心理的安全性は「優しい職場」ではない――組織が不都合な真実を知るための条件をつくれ
ぼくは以前、仕事上のリスクや注意点を指摘していたら、「ネガティブトークの人」と評価されたことがある。
もちろん、それだけが理由で会社を辞めたわけではない。
だが、これまでの職業生活を振り返っても、リスクを挙げただけで、あそこまで露骨に「否定的な人間」とラベリングされた職場は他にない。そして、そこがぼくの職歴の中で最も在籍期間の短い会社だった。
偶然にしては出来すぎている。
問題の内容を検討する代わりに、それを報告した人間の性格を問題にする。
「リスクがある」という発言を、「この人はネガティブだ」という人格評価へ変換する。
これは単に、人間関係や相性が悪かったという話ではない。
組織が、自分にとって不都合な情報を遮断しているのである。
そこで重要になるのが、「心理的安全性」という概念だ。
ぼくはこれまで、EQを批判してきた。
EQは、組織で問題が起きたとき、それを個人の共感力、感情管理能力、コミュニケーション能力、人間力の不足として説明する。
一方、心理的安全性は、問題を個人の内面ではなく、チームの規範、上司の反応、評価制度、権力関係、情報経路へ戻す。
心理的安全性は、社員を優しく包むための言葉ではない。
組織が、自分にとって不都合な真実を知るための条件である。
そして、その条件をつくるのは社員個人ではない。
経営者とリーダーの仕事である。
1. 心理的安全性はエドモンドソンが発明したのか
心理的安全性は、エイミー・エドモンドソンが突然発明した概念ではない。
組織行動論における系譜は、少なくとも1960年代まで遡る。
エドガー・シャインとウォーレン・ベニスは1965年、組織変革において、人が防衛的にならず、新しい行動を試すためには心理的安全が必要だと論じた。
この段階での心理的安全は、変化に伴う不安を抑え、学習を可能にする条件だった。
1990年にはウィリアム・カーンが、仕事へのエンゲージメントを可能にする心理的条件として、心理的安全性を扱った。
カーンにおける心理的安全性は、自分の地位、自己イメージ、キャリアへの悪影響を過度に恐れず、自分自身を仕事上の役割へ投入できる感覚である。
ここまでは、主として個人が経験する心理状態としての概念だった。
1999年、エドモンドソンは心理的安全性を、次のようなチームレベルの概念として再定式化した。
チームが、対人的リスクを取るうえで安全な場所だという、チーム成員に共有された信念。
エドモンドソンの決定的な意義は、「心理的安全性」という言葉を最初に使ったことではない。
それまで比較的曖昧だった組織開発上の概念を、チーム単位で測定し、チーム学習や業績との関係を検証できる構成概念へ作り替えたことである。
したがって、正確にはこう言うべきだろう。
エドモンドソンは心理的安全性の発明者ではない。
現代的なチーム心理的安全性研究の確立者である。
2. 優秀なチームほど、エラーが多かった
エドモンドソンの研究の出発点には、興味深い逆説があった。
病院の看護チームを調べたところ、評価の高いチームほど、報告された投薬エラーの件数が多かった。
普通に考えれば、優秀なチームほどミスが少ないはずである。
ところが、データは逆だった。
ここからエドモンドソンは、別の可能性に気づいた。
優秀なチームは、本当にエラーが多いのではない。
エラーを発見し、隠さず、報告できているのではないか。
逆に、評価の低いチームでは、ミスを報告すると責められる、能力を疑われる、評価を下げられるという不安があり、エラーが表面化していないのではないか。
この発見の決定的な意味は、次の区別にある。
実際に発生した問題の数と、組織に報告された問題の数は同じではない。
報告される問題の量は、少なくとも、
問題が実際に存在すること
誰かが問題を発見できること
発見した人が、それを報告しても安全だと思えること
によって決まる。
したがって、問題報告が少ない組織が、健全な組織とは限らない。
最も危険な組織ほど、数字の上では平穏に見えることがある。
ITプロジェクトでも同じである。
リスク一覧が空だから、リスクがないとは限らない。
障害報告が少ないから、品質が高いとは限らない。
赤信号を出さないプロジェクトマネージャーが、優秀とは限らない。
課題を指摘する人間が、「否定ばかりする人」とは限らない。
