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一部公開|『緩和ケアにやりがいなんて、あるんですか?』(金原出版) 第7章「ぬかるみに引く線」


※この画像は、まだ本になる前の姿です。束見本つかみほん

2026年6月5日の記事に続き、
『緩和ケアにやりがいなんて、あるんですか?』(金原出版)
の一部を公開いたします。

今回は、
第7章「ぬかるみに引く線」です。

臨床の現場では、
決まった業務をただこなしていくだけではありません。

複雑な条件のもとで、
何が患者さんやご家族にとって最適なのか、
何をして、何をしないことが一番いいのか。
常にそんな問いが転がっています。

特に「しない」という選択は意外と難しい。

そして何かをしたあとも、
果たしてこれでよかったのだろうか、
別の道もあったのではなかろうか。
そんな疑問は残っています。

ベッドに横たわる患者さんや、
ご家族の寂しそうな横顔、目に滲んだもの。
そういったものが残像として浮かびます。

それでも余韻に十分ひたることはできず、
気づけば次の「問い」がこちらを見ています。

2026年6月12日、今日もそんな日でした。

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第七章 ぬかるみに引く線

小学校の運動会の前日——。
校庭に白線が引かれるのを、ぼんやりと眺めていた記憶がある。
2つの車輪が付いた白線引きが、コトコトと音を立てながら進んでいく。
そのあとには、くっきりとした一本の線が残る。

この線から内側は競技用トラック、外側は観客席です。
線から内側には入ってはいけません。

その境界は明確だった。
迷う余地はなかった。

この線から左は子ども、右は大人。
この線から左は不幸、右は幸福。
この線から左は抗がん治療、右はBSC・DNAR。

そんな風に、世界がはっきりと分けられていれば物事は分かりやすい。

考えなくてすむ。
判断しなくてすむ。
間違えたとしても、「線のせい」にできる。

人は線があると安心する。

医療もまた、線を必要とする場面はある。ガイドライン、マニュアル、プロトコール。
それらは本来、迷いを減らし、質を均一にするための道具である。多くの人を救ってきたのも事実だ。
しかし、患者一人ひとりの前に立ったとき、その線はときに、あまりにも乱暴で、冷たく感じられることがある。

いろいろな経験を重ねるにつれ、あの白線は、少しずつ風に吹かれ、薄くなっていった。
雨が降り、地面はぬかるみ、気づけば、境界は見えなくなっていた。
そんなぬかるみのなかに立っていた。

雨はしばらくやみそうにない。
それでもわたしたちは、自分の足で立ち続けるしかない。
誰も責任を分かちあってくれない場所で。

Sさん、70代男性。
多発性骨髄腫を数年前から患っている。

進行は比較的ゆっくりで、さいわい大きな苦痛なく過ごせていた。ただ、原疾患による貧血のため、2~3 カ月に一度の輸血が必要だった。輸血をすることで、心肺への過度な負荷が抑えられ、安定した状態を保たれていた。

「検査室から輸血をもらってきました。
確認をお願いします」

看護師とダブルチェックする。
「患者名、Sさん」
「血液型O型Rh+、RCC-LR 2 単位」
「ロット番号、27-3531-〇〇〇〇」
「照射済」
「使用期限、2026年1月△日」

そのときふと、輸血パックに貼られたラベルの「埼玉」という文字が目に入った。
他県から運ばれてきた血液なのだとあらためて意識する。

献血してくれた人。
運んできた人。
保存、感染症などのチェックを重ねた人たち。

これは、貴重な医療資源だ。
今後、貧血の進行が速くなった場合、どこまで輸血を続けるのか?
たとえば、毎週の輸血を要するような状況——。
どこかで線を引き、やめるのか?

急な交通事故で救命しなくてはならない、出産による大量出血で母子ともに危険。そうした状況なら躊躇なく輸血を行うだろう。では、がんの終末期の場合はどうだろう。誰が「ここまでやる」「ここからはやらない」と決めるのか。
その権利は誰にあるのか。

(つづく)

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『緩和ケアにやりがいなんて、あるんですか?』(金原出版)

2026年6月24日発売予定です。
ご興味をお持ちいただけましたら嬉しいです。


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高橋 有我| Yuga Takahashi ありがとうございます!