第三の矢はなぜ刺さらなかったのか――アベノミクスと複線型トラック論

日本共和制論の本論は、もう閉じた。

義務教育をどう考えるか。教育学部はなぜいらないのか。複線型トラックをどう設計するか。この国を次の世代にどう渡すか。最後に、日本を残すとはどういうことか。そこまでは、すでに書いた。

だから、ここからは補論である。あるいは応用篇である。

今回扱うのは、アベノミクスである。

ただし、ぼくはここで、アベノミクスを雑に全否定したいわけではない。アベノミクスは失敗だった。大企業と富裕層だけが潤った。庶民には何も滴り落ちなかった。だから終わり。そういう話をしたいわけではない。

その言い方は、気持ちは分かる。だが、粗い。

アベノミクスには、三本の矢があった。大胆な金融政策。機動的な財政政策。そして、民間投資を喚起する成長戦略。第一の矢と第二の矢によって、デフレ下で縮んだ需要と企業収益を動かす。そこまでは、政策パッケージとして理解できる。少なくとも、金融緩和や財政出動それ自体を、最初から全否定する必要はない。

問題は、第三の矢である。

第三の矢は、成長戦略だった。構造改革だった。だが、それは本当に、社会の中間層を作り直すところまで届いたのか。企業収益を、賃金、国内投資、価格転嫁、人材育成、職業訓練、労働移動へつなぐ制度になっていたのか。普通科高校から大学へ流し、ホワイトカラーを目指す一本線の教育構造を変えたのか。高専、実業高校、専門学校、職業訓練、現場技能を、賃金と社会的地位に接続したのか。

ぼくの答えは、否である。

アベノミクスの問題は、第一の矢と第二の矢が完全に間違っていたことではない。第三の矢が弱かったことである。もっと正確に言えば、第三の矢が、人を成長へ接続する制度まで降りていなかったことである。


トリクルダウン批判では、第三の矢の失敗を掴めない

アベノミクス批判には、定番の型がある。

アベノミクスは、大企業や富裕層を潤せば、いずれ庶民にも富が滴り落ちるというトリクルダウン政策だった。だが、滴り落ちなかった。だから失敗だった。

この批判は、結果の観察としては半分正しい。株価は上がった。企業収益は改善した。雇用環境も一定程度改善した。しかし、多くの人の生活実感として、中間層が力強く再建されたとは言いがたい。賃金は長く停滞した。地方、中小企業、非正規、サービス業、下請け、若年層、転職市場、職業訓練には、十分に届かなかった。

だが、「トリクルダウンだったからダメだった」で終わらせると、第三の矢の失敗を掴み損ねる。

問題は、上に金を流したから下に来なかった、という単純な話ではない。問題は、上から下へ滴り落ちる水路が設計されていなかったことである。

企業収益が出たとしても、それが自動的に賃金になるわけではない。内部留保になるかもしれない。株主還元になるかもしれない。海外投資になるかもしれない。下請けへの価格転嫁を認めないまま、大企業だけが利益を取るかもしれない。非正規を安い調整弁として使い続けるかもしれない。職業訓練を企業が負担せず、人材市場から即戦力だけを欲しがるかもしれない。

だから、問題は再分配だけではない。

問題は、企業収益を、国内賃金、国内投資、価格転嫁、人的資本投資、職業訓練、技能処遇へ流す制度が弱かったことにある。

アベノミクス批判をトリクルダウン批判だけに閉じると、結局、「もっと再分配しろ」という話になる。それは必要な局面もある。だが、それだけでは人は育たない。職能は形成されない。中間層は再建されない。教育から職業への接続は太くならない。

滴り落ちなかったことだけが問題なのではない。

滴り落ちる水路がなかったことが問題だった。

第三の矢とは、成長戦略・構造改革だった

第三の矢は、単なる景気刺激策ではなかった。

その初期形は、2013年6月14日に閣議決定された「日本再興戦略 -JAPAN is BACK-」として具体化された。

成長戦略であり、構造改革だった。民間投資を喚起し、産業構造を変え、企業統治を変え、規制改革を進め、雇用を変え、日本経済の潜在成長力を高める。それが建前だった。

しかし、その実装は、企業側、市場側の環境整備に寄りやすかった

法人税を下げる。規制改革を進める。企業統治を変える。TPPを進める。女性活躍を掲げる。観光を伸ばす。農業や医療を成長産業にする。雇用を流動化する。もちろん、それぞれに意味はある。

