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考察丨生き方は、身体にも刻まれるという話

私は20代で自己免疫疾患の橋本病
30代で子宮頸がんを経験しています。

当時は、それぞれを別の出来事だと思っていました。

ただ体調が悪かっただけ。

運が悪かっただけ。

そうやって切り離して考えていました。

でも今は、少し違う見方をしています。

幼少期の経験は、性格だけに影響するものだと思っていました。

  • 人との距離の取り方

  • 感情の扱い方

  • 思考の癖

そういう「内面」の問題だと。

でも最近、それだけではないのではないかと思うようになりました。

もしかすると、身体の方にも、
同じものが残っているのではないか。

そう考えるようになりました。

■ 身体に残るもの

カウンセラーの先生から、
幼少期に強いストレスや虐待を受けた人は、
癌や自己免疫疾患に罹患する確率が高い
という話を聞きました。

最初は、少し極端に感じました。

でも調べてみると、
そういった関連を示唆する研究はいくつもあります。

例えば 国立精神・神経医療研究センター の発表では、幼少期の虐待体験は精神疾患だけでなく身体疾患のリスクとも関連する可能性があり、その背景として免疫や炎症の働きが関係している可能性が示されています。

ここで重要なのは、「ストレスで身体が壊れる」という単純な話ではないということだと思います。

示唆されているのは、
炎症の強さではなく、そのリズムの乱れです。

本来、身体は時間帯によってホルモンや免疫の働きが変動しています。

でも強いストレスが長く続くと、
そのリズムが崩れる可能性があります。

つまり、免疫や細胞の働きが本来のリズムから外れ、炎症が必要以上に続いたり、本来修復されるべき働きがうまく機能しなくなったりと、調整が効かなくなっていく可能性があります。

■ 私の身体に起きたこと

この話を聞いたとき、自分の経験と繋がりました。

幼少期の親からの精神的な虐待
過去記事①
過去記事②
過去記事③

そして私は20代半ば、強いストレスの中にいた時期に橋本病を発症しました。会社でハラスメント被害を受け、DVモラハラ元恋人と付き合っていた時です。

発症時は25歳で、
当時47kgだった体重は、
半年で74kgまで増えました。

食事量はほとんど変わっていないのに、
身体だけが急激に変わっていきました。

朝起きても身体が重い。
関節や筋肉に鈍い痛みが走る。
内臓の数値も悪化していきました。

階段を上るだけで息が切れる。
何もしていないのに疲れている。
起き上がれない日が、少しずつ増えていきました。

有給を極限まで消化しながらも、
それでも私は働き続けました。

当時の私は、自分の「限界」を感じ取る感覚がどこか壊れていたと思います。

「休むと自分の価値が終わってしまう。」

だから、どれだけ体調が悪くても、
「まだいける」と判断していました。

「休む」という選択肢が、
最初から存在していませんでした。

周囲から見えるのは、
急激に太っていく私の姿だけでした。

「食べ過ぎなんじゃないか」
「自己管理ができていないだけだ」

そういう心無い言葉を、何度も向けられました。
でも自分でも原因が分かりませんでした。

20代で橋本病を発症するのは珍しいらしく、
診断に辿り着くまでに10件近く病院を回りました。

血液検査をしても「異常なし」と言われることもあれば、「不摂生」「ストレスですね」と片付けられることもありました。
中には、「これはメンタルの問題です」と断定してくる医師もいました。