リスクを指摘した人間を黙らせても、リスクそのものは消えない。
消えるのは、リスクについての報告だけである。
3. 心理的安全性の正確な定義
心理的安全性が扱うのは、対人的リスクである。
例えば、次のような発言や行動には、対人的な危険が伴う。
「分かりません」
「間違えました」
「助けてください」
「この計画には問題があります」
「その判断は誤っているのではないでしょうか」
「納期までに完成しない可能性があります」
「この仕様では障害が発生します」
「顧客の要望と、いま作っているものが一致していません」
このようなことを言えば、無知、無能、非協力的、否定的、面倒な人間と思われる可能性がある。
心理的安全性とは、この種の対人的リスクを取っても、直ちに侮辱、排除、報復、不当な評価低下を受けないという共有認識である。
Googleもプロジェクト・アリストテレスの説明で、心理的安全性の高いチームでは、ミスを認めたり、質問したり、新しいアイデアを出したりしても、恥をかかされたり処罰されたりしないと説明している。
したがって、心理的安全性は次のようなものではない;
仲がよいこと。
雰囲気が明るいこと。
緊張しないこと。
心が傷つかないこと。
上司が常に優しいこと。
注意されないこと。
意見が必ず採用されること。
失敗の責任を問われないこと。
成果を出さなくても許されること。
何を言ってもよいこと。
――心理的安全性が保障するのは、発言の無条件な採用ではない。
発言したこと自体によって不当に罰せられないことである。
ミスを正直に報告したことと、ミスを改善しないことも別である。
反対意見を提出できることと、決定後も組織の合意に従わないことも別である。
心理的安全性は、無責任を保護する概念ではない。
責任を果たすために必要な情報を、組織の中へ出せるようにする概念である。
4. Googleプロジェクト・アリストテレスのインパクト
心理的安全性を一般に広く知らしめたのは、Googleのプロジェクト・アリストテレスだった。
Googleは、何が効果的なチームをつくるのかを調べるため、チームメンバーの属性、能力、性格、勤続年数、役職、働き方など、数百の変数を分析した。
当初の発想は単純だった。
優秀な個人を集めれば、優秀なチームになるのではないか。
だが、Googleの調査で重要だったのは、「誰がチームにいるか」よりも、「チームがどのように働いているか」だった。
Googleが挙げた五つの要因は、
心理的安全性
信頼性
構造と明確さ
仕事の意味
仕事の影響
である。
その中で、心理的安全性は最上位に置かれた。
一方、チームメンバーの外向性、個人業績、役職、勤続年数、同じ場所で働いているかどうかなどは、Google社内ではチームの有効性と有意な関係を示さなかった。Google自身は、これは他の組織でも必ず無関係だという意味ではない、と留保している。
重要なのは、プロジェクト・アリストテレスが心理的安全性を発見したわけではないということだ。
心理的安全性は、エドモンドソン以後、すでに組織心理学で研究されていた。
Googleの功績は、その概念を世界有数の知識労働組織の内部調査で再発見し、一般社会へ普及させたことにある。
心理的安全性は、医療や製造現場だけの話ではなかった。
高度な専門能力を持つ人間が集まるGoogleでも、個人の能力だけではチームは機能しなかった。
優秀な人間がいても、その人が問題を指摘できなければ、その能力は組織に入力されない。
5. 研究はGoogleで終わっていない
プロジェクト・アリストテレスは非常に有名だが、査読付き学術論文ではなく、Googleの社内調査である。
心理的安全性の学術的根拠をGoogleだけに求めるのは正しくない。
1999年のエドモンドソン論文以後、心理的安全性と、学習行動、情報共有、発言、創造性、職務経験、業績との関係について研究が蓄積した。
2017年、Frazierらは117件の研究から得られた136の独立サンプル、約2万2,000人、約5,000グループを統合したメタ分析を発表した。心理的安全性の先行要因と結果を整理するとともに、類似概念を考慮した後にも、心理的安全性がタスク・パフォーマンスや組織市民行動を追加的に説明するかを検討した。
結果を見ると、心理的安全性は、すべての結果と同じ強さで関係するわけではない。
