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世代交代:タンゴの場合

古い世代から新しい世代へ。世界中どこでも起こっている世代交代。古い世代は一抹の寂しさを感じながらも若い世代の成功を願い、若い世代は古い世代のサポートを嬉しく思いながらも、そんなに心配しなくたって大丈夫ですよ、と微笑んで未来に向かって歩き出す。そう、いまや老兵はだだ去り行くのみ…

…というような展開はタンゴではあまりない。

まずダンス自体が、歩ければ踊れる、というレベルの負荷なので、ブエノスアイレスでは60、70歳台のみならず、80歳台、時には90歳台のミロンゲーロスミロンガの常連も、なじみのミロンガダンスホールにやってくる。彼らはおしゃれで、ダンスも颯爽としたものだし、男性も女性も、タンゴの生きた伝説と踊りた~い💕という若い世代のタンゲーロスの間で引っ張りだこ。つまり、引退する理由がないわけですね。

じゃあ、タンゲーロスはみんな死ぬまで踊ってるわけ? かというと、まあそうでもあり、そうでなくもあり。これまたタンゴのこととて、伝説やセールストークも混じってなかなかわかりにくい😅。そこで今回はタンゴ世界の世代間のあれこれついて、思いつくことをぽつぽつ書いてみたいとおもいます。
(タイトルイメージ:Photo by Chen Mizrach on Unsplash


ビエホ・ミロンゲーロスとは?

現在最高齢のダンサーたちが踊り始めたのは1940、50年代。この時期タンゴは、ダリエンソ楽団がリズムのはっきりした踊りやすい演奏を始めて人気になったことなどから、アルゼンチンその他の南米地域でダンスとして再ブームを迎えており、また、ディ・サルリ楽団、、トロイロ楽団など、プグリエーセ楽団といった綺羅星のような楽団がひしめき合って、カフェやレストラン、ナイトクラブとあちこちで演奏して、音楽としても黄金時代を迎えていました(メジャーなタンゴ楽団についてはコチラ)。

そんな熱気のあるシーンで踊り始めた彼らは、(バンドリーダーでバンドネオン奏者だった)ペドロ・マフィアの左手は大変なもんだったわよとか、プグリエーセ楽団でアルベルト・モランが歌うと女性ファンがステージに殺到してダンスどころではなくなったんだとか、贔屓の楽団が一晩にいくつかのミロンガで演奏する時は、ファンもミュージシャンにくっついてぞろぞろナイトクラブを移動したもんだとか、とにかくすごい体験を「毎晩、普通に」してきた人たちなのです。(羨まし過ぎて体が緑色になりソww👽)

ビエホ・ミロンゲーロス古い世代の社交ダンサー」などと呼ばれることもある彼らの大多数はしかしアマチュアで、実生活が忙しくなる時期(結婚した、子供ができた、仕事の責任が重くなった等)とタンゴダンスの衰退期が重なったこともあって、一時はミロンガから足が遠のいた世代でもあります。

そした迎えた1980年代後半のタンゴの世界的リバイバル。新しく踊り始めた若者たちだけでなく、子供も独立してヒマになったビエホ・ミロンゲーロスもミロンガ通いを再開。昔取ったなんとかで、時には若いもんを吹っ飛ばす勢いで踊り、またご意見番としても無視できない存在感を発揮しました。当然のことながら、そういう彼らを煙たく思った「若いもん」も少なくなく、1990、2000年代のブエノスアイレスのタンゴシーンは、いろいろな意味で、世代間闘争の場でもあったといえるかと思います。

このような経緯から何かと「伝説化」されがちなビエホ・ミロンゲーロたちですが、そのコアはアマチュア、いいかえればタンゴを踊ることを営利の具と考えず、人生の一部として踊っていた人たちだった、といえるでしょうか。現在のアルゼンチンタンゴ関係者の多くは「ビエホ・ミロンゲーロスはもういない」「タンゴがビジネス化した今では、もうああいう人たちは出てこない」といいます。確かに、タンゴ黄金期の残照を感じさせたあの世代は、残念ながら今はもう歴史と伝説の中にしか存在しないのかもしれません。

パフォーマーたちの夢

ビエホ・ミロンゲーロスとルーツは同じでありながら別の進化をしてきたのが、プロのタンゴパフォーマーたち。彼らは様々なお客の前で踊り、ミュージカルやバレエなど他の舞台芸術とも比べられる運命なので、技術的なレパートリーもカルチャーも、内輪うけ重視のミロンゲーロスとは全く違う。

プロのタンゴダンサーは昔からいたけれど、彼らの存在感がグっとましたのは、1980年代後半、タンゴショー『Tango Argentino』が世界的にヒットしてから。その後も『Forever Tango』『Tango Pasión 』『Tangox2』などのヒットが続き、映画やテレビなどにも出演するようになった彼らは、ある意味タンゴの顔になりました。

