会社は赤字だった。お金がなかった。全ユニット設置は無理だった。
結果、端末は本部に1台だけ置くことになった。
現場からはブーイングが来た。
「遠い」 「不便だ」 「めんどくさい」
でも、その不満は3ヶ月で消えた。

もともと現場の職員にとって、本部は「避けて通りたいポイント」だった。本部の人間は現場を理解していない、現場の大変さをわかってくれない存在として認識されていた。
だから職員は職員通用口から入り、更衣室で着替え、本部を通らずユニットに直行していた。
本部に端末を置いたことで、毎日必ず本部を通るようになった。
すると、何が起きたか。

挨拶が生まれた。
笑顔が生まれた。

毎日、顔を合わせる。
声をかけ合う。
「おはようございます」
「お疲れさまです」のやりとりが、毎朝毎夕、本部の前で起きるようになった。

毎日会話を交わすと、先入観が変わる。
思っていた一面とは違う一面が見える。

効率化のために入れたクラウド勤怠は、勤怠管理の効率化、サービス残業の見える化、遅刻や欠勤の公平な管理、そして本部と現場の壁を崩すコミュニケーションの場。
一石四鳥の効果を生んだ。

やってみなければわからなかったプラスの副産物だった。

アーリー・スモール・ウィン

勤怠システムの次は、パソコンだった。
現場を回っていると、職員が口を揃えて言った。
「パソコンが遅い」
「起動するまで10分以上待つ。仕事にならない」
「パソコンが遅くてイライラする」

調べてみると、施設開設の2016年に導入したHDDモデルだった。4年経過している。
アップデートも不完全だった。
欠員状態で現場が回っているこの施設で、パソコンが仕事の足を引っ張っていた。

見積もりを取り、入社して四ヶ月後には法人全体のパソコンを入れ替えた。
現場の反応は、クラウド勤怠のときとは、まるで違った。
「高坂さん、ありがとうございます!」
「やっと声が届いた、って感じです」
「今まで何度言っても誰も動いてくれなかったのに」
歓喜、といっていい反応だった。

パソコンが遅い、という声は、僕が来る前から何度も上がっていたらしい。
でも誰も動かなかった。
「そのうちね」、「予算がない」で終わっていた。

アーリー・スモール・ウィンの本質は、
「小さな問題を解決すること」ではない。
「声を聴いて、動く人間がここにいる」という事実を示すことだ。

パソコンが速くなったことより、「言ったら変わった」という体験の方が、ずっと大きかった。

現場の職員の反応は、大きく変わった。

「高坂さんって、ちゃんとやってくれるんですね」
そういう目が、少しずつ増えた。

――――――――――――――――――――――

これは「アーリー・スモール・ウィン」という戦略だ。

組織再生の現場では、外から来た人間に対して、必ずといっていいほど、
「本当に変わるのか」
「この人の言うことは正しいのか」
という疑念が生まれる。
それは自然なことだ。

だから、最初にやることは、
全体計画の中で「最も成果が出やすい」小さなことを選んで、早期に実現させることだ。

小さければ小さいほど、変えるためのエネルギーは少なくて済む。
そして、一度でも結果が出れば、
信頼の土台ができる

「この方向で大丈夫かもしれない」という空気が、じわじわと現場に広がる。

勤怠システムもパソコンも、その意味では小さな勝利だった。
でも、小さな勝利を重ねていくことが、大きな変革への唯一の道だと、僕は信じている。

「日本一宣言」と、「しら〜」という現場の空気

入社して最初の運営会議に出席した。
会議室に幹部とリーダーが集まっていた。
僕は、テーブルの前に立った。

「2025年1月1日には、働く仲間が法人理念・行動指針を実践する従業員となり、日本で一番大切にしたい社会福祉法人になる!」

部屋の空気が、固まった。
「しら〜」
「できるわけないやん」
「親の七光りがなんかほざいとるわ」
「勝手にやってくださーい」
「やれるもんならお好きにどうぞ」
「ウザ」
「キモ」
「ハゲ」

まあ、無理もない。
来て1ヶ月の介護未経験の事務長が、
いきなり「日本一になる」と言った。

信じる方が難しい。

白けた空気だった。
いぶかしげな表情。
ウェルカム感がゼロの聴衆。

宣言が終わったあと、拍手は、なかった。
その場にいた全員の「心の声」が、ほぼ駄々洩れで伝わってきた。

(まあ、そうなるよなぁ。)

予想通りの反応に、僕のドM魂に火がついた。
ゾクゾクする!

と同時に、心の底から燃える闘魂が沸きあがる。見返しやる!