会社の産業医との面談でも、
「無理せず休職した方がいい」とだけ言われました。

でもそれは、原因が分からないからとりあえず働かせるのを止めようとしているようにしか思えませんでした。

納得できませんでした。
だから私は、意地でも働き続けました。

ようやく甲状腺の検査に辿り着き、
橋本病だと分かったとき、
やっと原因が言語化されました。

治療としてホルモン剤を勧められました。

でも当時のDVモラハラ元恋人はそれを強く反対しました。

理由は、
「痩せてモテたら嫌だから

ただ、それだけでした。

私の身体の心配ではなく、
彼の不安と欲求が優先されていました。

私は、ただ普通に生活できる身体に戻りたかった。

それだけでした。

常に監視されていたので、なかなか病院に行くことができず、結局、彼に知られないように薬を個人輸入で手に入れました。

本来であれば医師の管理下で行うべき治療を、
自分で容量を調整しながら続けました。
かなりリスクのあるやり方だったと思います。

でも当時の私には、
それ以外の選択肢が見えませんでした。
服用を始めてから2ヶ月ほどで、体重は戻りました。

身体の状態も、少しずつ元に戻っていきました。
今振り返ると、あの時の判断は危うかったと思います。

でも同時に、あの環境の中で、あの選択しかできなかった自分の状態も理解できます。

■ 次に起きたこと

橋本病との付き合い方が分かってきた頃、
次は子宮頸がんでした。

毎年検査は受けていました。
だから大丈夫だと思っていました。

ただ、兆候はありました。

性交痛
性行為後の出血

違和感はあったのに、

「体質が変わっただけかもしれない」

そうやって解釈して、先延ばしにしていました。


ある年の検査結果に、

「要精密検査 至急受診してください」

と書かれていました。


その瞬間、少しだけ怖くなりました。
でも同時に、私はすぐに情報を探しにいきました。

検索して出てきたのは、

  • 多くは自然に治る

  • 一時的な異常で終わることも多い

という内容でした。
私はそれを選んで信じました。
今思えば、安心できる情報だけを拾っていました。

次に婦人科専門クリニックで再検査を受けました。

医師の説明ははっきりしていました。

  • 前癌、もしくは癌の可能性が高い

  • このまま進行すればリンパに転移する

  • 早急に手術が必要

でした。
そのとき初めて、「現実」として認識しました。

■ 一人で座っていた待合室

紹介状を持って、
地域がん診療拠点に指定されている病院に行きました。

病院に入った瞬間、空気が違いました。
そこには、明らかに重い病を抱えている人たちがいました。

そして産婦人科の待合に行くと、
別の意味で現実を突きつけられました。

ほとんどが、妊婦か、赤ちゃんを抱いた人でした

隣にはパートナーや家族がいました。

穏やかな会話
新しい命を待つ空気

そう、産婦人科なので、
産科と婦人科は分けられていないのです。

その中で私は一人でした。
顔色は悪く、ただ静かに座っていました。

同じ空間にいるのに、
自分だけ別の場所にいるような感覚でした。

安心や期待ではなく、
恐怖と不安だけを抱えている状態でした。

あの時間は、かなり異質でした。


■ 選択

検査の結果、診断はほぼ確定していました。
前癌の段階でしたが、このまま進行すれば確実に癌になります。

医師から提示されたのは、

一部切除もしくは子宮全摘

でした。

安全性だけで言えば、
全摘の方が確実だと説明されました。


でも、無理でした

子宮は、ただの臓器として扱えるものではありませんでした。
機能の問題だけではなく、それ以上の意味を持っていました。

もし全摘すれば、

妊娠はできない
女性としての可能性が一つ消える

女性としての自分が消えてしまうのではないか。

そういう現実を、その場で受け入れることができませんでした。

子宮頸がんは、癌化していない段階であっても、
切除が基本的な治療になります。
薬で治すことはできません。

つまり、完全に癌化する前の段階で、重要な決断を迫られるということです。

仮に初期の段階であったとしても、部位が部位です。

それでも周囲からは、
「まだ初期なんでしょ」
「大したことないんじゃないの」

といった言葉を向けられることもありました。

でも私にとっては、
そんなふうに軽く扱えるものではありませんでした。


一方で医師はこうも言いました。
「免疫で消失する可能性もゼロではない」

確率は低いと分かっていても、
私はその言葉を強く掴みました。