そういう「顔」といえばこの人、カルロス・ガビート。『Forever Tango』のスターで、幅広い層のファン、特に大マーケットの北米で中高年男性をタンゴダンスに引き寄せ、タンゴブームを牽引しました。そんな彼が国外の拠点をたたんでブエノスアイレスに戻ってきた2004年に収録されたのが下の動画で、彼にインタビューしているのは、なんとミゲル・アンヘル・ソット

「カルロス、あなたのように世界中で踊って大成功して、何か国語も話せる人が、どうしてブエノスアイレスに戻ってこようと思ったんです?」

ソットはガビートより後の世代で、タンゴリバイバルに続く時期(アルゼンチン国内の経済状況がひどかったこともあり)国外に活動拠点をつくることに力を入れたパフォ―マーの一人です。インタヴュー当時、ヨーロッパでの拠点づくりに没頭していたであろうことが、彼の質問にも反映されているように思います。

ソットの問いにこたえて、故郷への愛着やタンゴ・パフォ―マーとしての成功と引き換えにしてきたものについて語るガビート。彼はこのインタビューの翌年ブエノスアイレスで亡くなりました。ニューヨークをはじめとするタンゴ主要都市で確固たる地位を築き、住むところも自由に選べたであろうこの人が最後に選んだのは、ブエノスアイレスに還ってくることだったんですね……。

ちなみに、ソットは20年後の今もイタリアのミラノを拠点としています。最近そのことについてきかれた彼は
「(国外を拠点としてきたのは)娘や家族のため、そして何より、なんにでも手の届くところ、世界の中心にいたかった。私の場合、それがミラノだった」
とこたえています。

タンゴの世界化は2010年代に一息ついた感がありましたが、その後もパフォーマーの多様化は進み、今や、生まれも育ちも訓練もアルゼンチン以外というダンサーは珍しくなくなりました。したがって、この世代のパフォーマーをひとくくりに論じるのは難しいのですが、あえていうと、女性パフォーマーの存在感がいろいろな面で増したように感じます。

理由の第一は、もちろん、彼女たちのダンスの素晴らしさですが、現在タンゴを観たり習ったりする人の中心が女性であることも見落とせないように思います。習う動機も、媚びないセクシーさを身につけたいなど「自分のため」視点の女性顧客に、女性パフォーマーのパワーや存在感などは愛らしさやスタイルの良さなどにもましてアピールするし、女性ダンサーとしての「リアル」、例えば、妊娠ンヶ月のおなかでパフォーマンスしているところや、子連れでツアーしている姿なども、ある種の共体験として機能する。つまり、女性ダンサーをどのように位置づけるかは(ペアとして売り出している場合も含めて)PR上とても大切なわけです。

また男女にかかわらず、若い世代は「ブランド=物語」ということを熟知しているので、共感される物語の構築のため私生活にも細心の注意を払っているところなどは、私生活で何をしようとオレの勝手だと、大らかすぎなんじゃ~という振舞いもあった古い世代とはずいぶん違うなあと思います。

ともあれ、世界中で踊る、というパフォーマーたちの夢とともに世界に広がったタンゴ。ハビエル・ロドリゲスがいうように、ある地域だけが独占するということは今後なかなか考えにくい。根付いた先で育ったダンサーやミュージシャンも含め、タンゴ・デ・ムンド世界のタンゴはどのように展開するのか? タンゴはパフォーマー寿命も長いことですし、ともかく気長にフォローすることにしましょうか。(下の動画は2025年の Norma Galli、御齢なんと96歳👀)


教えることと試行錯誤

踊る人の数だけあるというタンゴの踊り方。古くは、あの人みたいに踊りたい、と見様見まねが基本であったタンゴも、そんな時間のかかることやってられないわ、お金を払うから大事な事だけを整理して教えてよ、というわけで、今では世界中どこでもインストラクターから習うダンスになりました。

当然ながら、インストラクターたちにも世代によって違いがあります。例えば、タンゴリバイバルの頃は、男性のインストラクターと女性のアシスタントという組み合わせで教えることがほどんどだったのが、現在では男女ともインストラクターとして教える、女性インストラクターが一人でリードもフォローも教えるなども、ごく普通になりました。

教え方も、他の人のダンスをみてまねることを基本とする教え方から、言葉で説明することが重視されるようになりました。もっとも、たいていのインストラクターは、今も「ダンスをみて学ぶこと」を重視しているのですが、習いに来るほうは何事もきちんと説明されることに慣れているので、そういうお客のニーズが反映されている部分もあると思います。説明も、若い世代はスペイン語以外(英語や生徒が理解できる言葉)でもできる人が大半です。