だが、ここで問うべきことがある。

人をどう測るのか。どの段階で、学術トラックと実業トラックを分けるのか。分けた後に、移動可能性をどう残すのか。職業教育を、落ちこぼれの道ではなく、社会的に尊重される道にどう変えるのか。高専、実業高校、専門学校、職業訓練、大学、企業内訓練をどう再編するのか。技能や実業能力を、賃金と社会的地位にどう接続するのか。

第三の矢は、そこまで届いていたのか。

ぼくは、届いていなかったと思う。

成長戦略という言葉はあった。構造改革という言葉もあった。だが、日本社会の最大の構造問題の一つは、教育と職業世界の接続が壊れていることである。大学へ行けば何とかなるというホワイトカラー幻想が残り、実業系の教育は下に見られ、Fラン大学は温存され、職業訓練は弱く、転職市場も未成熟で、企業は人材育成コストを十分に引き受けない。

この状態で、民間投資を喚起しても、それが中間層再建へ自動的につながるはずがない。

成長戦略とは、本来、人をどう育て、どう配置し、どう処遇するかの制度設計でなければならない。

財界にお願いするだけでは、人は動かない

安倍政権が賃金を完全に無視していた、という言い方も正確ではない。

官製春闘はあった。政府は財界に賃上げを求めた。企業収益が改善したのだから賃金を上げろ、投資しろ、という圧力はかけていた。そこは見ておく必要がある。

だが、お願いでは弱い。

財界は、自分たちに都合のよい改革には乗る。法人税減税には乗る。規制緩和には乗る。雇用流動化には乗る。人手不足対策には乗る。外国人材の受け入れには乗る。政府が補助金を出してくれる成長投資には乗る。

しかし、自分たちの採用慣行、職務定義、賃金制度、教育訓練負担、下請け構造、価格転嫁、非正規依存、実業系人材の処遇を根本から変えるところには、そう簡単には踏み込まない。

だから、必要だったのは、財界へのお願いではない。

政策で縛ることだった。

労務費上昇分を価格転嫁できるようにする。下請け叩きを潰す。非正規を安い調整弁として使い続ける構造を壊す。職業訓練と労働移動を制度化する。技能資格と処遇を接続する。職業教育修了者を企業がどう評価するかを制度化する。ジョブ型という言葉でごまかすのではなく、教育、資格、職務、賃金をつなぐ。

第三の矢が弱かったのは、財界に強く出られなかったからである。

ただし、それは精神論ではない。政治家が財界に怒鳴ればよかったという話ではない。制度で縛るべきだった、という話である。

企業収益を作る。そこまでは第一の矢と第二の矢が担う。だが、そこで終わってはいけない。その利益を、賃金、国内投資、価格転嫁、人材育成、職業訓練へ流す制度が必要だった。

それが第三の矢の実装不足だった。

複線型トラック論は、第三の矢を補強する

ここで、複線型トラック論が出てくる。

ぼくが「複線型トラックをデザインしろ――日本共和制論 3/5」で論じたのは、単なる教育改革ではない。大学一本槍、普通科一本槍、ホワイトカラー幻想一本槍の社会をやめろ、という話である。

全員を大学へ送ればよいわけではない。全員が抽象的なホワイトカラーを目指せばよいわけでもない。偏差値順に大学へ流し、そこで市場価値の弱い学位を配り、本人も企業も社会も不幸になるような制度は、もう限界に来ている。

必要なのは、学術トラックと実業トラックを、上下ではなく左右に置くことである。

学術トラックは必要である。高度な抽象思考、研究、法学、医学、工学、哲学、政策、数学、科学。これらは社会に不可欠である。だが、それだけが社会の正規ルートではない。

実業トラックも必要である。工業、農業、水産、建設、介護、看護、情報、サイバー、整備、物流、調理、観光、防災、インフラ、製造、現場管理。これらは、社会の土台である。

