#52『薄明』第9章:楽園⑨
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「──あの夜のこと、後悔していませんか」
麗奈のその言葉に櫂は迷いなくきっぱりと答えた
「していません。」
遠ざかっていた市場の音が戻る。
短いがそれは軽い言葉ではなかった。
ゆっくりと櫂は茉莉から視線を離し、麗奈の方を見つめて言った
「……あの時の私が、ちゃんと選んであなたを抱いた。
今の私があるのは、あなたを含め、すべての過去があるからです」
「……そっか」
麗奈はその言葉を聞いて、ふっと目を細めた
櫂さんらしい。
どんな過去からも逃げない
私とのことも──
「それ聞けてよかったです!
…あ、茉莉さん帰ってきた」
茉莉がフレッシュジュースを3つ抱えながらこちらへ向かってくるのが見えた。
即座に櫂は駆け寄り、その2つを受け取る。
これ以上ないほど、優しい顔で。
麗奈はそんな彼をまぶしそうに見つめた。
──良かった
寂しそうに影を抱えていた彼が、今は太陽の下でこんなにも優しく微笑んでいる
「ちょっと交渉して安くしてもらっちゃった」
茉莉が笑う
「えーすごい!茉莉さんお上手ですね!私の分までありがとうございます!」
麗奈は櫂からジュースを受け取り、茉莉に明るく微笑みかけた
「これ飲んだらそろそろ出ましょうね!あぁ本当、楽しい時間はあっという間だ」
マーケットの入口には帰りのタクシーを待たせていた
3人はそれに乗り込みまた帰路へ着く
「麗奈さん、ありがとうございました。いいお土産も効率よくたくさん買えたし、短い時間だったけどとても楽しかったです」
茉莉が麗奈にそう言うと、彼女は微笑んだ
「良かった〜!
でも茉莉さんの語学力もすごくて驚きましたよ、さすがですね!
次また来る時もぜひ私をご指名下さい!……と言いたいところなんですけど、実は年末あたりに日本に帰ることになったんです」
麗奈はどこか誇らしげに、少しだけ高揚した様子で言葉を継いだ。
「あっちで新しく立ち上がるベンチャー企業から声をかけられていて。
スタートアップの初期メンバーとして呼ばれているんです。面白そうだし、自分の力を試すにはこれ以上のチャンスはないかなって、思い切って受けることにしました」
「えっ、そうなんですか?わあ、すごいですね」
タクシーの窓の外には、午後の陽光を反射してきらめくインド洋が広がっている。麗奈は前を向いたまま、まだ見ぬ未来をきらきらとした目で見つめていた。
「ええ、代表がすごくパワフルで、意欲に満ち溢れた方なんです。
まぁ…何か過去に色々あったみたいですけど、この人についていきたいと思わせるような……不思議な魅力があって」
そこまで言って、麗奈はふと思い出したように後部座席の二人を振り返り、尋ねた。
「その人、九条稜真さんって言うんですけど……もしかしてご存知だったりしませんか?一時期ニュースになってたみたいですもんね」
──九条、稜真。
その名が狭い車内に放たれた瞬間、氷を浴びたように空気が一変した。
今までそこにあった南国の柔らかな余韻が、一瞬にして息の詰まる沈黙になった。
行きの空港で偶然会った──
私をまだ愛してる、と叫んだ人。
かつて自分が愛し、自分を愛してくれた人………
「…………」
こんな…偶然って。
茉莉が言葉を失い、顔の血の気を引かせるのとほぼ同時に、隣にいた櫂の腕が、彼女の手を強く握った
「……櫂……」
見上げた櫂の横顔は、彫刻のように硬く凍りついている。
(彼は…まさか
麗奈と自分の過去を知って彼女を引き抜いた?)
「あれ、やっぱりご存知でした?」
二人の異様なまでの動揺に、麗奈が不思議そうに声をかける。
だが、櫂は彼女に視線を向けることはなかった。
ただ、茉莉の手を、守るように力強く握り締め、窓の外の景色を冷徹な目で見つめている。
楽園の終わり。
そして、日本で待ち構えている「現実」という名の嵐。
麗奈という新たな因縁の糸が、かつての亡霊と絡み合いながら、二人の帰国を待ち構えていた─
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第9章が終わり、次から10章に入ります。
ついに稜真が絡んでくる?!
明日は9章のあらすじまとめになります。
その前に番外編もありますのでよかったら読んでいってください!(避妊について笑)