内容的には、社交としてのタンゴダンスとダンスパーティーでのマナーなどを教える、という昔ながらのものの他に、エクササイズやウェルネスの側面を重視したり、2000年代に始まった競技会を軸にタンゴビジネスを構築するモデルにそって、コンペ向けにダンスや演技を教え、振付・演出をする人たちもいます。

ちなみにこのビジネスモデルはインストラクター需要だけでなく、競技審判員やDJ需要なども増やし、コスチュームや靴のデザイン・製作、観光、健康産業など、様々なビジネスをつなげてタンゴ産業を振興しようというものです。

逆にいうと、ブエノスアイレスのようにタンゴ関連のインフラがないとうまく回らないおそれもあるのですが、聞くところによると、ロシアなどではある程度成功しているそうです。ロシアはタンゴが盛んで、世界選手権のチャンピオンをはじめ優れたダンサーも多く、Solo Tango Orquesta など素晴らしい楽団も擁するタンゴ先進地。ミロンガダンスパーティだけでなく大小のコンペも毎週のように開催され、それに向けて週に何回もプライベートレッスンを重ねて準備する一般のタンゲーロスも稀でないのだとか。そういう需要がいいインストラクターたちを引き寄せ、さらにダンスシーンが活気づくという良い循環があるのだそう。現在はウクライナ侵攻という不幸な事態もあって、以前の手放しの楽観論は影を潜めましたが、「競技会モデル」が今後どのようになるのか注目すべき地域かもしれません。

さておき。世界中どこでも、インストラクターの皆さんはタンゴを愛していて、タンゴを皆と分かち合いたいという気持ちに溢れているようにお見受けします。その一方、このように教えたいという理想があっても、顧客の好みや地域の文化を無視してはインストラクター業として成立しない。ある意味避けられない教える上での試行錯誤は、タンゴを「歪める」という見方もありますが、何しろタンゴは生きているダンス、まったく変わらない、ということはあり得ない。おまけに、タンゴにはこれが正統なダンスだ、というような単純な図式が存在しない。したがって、何を守り何をどう取り入れるかは、今後も教える人と習う人のダイナミクスにかかっている、ということになるでしょうか。

タンゴとリタイア生活

今では世界中あちこちで踊れるタンゴ。一方、1990年代のリバイバルの波にのってタンゴを踊りはじめた人たちは、ミロンガ通いがおっくうになったり、地域の世話役として深夜長時間のミロンガをオーガナイズするのはちょっときつい年代に突入しているのも事実。

……きついけど、まだやれる、でも老害と思われるのはイヤ。じゃあどうする? ということでなかなか面白かったのは、最近ミロンガのオーガナイザーを引退した人の話。ヨーロッパの地方都市でミロンガを30年近く続けたというだけでもすごいのに、「オレがオレが」感なく軽やかな彼💕……ともかく、まずは長い間ありがとうございました。その後ミロンガは誰か引き継いでおられるんですか?

「(笑いながら)いません。今は物価も高くてすごく大変だから。若い人はやりたがらない」

若い人はタンゴに興味がないんでしょうか?

「興味がないわけではないと思いますよ。野外のミロンガなどをずっとみている人には若い人も結構いるし」

いいにくいですけれど、踊っている人や教えている人が高齢化して、若者が入りにくいのでしょうか? Z世代は夜遊びしないとかも関係してますか?

「それもあるかもしれないけど、もっと単純な理由じゃないかな。ある世代に流行ったものは、そのすぐ下の世代にはウケないでしょ?」

なるほど。ということは『お父さんの背広はダサいけど、おじいちゃんのコートはカッコいい』で、もうちょっと待ってたら若い人がミロンガにワンサカやってくるんでしょうか?

「(笑い)それはわからないけど、待ってることもないんじゃないかなあ」

と彼がいうのは、若い人もタンゴを踊っている場所は今もあちこちにあるから。例えば、ヨーロッパとその周辺地域ぐらいの範囲でみただけでも、地域間でタンゴが流行りだした時期に早い遅いがあるため、「今」タンゴが熱いところはそれなりにあるのだそう。

「来週ね、マルタにいくの。DJしてくれないかって頼まれたから」

マルタでは最近できたコミュニティも多いので、彼のようにミロンガのあれこれに精通している人は重宝されるのだとか(彼の奥さんもタンゴDJなさるそうですし)。自分でミロンガをオーガナイズするような重責はない、気候のいい南の国で新しいコミュニティの人たちに自分の経験をシェアして喜んでもらえる。これは理想的リタイア生活じゃないですか! いや、でもリタイアっていうのはちょっと違うか。「タンゴが一度触れたものは永遠にタンゴのもの」ですもんね。……でもこの調子でいけば、「アクティブ・シニア・ライフにタンゴは必須☝️」な~んていわれるのも、時間の問題?
©Rico Unno, 2026, CC BY-ND


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