また都合のいい可能性に賭けようとしていました。

結局すぐ手術はせずに、
その後、3ヶ月ごとに検査を続けました。

でも状態は改善しませんでした。
むしろ進行していきました。

そして、前癌の最終段階に入った頃、
ある出来事が重なりました。

回避型の恋人との関係が崩壊し、
精神的にも身体的にも極端なストレスがかかった時期
でした。

そして回避型の恋人に別れを切り出される前日の
生検結果診察で、癌宣告を受けました。
完全に癌化したのです。

そして、その翌日は恋人と別れることになりました。

あまりにも様々なことが重なりすぎていて、
少し現実感がありませんでした。

■ 決断

最終的に私が選んだのは、一部切除でした。
安全性よりも、残すことを選びました。

手術の結果、表面のがん細胞は除去されました。

ただし、

内部に残っている可能性
再発のリスク
は完全には消えていません。

今も半年ごとに検査を続けています。

不安がないわけではありません。
でもそれ以上に、
子宮を残せたことへの安堵の方が大きかったです。


手術が終わった後、
私はカウンセラーの先生から言われていた、
幼少期の虐待と癌や自己免疫疾患が関係している可能性があるという話を思い出しました。

これまで別々の出来事として捉えていたものが、
一本の線でつながるような感覚でした。

自分の中で起きてきたことに、
初めて意味が与えられたようにも感じました。
そのとき、腑に落ちました。

そして同時に、激しい怒りが湧いてきました。

ここまで受けてきた受難を、
誰かのせいにしなければ、
正気を保てなかったのです。

■ ただし、これは決定ではない

この話をするとき、
一つだけ明確にしておきたいことがあります。

これは、「虐待=病気になる」という話ではありません。


同じような環境で育っても、何も起きない人もいますし、必ずしも同じ結果になるわけではありません。

生活習慣や遺伝、置かれている環境、その時々の状況など、さまざまな要因が重なって結果が出るものだと思っています。

つまりこれは、決定ではなく、
傾向の話だと思っています。


■ それでも

それでも、
何も残らないわけではないと感じています。

目に見える形ではなくても、
何かしらの影響は確実に残っています。

思考だけではなく、身体の反応として、

  • 過覚醒

  • 反芻

  • 緊張の持続

といったものは、今でも確実に存在しています。

それは意識しているときだけではなく、
無意識の状態でも続いています。

気づけば常に身体のどこかに力が入っていて、完全に緩んでいる時間の方が少なかったように思います。

そしてもう一つ感じているのは、

幼少期の経験によって自己否定が強い状態が続くことで、まるで自分の細胞を攻撃しているかのように、
免疫の働きが弱まっていくような感覚です。

それが巡り巡って、癌や自己免疫疾患につながっている可能性もゼロではないと感じています。

私個人としては、そう捉えています。

もちろん、それがそのまま病気に直結するという単純な話ではありません。

ただ、自分を否定し続ける状態が、心だけでなく身体にも何らかの影響を与えている可能性はあると感じています。

■ 生き方は、身体にも刻まれる


私たちは、「考え方を変えればいい」と思いがちです。

でも実際には、身体の方が先に学習していることもあります。

危険を避けるための反応や、常に緊張している状態、先回りして考え続ける癖は、当時の環境の中で生き延びるために身につけたものだったのだと思います。

そしてそれは、頭で理解しただけでは変わりません。

身体に残っている反応は、
思っている以上に長く続きます。

そしてそれは、簡単には消えません。

この話は、不安を煽るためのものではありません。

むしろ逆で、これまで自分の中で「なぜこんなにうまくできないのか」「なぜ普通にできないのか」と責めてきた部分に対して、別の見方を持つためのものだと思っています。

自分を責めるための材料ではなく、
理解するための材料として。

そういう視点の一つだと捉えています。

私の体に出てきた病や傷は、ただの不運や偶然ではなく、これまでの生き方や環境の中で積み重なってきたものの結果なのかもしれません。

もし生き方が身体に刻まれるのだとしたら、

それは自分の弱さではなく、生き延びるために必要だった結果であり、

そしてこれからの生き方も、同じように身体に刻まれていくのだと思います。

#身体についてのひとりごと


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