信用は言葉では作れない。
これから行動で見せるしかない。
あの宣言は職員へのプレゼンじゃなくて、自分の覚悟だった。
でも、僕は本気だった。

本気だったから、何が問題なのかを探る必要があった。
介護の経験がない僕には、介護の現場の問題が見えない。
だとすれば、答えは1つだった。
「従業員に聞けばいいや」

73名の本音

従業員アンケートを実施した。
幹部ではなく、現場の職員に配った。
幹部に聞いても自分たちに都合の悪いことは教えてくれない。

聞くべき相手は、毎日現場に立っている人たちだ。

73名が回答してくれた。正直、意外だった。
こんな状況の施設で、これだけ出してくれるとは。

アンケートを開いてみると、出るわ出るわ、不満の嵐だった。
「従業員のことを考えていない」
「ビジョンが見えない」
「先が見えない」
「会社が何をしたいのかわからない」
「上司に言っても無駄」
「言っても解決してくれない」
「人がいない」
「教えてもすぐに辞める」
「休みが取れない」
「残業が多い」
「頑張っても頑張らなくても給与は一緒」
「評価されているのかわからない」
「リーダーを日中に見ない」
「従業員が疲れきっている」
「笑顔がない」
読みながら、何度も手が止まった。

特に刺さったのは、3つの声だった。

「会社が何を目指しているのか、わからない。ビジョンが見えない」

「この会社にいていいのか、不安だ」

「上に何を言っても、変わらない。言っても無駄」

この3つは、バラバラに見えて、実は同じ1つのことを言っていた。

「自分の声が、届いていない」ということだ。

ビジョンが見えないのは、誰も語っていないからだ。
不安なのは、誰も答えてくれないからだ。
「言っても無駄」なのは、言ったことが一度も変化につながらなかったからだ。

これは、人の問題ではない。
仕組みの問題だ。

声を拾い、答え、形にする仕組みが、最初からなかった。

J-CKP 30 の第1の歯車「聴く」は、この3つの声から始まった。

読み終えて、僕は1つの確信に至った。
これは悪い会社の典型だ。
そして、この施設の現在地は、まさに「悪い会社」だった。

――――――――――――――――――――――

問題を整理すると、3つの欠如に行き着いた。
「働きやすい労働環境」がない。
「成長できる教育体制」がない。
「認められる評価制度」がない。

この3つを作れば、人は定着する。
作らなければ、定着しない。
ロジックは、シンプルだった。

1年目は、労働改革。
「人を大切にする経営、五方よしの経営をする」

クラウド勤怠の導入、採用の仕組みの見直し、労務環境の整備。まず職員が安心して働ける土台を作る年にすると、決めていた。

2年目は、評価制度と研修制度の構築。
人が育つ仕組みを入れる年だ。

3年目は、組織の風土をつくる年。
制度が人に染み込み、文化になるまで育てる。

この計画と、現場のタイミングが、うまくかみ合った。それが、うまくいった理由の1つだった。

最初のリーダー会議で、
「人を大切にする経営、五方よしの経営をする」
と宣言した。

職員はびっくりした顔をしていた。
なぜか。

それは、今まで法人が従業員のことを考えてくれていると、みんな感じていなかったからだろう。

入社して2か月が経過した頃、僕は限界を感じはじめていた。
人事改革。労務改革。運営改革。
そして大学院への通学と、毎月の課題提出。
それを、並行して回していた。

問題は、事務処理だった。
これだけの改革を動かすには、動いてくれる人間が必要だった。

ところが、当時のいちご会には、そういう職員がいなかった。
指示しても、動かない。
動かすより自分でやった方が早い。

でも自分の時間には、限りがあった。
完全に、詰んでいた。

前職で共に戦った、信頼できる部下に、電話をかけた。

「うちに来てほしい」
二つ返事だった。
「高坂さんと仕事ができるなら、もちろん行きますよ!」

その部下は、話を聞いたその月に、現職の仕事を辞め、住む場所を変え、知らない土地の、まだ崩壊途中の施設に8月に来てくれた。

「もちろん行きますよ」の一言で。

その言葉が、今も忘れられない。
その人が加わったことで、事務機能が一気に安定した。
こちらの言わんとすることがわかる。
1言って10理解する。
この法人に来て、初めて感じる仕事の楽しさっていうものを思い出す。

指示が通るようになった。
処理が追いつくようになった。
改革の速度が、明らかに変わった。

言い切れる。
その人が入らなければ、この日本一への成功はなかった。

組織の改革は、一人ではできない。
信頼できる人間と、同じ方向を向いてやれる人間と、一緒にやるものだ。

「日本一になる!」毎月の会議で、言い続けた。
だが、それだけでは信用は生まれない。
言葉は、行動が追いかけてきて初めて、意味を持つ。

採用活動の中で、1つ、忘れられない経験がある。
派遣会社に求人を依頼し、ようやく派遣スタッフが来るようになった。
現場の負担が、少しずつ減り始めた。
だが、すぐに問題が出た。

