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なぜ人は“寄付”するのか?―理由を考えてみた(後編)|バリ島の知らなくていいコトvol.39

🏝️ バリ島の知らなくていいコト
こんにちは、marinです。

バリ島に家族で移住して2年目になりました。
観光では見えなかった“暮らしのリアル”を、少しずつ記録しています。



前回のnote「寄付って、むずかしい。」では、
バリ島の暮らしの中で出会った寄付文化と、そこで生まれた自分のモヤモヤについて綴りました。

前半のnote記事はこちら↓


今回はその続きとして、

「なぜ人は寄付をするのか?」――

宗教や文化の違いから、“与える”という行為の本質を探ってみたいと思います。


寄付について、わたしと同じようにモヤモヤを抱えたことのある方に読んでもらえたら嬉しいです😊


わたしの自己紹介はこちらです↓



1章|寄付が持つ意味は、文化によってこんなに違う


前回のnoteで「寄付って、むずかしい」と感じた経験のことを書きました。
“いいこと”のはずなのに、実際に行動しようとすると、どこかで立ち止まってしまう。

「この寄付、本当に届くのかな?」
「自分にできることなんて小さすぎるのでは?」


そんなモヤモヤを抱いたまま、気づけばページを閉じてしまう自分がいます。

寄付は“優しさの証”のように見えるけれど、
どうしてこんなに迷いや葛藤が生まれるんだろう‥


この感情を少し整理したくて、私はいくつかの宗教で「寄付」がどんな意味を持つのかを調べてみました。
すると、驚くほどにその“前提”が違っていました。

「寄付=優しさ」ではなく、
“義務”、“愛”、“調和”という、まったく異なる角度から語られていました。


①:🕌イスラム教 ― 義務


イスラム教では、寄付は「ザカート(Zakat)」と呼ばれ、信仰の五つの柱(五行)のひとつに数えられています。
つまり、寄付は“善意”ではなく“義務”。

収入や資産が一定以上ある人は、その一部(およそ2.5%)を、貧しい人や困っている人に分け与える。
それは「助けてあげる」という上から目線の行為ではなく、
“神が与えた富を、社会に正しく循環させる”という考え方に基づいています。

寄付をしないことは、「信仰を欠くこと」にもなりえます。
だから、そこには迷いがない。
「与えること」は当然であり、信仰そのもの。

私はこの潔さに、少し心を動かされました。
寄付を“する・しない”を迷う余地がない。
それは「他人のため」以前に、「自分が正しく生きるため」の行為なのですね。


②:✝️キリスト教 ― 愛


一方、キリスト教では寄付は「愛の実践」として位置づけられています。
聖書には、「隣人を自分のように愛しなさい」と書かれています。

ここでの“寄付”は、義務ではなく“感謝の表現”。
「神がまず私たちを愛してくれたから、私たちも他者を愛する」――そんな循環の中にあります。

なので、教会での献金やチャリティイベント、ボランティアなど、
「与えること」は信仰の“自然な延長”として日常に溶け込んでいます。

お金を渡すというより、“愛を分かち合う”という感覚に近い。
見返りを求めないことが前提ではあるけれど、
その根底には「神への感謝を行動で表す」というポジティブな動機があります。

私はこの姿勢に、「与えること=奪われることではない」という温かさを感じました。
愛は減らない。分けても、むしろ増えていく。
寄付の本質は、そんな“豊かさの実感”なのかもしれません。


③:🕉️ヒンドゥー教・バリヒンドゥー ― 調和


そして、私が暮らすバリ島の人々にとって、寄付は日常の中にあります。
彼らはヒンドゥー教の教えをベースにした「バリ・ヒンドゥー」という信仰を持ち、
その中に「ダーナ(Dāna)」という“与える徳”の考え方があります。

富は神からの預かりもの。
だから、それを誰かのために使うことは「返す」行為でもある。
お金の寄付だけでなく、祈り、供物、奉仕、時間――すべてが“与える行為”とされます。

バリヒンドゥーのお供え物


バリには「トリ・ヒタ・カラナ」という言葉があります。
神・人・自然の調和を意味するこの考えが、暮らしの根底に流れています。

寄付は「助けること」でも「義務」でもなく、
この世界のバランスを保つための“祈り”のようなもの。
与えることで、世界が穏やかに循環する。

そんな世界観に触れるたび、
「寄付=人のため」ではなく「調和のため」という視点が、少しずつ自分の中に根づいていきます。

④:違いと共通点

寄付には、信仰が違えばまったく違う意味が与えられていました。
義務として、愛として、そして世界の調和として。

でも、どんな違いがあっても共通していることがあると感じます。

それは、「与えることで、自分の心が動く」ということ。  
安心したり、満たされたり、誇らしくなったり――。


結局、人は“無欲”ではいられないのかもしれません。  
むしろその感情こそが、「与える」力の源なのだと感じてきました。



2章|「見返りを求めない」は本当に可能?