心理的安全性と職務満足との補正相関は、およそρ=.52だった。組織コミットメントとはおよそρ=.48、情報共有とはρ=.41、イノベーションとはρ=.35という、比較的明確な正の関連が示された。
一方、短期的なタスク・パフォーマンスとの直接的な関連は、ρ=.18程度だった。正の関係ではあるが、それほど大きくない。
この結果は、心理的安全性を高めれば、そのまま業績が劇的に上がるという単純な話を支持しない。
だが、心理的安全性の効果が弱いという意味でもない。
心理的安全性は、職務満足や組織コミットメントとは比較的強く関連する。また、今回の論旨にとって特に重要なのは、情報共有との関連がρ=.41に達していることである。
心理的安全性が高い組織では、社員が幸福になるだけではない。
失敗、疑問、異論、リスクといった情報が、隠されずに共有されやすくなる。
イノベーションとのρ=.35という関連も、その延長上に理解できる。問題や既存の前提について率直に話し、新しい方法を試すことができなければ、イノベーションも起こりにくい。
その一方で、タスク・パフォーマンスとの直接的な関連はρ=.18にとどまる。
ここから導かれる結論は明確である。
心理的安全性は、業績を直接発生させる魔法の変数ではない。
失敗、疑問、異論、リスクを表に出す。
情報を共有する。
助けを求める。
失敗の原因を検討する。
新しい方法を試す。
そこから学習し、改善する。
心理的安全性とは、その回路を開くための組織的な基盤である。
したがって、次のような経路で理解すべきだろう。
心理的安全性
→ 発言、情報共有、失敗報告、援助要請
→ チーム学習、改善、イノベーション
→ 他の条件と組み合わさって成果へつながる
心理的安全性は、成果そのものではない。
成果へ至るために、組織が現実についての情報を取得し、それを学習と改善へ変えるための条件なのである。
これは、エドモンドソンが1999年に示した、心理的安全性が学習行動を促進し、その学習行動がチーム成果へつながるというモデルとも整合する。
Googleのプロジェクト・アリストテレスでは、心理的安全性が効果的なチームを支える最重要の要因として社会的な注目を集めた。
その後の研究は、Googleの結論を単に繰り返したのではない。
心理的安全性が何に強く関係し、何には直接それほど強く関係しないのかを区別し、成果へ至る媒介過程や、効果が生じる条件を明らかにしてきた。
2023年、エドモンドソンとBransbyは、2013年から2021年までの査読付き実証研究185本を検討した。
そのレビューでは、心理的安全性研究は、定義と測定について一定の合意が成立し、知見を累積できる確立した研究領域へ成長したと評価されている。
研究領域も、
仕事を遂行すること
学習行動
職場経験の改善
リーダーシップ
という四つの主要領域へ広がっている。
同時に、研究が進んだからこそ、限界も明確になった。
心理的安全性は、それだけで高い成果を保証しない。
チームの能力、目標の明確さ、役割分担、利用できる資源、意思決定の質、成果に対する説明責任が欠けていれば、心理的安全性だけが高くても、組織は成果を出せない。
心理的安全性が高いことと、仕事の基準が低いことは別である。
失敗を報告できることと、同じ失敗を何度繰り返しても責任を問われないことも別である。
異論を言えることと、決定された方針に従わなくてもよいことも別である。
研究の進展によって明確になったのは、心理的安全性の万能性ではない。
その限定された、しかし重要な役割である。
心理的安全性は、組織が学習するための基盤であって、学習そのものでも、成果そのものでもない。
心理的安全性を高めれば、自動的に高業績の組織が完成するわけではない。
だが、心理的安全性がなければ、問題は報告されず、必要な情報は共有されず、組織は自分の失敗から学習できない。
心理的安全性は、成功を直接生み出す魔法ではない。
組織が不都合な真実を知り、そこから学習と改善を始めるための条件なのである。
6. 日本で心理的安全性は「安心感」に変えられる
ところが、日本で心理的安全性という言葉が流通すると、しばしば単なる「安心感」へ薄められる。
例えば東洋経済オンラインに、オフィスカジュアルをめぐる世代間の認識の違いを扱った記事がある。
そこでは、企業が服装の基準を明確にすることが、社員の心理的安全性につながるという趣旨の説明がなされている。