派遣スタッフが、すぐ辞める。

入って1日目に来なくなる人がいた。
1週間で音信不通になる人がいた。

従来の施設なら、ここで「仕方ない」で終わっていた。

僕は、そう思わなかった。
職員に「人を採ってくる」と約束していた。
その約束を、派遣スタッフが来なくなったからといって、簡単に諦めるわけにはいかなかった。
派遣会社の担当者に、電話した。

「代わりを連れてきてください。その人の家まで迎えに行ってください。家にいなければ、帰ってくるまで待っていてください」
穏やかに、しかし本気で言った。
担当者は、最初は戸惑っていた。
そこまでやる施設は、なかなかないらしかった。

「そこまでやるんですか……」
「やってください。こちらも本気ですから」
何度かは、自分が動いた。
派遣スタッフの家へ、僕が迎えに行った。
玄関先で、「今日だけでいいので来てください」と頭を下げた。
迎えに行ってもいない時は、近くの公園を探した。いるわけないと思ったが、なぜかいた笑。
説得しても、でも、来てくれなかった。

一人が現場に入れば、一人分の負担が減る。
その一人を諦めるか、諦めないかで、現場の職員への影響は全然違う。

「仕方ない」と言えるほど、うちには余裕がなかった。

だから、諦めなかった。
「人を削らない」と書いたメモの意味は、採用の場面でも同じだった。
数ではなく、一人一人に、本気で向き合うことだ。

1ヶ月目、クラウド勤怠を入れた。
二ヶ月目、パソコンを入れ替えた。
三ヶ月目、アンケートで声を集め、全件に返事を書いた。
四ヶ月目、採用の仕組みを整えた。

手本としたのは、大学院の学びだ。

毎月、「大学院で学んだ『人を大切にする経営での学び』を自分の施設で毎月1つ、従業員を大切にすることを実践する」自分に言い聞かせるように、必ずやった。

それだけを、繰り返した。

1年が経つ頃、空気が変わった。
ある会議で、新しい提案を出したとき、リーダーの一人が言った。
「高坂さんが言うなら、本当にやれそうですね」

「日本一になります」と言ったとき、会場は白けていた。
「できるわけないやん」という心の声が、駄々洩れで聞こえていた。
それが、1年後には「高坂さんが言うなら」になっていた。

信用は、宣言では作れない。
月ごとに積み上げた小さな「やった」の積み重ねが、信用になる。
それが、この1年間、泥臭く実践した結果だ。

同じ時期、もう1つ動いたことがある。

同好会の設立だ。

最初に作ったのは、野球同好会だった。
声をかけると、思いのほか人が集まった。
介護士、機能訓練指導員、ケアマネ、事務、相談員、職種がバラバラのメンバーだった。
男性も女性も来た。
経験者は少なく、ほとんどが素人だった。

最初の練習のことを覚えている。
グラウンドに出た瞬間、空気が変わった。
「あそこに投げて!」「待って取れない!」笑い声が上がる。
普段、廊下でほとんど話さない職員同士が、肩を並べて笑っている。

介護の職場はユニットごとに動く。
ケアマネは別フロア、栄養士は厨房、事務は本部。
普段の業務では交わらない人間が、グラウンドでは関係なく並ぶ。
その日以来、廊下の挨拶が少し変わった。「昨日の練習、疲れましたね」という声がフロアを越えて聞こえてくるようになった。

施設の中で、相談できる仲間が増える。
横のつながりが出来ることで、辞めない環境ができる。

1年目を振り返って、後悔はない。

やるべきことを、全力でやった。それだけだ。
クラウド勤怠を入れた。
パソコンを入れ替えた。
採用を動かした。
派遣スタッフの家まで迎えに行った。
アンケートを配り、全件に返事を書いた。
戦友を呼んだ。
野球同好会を作った。
毎月の会議で宣言し続けた。

どれも、特別なことではない。

ただ、1つ1つを、諦めずにやり続けた。

「高坂さんが言うなら、本当にやれそうですね」という言葉が、1年後に出てきた。

それで、十分だった。

あなたの1年目は、どうだろうか。

全力でやるべきことをやった、と言えるか。
言えないなら、まだ間に合う。
次の1年を、全力で使えばいい。
今からでも遅くない!

クラウド勤怠でも、パソコンでも、アンケート一枚でも。

「言ったら変わった」という実績を、1つ作ることから始めてほしい。

その1つが、組織を変える最初の歯車になる。

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