寄付というと、「見返りを求めない善意」という言葉がよく使われます。
けれど、正直なところ、完全に“無欲”で与えることなんてあるでしょうか?

「誰かの役に立てた」と感じたい。
「社会の一員として貢献した」と思いたい。

そのどれもが、“自分の心を満たしたい”という自然な感情かもしれません。

私はそれを否定しなくていいと思っています。
むしろ、“与えることを通して自分の満足を得る”ことは、人間らしいことのように感じます。


寄付は「自分を良く見せたい」ではなく、「自分が良くありたい」という願いの表れ。
それが少しずつ、行動を変えていく。

だから、「見返りがある寄付」もまた、誠実な寄付だと思います。

3章|企業が寄付をするときの“本音と建前”


「寄付」と聞くと、つい“善意の行為”をイメージするけれど。
企業が寄付をするとき、その背景にはもう少し複雑な事情があると思います。


企業が寄付をする理由を紐解いてみると…

• 業界内での認知獲得
• ブランドの信頼性向上(レピテーション)
• ESG投資への対応や株主・市場への評価
• 税制優遇などの実利
• 地域との関係づくり(リスク管理でもある)

つまり、

💬 寄付は「お金を増やす投資」ではなく、
🤝「信頼と関係性を積み立てる投資」

慈善とビジネス、その両方がそこには共存しています。



しかし、ここで見落としたくないのは…

企業という大きな存在の中には、
一人ひとりの人がいるということです。

私もヘルスケア企業で働いていた一員として、当事者だったこともあり、よくわかります。


現場で動いている担当者は、

「本当に役に立ちたい」
「地域と一緒に生きたい」


そんなまっすぐな気持ちで取り組んでいることが多いと思います。

もちろん、「会社の指示だから‥」「営業成績に繋がる可能性があるから‥」「通行税だから‥」という本音も色々とあるとは思いますが。(笑)


戦略・誠実・情熱‥

どれが正しい、正しくないではなく、
全部が絡み合って寄付という行為が成立していると感じます。



なので私は思います。

「企業の寄付には思惑がある」
…それはきっと、当たり前のこと。

でも、どんな動機が入り混じっていても、
誰かの生活が少しでも良くなるなら、そこには価値があると思います。

綺麗じゃない現実と、綺麗な理想が同居する場所。
それが、企業の寄付なのだと思います。



ビジネスのためであり
でも人のためでもある

白でも黒でもなく、
その間にあるグラデーション。


寄付について考えると、
「世の中はそう簡単に割り切れない」ということを教えられている気がします。



4章|現代社会の寄付:選ぶことで自分を知る


宗教的背景を越えて、今の社会にも“与える仕組み”はたくさんあります。

SNSを通じた寄付キャンペーン、クラウドファンディング、小口のオンライン支援――。
ほんの数クリックで「支援者」になれる時代。

一方で、その気軽さが、私たちの心を少し複雑にもしているかもしれません。


ボタンを押すだけで「いいことをした」と感じる一方、
「これで本当に届くのかな?」という疑念も生まれます。


昔は“寄付する=直接会って渡す”ことが多かったのだと思います。

いまは“寄付する=画面の向こうの誰かを信じる”こと。
だからこそ、より「自分の価値観」に向き合うきっかけになるのだと思います。


「どんな人や活動を信じたいか」

それを選ぶことが、すでに“自分を知る”プロセスになっていると感じます。


そして、寄付には“その人の生き方”が表れます。

たとえば、動物保護に寄付する人は「命の尊厳」を、
教育支援を選ぶ人は「未来への希望」を、
医療や災害支援を選ぶ人は「痛みに寄り添いたい」という想いを、
それぞれの形で映しています。


何に心が動くか。
何を「助けたい」と思うか。

その答えが、自分の価値観そのものです。


寄付は、他人を知るための行為ではなく、
“自分を知るための鏡”なのかもしれません。



✨結び:「与えること=自分を知ること」


与えるって、意外と一方通行じゃないなと思います。
寄付をしたあと、自分の心もちょっと軽くなったり、安心したり、
「誰かとつながってるな」と感じたりすることもあります。

宗教や国が違っても、与えることで少しだけやさしい気持ちになれるのは同じかもしれません。
それは、与えることで自分の中の誠実さに触れられるからだと思います。


一方で、「寄付をしない」という選択も、
自分を知る大切な過程だと思っています。

なぜ今回はしないと決めたのか。
その理由を丁寧に見つめていくことで、
自分の価値観が浮かび上がってくる気がします。


だから今日も、迷いながら考えます。
「自分はどんなふうに与えたいのかな?」って。


子どもと一緒に
折り紙のプレゼント、完成しました🎁✨




🕊️

与えることで世界が変わるわけじゃない。
でも、自分の見ている世界が、少しだけ変わる。



今回も気付けば4000字を超える長文になってしまいました💦
最後までこの記事を読んでくださって、ありがとうございます🌸

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