服装基準を明確にすること自体は悪くない。
何を着てよいのか分からない状態を解消すれば、社員の不安や認知負荷は減るだろう。
だが、それは第一義的には、
規則の明確性
予測可能性
役割や期待の明確化
曖昧性の低減
の問題である。
心理的安全性の中心ではない。
「どの服を着れば怒られないか分かる」ことと、「上司の判断に異論を言っても不当に処罰されない」ことは別である。
前者まで心理的安全性に含めれば、職場で不安が減るものは何でも心理的安全性になってしまう。
空調が快適である。
机が使いやすい。
服装規則が明確である。
休憩室がきれいである。
上司が笑顔である。
これらが働きやすさに関係することは否定しない。
だが、すべてを心理的安全性と呼ぶ必要はない。
失礼クリエイターことマナー講師は、もともと存在しなかった不安や失礼を作り、それを解消するルールを売る。
さらに、そのルールを明示することまで心理的安全性と呼び始めれば、今度は心理学用語まで希釈することになる。
心理的安全性は、「職場で安心できること」一般ではない。
不都合な情報を口にしたときの対人的リスクについての概念である。
7. 「注意しないこと」でもない
もう一つの典型的な誤解は、心理的安全性を「注意されない権利」と考えることだ。
ログミーBusinessの記事では、部下を注意したところ、「心理的安全性に悪いです」と反論されたという管理職の事例が紹介されている。
続く記事で、元Googleのマネージャーらは、心理的安全性が高い状態はぬるま湯ではなく、むしろ緊張感を伴うものだと説明している。記事のシリーズも、心理的安全性、成果、目標管理、管理職の役割を一体の問題として扱っている。
この理解の方が正しい。
心理的安全性は、仕事をしなくても怒られない状態ではない。
高い目標に向かって、
「そのやり方では達成できません」
「ぼくの作業が遅れています」
「その要求は現実的ではありません」
「助けが必要です」
と率直に言える状態である。
率直な情報が出れば、当然、厳しい議論も起きる。
失敗の原因を検討しなければならない。
計画を修正しなければならない。
誰かの判断が誤っていたと認めなければならない。
追加の仕事も発生する。
心理的安全性は、対立をなくすものではない。
対立を隠さず、仕事に必要な形で扱えるようにするものである。
したがって、心理的安全性の高い職場は、必ずしも居心地がよいとは限らない。
本当に率直な意見が出る職場では、自分の提案が否定される。
自分のミスが明らかになる。
上司も、自分の判断が間違っていたと認める必要がある。
それは「優しい職場」というより、現実から逃げない職場である。
8. なぜ実装はハードなのか
心理的安全性を理解することと、実装することは別である。
経営者が朝礼で、
「何でも自由に言ってください」
「失敗を恐れないでください」
「心理的安全性を大切にします」
と宣言しても、それだけでは何も変わらない。
社員は、経営理念ではなく、実際に発言した人間がどう扱われたかを見る。
上司に反対した人間が、次の会議から外された。
リスクを指摘した人間が、「否定的」「協調性がない」と評価された。
障害を報告した人間に、修復作業がすべて押しつけられた。
上司の判断ミスを指摘した人間の人事評価が下がった。
内部通報をした人間が、職場で孤立した。
こうしたことが一度でも起きれば、周囲は学習する。
「率直に言ってほしい」という言葉は儀礼であり、本当に率直に言えば損をする。
心理的安全性とは、発言してよいという理念ではない。
発言した後に何が起きるかについての、蓄積された予測である。
だから、実装はハードなのだ。
しかも、発言が増えれば、管理者の仕事は増える。
隠れていた問題が表に出る。
調査が必要になる。
判断が必要になる。
対応が必要になる。
場合によっては、自分の決定を撤回しなければならない。
心理的安全性が低い組織では、問題が報告されないため、管理者は短期的には楽である。
会議は早く終わる。
反対意見もない。
報告書は緑色で埋まる。
だが、それは問題がないのではない。
管理者が問題を知らないだけかもしれない。
心理的安全性を本当に高めたい経営者は、部下に発言する勇気を求める前に、自分が不都合な情報に耐えられるかを問う必要がある。
9. 心理的安全性は誰の責任か
