人の行動の裏側を勝手に考えてしまう、少し面倒くさい自己紹介
私は、人の行動の裏側にある「理由」を、勝手に考えてしまう人間です。
会社員で、父親で、製造業の生産技術をしていて、3歳の娘がいる。
noteには、仕事や育児、日常のことを書いている。
もちろん、それも自己紹介ではある。
でも、たぶん私を説明するなら、こっちの方が近い。
誰かが、
「トマト嫌いなんだよね」
と言ったとする。
普通なら、
「へー、そうなんだ」
で終わる。
私は、たまに終われない。
味なのか。
食感なのか。
匂いなのか。
昔、無理やり食べさせられたのか。
苦手なのはトマトそのものではなく、トマトを食べなければいけなかった状況なのか。
友人はただトマトが嫌いだと言っただけなのに、こちらは勝手にトマト嫌悪の因果関係を調べ始める。
トマトにそこまでの取り調べをする必要はない。
分かっている。
でも、気になる。
そして厄介なのは、考えているうちに答え合わせまでしたくなることだ。
「さっきのあれって、こういう感じだった?」
「本当はこう思ってなかった?」
仲のいい人には、つい聞いてしまう。
以前、友人にこう言われた。
「そこまで深掘りされると、自分でも知らなかった自分を知る感じがして、ちょっと嫌だ」
かなり印象に残っている。
私は面白がっていた。
でも、相手が同じように面白いとは限らない。
人には、
言語化したくないこともある。
気づかなくていいこともある。
「なんとなく」のまま置いておきたいこともある。
普通の懐中電灯で十分なところに、こちらが業務用ライトを持ち込んでいた。
それからは、少し気をつけるようになった。
誰にでも掘らない。
相手の表情を見る。
返事の温度を見る。
話したそうなら少し聞く。
嫌そうなら引く。
人間観察が好きなくせに、人に観察されている感じを出さないようにしている。
たぶん、これが私なりの社会生活である。
この癖は、仕事にも育児にも出る。
生産技術の仕事では、目の前の現象をそのまま受け取らない。
設備が止まれば、条件や手順のズレを見る。
「報告が遅い人」で終わらせず、なぜ遅れたのかを見る。
3歳の娘の、
「歩きたくない。でも抱っこも嫌」
も似ている。
大人から見れば矛盾していても、娘の中では何かしら理由があるのかもしれない。
人間は設備ではない。
仕様書どおりに動く3歳児もいない。
分かっている。
それでも、つい見てしまう。
この癖のおかげで、役に立つこともある。
仕事では、表面のミスではなく、その奥の詰まりに気づけることがある。
育児では、ただの「わがまま」で終わらせずに済むことがある。
もちろん、考えた結果、
「今日はただ嫌だっただけ」
で終わることもある。
それも含めて面白い。
だから私は、noteを書いている。
娘のかわいさを書きたい。
それは大前提である。
でも、それだけではなく、
娘の一言を聞いて、自分が何を考えたのか。
仕事で違和感があったとき、何が引っかかったのか。
日常の小さな出来事を見て、なぜ妙に気になったのか。
一回、言葉にして残したい。
出来事をそのまま通過させるのが、あまり得意ではないらしい。
そのせいで、メモがどんどん増える。
下書きやストックだけなら、今も40本くらいある。
自分でも少し引く。
ただ、この面倒くささは、
仕事では原因分析になり、
育児では観察になり、
noteでは文章になる。
扱い方を間違えると、人を疲れさせる。
扱い方が合えば、誰かがまだ言葉にできていなかった感覚を拾えることもある。
たぶん、私のnoteはそういう場所です。
仕事のことを書きます。
育児のことも書きます。
日常のくだらないことも書きます。
正解を書いているつもりはありません。
「こういう見方もあるかもしれない」
くらいの仮説を置いています。
読んだ人が、
「そうそう、自分もそれ思ってた」
とか、
「言われてみれば、たしかに」
とか、
「そこまで考えるのは面倒くさいけど、読む分には面白い」
と思ってくれたら、かなり嬉しい。
現実世界では、深掘りしすぎないよう少し控えめにしています。
その代わり、ここでは少し深めに書いています。
読んでいて少し面倒くさいと思ったら、たぶん正常です。
私も、自分でそう思っています。
この分析癖がよく出ている記事をいくつか置いておきます。
無料記事
・3歳娘を観察しては、勝手に分析している父親です
・「パパ見て」と言われた時、スマホを置くようにしている理由
有料記事
・3歳娘は工程ではなかった。生産技術主任の父が「仕事脳」を育児に持ち込んでバグりかけた話
・3歳娘に「パパは私のことが大好き」と思ってもらうために、私が続けていること全部