しかも、実業トラックは、低学力者の収容所であってはならない。

高専のように、早期から専門能力を育てる道があってよい。専門学校や職業訓練を、安い資格商売ではなく、産業と接続した高度な実務教育へ作り直すべきである。実業高校も、単に昔ながらの工業高校や商業高校を保存するのではなく、現代産業に合わせて再編すべきである。

商業高校で簿記や情報処理を教えて終わり、では弱い。現代の商業は、会計ソフトのユーザーを作ることではない。データを扱い、サプライチェーンを理解し、現場の価値をマネタイズし、経営判断を支える高度実務である。そこには、数学、統計、情報、現場理解が必要になる。

つまり、複線型トラック論は、「勉強ができない子を職業教育へ回す」という話ではない。

人間の適性を測り、複数の道を作り、それぞれの道に社会的地位と賃金を与え、必要に応じて移動可能性を残す制度である。

これは、アベノミクス第三の矢に欠けていたものでもある

第三の矢は、民間投資を喚起する成長戦略だった。だが、成長を担う人間をどう育てるかという制度が弱かった。複線型トラック論は、そこを補強する。

市場へ人を放り込む前に、国家が教育、測定、訓練、資格、処遇の接続を設計する。

それが、第三の矢を教育と職業の側から打ち直すということである。

竹中平蔵・パソナ型の中間搾取とは何が違うのか

ここで、注意しておくべきことがある。

労働市場を流動化する。転職を促す。職業訓練を増やす。リスキリングを進める。こういう言葉は、一見するとよさそうに見える。

だが、そのまま放置すると、すぐに人材ビジネスが肥大化する

派遣、紹介、再就職支援、研修ビジネス、キャリアコンサル、リスキリング講座、人材仲介。そこに中間業者が入り、手数料を抜く。本人の技能形成や賃金上昇よりも、仲介業者の収益が先に立つ。

竹中平蔵・パソナ型という言葉で、多くの人が嫌悪しているのは、たぶんそこだろう。

労働者を市場へ流す。企業は必要なときに必要な人材だけを使う。中間に人材ビジネスが入る。国家は制度を作ったような顔をする。しかし、実際には労働者が強くなるわけではない。中間層が太くなるわけでもない。むしろ、人材の流動化を名目に、中間搾取が制度化される。

複線型トラック論は、それとは違う。

複線型トラック論は、人材ビジネスを太らせる話ではない。国家が、教育、測定、資格、訓練、学校制度、企業処遇を標準化し、接続する話である

人を市場へ流す前に、教育制度で育てる。適性を測る。技能を訓練する。資格を整備する。企業がその資格や訓練をどう評価するかを制度化する。賃金とキャリアに接続する。学び直しの道を残す。実業トラックから高度専門職へ上がる道も作る。

つまり、目的は流動化ではない。

目的は、接続である。

中間搾取を増やすのではなく、中間層を作り直す。

これが決定的な違いである。

サナエノミクスは、第三の矢を打ち直せるのか

ここで、現在の話に移る。

サナエノミクスである。

サナエノミクスは、一定の評価をしてよいと思う。

少なくとも、お題目レベルでは、アベノミクス第三の矢の弱点をある程度理解しているように見える。

単なる金融緩和ではない。単なる市場任せでもない。単なるトリクルダウンでもない。責任ある積極財政、危機管理投資、成長投資、AI、半導体、防衛、造船、量子、防災、エネルギー、食料安全保障、人材育成。こうした言葉が出てくるなら、それは「国家が供給能力を作る」という発想に近い。実際、日本成長戦略会議では、戦略17分野における主要な製品・技術等が議論されている

そこは評価してよい。

ぼくは、国家が産業政策を持つこと自体を否定しない。むしろ、日本共和制論の立場からすれば、国家が自国の供給能力、教育能力、産業基盤、食料供給、インフラ、防衛、災害対応を考えるのは当然である。すべてを市場に任せる方が異常である

だが、供給能力の中核は、人である。

半導体を作るのも、人である。造船を支えるのも、人である。防衛産業を維持するのも、人である。介護を担うのも、人である。農業や漁業を残すのも、人である。防災やインフラを回すのも、人である。