心理的安全性は、個人が研修で身につける能力ではない。
「もっと積極的に発言しましょう」
「勇気を持って意見を言いましょう」
「コミュニケーション能力を高めましょう」
と部下へ要求して終わるものではない。
発言したら不利益を受ける構造の中で、発言しないことは合理的である。
その合理性を無視して、社員に勇気やEQを要求するのは、組織の責任を個人へ転嫁しているだけだ。
EQは、組織がうまくいかない原因を個人の内面へ戻す。
共感力が低い。
感情管理ができない。
コミュニケーション能力が低い。
否定的である。
協調性がない。
心理的安全性は逆の問いを立てる。
その発言は、なぜ不利益を招くのか。
誰が評価権を持っているのか。
問題報告は、どの経路で処理されるのか。
報告者が損をしない制度になっているか。
上司は、反論を受けたときにどう反応するのか。
発言された問題について、誰が判断し、誰が対応するのか。
心理的安全性は、部下の人格を改善する話ではない。
経営者とリーダーが、チームの規範、評価制度、意思決定手続、情報経路を設計する話である。
2023年のレビューも、心理的安全性を個人の幸福そのものではなく、他の目標を可能にする要因として扱うべきであり、それ自体を目的化すれば、職場風土を物神化する危険があると指摘している。
心理的安全性はゴールではない。
組織が現実を知り、学習し、改善するための条件である。
10. 組織が不都合な真実を知るための条件をつくれ
心理的安全性を実装するには、少なくとも次の条件が必要になる。
異論と人格評価を切り離す。
「この計画は危険だ」という発言を、「この人は否定的だ」という性格評価へ変換しない。
失敗そのものと、失敗を報告したことを区別する。
正直な報告を処罰し、隠蔽した人間を見逃す制度にしない。
問題を報告した人間へ、負の報酬を与えない。
報告者にすべての解決責任を押しつけない。
発言された問題を記録し、判断し、対応し、結果を返す。
「言っても無駄だ」と学習させない。
上司への反論を、人事評価上の不利益にしない。
ただし、心理的安全性と成果責任を混同しない。
報告したことは評価する。
報告後に何も改善しないことまで免責しない。
未知の状況での合理的な失敗と、既知の手順を意図的に無視した行為を区別する。
異論を歓迎する。
だが、意思決定後には、決定へ従う責任も求める。
これらは、社員一人ひとりの心掛けだけでは実現できない。
権限を持つ者が、自分にとって不愉快な情報をどう扱うかによって決まる。
「否定ばかりする人」という言葉は便利である。
指摘されたリスクを検討せず、その情報を持ってきた人間の性格を問題にできるからだ。
だが、それによって消えるのはリスクではない。
リスクについての報告だけである。
EQは、組織の問題を個人の内面へ押し戻した。
心理的安全性は、その逆を要求する。
誰が悪い性格なのかではなく、なぜ正しい情報が上がらないのかを問う。
心理的安全性は、社員を優しく包むための言葉ではない。
組織が、自分にとって不都合な真実から逃げないための条件である。
その条件をつくるのは、社員の自己啓発ではない。
経営者とリーダーの仕事だ。
11. 信じられる心理学の肯定篇として
ぼくはこれまで、EQ、MBTI、多重知能理論、精神分析など、心理学または心理学風の言説がどこでスピるのかを書いてきた。
そこでは、信じられる概念として、IQ、Big Five、心理的安全性を挙げた。
IQとBig Fiveは個人差を扱う。
心理的安全性は、チームにおける発言の条件を扱う。
対象は違う。
だが、共通点がある。
測定できる。
結果との関係を検証できる。
効果量を示せる。
限界を示せる。
高ければ無条件によいとは言わない。
何を説明し、何を説明しないかを限定できる。
制度や組織設計へ接続できる。
心理的安全性は、業績を劇的に上げる魔法ではない。
人間を善良にする教えでもない。
優しい職場をつくる標語でもない。
だからこそ、信じられる。
心理学の批判だけでは、何を信じるのかが残らない。
この記事は、心理的安全性についての入門であると同時に、ぼくが信頼できると考える心理学の肯定篇である。
日本語圏で心理的安全性を論じるための、最低限の土台として置いておく。
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