好きで始めたのに、義務になってた ── 推し活3.9兆円の裏側
推し活の市場規模が3.9兆円を超えた。
でも、7割のファンが「疲れた」と感じている。
好きなのに疲れる——その構造を覗いてみた。
グッズの予約が始まった。
今月はアクスタとランダム缶バッジ。
買わないと、という気持ちが先に来る。
「欲しい」じゃなくて「買わないと」。
いつからこうなったんやろ。
「推す」は、いつから「消費する」になったのか
「推し」という言葉は、
もともとAKB48の選抜総選挙あたりから
広がったと言われている。
「私が推す」。
背中を押す、という意味だ。
この人を応援したい、
この人に光が当たってほしい。
それがいつの間にか、
「推す」=「買う」になった。
CDを積む。グッズを揃える。
イベントに通う。ランダム商品を
コンプリートするまで引く。
応援の気持ちは本物だ。
でも、表現する方法が
「消費」に一本化されている。
なぜ「好き」なのに疲れるのか
VOCEの調査によると、
推し活経験者の**67.9%**が
「推し疲れ」を感じたことがある。
7割だ。
好きでやっているのに、
7割が疲れている。
ニッセイ基礎研究所の
レポートはもう少し踏み込んでいる。
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=79295?site=nli
SNSがファン同士を可視化した。
誰がどれだけ買ったか、
何回イベントに行ったか、
どれだけ早く反応したか。
全部、見えるようになった。
見えると、比べる。
比べると、「足りない」と感じる。
「足りない」は、「もっとやらないと」
に変わる。
好きで始めたはずなのに、
いつの間にか
「ファンとしての義務」を
果たしている自分がいる。
3.9兆円は「好き」で回っているのか
推し活の市場規模は
約3.9兆円(2025年、A3社調査)。
推し活人口は約1,400万人。
平均年間消費額は約25万円。
この数字が意味しているのは、
「好き」が「経済」になったということだ。
経済として回すには、
ファンに継続的に消費してもらう
仕組みが必要になる。
ランダム商品。期間限定グッズ。
シーズンごとの新ビジュアル。
投票権つきCD。
どれも「買い続ける理由」を
設計している。
ファンの「好き」を
「消費の継続」に変換する装置。
市場はそうやって回っている。
ファンが悪いのではない。
仕組みがそうなっている。
「推す」の意味を、取り戻せるか
推し活を全否定したいわけじゃない。
好きな人を応援する。
その人の作品に触れて
心が動く。
その部分は、
何も変わっていない。
ただ、「推す」という行為が
「買う」と同義になった瞬間、
好きの形が一種類に固定された。
お金を使わない応援は
「推し」にカウントされにくい。
静かに作品を楽しむだけでは
「ファン」と名乗りにくい。
本当は、
好きに金額は関係ないはずだ。
推しを推せる範囲で推す。
それでいいはずなのに、
仕組みがそれを許さない。
「好きだから買う」と
「買わないと好きじゃない」の
境目が、どんどん曖昧になっている。
その境目に気づけるかどうかが、
たぶん、推し活を長く続けるための
いちばん大事なことだと思う。
好きって、本来タダのはずやねんけどな。
Q. 推し活は結局やめたほうがいいの?
A. やめる必要はないと思います。ただ「買わないと」と感じた瞬間に、それが自分の意志なのか仕組みの誘導なのか、一度立ち止まってみる価値はあります。
Q. なぜ企業はファンに「もっと買わせる」仕組みを作るの?
A. 市場として回すには継続消費が必要だからです。企業が悪いという話ではなく、構造としてそうなっている。知った上で付き合うのと、知らずに付き合うのでは意味が違います。
Q. 推し活の歴史的なルーツってあるの?
A. 実は300年前の江戸時代にも似た文化がありました。歌舞伎役者のブロマイド(役者絵)を集めるファン活動は、今のVtuber推しと構造がそっくりです。
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