だから、サナエノミクスが本当に国家戦略であるなら、中心に置くべきは、国内人材の形成と職業接続でなければならない

ここで、二つの問題が出る。

一つは、二枚舌である。

国家戦略を語る。国内供給能力を語る。保守的な国家像を語る。だが、実装の場面で、財界の労働力確保に流れるなら、それは国家戦略ではない。

外国人材を入れる。労働移動を促す。柔軟な働き方と言って労働時間規制を緩める。リスキリング市場や人材仲介を肥大化させる。企業が足りない人手を、外から、安く、柔軟に、都合よく調達できるようにする。

それでは、国内人材の形成ではない。財界向けの労働供給政策である。

もちろん、外国人材をすべて拒めと言っているのではない。そういう単純な話ではない。問題は順序である。

まず国内人材を測る。教育と職業訓練を複線化する。実業トラックを賃金と地位に接続する。企業にその処遇を制度的に引き受けさせる。それでも足りない領域で、限定的に、管理された外国人材を使う。

この順序なら分かる。

だが、国内人材の形成を後回しにして、人手不足を外国人材で埋めるなら、それは日本を残す政策ではない。企業の人手不足を埋める政策である。

もう一つは、遅さである。

人材形成は、政策を出して翌年に効くものではない。十年、二十年単位の制度である。実業高校、高専、専門学校、職業訓練、企業内訓練、資格、賃金処遇を接続するには時間がかかる。

危機が来てから「人材育成」と言っても遅い。

半導体が必要になってから半導体人材を育てる。防衛産業が必要になってから防衛人材を育てる。介護が足りなくなってから介護人材を探す。農業が壊れてから農業人材を探す。地方インフラが崩れそうになってから人手を探す。

遅いのである。

遅いから、外国人材に逃げる。遅いから、労働移動に逃げる。遅いから、リスキリング市場に逃げる。遅いから、人材ビジネスに逃げる。遅いから、財界都合の短期的な労働力確保が、国家戦略の顔をして出てくる。

つまり、サナエノミクスの問題は、単なる中身の問題ではない。時間軸の問題でもある。

お題目は悪くない。国家が供給能力を作るという発想は、むしろ必要である。だが、その供給能力の中核である国内人材形成を、教育制度の段階から作り直していないなら、結局は間に合わない。

間に合わなければ、財界都合へ流れる。

ここで、複線型トラック論が物差しになる。

サナエノミクスが本当に第三の矢を打ち直すなら、国内人材を教育し、測定し、訓練し、職業世界へ接続し、企業処遇まで制度化しなければならない。そこを迂回して、外国人材、労働移動、人材仲介、柔軟な働き方へ流れるなら、それは国家戦略ではない。

第二の第三の矢である。

そして、また刺さらない。

第三の矢に足りなかったのは、市場ではなく制度だった

アベノミクスの第三の矢は、成長戦略だった。

だが、成長戦略を本当に中間層へ届かせるには、市場の活性化だけでは足りなかった。企業収益を作るだけでは足りなかった。財界に賃上げをお願いするだけでも足りなかった。労働市場を流動化するだけでも足りなかった。

必要だったのは、人を市場へ投げ込むことではない。

人を測り、育て、分け、つなぎ、移動可能性を残し、処遇まで接続する制度だった。

第三の矢に足りなかったのは、さらに強い市場化ではない。

第三の矢に足りなかったのは、制度である。

教育とは、個人の自己実現だけのためにあるのではない。社会の成員を形成する制度である。職業教育とは、単なる就職支援ではない。社会を次の世代へ渡すための接続装置である。

義務教育は、日本語公共圏への参加資格を作る。複線型トラックは、そこから職業世界へ人を接続する。学術トラックに進む者だけが、日本語公共圏の成員なのではない。職業高校、専門学校、職業訓練、現場技能、地域産業、福祉的就労、学び直し。どの経路に進むとしても、制度の言葉を理解し、契約を理解し、職場の指示を理解し、公共空間で振る舞い、自分の権利と義務を理解する必要がある。

だから、複線型トラック論は、単なるキャリア教育ではない。

国家が成員を形成し、勤労可能性を作り、社会の再生産可能性を支える制度インフラである。

アベノミクスの第三の矢は、成長戦略としては弱かった。だが、もっと弱かったのは、人を成長へ接続する制度である。

複線型トラック論は、その失われた第三の矢を、教育と職業の側から打ち直す試みである。

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